6-11
それをなんと形容するべきか、クロウは適切な言葉を持っていなかった。
ただ、自然の摂理に反しているかたちであることは何となく分かった。
オホーラが「何とおぞましい」と嫌悪感を表わしていたことには共感はできなかったが、何かが間違っていることは本能的に察せられた。
大雑把に言うならば、それは大岩と樹木と何かの混合物だ。岩から枝が生えている、というのとも違う。無秩序にただ混ざり合っている。さらに、緩慢とした動きではあっても自立して動いているようにも見えた。
初めは岩壁に一体化しているように見えたものの、ズリズリと擦るような音と共に移動していることが分かった。先程賢者が説明していたように、その足元には水たまりがある。おそらく夢紫の霧が液状化しているものだ。それが円滑油の働きをして移動を可能しているのかもしれない。
ともあれ、キリキノコはその樹木の箇所と融合しているらしく、岩肌の隙間の至る所にキノコ然としたお馴染みの輪郭が見て取れた。
「あれは……何なんだ?」
「わっはっは。けったいな生き物じゃのぅ。岩と樹と何かじゃだろうが。その何かがどうにも分からん」
「どうしてあのような形で混ざり合っているのかは分からぬが、突然変異でも説明がつかぬ。おそらくは、何かが媒介となって結合したのであろうが……何かの手がかりが足りぬな」
賢者もラクシャーヌも同様の意見のようだ。岩と樹をつなぐ何かがあるはずだと分かるのに、それが分からない。
その何かは外観からは判別がつかない。どろりとしたものという説明になるだろうか。液体のようなそれが、岩や樹木の皮、枝など全般にまとわりついている。奇妙なことにそれは無色透明のようでいて、見る度にうっすらと色がつく。その色彩がまた一定ではなく、青みがかったり黄色だったりで変化している。それでいてもう一度見直すと透明だったりするのだ。自らの目を疑うのも無理はないだろう。
そんな不可思議なものは「何か」としか言いようがない。
結局、目の前のそれは得体の知れない魔法生物だと言ってもいいだろう。
だが、その実態はやはりキリキノコなのかもしれない。
何もしていなかったかのように見えたそれが、突如牙を向いたとき、空気中には既にキリキノコの胞子が大量に蒔かれていた。あまりに微粒なそれはまったく視界に入っていなかった。単体では特に問題がなく、霧状でもない状態ならば支障はないという認識だったが、完全に間違っていたようだ。
その見えない微細な胞子があの何かと結びついたとき、辺りは一気に狩場へと化した。
「ぬぬ?こりゃ一旦退いた方がいいぞえ、クロウ。こやつ謀っておったわ」
「なんか空気は変わったみたいだが、どういう意味だ?」
「よいから下がれ!」
ラクシャーヌの真剣な声に反応してクロウはその場から飛び退った。
「辺りが熱を帯び始めたぞ!冷気を放て!」
賢者も鋭く警告を発する。
ラクシャーヌは氷の魔法を発動した。威力よりも範囲重視で、奇しくも奇妙な膜状の何かに氷の粒子を吹き付ける形になった。
気化しそうになっていた足元の水溜まりと共に、広がりを見せていた霧状の胞子も冷やされることで液状化して、更に地面を濡らしてゆく。
「空気がべとつくのぅ……それにしても、熱源はどこじゃ?何がこの空間を温めたんじゃ?」
言われて気づく。確かに、温度が上がる要素はどこにもなかったように思える。
「オホーラ、熱はどこから来たんだ?」
賢者はその意味するところをたちどころに理解した。そして答えも持っていた。
「おそらくは摩擦熱じゃ。あの何かの枝か何かが岩壁に入り込んでいるのなら、その動きのたびに擦れて温度は上がるじゃろう」
空間そのものの温度が上がるのも、それならば納得が行く。四方八方から熱気が迫るなら当然の如く液体は気化する。それが霧となって幻の夢へと誘うという展開だ。奇妙などろりとした何かもそれに便乗したのかもしれない。
「けど、眠らされたときは熱は感じなかったよな?」
「あの時は別口じゃな。おそらく、大量の枝先から胞子を飛ばして一気に周辺を霧で覆ったと思われる。前方にばかり意識が集中してたゆえ、不意を突かれたんじゃ。今回のようにあの粘性の高い何かが分散して細かくなれるとしたら、その範囲は一気に広がるじゃろう」
「なるほどな。で、何で今回は変えたんだ?」
「さてな。二度目は通用せぬと警戒したか、初めから敵性の意思を感じ取ったからか、いずれにせよ状況の違いであろう。というより、合わせ技で来たという方が正しい」
「それだとやたら知性的に聞こえるな。あの岩の塊がそんなに考えられるもんか?」
「クロウよ、悠長に話しとるより壊した方が早かろ?手を出さない理由があるのかえ?」
ラクシャーヌの言い分はもっともだ。あれが何かはよく分からないが、焼き払うといった倒し方ではない限り、攻撃して沈黙させるのに問題はなさそうだ。
「そうだな。とりあえず、ぶっ壊してから考えるか」
「待て、クロウ。ラクシャーヌにけしかけられたのやもしれぬが、ここは慎重に動くがよい。何かまだ――」
賢者が今にも動き出しそうなクロウを諭そうとする中、既に状況は動いていた。
「そうこなくては、な!」
ラクシャーヌがクロウの言葉と同時に飛び出していたのだ。災魔は戦いがしたくてたまらなかったのだろう。
轡と手綱から解放された馬のように一気に加速して走り出していく。
そう言えば最近はあまり暴れていなかったかもしれない。破壊衝動の兆候はなかったと思うが、本人が言わなければなかなか気づけるものでもない。我慢していたのだろうか。
クロウはそんなことを思いながらも、自らも松明をそばに置いて剣を構える。
ラクシャーヌの攻撃によって流れ矢のようなものが来ないとも限らない。
災魔は手当たり次第に魔法を放っている。様々な属性のものが扱えるため、その攻撃魔法は水系、炎系、風系と多岐に渡る。効果的なものを手探り状態でぶつけているようだ。その余波か何かで、熱かったり冷たかったりする空気の流れが周辺に影響を与えている中、クロウは本体と思われる岩の塊を凝視していた。
魔法攻撃を受けて何らかの反応をするだろうと考えていたのだが、その兆候がない。
むしろ、何も変わらない様子でずりずりと移動を続けているようにしか見えなかった。違和感が鎌首をもたげてくる。
ずっと感じていたことだ。
あれが魔物の類で稀有な魔法生物だとして、その知性はいかほどのものなのか。
思考能力を持つ魔物というのはかなり稀少だと聞く。そのレア度は形状や生態の珍しさの非ではなく、アテルのように独自の考えを持ってしゃべるという機能があることは、それだけでかなり特異だということが今では分かっている。
先程までのキリキノコの活動を見る限り、相手は何らかの意図をもって攻撃していたように思う。単に防衛本能による攻撃ではなく、追跡して特定の何かを狙うといった目的意識があったことからも明白だ。一方で、今目の前にいるあの岩と樹の混合物はどうにもそうした知性を感じない。
どこか奇妙なズレがある。
その違和感を賢者に話してみる。
「ふむ。おぬしもそう感じるか。実はわしも同じことを思っておった。あれは別の何かに操られているだけではないのかと。じゃからこそ、慎重にしろと言いたかったんじゃが……」
「別の何か?」
急に飛んできた小岩を弾き飛ばしながら、クロウは聞き返す。
「要するに黒幕のようなものがおって、あれを思うように動かしている、という話じゃ。今のあれに知的なものを感じるか?感じないであろう?ならば、何かあるいは誰かが命令を送っている可能性の方が高い」
「まさか、例の魔道具使い(ユーザー)なのか?」
賢者の命を狙っているガンラッド=ハルオラがこの地下世界にいることは突き止めている。
またもや先手を打たれたのだろうか。
「いや、それはなかろう。ここを調べていたのはネーレ王国で偶然出くわしたのじゃろうし、そこに罠を張っておいたというのは考えにくい。何より、魔道具で魔物を扱うというのは至難の業じゃ。できないことはないではあろうが、現実的ではない」
タイミング的にありそうな気がしたが、そう言われると無理に結び付けているだけかもしれない。
「そう都合よくはないか……」
「まぁ、きゃつじゃないとしても何かしら思惑があった者が絡んでいるとは思うのじゃが……とりあえず、ラクシャーヌがすべて壊す前に止めてくれぬか?」
少し呆れたような声音に視線を戻すと、
「わっはっは、吹き飛べ、吹き飛べー!!」
災魔が高笑いしながら周囲のものを手当たり次第に壊していた。
岩や樹が粉々に散らばって舞っている。色彩を変える謎の何かも宙を漂う水泡のように飛び散り、弾けるように消えてゆく。魔法というか魔力が有効なようだ。
「あの何かはサンプルが欲しいよな?」
「それはそうじゃが、キリキノコの方が目的だったはずじゃぞ?」
ラクシャーヌに声をかけたとしても、ある種の興奮状態で聞き入れるかは微妙なところだ。
クロウは周辺をよく観察し、比較的大きな塊が転がっているのを左手に見つける。岩の部分には用はないが、樹木の皮がむき出しになった個所に茸の形状のものが残っていた。
それを回収するべく移動を開始する。
災魔の魔法はまだ猛威を振るってはいるものの、単発的で連続していない。気を付けれていれば避けられるはずだ。
「何とも派手にやっておるの……」
オホーラの言葉を聞き流しながら、目的の塊へと駆け寄ってそれを手にした。片手で持てるくらいの塊だ。
砕けた一部なので正常に活動しているのかどうかは定かではない。少なくとも樹皮から突き出たキノコ部分は異常がないように見える。どろりとした何かもしっかりとこびりついていた。丁度よさそうだ。
「この状態でも大丈夫だよな?キノコが健全かどうかってよく分からねえが……」
「生態系がつかめておらぬゆえ、それを持ち帰って肥沃な土地にでも置いてみるしかあるまいな……いや、あるいは洞窟内にあったことを考えると湿度の高い場所の方がよいのか……」
その辺りは後で悩んでもらうことにして、クロウはそれを持ち帰って戻る。
そこへ。
「クロウ様!」
ロレイアたちが追いついてきたようだ。
「何事?」
ミーヤが魔法を放ちながら笑っているラクシャーヌに不審な視線を向けていた。
「ああ。こういう変なもんがいてな。粉砕してるところだ」
手にした塊を見せると、皆が怪訝な顔をしてそれを凝視する。得体の知れない魔法生物の一種だ。初見でそうなるのはしかたない。
「なに、それ?」
「キリキノコの母体、みたいなもんらしいが、よく分かってない。もっとでかいのがいたんだが、あの通りだ」
「奇妙に混ざっているな……地下特有の魔物といったところか?」
冷静に観察しているのはシリベスタだ。
なぜかその腕にココを抱かかえている。よく眠っているようだ。小柄とはいえ、ココ一人を抱えて走ってきたのだろうか。
良く分からない状況だが、今は聞いている暇はない。
「とにかく、ラクシャーヌがあれを片づけるまで少し待っててくれ。多分、助太刀はいらないと思う」
というより、近づかない方がいいという無言の補足を誰もが察した。
楽しそうに「わっはっは」と高笑いして、魔法を連発している使い魔のもとに向かいたい者はいないだろう。完全に悪役のそれだ。
「ここまでの道中ではまったく危険はありませんでしたが、その母体というものがあの状態だったからでしょうか?」
ウェルヴェーヌが首を傾げている。
「あれが頭脳だったんならそうだろうけど……どうにも知性が感じられない奴なんで、他に何かあるんじゃねえかって話だ?」
「どういう意味です?」
オホーラがもう一度黒幕のような存在の可能性を説明する。
「なるほど……確かに今も好き放題やられていますね。効果的に防ぐとか、そういう知的な防御はしていないように思えます」
「見たこともない魔法生物に、それを操る何かだと?地下世界はやはり我々の常識とは段違いなのだな……」
シリベスタがうなるように呟く。
その腕の中で眠っているココもそんな不思議の一つなのだが、と教えてやりたいと思っているところで、不意に周囲が静かになった。
ラクシャーヌの攻撃が止んだらしい。
終わったのかと思ってそちらに視線を向けると、災魔が鼻をくんくんと鳴らしていぶかし気な表情を浮かべていた。
何事かと思って歩み寄って尋ねる。既に岩と樹の何かは壊滅状態で危険性はない。
「どうしたんだ、ラクシャーヌ?」
「分からぬが、何か匂う。あまり良い気がせぬ」
「ラクシャーヌは何と?」
オホーラが聞いてくるので伝える。
「蜘蛛の状態ではわしにも分からんの。じゃが、ここは一旦退くのも手じゃぞ?既にサンプルは手に入れた。更にこのまま深入りするか、場を改めるか、区切るには丁度良い」
まだ奥に何かがありそうな予感がしているクロウは、ここで引き返すのは得策ではないと思っていた。
いけるとこまでいくべきだと、そう言おうとしたところで後方にいたミーヤが叫んだ。
「クロウ!今すぐここを出るべき!」
急に警告を発する。何か危険を感じったのか、真剣な声だった。
仲間の二人から嫌な予感なるものを助言されたら、さすがに従わないわけにはいかない。勘というものを疎かにするつもりはなかった。手のひらを反す。
「んじゃ、良く分からねえが出るか」
誰もが場の雰囲気には敏感だ。すぐさま後退準備に取り掛かったところで、奥の方からゴゴォーンというような轟きがあった。
何か巨大なものが落ちた音。あるいは、何かが衝突した衝撃音に近い。同時に、空気がまた変わった。
匂いとも言える。
押し出された洞窟内の空気が風のように吹いてきたのかもしれない。何か臭い匂いを感じた。
「いかん!これは硫黄臭じゃ。正確には硫化水素、火山ガスの一種だ。すぐにここを出るのじゃ!」
そのどれもがいまいちピンと来ないが、火山ガスという言葉に潜在知識が反応する。一定量を吸い込むと死に至ることもあるという。ミーヤが危険だといったのはそのせいか。出所は不明だが、今はこの場を放れることが先決だ。
「お前ら走れ、やばいガスが来そうだ!」
二度目の横穴からの撤退は、慌ただしく危険なものとなりそうだった。




