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選択死  作者: 雲散無常
第六章:坦然
65/139

6-8


 この大陸には数多くの危険な霧が存在する。

 その霧に巻き込まれると、どこにも抜け出せなくなると言われている彷徨いの霧。

 少しでも吸引すれば死に至る永遠の霧。

 様々な幻覚症状を引き起こす幻影の霧など、いずれも不可思議な魔法のような力を持つ。

 その中で、夢紫むしの霧というものがあった。

 その霧の中では夢を見る。その夢は見る者の過去や願望、あるいは欲望、もしくは絶望をない交ぜにしたもので、途切れることなく見させるという。つまり、死ぬまでその夢に囚われるということだ。目覚めることのない夢を見たまま死ぬ霧。ゆえに、夢死の霧とも呼ばれる。

 それはある特殊なキノコが放出する胞子が原因だという研究もあり、その学者が言うには地下の特定の地域にのみ生息する。

 正式名は広く知られていない。ただ、俗称としてキリキノコとシンプルな名で呼ばれて恐れられている。

 ネーレ王国のワゼルが持ち帰ったものは、そのキリキノコの一部だった。紫なのは霧だけではなかった。キノコそのものも珍しい色をしていることに由来している。

 クロウはその存在をまるで知らなかったが、一目見た瞬間に先程の知識が引き出されていた。危険なものであることは間違いない。

 ワゼルによると、そのキリキノコが群生している場所があるという。

 放置していると危険だと判断して、知らせてくれたようだ。あるいは、その奥に進みたいが自分たちだけではどうにもならないので、ベリオス側に処理を任せる魂胆なのかもしれないが。

 魔道具使い(ユーザー)の捜索が最優先ではあるが、キリキノコについても放置するわけにはいかない。過去の歴史においては悪用された例も数知らず、それこそオホーラ暗殺に再び使用されることもあり得る。

 ベリオスで保管するという方法もあるが、維持管理の難しさから焼き払って抹消する方がいいだろうというのが賢者の弁だ。危険物はないほうがいいという考えは理解できる。どんなに厳重に管理しようと、綻びというものは起こりうるものだ。悪党に盗まれでもしたら大惨事になる。ならば、初めから持つべきではないというのは合理的だろう。

 ただし、懸念としてキリキノコがこの地下世界に点在する可能性だ。

 その場合は繁殖する場所の特定作業などが必要となるため、研究する必要性が出て来る。先の学者もある程度の生息地域を絞ってはいたが、解明には至っていない。おおよその繁殖条件という考察でしかなかった。

 それらの確認を含めて一行は現地へと向かっていた。ガンラッドの捜索は一旦中断となるが、警戒は怠らない。ここからは魔土偶使いが地下世界にいる前提で行動する必要があった。

 「キリキノコってので見る夢はそんなにヤバいのか?」

 「内容に関しては人によるとしか言えぬのじゃが、幻覚剤のように本人にとって悦楽となるような感情を引き起こしたり、絶望を喚起するようなものだったりで複雑怪奇なものと思えばよかろう。怖いもの見たさという言葉があるように、人はたとえば負の感情を誘発するものでも魅かれることがある。そうしたプラスマイナスの起伏を含んだ物語を見せられるようなものじゃな」

 「よく分からねえが、そういうもんだとずっと見続けるってことか?」

 「うむ。見ているつもりが魅入られて終わりなき迷路に迷い込む。夢と現の境もなくなってしまい、夢から覚めることなくその物語を追い続けてしまう。恐ろしいのは、それが夢だと認識してもしなくても、本能的に無自覚に見続けるということじゃ」

 オホーラの説明は分かるようで分からない。

 「感情に刺激的な夢というのは、精神的肉体的にも疲弊します。そんなものをずっと見続けていたら、何も食べないゆえから衰弱しますし、心は擦り切れてボロボロになってしまうことは明白でしょう」

 「危険なことは確かだな……」

 ロレイアの補足で、感情的な疲弊は類推できなくとも、物理的に衰弱する理屈は理解できた。

 「ギルドの探索では、今までにキリキノコの報告はない」

 確認のためについてきたミーヤが不思議そうに言った。地下世界の探索はギルドの専門チームが既に継続して行っている状況だ。

 「ネーレ側の話では、崖下の大分奥の方の横穴だったらしいからの。全体的な地形を把握しようとしてるギルドとは視点が違うじゃろうて」

 「彼らは何を探してる?自由に動いているように思えたが?」

 ネーレ王国の目的について、ギルド側には詳細は伝えていない。本来は転移魔法陣の調査に限った地下世界への入場許可なので、ミーヤが不審がるのも無理はない。

 「転移魔法陣の手がかりとなるものを、外部に求めているだけじゃよ。そういうアプローチも否定はできぬゆえ、自己責任である程度の探索を許可しておる」

 対外的な理由を賢者は答える。

 ミーヤは頷いてそれ以上の疑問は口にしなかった。そこで、それまで黙っていたシリベスタが発言する。

 「転移魔法陣の各国の進捗具合については現状、どうなっているのだろうか?定期的に会合を開いて話し合うと聞いているが、まだ一回しかその会議は開かれていないままではないだろうか?」

 「うむ。そのことに関してはこちらの落ち度だ。素直に謝罪するしかない。各国の足並みが想像以上に揃わず、会合を開く日にちの合意が取りにくいという問題があるのじゃ。見積もりが甘かったとしか言えぬ」

 特にヤムグッタ王国とオズウェン共和国との折り合いがつかなかった。魔法大国ノーグフェールを祖にする二国の反目は想像以上で、同じ卓につくのすらできるだけ避けようという考えがあからさまで、情報共有を前提にしている場だけに調整が困難になっていた。建前上は両国とも事前に了承していたはずだが、蓋を開けてみれば何かと理由をつけて駄々をこねているような状態だった。

 クロウもその両国のいざこざを知りながら推し進めた手前、そのうち直に交渉しなければならないと思っていた。

 ただ、今は他にすべきことがありすぎて手が回らない。

 オホーラも同じだろう。優先事項が他にありすぎるのが現状だ。

 「なるほど。諸国間の思惑が絡めばそれもまた理解できる。出過ぎたことを聞いてしまったようだ。申し訳ない」

 賢者には敬意を払っているシリベスタは、素直に引き下がった。

 そんな話をしている間に、報告された場所へと辿り着く。

 切り立った断崖の下の洞窟、その手前でロレイアが魔力探知をする。

 「……入って右手奥の方で、確かに魔力溜まりがあります。一定の区画で留まっているのは、中の空気の流れが外へ向かっていないからかと」

 「外に漏れ出てないのは僥倖じゃの。とはいえ、それがいつまで続くかは保証できぬ。焼き払うか、ここに研究班を置くか、といった処置が必要じゃろう」

 オホーラはクロウの頭上で思慮深げに言う。

 「どっちにしろ、中で数を確認してからなんだろ?」

 「そうじゃな。慎重に進んで行くとしよう。ロレイアよ、風の魔法をいつでも発動できるように頼むぞ。洞窟内で霧に囚われると厄介じゃ」

 「はい。お任せください。それにしても、ネーレ王国の方たちはどうやって持ち帰ってきたのでしょうか?」

 「群生しているといっても、外れたところに生えておるものもあるじゃろう。一つくらい持ち帰れぬことはない」

 さすがに単体での霧の効果はそれほどでもない。多くのキリキノコが一斉に胞子を飛ばして霧状の空気ができることで、幻覚の夢に囚われることになる。ただ、地中からの養分が途切れるとすぐに活動停止状態になるため、切り取って生活圏外での研究と言ったことはできないらしい。

 横穴は洞窟のような面持で、ひんやりとした空気が漂っていた。

 野生の獣も魔獣の気配もない。足元には糞尿の類もないことからも明らかだ。本能的に危険だと察知しているからだろうか。

 蝙蝠の類ですら見ない。

 夢紫の霧は生物全般に作用するようなので当然ともいえる。獣が夢を見るかはさておき、強制的に眠らされて起きないという状況を考えれば、危険なことに変わりはない。寄り付きもしないだろう。

 光苔もあまりおらず、その横穴は大分薄暗かった。反響する足音だけがやけに大きく響く。

 松明の明かりのみで進む一行は、やがて問題の区画に到達したことを知る。明らかに空気が変わり、紫の霧の膜のようなものを感じ始めた。

 「近いみたいだな……」

 「念のため、布で口元を覆って進むがよい。ゆっくりとな」

 一応、入口にシリベスタとウェルヴェーヌを待機させている。何か不測の事態があったときの保険だ。

 クロウは慎重に歩を進める。いつの間にか先頭にいた。

 疑問が浮かぶ。

 いつから自分が先に進んでいたのだろうか。どうして、前にいる?松明も持っていないのに。いや、そもそも、松明はどこだ?持っていたのはミーヤだったような……

 そのミーヤはどこか。松明も見当たらない。辺りはそれなりに明るい。明るいのに何も見えない。

 オホーラに尋ねようとして、賢者の姿が見当たらないことに気づく。声を出そうとして、言葉もなぜか出ない。

 何かがおかしい。

 中のラクシャーヌたちに呼びかけようとした矢先、クロウの意識がぷつりと切れた。



 一人の少女が暗がりで泣いていた。

 衣服は継ぎ接ぎのボロ布と変わりなく、もう何日も水浴びすらしてないことはその薄汚れた肌艶からして間違いない。

 生気のない瞳、こびりついた涎の跡、蝿がたかりそうなぼさぼさの髪。

 貧困外でよく見かける浮浪者の子供だ。

 だが、そこは路地裏の通りではない。掃き溜めの街の一角ではなかった。

 鬱蒼と生い茂る叢が周囲を取り囲み、魔物でもいそうな大自然の中だった。

 声もなくすすり上げるように嗚咽を漏らす少女を、一つの人影が見守っていた。

 輪郭だけは人型のそれは、すべてが暗い影で覆われていて性別も背格好も何も分からない。

 ただ、じっと少女を見つめていることだけは分かった。

 「―――――――」

 人影が何かを言う。聞き取れない。言葉だとは分かるが、内容も発音もまったく理解できなかった。

 少女が顔を上げた。

 「――――――」

 怯えたように彼女も言葉を発するが、やはり聞こえない。

 不意に少女の足元に魔法陣が浮かび上がる。

 淡く発行している。何か魔法が発動しているのだ。

 少女が悲鳴を上げる。その身体から血が噴き出す。何が起こっているのか、血まみれの輪郭が一つ出来上がる。

 尋常ではない量の血だ。致死量ではないだろうか。

 しかし、それは一瞬のことで、次の瞬間には何もかもが消えている。

 少女も魔法陣も血の海も、何かもがそこにはない。

 何事かと思って瞬きをすると、再び泣いている少女が表れる。

 魔法陣はその足元にない。

 ざざっとノイズのような波が視界に走り、世界が歪む。

 やがて、また人影が何かを言う。

 「―――――――、―――――――――――――」

 人影が笑った。嘲笑している。そのような雰囲気だけが伝わってくる。

 再び魔法陣が少女の足元に浮かぶ。

 血が噴き出す。

 その繰り返しを何度も見る。

 一体自分が何を目にしているのか、意味が分からない。

 自分?

 自分とは誰だ?

 そう思った刹那、視界が暗転した。

 次に見えたのは白い狼だ。アーゲンフェッカという単語が思い浮かぶ。

 辺りも真っ白な銀世界だった。雪山の中だろうか。白だが違う白。狼は群れを率いて疾走している。力強く躍動していた。

 しかし。

 突然、その足元に穴が開いて吸い込まれる。落ちていく。

 白い狼だけが飲み込まれた。

 落ちて、落ちてゆく。

 その穴を抜けると、またあの黒いだけの人影がいた。ゆらめく黒い輪郭の腕が、ぬるりと白い狼の腹に突き出される。

 白い狼が叫ぶ。痛みに身をよじっているようだ。

 自らの腹に異物がねじ入れられているのだ。当然の反応だろう。

 どうにか逃れようと暴れているが、逃れられない。伸ばされた黒いもやは内部から白い狼を掴んでいるかのようにがっちりと離さない。

 徐々に、白い狼の抵抗が小さくなり、静かになっていく。

 「――――――――」

 人影が何かを言う。相変わらず聞き取れない。

 白い狼の身体がびくんと大きく跳ねたかと思うと、不意に四散した。肉片となって四方八方に弾け飛んだのだ。

 残ったのは、黒い輪郭の腕の先に淡く輝く炎のようなものだけだった。

 それが何かは分からない。分からないのだが、魂のようなものだと本能が告げている。

 唐突にまた場面が変わる。

 ざざっと視界にノイズが走って、今度は石造りの台が見えた。

 その上に少女がうつぶせに寝かされている。手足は蔦の縄で台に縛られている。

 褐色肌の少女は全裸で、健康そうな肌艶だけに痛々しい状況だ。

 またもや黒い人影が傍らでそれを見つめながら、何かを唱えた。

 少女の身体が跳ねる。その背に白い体毛が一気に生える。

 「――――――――っ!!」

 声にならない少女の絶叫がその口から洩れる。

 黒い人影は冷静にそれを見つめている。

 全身が獣毛に覆われた少女は次の刹那、蔦の縄を引き千切って立ち上がる。

 少女だったはずの顔面は獣のそれに代わっていた。咆哮する。

 血の涙を流しながら吠える。その音はまったく聞こえないのに、世界そのものが震えるように振動した。

 その鳴動ですべてが途切れた。


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