6-6
あまり虫は好きではなかった。
その形態、頭部の顔らしき部分が奇妙に見えて仕方がなかった。
気持ち悪いという感想は持っていたけれど、そういう言葉は使わないようにきつく躾けられた。自然に存在するすべてには意味があり、そのかたち、行動、在り方を否定してはならないのだと。
それは母親からだったか、あるいはフィーばあちゃんからの叱責だったか。
幼い頃の自分は素直にそれらの考え方を受け入れていた。先人の知恵、教えは絶対であり、そこに間違いなどなかったからだ。
ロレイアは目の前を飛び跳ねるダーゼを捕まえ、籐の籠に入れながらそんなことを思い出していた。
久々に虫捕りなどしたので、記憶が掘り返されたのだろう。
最近は過去を振り返ること自体が稀だ。色々なことが周辺で起こりすぎて、ただ前に集中しているからかもしれない。
このダーゼにしてもそうだ。
昆虫のバッタ系の魔物に該当するのだが、地下世界では独自の機能を持って進化したようで、蛍のように尻の方が発光する特性がある。
地下世界の薄暗さにもすっかり慣れてきたとはいえ、明るさをやはり求めてしまう。そんなとき、こういう自然の生物の明かりというものは貴重だ。燃料や消費するものをこちらで用意せずとも、光源として優秀だからだ。ダーゼは人間には無害で、ガラス瓶などに入れてちょっとしたランプ代わりにもなる。
転移魔法陣の調査で地下世界に籠ることが多くなって、こうしたちょっとした生活の知恵のようなものも蓄えられてきた。
肝心の研究の方の成果はいまいちなのが難点なのだけれど。
おまけに、ロレイアが地下にいる間に領主の屋敷が襲撃され、死亡者まで出たという。オホーラに大事はなかったものの、自分がいないところでそんな事件が起こったというのは寝覚めが悪い。いつのまにか、このベリオスの町の一員として、それなりの帰属意識が芽生えていたことを自覚した。
賢者とはその後会話する機会があり、自分は問題ないから調査に集中するようにと言われたが、心中穏やかではなかった。
オホーラには少しだけ魔法の指導も受けていた。賢者と言われるだけあってその実力は想像以上であり、密かに尊敬の念を抱いている。魔法士としての師は母と祖母なので、その序列に変わりはないけれど、その次に来るくらいには大切な存在になっている。
賢者を排除しようとするのはどんな敵勢力なのかと思えば、個人的な恨みを持った魔道具使い(ユーザー)だと言う。その捜索に手を貸したいと思う反面、何ができるとも言えないのでやはりここで転移魔法陣の仕組みを研究する方がいい。
ブラガ文明時代のものらしいことは分かっていた。既に失われ、その存在自体が怪しまれていた遠い過去の文化。その言語が詠唱のキーワードである以上、何の関係もないということはあり得ない。オホーラの師だけがそのブラガ語を研究していたという。各国は当然、ブラガ語について慌てて文献を漁って調べ出したものの、満足のいく資料は一つとしてなかった。誰もがあり得ないものとして扱っていたのだから当然ではある。
結局、調査権に付随する情報共有の一環として、オホーラが最低限のブラガ語の資料を提供することになったのは言うまでもない。この共有に関しては、ベリオスの町の優位性を自ら消すことになるので反対意見も多く出たけれど、賢者は初めからその前提で動いていたようだ。曰く「転移魔法を一国が独占的に研究しても、階名までに時間がかかりすぎる。せっかく高名な学者や魔法士が集まっておるのじゃ。協力した方が合理的且つ効率的で、最終的に多くの利益が返ってくるじゃろうて」ということだった。
それでも「転移魔法を独占した方が利益はでかいんじゃねえのか」とクロウが疑問を投げると、10年後にはそうかもしれないが果たしてそこまで現状が維持できるのかと、逆に詰められていた。それほどまでに難しい魔法だ。大国ならば長期的にその道を取ることもできたかもしれないが、ベリオスの町のような小国規模では無理だ。
オホーラはその辺りを含めた上で、ブラガ文明に関する知識をある程度提供し、各国への貸しを作ると同時に転移魔法究明の速度を引き上げる計画だった。各国の頭脳がそれなりに集まった今も、たいして進展がない状況を鑑みれば、その先見の明は正しかったと言える。
ロレイア自身、魔法には多少の自信があったものの、現実はまるで手も足も出ない状態だ。
魔法式の根底そのものが現在のものとはまったく違う様式のようで、まずはその理解からしなければならない。応用が利かない魔法ということは、つまりまったく未知の領域と変わらない。想像以上に難題であることは、各国の学者たちも理解していた。
ゆえに、最近は国の隔たりを超えて議論が活発化していた。
当初はまったく横のやり取りはなかったのだけれど、あまりにも問題が手堅いために、そんなことを言っていられないことに気づいたというべきか。
何よりもまず足掛かりを作らねば始まらないという共通認識のもと、一歩を踏み出すための共同戦前が暗黙の了解で結ばれていた。
そういう意識があってもなくても、結局は何か発見がないと進まないのだけれど……
魔法陣に含まれる文字らしきものと記号とにらめっこしながら、ロレイアは何か閃きが訪れないかと他力本願気味に願っていた。
かれこれ三日ほど、ずっと同じその文字列と格闘していた。
そこは転移魔法が発動する際に仄かに発行する箇所のため、とっかかりとしては正しい場所であるはずだった。
しかし、詠唱の文言と比較しても、仮説の魔法式の起動で試しても、なんら仮定を証明するものに引っかかりもしなかった。箸にも棒にも掛からぬ仮説を、あと一体いくつひねり出せばいいのかと少し自棄気味になるのも仕方がないことだろう。
そんな折、隣から突如眩しい発光があった。
何事かと目を向けると、いかにも魔法士然としたローブをまとって三角帽子を被った魔女のような出で立ちの女性が仁王立ちしていた。
オズウェン魔法共和国の代表だ。確か名前はシェンカと名乗っていた。
訝し気な視線に気づいたのか、ロレイアに気づいて片手を上げた。
「おや、そちらまで届いてしまったかい?すまないね。ちょいと実験をしていただけだから、気にしないでおくれ」
「実験、ですか?」
気さくな言葉に思わず反応してしまう。
シェンカにはどこかフィーばあちゃんの面影があり、親近感があった。実際はそれなりの歳だと聞いているが、まったくそうは見えない若い見た目で美魔女などと噂されるほどで、共通点は皆無なのだけれど。
「ああ。魔光現象は知っているだろう?転移魔法陣が発動する際、魔法陣の一部が明らかに発光している。あたしはそこからちょいとアプローチしているってわけさ」
魔光というのは魔法発動時の魔力燃焼に伴う発光現象のことを指す。しかし、それが何につながるのか理解できなかった。素直にそれを投げかける。
「燃焼って言い方はあまり適切ではないとあたしは思っているけどね。魔力消費って方が誤解がなくて、しっくりくるさね。おっと、話が逸れた。なぁに、同じように魔光を発生できれば、何かが分かる気がしてね」
シェンカは生徒に教えるように人差し指を立てて、片目をつぶって見せた。意外にお茶目なところがある。
「まず一つ。同様の魔光現象によって、必要なマナ量、魔力の概算が成り立つ。もちろん、魔法陣による加算減算があるから、そのままの値があてになるはずもないけれど、試算の参考にはなる」
「ええと、何の試算ですか?」
「そう慌てるもんじゃないよ、お嬢ちゃん。次に一つ。魔光現象が発生する要因の特定だ。当然、転移魔法が該当するというのは赤子でも分かるさね、けど転移魔法にもきっと内部では段階があるはずさ。対象固定、転移先指定、転移対象の暫定試算、転移魔法そのもの、転移後の復元あるいは移動先固定、その他色々と工程が考えられる。そのどの段階で魔光が発生するのか」
中指を添えて二本になる。
「次の一つ。この魔法陣が魔光を発生することに意味があるかどうか。疑似的に外部から同様の魔光があったとき、何らかの反応があるかどうかの実験になる――」
その後もシェンカは幾つかの仮説をとうとうと語ってくれた。
それらはまったくロレイアには思いつかなかった斬新な思考で、すっかり感心して聞き入ってしまっていた。
「ふむ。ちょいとしゃべり過ぎたさね。すまない、話しながら考えをまとめるタイプなんでね。どうしても、おしゃべりになっちまうのさ」
「いえ、とても参考になる興味深い内容でした。わざわざご教示頂きありがとうございます」
「そうかい?まぁ、長々としゃべったが、結果的には何の足しにならないことも十分あり得るさね。そっちは気にせずにやるがいいさ。あちらさんも、転移魔法陣そのものより地下世界で別の手がかりを探しているみたいだしね」
シェンカがちらりと見た先は、奥の転移魔法陣を調べているネーレ王国の方だった。彼らはその場にいないことが多く、周辺を探索していることが多い。ベリオス側としては結界の外に出る行為は危険なので控えるように通達しているが、自己責任である程度の自由は許容している。特にネーレ王国に関しては、初めから地下世界の探索が主な目的らしいという話を聞いているので、ロレイア自身は気にしていなかった。
ただ、そのような事情を知らないオズウェン魔法共和国から見れば、転移魔法陣そのもの以外の何かから手がかりを得ようとしているように見えても不思議はない。そう思わせておく方がいいまである。
調査権はあくまで転移魔法陣のためのもので、地下世界の探索となれば別物だ。探索者ギルドを通す必要があり、現状のネーレ王国のやり方は横紙破りに等しい。
クロウ様たちはそれを込みで受け入れたらしいけれど、何かややこしい事情があるのかしら?
そこまで詳しくは聞いていなかった。
噂ではオホーラ暗殺に関わっていた疑いすらあったという話だった。
一度クロウ会の集まりでその辺りの情報を共有したいところだ。今は各々が忙しくて飛び回っているので無理そうだけれど。
ラクシャーヌの眷属となったココに関しても、その後の様子をロレイアはあまり知らない。
危険性は大分下がったとのことだが、どこまでそれを信用していいものかも分からない。クロウとラクシャーヌが大丈夫だと判断しているのなら、その通りなのだろうとは思うけれど、ティレム状態の特異性を知っていると警戒してしまうのは仕方がないことではないだろうか。
そんなことを思っていると、ウッドパック商会の会員の者が来訪者がいることを告げてきた。
警備隊経由ではなく会員からということは、公のものではないということだ。
一度、対策本部の小屋に戻ることにする。
聖堂跡のもう一か所と違って、ロレイアたちが調べている転移魔法陣は廃墟のような場所に位置していた。元々は屋内であっただろうことが想像できるくらいで、周囲は完全に崩壊して壁や柱も見る影もなく、野ざらしの状態だ。地下では雨は降らないけれど、突風などが不定期に起こるため周囲を木材で囲い、結界範囲が分かりやすいようにしてある。
ただ、共同戦線とはいえ各国のプライベートな空間も必要なので、一定の距離を取って隔離された小屋をそれぞれに用意してある。ベリオス側ではその小屋を対策本部と呼んでいた。
研究班の者に魔法陣を任せて本部に戻ると、待っていたのは探索者ギルドのミーヤだった。
頭まですっぽり被ったフード姿は魔法士のように見えなくもないが、彼女にその雰囲気がないのは身のこなしのせいだろうか。
小柄なこともあって、まるで獲物を木陰から狙う小動物のような印象をロレイアはずっと抱いていた。個人的にあまり会話はしていないが、クロウから信用できる人物としてお墨付きをもらっているので警戒はしていない。
「こんにちは。あなたが来るのは珍しいですね。何かありましたか?」
「緊急連絡。人手不足で駆り出された。例の犯人の似顔絵。この地下世界に潜伏の可能性」
独特のしゃべり方でも要旨は明確に伝わる。
賢者暗殺の犯人の顔が特定できて、この地下にいるかもしれないということか。
差し出されたその絵を見るが、当然心当たりはない。一目見て凶悪層であるとか頬傷があるといったような特徴はなく、どこにでもいそうな中年男性のそれに見えた。
「各国にはまだ通達していない。ギルドとベリオスだけ」
「悪戯に混乱させられないわけですね……それ以前に、何の犯人か公表もできないか」
オホーラの襲撃そのものが隠蔽されている状態だ。下手な説明はできない。
「今の所、何の形跡もない。ただ、賢者が警戒しているだけ」
「なるほど、オホーラ様が気にしているということですね」
ならば、あり得ないということはない。地下世界への出退は厳格に管理されているとはいえ、抜け道があるのは諜報員である会員たちがいることで証明されている。それほどの手練れが多くはないはずだとはいえ、この犯人も魔道具使いということで何か手段があるのかもしれない。
「それで、もし見つけた場合の対処はどうなっていますか?」
「可能ならば拘束。でも、危険、非推奨。位置と様子を確認。速やかに報告推奨」
見つけた場所を報告するということらしい。
推定戦力は高いことは確かだ。無闇に刺激するなということだろう。
「第二研究調査班了解しました。他には何か?」
「ない。念のため、周辺を警邏していく」
ミーヤは用件は済んだとばかりに立ち上がり、小屋を出てゆく。あっさりとした応対なのは相変わらずだ。無愛想なのではなく、そういう距離感なのだとクロウたちと話したことがあるので、気にはしていない。
見送るために続くと、小屋の外で研究班の一人が駆け寄ってくるのが見えた。
その手には籐籠があり、すっかり忘れていことに気づく。
と、ミーヤが物凄い勢いで動いた。
研究班のもとへと飛び込み、持っている籐籠を上空へと蹴り上げて叫んだ。
「伏せろ!」
何が何だか分からないが、その必死さに身体は反応してロレイアはすぐに地面へと身体を投げ出す。反応の遅れが致命的なものになることは過去に学んでいた。
次の瞬間、眩い閃光が頭上に広がっていた。
「え?そんことあったか?」
改めてシリベスタに目をつけられた理由を説明されたが、クロウはまったく覚えていなかった。
溜まっていた事務仕事を終わらせ、気分転換がてらに街の食堂の一つに訪れていた。似非貴族風なロウの状態だった。
「地下で問答無用で黙らせるために、シリベスタ様の背後を瞬時に取っておられました」
料理をそそくさと小皿に取り分けながら、ウェルヴェーヌが再度詳しく言う。
「んー、そう言われるとあったような気もしてくるな……」
調査権を確実にするため、あの時はほぼオホーラの指示通りに動いていたので細かいところは曖昧だった。
時刻は夕方で、少し早めに酒をため込んで既に酔っぱらっている者もいる。そこそこの喧騒が辺りに広がっているので、誰もクロウたちには関心を払ってはいない。あるいは、メイド姿のウェルヴェーヌがいるからかもしれない。眼鏡メイドには関わらない方がいいという暗黙の了解が巷に広まっており、鉄の掟として普及しているらしい。
どこでどうねじ曲がったのか、ウェルヴェーヌは非情な領主クロウの手先として街の運営に文句を言う住民を吊るし上げる為政者の代表となっていて、下手に絡むと牢屋送りになるという噂が出回っていた。本人はむしろ「それは好都合ですね」と例の笑顔を浮かべて泰然自若の構えで、クロウ会の皆もこの話題には触れないでいるのが現状だ。
決して皆「当たらずとも遠からず」などと思っているわけではない。多分。
「いえ、事実ですので。それと、実はここにシリベスタ様をお招きしております」
「は?なぜ?」
唐揚げをフォークで刺して口に運ぶところで、クロウの手が止まった。
「先程先方から申し出がありまして、真に勝手ながら了承した次第でございます」
「え?何を?」
そう問いかけた矢先、クロウたちのテーブルに新たなメイド服と執事姿の二人がやってきて当然のように腰かけた。
「「…………」」
視線を交わしたものの、互いに言葉は出てこない。
「ほら、シリベスタ。ご挨拶をしなければいけませんよ?」
執事の恰好をしているのはどうしたことか、ニーガルハーヴェ皇国の第一皇女エルカージャだった。男装なのは周囲の目を欺くためかもしれないが、逆に人目を引いている気がしないでもない。長い髪を結い上げているためか、顔立ちがいつもよりしゅっとして凛としているせいかもしれない。美男子にしか見えなかった。
促されても沈黙しているシリベスタの方は、完全にウェルヴェーヌと同様のメイド服、エプロンドレスを着用しており、屋敷の使用人にしか見えなかった。
「まだシリベスタ様は使用人として不慣れですので、代わりに私の方から説明させて頂きます。先日の決闘による敗北の対価として、ニーガルハーヴェ皇国第一皇女付き近衛隊近衛長であるシリベスタ=ユナール様は、ベリオスの町の領主クロウ様の一般使用人として、今より然るべき時まで雇用する運びとなりました。では、挨拶を」
「……よ、よろしく頼む」
「言葉遣いは正しく!」
「よ、よろしくお願いします……」
シリベスタは頭を下げて言い直した。その身体がわなわなと震えているのは感情を抑えているからだとクロウにも分かった。一体何が起こっているのか。唐揚げを手にしたまま、更に詳細な説明をと、視線でウェルヴェーヌに求める。すると、エルカージャの方が口を開いた。
「実は今回の暗殺未遂の件で本国からシリベスタの更迭命令が下されそうですの。もちろん、能力不足などと言う裁定は完全に誤りで、平民出のシリベスタへの嫌がらせに相違ありませんわ。けれど、現状の手札では満足にそれを跳ね返せるものがこちらにありません。ですので、一時的に条件を呑んでから復帰させようと思っています。ただし、その間に本国に返してしまうと、そこでまた更なる罠にはまりかねません」
「そこで、暫定的にクロウ様の使用人という形で出向させ、ニーガルハーヴェ皇国の手が及ばない地位に置いておくということになりました」
ウェルベーヌが引き継ぐ。
「なりましたって……まったく聞いてないんだが?」
「ですから、今報告しています」
何か問題が?という笑顔を向けられては、それ以上クロウは何も言えない。事後承諾で初めから進めるつもりだったのは明らかだ。
「お前はそれでいいのか?」
ウェルベーヌの方はあきらめて、明らかに無理やり着させられているメイド服姿のシリベスタに問う。
「も、もちろんです……」
声とは裏腹に「他に道がないのだ」という強い恨み節がこもった視線を向けられ、クロウはまた面倒なことになったことを悟った。厄介なのが身近に増えるということだ。
ようやく口に入れた唐揚げは、まったく味がしなかった。




