6-5
人間の感情というものはよく分からない。
千差万別の感じ方、思い、嗜好性があると話には聞いていても、そのサンプル数が少ないと想像もつかない方向から未知の何かを投げつけられる。
それをたった今実感しているクロウは、他人の考えを推し量ることなど絶対に無理だと悟った。
シリベスタが灰色の瞳でこちらを睨んでいる。元々吊り目気味だが、現在は更に角度が上がっている。要するに憎しみのこもった目というものだ。それでいて従順の意を示すという姿勢を見せている。片膝をついて首筋をこちらにさらけ出している状態だ。
これは決闘に敗れたことを認める、言わば完全敗北を受け入れるという一つの儀礼らしい。
そのはずなのだが、前述のように視線で殺されそうだった。
どう受け止めればいいのか分からない。
決闘には勝った。
それは間違いない。
すぐに決着をつけるなというウェルヴェーヌの忠告に従い、部屋の備品も傷つけないように気を配った結果、降参させるための最後の一撃を何度も遅らせることになったが、最終的にはシリベスタの剣を弾き飛ばし、その飛ばした剣が壁に刺さらないよう回収する手間までかけて「参った」と言わせた。
クロウ的にはこの上なく丸く収めたつもりだった。
だから、当初の予定通りになぜそこまで自分を目の敵にするのか尋ねたところ、血を吐くような苦い口調で返事があった。
「クロウ様のようなどこの馬とも知れぬ無骨な剣技しかなさそうな者に、一瞬の隙で背後を取られた不覚。ニーガルハーヴェ皇国近衛騎士長として、正々堂々とその汚名返上をしなければ騎士としてこれ以上生きていけないからだ」
すぐには何を言っているのかよく分からなかった。
背後を取ったというのは何のことか。
よくよく考えても、やはり理解できなかった。
「ん……つまり?」
「貴様っ!私が恥を忍んで答えたというのに、更なる追い打ちをかけるつもりか!?」
なぜか激高された。
それでも全身を震わせただけで飛び掛かってこなかったのは、敗北者としての立場を認めているからだろうか。
「クロウ様の強さが認められず、己の力を過信したということです。器の小さい騎士の僻みというだけで呆れるしかありませんね」
「僻み?良く分からねえな……」
クロウの知らない感情は沢山ある。共感ができない以上、それを推し量るのは無理難題と言える。
「私は……剣一筋でここまで来たのだ。それだけを頼りに生きてきた……醜い誇りだと笑われようと、それを捨てることはできない」
「上には上がいることを認められないと?そんな狭量でよくやってこれたものです」
「私が最上であるなどと驕ってはいない!ただっ……ただ、クロウ様のような生来の恵まれた転生人というだけの剣に負けるのが我慢ならないのだ……」
心情は理解できないが、心底悔しそうだという感覚は伝わってきた。
転生人が大陸人より優れた身体能力だということも事実で、そのおかげなのかたいした苦労もなく剣を振るうことができたのも本当のことだ。否定する要素はない。ただ、気になったことがある。
「なぜ転生人の剣に負けるのが嫌なんだ?」
「なぜ、だと?貴様は長年たゆまず努力してきた己の技が、ただ身体的能力が高いというだけの無骨な力押しに敗れても、同じことを言えるのか!?」
「ん、それはあれか……時間をかけて培ってきたものが、何の研鑽もないものに劣るのが許せない、みたいなことか?」
自分なりの解釈を問いかける。
「そ、そうだ。そんなことが罷り通るなら、結局生まれつき優れた何かを持った者だけが勝者となる世界ではないか。凡人であろうと誰であろうと、積み上げたものが報われないなんて認めたくはない」
「なるほど、何となく分かってきた気がするな。けど、何で比べる必要があるんだ?」
「は?どういう意味だ?」
「いや、お前の剣術と俺の戦い方はまるで別物だし、俺が今回みたいに勝ったところで、それでお前の剣の努力がダメだったことにはならないだろ?」
「何を言っている?貴様に負けた時点で、私の剣が劣っていたということであろう?」
「お前が負けたのは剣術だけが理由じゃないだろ?さっき言ってたように転生人の身体能力とか、その他色んな要因が重なっただけでそこだけを切り取ってもしょうがないんじゃねえか?」
「くっ、つまり私がすべてにおいて貴様に劣っていると、そう言いたのか?」
「違う。お前の言うように根本的なところから別物なんだから、前提を同じにしてない時点で剣の技術云々を比較することそのものがおかしいって話だ。同じ条件じゃないんだからな」
「決闘はすべてを懸けて戦うものだ。制限などかけるものではない……」
「それはそれでまた別の話だろ。大陸人と転生人が普通にやりあって、大陸人が勝てると本気で思ってたのか?」
「そ、それはだな……その……」
シリベスタがしどろもどろになってきた。本気で考えていなかったのだろうか。
それを見かねたようにエルカージャ皇女が一歩前に出た。
「少しわたくしからよろしいでしょうか。シリベスタは平民出の近衛として類を見ない立派な騎士で、初めて近衛長まで上り詰めた者です。その道は果てしなく厳しいものだったのでしょう。近衛の剣は護剣であり、その名の通り守り通すことを基本に負けない剣術を基本としています。その守る、負けないという矜持は生きる意味と同義であるとさえ言われています。その価値観を理解してくださいとは申し上げませんが、ほんの少しでも汲み取って頂けると幸いです」
「……だとしても、決闘で負けないってのはあり得ないよな?引き分けってあるのか?」
「両者とも戦闘不能だと判断した場合、痛み分けという決着もなくはありません。クロウ様の言うように決闘で勝負をする以上、負けなかったという終わり方、幕引きはありませんが、エルカージャ様が仰っているのではそういうことではありません。勝つという目的よりも、負けないということに重きを置いて、シリベスタ様が日々生きているということを伝えたかったのだと思います」
「そうか……ん-、悪いが俺にはやっぱりよく分からねえ。お前の価値観を否定するつもりもないし、生き方とかも好きにしてくれとしか言えないな。ただ、そのせいでこっちと相容れないもんがあるなら、無理することはない。お互い距離を取って関わらない方が幸せだろうよ。つーことで、もういいよな?」
理由を聞いてもうまく理解できなかったので、あきらめることにしたクロウは立ち去ろうとする。
「ま、待て!いえ、待ってください!敗者の私はどうすれば……?」
シリベスタが引き留めるが、クロウは取り合わない。
「どうって、好きにしろよ。もう理由は聞いたし報酬はもらった」
「そ、そんなわけにはいかない。私のわがままでそちらに迷惑をかけたのだ。煮るなり焼くなり――」
「それ以上はおやめなさい、シリベスタ。既にクロウ殿の貴重な時間を頂いたのです。わがままだと分かっているのなら尚更、ここで見苦しい真似はすべきではありません。クロウ殿、後日改めてこの粗相のお詫びはするつもりです。色々とご無理を言って申し訳ありませんでした」
自分の主に謝罪させるという失態を自覚したのか、シリベスタは黙って頭を下げ、それ以上は何も言わなかった。
帰り際、ウェルヴェーヌがぽつりと呟く。
「あの近衛の身柄をクロウ様のものにすれば、ニーガルハーヴェ皇国から返還金の交渉でかなりふんだくれたかもしれませんのに……」
「既に暗殺防衛の件で謝礼金が結構もらえるって話だっただろ?どこまでぶんどる気だよ」
「資金はいくらあっても困らないものです」
メイドの微笑みはやはり怖いと思うクロウだった。
「他人の思っていることが良く分からぬじゃと?」
賢者はいつもの部屋で書き物をしていた。相変わらず、こちらを見ない。手元に集中している。
「それが当然じゃと前にも話した気がするぞ?」
「ああ、それはそうなんだけどな。俺にあんまり感情がないというか、そういうのが分からねえことがやっぱ色々と理解を妨げてるんじゃないかと思ってな」
以前にも、オホーラには一般的な他人との接し方について相談したことがあった。
過去の経験則がないために、どういった反応が正しいのかより普通なのか、その判断基準を知りたかったからだ。
「……今回のシリベスタのことだけでなく、トッドのことを気にしておるのか?」
鋭い推測が飛んでくる。言われるまで思ってもみなかったが、指摘されるとそういう気もしてくる。
「多分、そう……かもしれないな。思い遣りってやつがどうにも理解できない。意識しても、なんかズレていくっていうか……」
「ふむ。過去の経験というものは、確かにわしらの深層心理に刻まれておるのじゃろう。そして、わしらは無意識にそれらを汲み取って言葉なり態度なりに反映させることで、ある種の最適な対応をしておるのやもしれぬ」
オホーラはそこまで言って少し間を置いた。
「じゃがな。果たしてそこまでそれらの経験が大きなウェイトを占めているかというと、疑問が残る。過去から学ばない人間は存在するし、最善の受け答えが分かっていても、すぐにそれを抑え込んで違う出力をすることも可能じゃ。要するに、選択肢の幅広さには貢献していても、意思決定にまで関わるかどうかは別だということじゃ」
「ん、結局、最終的に出す答えは経験によるものじゃないってことか?」
「うむ。決断する材料にはなるじゃろうが、絶対的なものではない。例えばお主が過去を持っていたとして、一般的には知らせない方が妥当とされる常識を理解していたとしよう。その上で、トッドに真実を話さないという選択をすると思うか?」
一瞬考えて見るが、その想定をするまでもなく答えは口に出ていた。
「いや、しないな。素直に話していたと思う」
「そうじゃろう?過去がないとか、感情が希薄だとか、そういう条件があったとしても、決断するというその行為を自由意志でできるのなら、他は些末な要因に過ぎないとも言えよう。わしにはお前さんは確固たる信念を持った男にしか映っておらん。一般的な対応は知っておくべきだとは思うが、知らずとも分からずとも、己なりの一本の筋を通せるのなら必ずしも必要はなかろうて」
その言葉はクロウの胸にすっと入ってきた。少しだけ視界がすっきりとした気分だ。
「そうか」
オホーラはいつも的確な答えをくれる。少し依存しているかもしれないと思っても、何でも相談してしまうのも仕方がない。
「ところで、例の件で報告があるっす」
「って、お前いたのか!?」
突然横手に現れたイルルが口を開いたので驚くクロウ。
執務室には賢者と二人きりだと思っていたが、よくよく考えるとイルルは常に気配を消して護衛のような形で付き従っている。すぐにそのことを忘れてしまうほど気配がないのも考え物だ。
(長殿、物忘れが多くなっておらぬか?)
シロがぼそりと語りかけてくる。内部にいるアーゲンフェッカの魂やラクシャーヌたちは、クロウと精神的な一部を共有しているので、思考が時折漏れてしまうことがある。今も勝手に読み出されたようなものだろう。
(人間には誰にでも「うっかり」という概念があるんだ。俺だけの現象じゃない)
(我に言い訳は不要ぞ?それより、娘の話を聞いてやるべきだ。餌を待つ子犬のようじゃ)
それきりシロは引っ込んだので、イルルに注意を戻す。
「んで、何の話だ?」
「ガンラッド=ハルオラらしき男の消息が分かった」
「――――!?」
それは待ちに待った情報だった。
しかし、期待はし過ぎない。そういった手がかりはこれまでに幾つかあって、その度に外れだった。今もイルルは断定はしていない。
「デオム国の方を探っている筋から、接触した人間の特徴を掴んだ。それを使ってガンラッドという男の足取りを追ったら、ある鳥屋に行き当たった――」
珍しく長く話し出すイルル。正式な報告書は後になるので、口頭で先に伝えてくれているようだった。
その鳥屋というのは元締めの方ではなく、手足として動く斡旋された一人だった。男曰く、かなり腕のいい魔道具使い(ユーザー)と何度か仕事をしたことがあり、その特徴がガンラッド何某と一致したという。
仕事に関して情報を漏らすということは鳥屋としては御法度で、例え終わった案件であっても絶対に口を割ることはない。それでも男がしゃべったのは、その魔道具使いに裏切られたからだという。殺されかけたというのだ。最後に一緒に仕事をした際にこれまでの礼としてある魔道具を渡された。それはいざという時に使えば、その身を助けるものだと教えられていた。
男はその魔道具使いを信用していたので、喜んで肌身離さず持ち歩いていた。質に関しても仕事で思い知っていた。そして、ある時へまをして敵に捕まった。もう逃げられないと悟ったとき、その魔道具を使って一縷の望みに賭けたところ、爆発して片足を失うはめになった。
「あいつは自分を知る奴をそうやって殺して来たんだ。俺はたまたま焦ってあの魔道具を使う時に落としちまったから、どうにか助かっただけだ。どっちにしろ、この足じゃ廃業だしな」男は憎々し気にそう言って、似顔絵の作成にも協力してくれた。
その絵はまだ手元には届いていないが、捜索するに当たっての有力な手掛かりになるだろう。
「オホーラはそのガンラッドってやつの顔をよく覚えているのか?」
「どうじゃろうな。見れば何かを思い出すやもしれぬが、何分遠い昔のことじゃ。それに、本人ではなく血縁の場合は面影があるくらいで似ているとは限らぬ。わしが確認してもあまり意味はないじゃろう。それより、その魔道具についてもう少し詳細はあるか?どんなささいなことでもよい。何か気づいた点があれば尋ねたい」
イルルはその疑問に少し考えを巡らせ、思い出したように言った。
「そう言えば……確か魔道具には妙な傷がついていたとか、そんな記述があったっす」
「ほぅ?その鳥屋とはまだ連絡がつくのか?」
「うい。居場所は把握してるっす」
「確かめられるならば、その傷は常にそやつが使う魔道具にあったかどうか思い出してもらいたい。おそらくそれはそやつの印、サインかもしれぬゆえ」
「サイン?どういうことだ?」
「鍛冶屋の銘のようなものじゃ。こだわりのある魔道具に、ガンラッドは自分が作った証として傷にしか見えないサインを彫っていたことがある。名を刻むのは恥ずかしいが、偽物と判別できなくなるのも困ると言ってな……職人にはそういう輩がいるものじゃ」
「なるほどな。けど、そいつのサインだとしても、知ってどうするんだ?」
「比較するに決まっておろう?この部屋を吹き飛ばした魔道具をわしはしっかりと見ておる。傷だと思っておったあの三本線がサインだとしたら、その鳥屋の言う傷がどんな形状だったか確認すれば、同一人物の作ったものかどうか分かるじゃろうて」
「りょ。どんな形なのか確認するっす。こっちから情報は与えない形で」
イルルは賢者の意図するところを理解して、すぐさまその場から消えた。仲間に伝えに行くのだろう。
「犯人はまだこの街にいると思うか?」
「確実に。地下遺跡に潜んでいる可能性が高いと思うておるが、ギルドに出退の管理を任せている手前、声高にその線を言うわけにもいかぬ。不手際を指摘するようなものじゃからな」
「すり抜けて潜伏しているってことか?」
「諜報員のイルルが可能なんじゃ。どれだけ対策しようと、絶対に見逃さないということはあり得ぬじゃろう。これはギルドの技術不足や怠慢云々ではなく、何事にも例外があるという話じゃ」
「……そうだな。抜け道ってのは何にでもあって、そいつも織り込んで想定しておくってことだろ?」
その教えはオホーラ本人から教わったことだ。過信するよりも臆病なくらい慎重であれ、というのは至言だと思う。
「地下世界にいるとなると、見つけるのは困難だな……」
「その場合は、似顔絵が有力な手掛かりとなろう。本人はその流出をまだ知らないはずじゃ」
「用心して変装してるかもしれないぜ?」
「可能性はなくはないが、探索者として紛れ込み、何らかの幻術でその記憶を曖昧にしているくらいじゃ。己の容姿をどうにかするという方向では動かぬ気はする」
確かに、これまでの状況を見ると自分をどうこうとするより他人を操っている節がある。
「ってことは……地下世界で捜索隊を組む必要があるか」
またウィズンテ遺跡へと赴くことになりそうだった。




