6-4
突然取り乱したココは、その後しばらくして落ち着きを取り戻した。
暴走気味だったのでティレム化することを恐れたが、その兆候がなかったのは今後の安全を考慮したときにいい例となるだろう。ラクシャーヌが眷属化したおかげかもしれない。その災魔本人は最近少し大人しい。何か考え事があるようで、本当に興味をもった時しか表に出てこなくなった。呼べば応答するのであまり気にしてはいない。
ベリオスの町に戻ってきたココは、まったく何事もなかったかのようにケロリとしていた。
何が原因だったのかシロに尋ねたが、何かが記憶に引っかかったのだろうが、原因は分からないと言われた。シロの記憶そのものも曖昧なので仕方がない。クロウ自身、自分の中を探っても何も出てこない感覚というのは嫌というほど分かっている。無理強いはできない。
ウガノースザという非合法な実験をしている魔法士らしき名が分かっただけでも朗報だ。
突発性危険地帯のことは、ニーガルハーヴェ皇国経由で知らせることになった。
位置的にキージェン公国の所有地内なので、直接関係のないベリオスの町から一報入れるより、キージェン公国の同盟国からの方が角が立たないという判断だ。実際には同盟というより、実質的な属国扱いらしいが、内情はよく分かっていない。
何にせよ、調査権の関係でニーガルハーヴェ皇国との方が話を通しやすいので丁度良かった。
あちらの暗殺未遂の件は未だごたついているようではあるが、表向きには平常運転に戻っている。
少なくとも、本人たちを目の前にしたクロウは特に問題はなさそうだという判断だった。
「じゃあ、そんな感じで頼む」
先程の場所をエルカージャ皇女と近衛のシリベスタに伝え終わったところだ。
「承知いたしましたわ。あなた方には色々とお世話になっています。ニーガルハーヴェ皇国第一皇女として誠意をもって対応させて頂きますわ」
「いや、普通に対応してくりゃいいんだが。そんな畏まられても困る」
「貴様!せっかく姫様がこれほど丁重に仰っているというのに、なんという態度だ!」
「シリベスタ!貴方こそ、クロウ様に対して失礼です。謝罪なさい」
「はっ!?く、その、す、すみません……」
淡い青髪の近衛騎士長の方は、相変わらずクロウに対して風当たりが厳しい。
「あまり他人様に干渉するつもりはないのですが、何度注意しても直らないのは問題があると言わざるを得ません。根本的な解決が必要なのではありませんか?」
ウェルヴェーヌの言葉にエルカージャも頷く。
「はい。互いの良好な関係に水を差す可能性がある者は極力排除すべきですね。シリベスタ、わたくしはあなたを信頼しています。けれど、クロウ様に対してはどこかおかしくなる傾向があるように思います。正直なところを話しなさい。何が問題なのですか?」
「そ、それは……」
シリベスタは答えに詰まる。
本人も自覚しているだけに何の言い訳もできないのだろう。しばらく言いづらそうにしていたが、観念したように小声で言う。
「私は、貴様……く、クロウ様にけ、決闘を申し込みます!」
「え?」
「何だって?」
「だから、貴様に決闘を申し込むと言っているのだ!」
シリベスタはクロウに向かって白いハンカチを投げる。
「な、なんということを!?シリベスタ、本気なのですか?」
「申し訳ありません、姫様。覚悟はもう決まりました」
「……クロウ様、拾ってあげてくださいませ」
ウェルヴェーヌが険の含んだ視線でシリベスタを睨みながら言う。
「良く分かってないんだが、決闘ってのは確か何か賭けてやるもんじゃなかったか?」
言われるままにクロウは白いハンカチを拾う。状況はいまいち理解していない。
「はい。基本的に決闘というものは貴族同士で行う、一世一代の勝負と言われております。その者のすべてを賭けて戦い、敗者は勝者にすべてを委ねるという生殺与奪権を与えるほどの重大な賭けとなります」
「は?何でそんなことしなくちゃいけないんだ?面倒だから俺は嫌だぜ?」
クロウは速攻で否定したが、もう遅かった。
「いえ、その白いハンカチを拾った時点で決闘の承諾はなされました。何人もこれも覆せません」
「は?ちょっ、待て待て!お前が拾えって言ったんじゃねえか!?」
「これ以上禍根を残さないよう、徹底的に叩きのめせば良いのです」
にこりとメイドが微笑む。それを見て完全にはめられたとクロウは気づいた。
シリベスタは既に臨戦態勢なのか、大きく息を吐いて精神統一を図っている。その横でエルカージャは申し訳なさそうな顔で控えていた。自分の近衛とクロウへの配慮の板挟みになっているような状況だ。
「では、この決闘に何を賭けますか、シリベスタ近衛騎士長様。立会人は不肖、このウェルヴェーヌ=ニカク=シーリッジが務めさせて頂きます」
エプロンドレスの裾を広げ、優雅に一礼する。問答無用で進める気満々だった。
「私シリベスタ=ユナールは、ベリオス領主クロウ殿に対して勝者の権利として一切の敬意を免除することを望む」
一瞬、言っている意味が分からなかった。次いで理解する。それほどクロウに敬意を払うことが嫌なのかと、ウェルヴェーヌはその宣言に驚いた。決闘で賭けるものとしては異例だ。
「……では、それに対してクロウ様はどうなさいますか?」
「どうって、俺も勝ったら何たらっていうのを決めなきゃいけないってことか?」
「その通りです。内容は一応、相手と同様のものというのが礼儀ではありますが、今回は一方的に挑まれていることもあり、どのようなものでも可能です。性奴隷にするでも、裸踊りさせるでも、一生丸坊主で変顔で過ごさせるでも、ワタシ=バカデスタとかに改名させることもできます」
「物凄い鬼畜な提案ばかりなんだが?」
むしろ、対立しているのはシリベスタとウェルヴェーヌなのではないかとクロウは訝しむ。
生殺与奪まで含まれているということは本当に何でもありなのだろうが、クロウは何も思いつかない。そもそも、シリベスタに対して何も思うことがないからだ。
逆に、なぜここまで目の敵にされるのかが分からない。敬意云々の話も理解しがたい。何かそれほど横柄な態度を取った覚えもなかった。
「じゃあ、俺が勝ったら、どうしてこんなことになっているのか教えてくれ。嫌われてるのは別にかまわないし個人の自由だと思うが、理由はちょっと気になる」
思ったことを口にする。
「いえ、それではさすがに釣り合いません。では、クロウ様が勝った場合は、シリベスタ様は何でもクロウ様の言うことを一つ、二つ、いえ、三つ聞き届けるということでいかがでしょうか?」
「なんで微妙に増やした?というか、勝手に決めるな」
「了解した。もともと、私のわがままで始まったものだ。どんな要求でも受け入れる覚悟はある」
「いや、だから、お前も受け入れるなよ」
しかし、クロウの言葉は無視され、なぜかその条件で決闘が成立していた。本人の意思が冷遇され過ぎていないだろうか。
エルカージャに助けを求めようにも「立派に戦いなさい」とシリベスタを励ましている始末だ。
おかしいな。俺が正常なはずなのに自信がなくなってきた……
その疑心が伝わったのか、珍しくシロが話しかけて来る。
(長殿、人間というものは時に盲目に視野が狭くなるもの。割り切った方が良い時もあるだろう)
慰めてくれているのか、記憶があまりないというのに的確な助言だ。何にしても、まともな者が中にいて少し安心できるなと思っていると、
(ゆえに、この後でココに何か甘いものを与えてやって欲しい。ぐずって仕方がないのだ)
全然つながらない要求をしてきた。単なる親切心ではなかったらしい。頼れるのは自分だけだ。
「……それで、決闘ってのは具体的にどうやるんだ?素手で殴り合いでもするのか?」
その後の何かを賭ける可能性がある以上、殺し合いではないはずだ。
「互いに剣を扱う者である以上、やはり剣による試合をして頂くのが最適かと。ただし、あくまで寸止めでどちらかが降参を認める形でお願いします。お二方共に、それくらいの技量と矜持は持っているものと判断します」
見苦しく戦うな、殺すなということだろう。クロウに否やはなかった。この訳の分からない状況を早く終わらせたいだけだ。
「分かった。場所はここか?」
「了解した。私はどこでもかまわない」
「そうですね。では、面倒――こほん、時間もないのでここに致しましょう。狭い部屋ではありますが、同じ条件なので問題はないでしょう」
現在地は迎賓館の一室だった。調査権を持つ国用の部屋で、それなりの広さがあって程度のいい調度品などもある造りになっている。戦う際には障害物として邪魔だが、そのくらいはどうにかしろということだ。魔防壁で防音などの魔力結界も張れるので他に迷惑をかけることもない。
「では、五分後に始めます。お覚悟を」
精神集中の時間を取るということで、互いに背を向けてその時を待つことになった。
ウェルヴェーヌがすぐさま、ささやいてくる。
「クロウ様、決闘では秒殺は避けてくださいませ」
「なぜだ?早く戻って状況把握したいんだが?」
オホーラ暗殺未遂の黒幕の追跡や、地下世界の探索範囲の拡大、地上の町の保全対策など、やらなければならないことが山積みだった。
「決闘まで挑んでくるのは、相当根の深い問題です。簡単に片づけてしまうと遺恨が残ります」
「負けたら結局同じことじゃないか?」
「礼儀として相手の見せ場を作ることも求められます。圧倒的な差があろうと、一方的に終わらせるのは逆に無作法と見なされてしまうのです」
「……面倒くせえ」
やはり受けるんじゃなかったと後悔するクロウだが、時間は戻らない。命を賭けるほどの勝負ごとに作法も何もあるものか、と思わないでもないが、一世一代の勝負だからこその特別感というものがあるのかもしれない。合理性だけを求めてしまうが、感情豊かであればもっと違う考え方や価値観があるというのは最近少し分かりかけてきた。
クロウ自身に喜怒哀楽がないというわけではない。瞬間的な怒りや喜び、そういったものが無意識に発露しているのを自覚すると、その度にこれが感情だという微かな感触を感じる。記憶を参照しなくとも、本能的に精神とリンクするものがあるのだと賢者も分析していた。己の根幹をなす心という何かは、確かに存在するということだろう。
戦いの準備というより、精神的な何かを考えているうちにその時が来た。
小さな丸テーブルを挟んで二人は対峙する。敢えて部屋の中のものは何も動かさないという制約で、決闘を行うこととした。動きづらいが、それはお互い様だということだ。
シリベスタは細身の剣を構えている。貴族が使うレイピアよりも太いが突きに特化した形なのは何となく理解できる。真剣なたたずまいで厳かな雰囲気を感じる。対するクロウは、いつもの自然体だった。気負うことなく中剣を構える。
「では、始め」
余計なものを何もつけ足さずに、ウェルヴェーヌがあっさりと開始を告げて壁際に下がる。エルカージャは祈るように両手を組んでいた。
先に動いたのはシリベスタだった。背の低い丸テーブルを飛び越えて鋭い突きを繰り出す。
予想以上に伸びて来る。
剣で軽く払おうとしたクロウは、胸元まで迫る切っ先が計算より近かったので、身体ごと避けることにした。剣を使うとその先の動きが鈍るからだ。回避行動からの反撃に移ろうとすると、シリベスタの突きの軌道が変化した。
避けたクロウの方向へと追ってくる。突きから薙ぎへという強引な方向転換だ。初めから想定していなければできない芸当だ。無理やりな力技で、筋力の負担が大きい。
反撃の手を防御に回して、その薙ぎを受け流す。
二人の間合いが離れる。
「はっ」
裂帛の気合と共に、シリベスタは次の先手も奪う。今度は連続の突きで点ではなく面での攻撃を仕掛けて来る。素早さで範囲をカバーする作戦だ。
避けようがないので剣の腹でそれらを捌く。
力押しで跳ねのけようにも、突きのために瞬時に引かれて叶わない。防戦一方でそのラッシュが終わるのを待つ。
しかし、なかなか攻撃は途切れない。
シリベスタの連続突きは上段、中段、下段と的確に分散され、クロウは少しずつ壁際に追い込まれていた。
それが狙いだったのだろう。
完全にクロウが壁を背にしたとき、シリベスタは突如袈裟斬りを放とうとする。一定のリズムを崩しての不意打ちだ。
突きを受ける形では対応できない。
だが、クロウはそれを待っていた。
突きと違って振り上げる動作が必要になるので、隙が生まれる。
一気に懐に飛び込んで身体ごとぶつかって弾き飛ばした。
「くうっ」
体制を崩したシリベスタは後方へと身体を逃した。当然、構えは乱れている。
ここからはクロウが仕掛ける番だった。
剣を振るうと見せかけて蹴りを放ち、足元を狙う。
面白いように両足を刈る形になった。もともと体勢が悪かったシリベスタは、横倒しに倒れる。受け身を取ろうとしたが、椅子が邪魔になってうまくいかなかった。
クロウは容赦なく追撃する。
振り下ろされる剣をシリベスタはどうにか体を回転させて避けるが、ここでも椅子が壁となって思ったように転がれない。
それを好機とばかりにクロウが椅子ごと破壊する勢いで剣を振り回そうとした時、
「備品を破壊した場合、自費で弁償して頂きます」
ウェルヴェーヌの冷酷な警告が飛んできて、思わず腕を止めた。
迎賓館の調度品は確か、それなりに金のかかったものを納品していたはずだと思い出したからだった。
決闘の際に、金勘定しなくてはならないのは果たして正しいのか、と思わずにいられないクロウだった。




