6-3
晴れた荒野を一台の荷馬車が疾走していた。
申し訳程度の屋根しかない荷台には、クロウ、ココ、ミレイにイルルが乗っている。
乗合馬車のようなタイプより雑に速度を出せるという理由で、ミレイが用意したものだ。御者台には護衛を兼ねたウッドパック商会の会員が二人。ノーランは他の報告を取りまとめるために留守番をしている。
「すっかりその格好も板についてきたんちゃうか?」
貴族のロウの姿を値踏みするように見て、ミレイが笑った。
「外にいるときはできるだけこっちの方でいろってウェルヴェーヌがうるさくてな。放蕩貴族に見えてるか?」
「うんうん、悪くないと思うで。ただ、従者役のイルルは服も変えてるからええとして、そっちのココって娘は厳しいな。いかにも旅人のマントって設定っぽさがあるのに、その刺繍はなんやねん?悪目立ちしかしないで?」
ミレイが指摘しているのは、ココが身体全体を覆っている通称旅人のマントという万能アイテムのことだ。長旅をする者の定番道具筆頭のフード付きの外套のようなもので、風雨をしのぎ、強い直射日光を防ぎ、野宿の時には敷物としても使える心強いお供として有名だ。実際、旅人は皆この手のマントを羽織っており、整備された交易路から外れた道を通る者のほとんどはこの外見になる。
問題なのは、そのマントの裾の方に何やら動物の刺繍がなされていることだ。ディフォルメされた狼のように見える。それは見事な技術と芸術の腕ではあるが、それだけに目立っていた。領主という身分を隠すための隠れ蓑としての貴族の連れが、そんな風に目立つのは本末転倒だろう。
「それがないと着ないって言うんでな……従者風の服は絶対に嫌だと拒絶されたんで、落し所がそれしかなかったんだ。気にしないでくれ。それと、その刺繍はウェルヴェーヌの力作だ」
「シロ!カッコいい!」
ココが嬉しそうに荷台の上でくるくる回る。そうするとマントが広がって、刺繍が自分でも見えるようになる。計算され尽くした位置だったようだ。
「……さよけ。なかなかに難儀やな」
ミレイが少し生暖かい目でココを見やる。一般的には微笑ましい光景ではあっても、この状況には不似合いだ。
「んで、そうまでしてこの娘を連れて来た理由が、あの流砂なんやな?」
「ああ。ココもどうやらそういうもん経由で落ちてきた可能性が出てきたんでな、実物を見れば何か思い出すかもしれねえってことだ」
「ほぅ、何か思い出したんか?」
「具体的じゃない。ただ、砂漠のイメージみたいなもんはあるらしい」
「同じ砂ってわけかいな。確かに、突発性危険地帯ってのは大陸のいろんなとこで発生しているみたいやからな。まさかそこから古代遺跡に落ちてるとは思ってもみんひんかったけども」
「その突発なんちゃらには詳しいのか?オホーラも言っていたが、いまいちピンと来ていない」
賢者が語ったところによると、突発性危険地帯というのはその名の通りそれまで通常の自然だった場所が、ある日を境に形状が変化して危険な場所になってしまうことだ。今回のようにただの大地だった場所が突如流砂のような底なし沼状態になったり、山の断崖絶壁だった真下が見知らぬ場所になって異空間と化したり、生物が近寄れなくなる現象のことを言う。
何年も前から時折起こっている現象で原因も実態も未だ不明なままのは、準備万端で調査隊を組んでも何一つ成果が得られなかった経験があるからだ。高名な学者や魔法士を連れてかの大国も実地調査に乗り出したことがあったものの、全員が行方不明という結果になった。国王は調査を打ち切ることを宣言し、以降のこうした地域を立ち入り禁止としたことで、他もそれに続いたというのが経緯のようだ。
危険だと分かっているのに放置というのが、クロウには良く分からない。自分の土地にそんなところがあるのは落ち着かない気がする。
「そないなこと言われても、分からんもんは分からんのやからしかたないんちゃうか?触ったら火傷するするのが分かっとるんやから、触れへんようにしておくってことで、うちは何も不思議やないと思うで?」
「その火傷する元をどうにかするっていう方向で動かないのが何ともな……どうにもならないからあきらめたって話なんだろうが、もっと継続的に取り組んでもいいんじゃねえかと思っている」
「そりゃ、当事者じゃないから好きに言えるだけやないか?実際、結構な金かけて人も時間も色んなもんつぎ込んで成果がゼロやったってなれば、もう手を出したくなくなるやろ。それに、近づかない限りは広がるわけでもなし、緊急性もないいうなら、ますます放置が賢いのはアリやと思わんけ?」
「そうか。二次災害みたいなことがないのならアリなのか」
「何でもかんでもカタがつくことばっかりやないからな。あと、完全に放置ってわけでもないとは思うで?さすがに頻発するようなことがあれば放置もできひんし、様子見っていうとこやろ」
解決できないこともある、か。
まさに自分の境遇のことでもあるので、少し複雑だ。そのせいもあって気になっていたのかもしれない。
色々と有耶無耶になっていることが多すぎる。
その内の一つが、ココとシロだ。
地下世界に突如現れた不可思議な存在で、白狼であるアーゲンフェッカの魂のシロと人間のココが融合したような形態で共生している。ココはティレムという魔法生物の力も有しており、ただの人間という分類でもない。何者かの外道な実験の産物のようだが、詳細が一切不明のままだった。
その実験のせいなのか、共に記憶が曖昧で過去がないのはクロウと同じだった。
「んで、今んとこうちらしか気づいていないって話やけど、最終的にどないするつもりなんや?領地的にはキージェン公国やろ?禁止地域に指定されても、下でウィズンテ遺跡とつながっとるってなったら、こっちもなんか対策立てなあかんのとちゃうか?」
「つながってるなら、な。そこを確認したい。一応、方法はオホーラに聞いてきた」
「ほぅ、どないな感じで?」
「使い魔を使って、実際に落ちるんだと」
「はぁ?いやいや、賢者様来ておらんやんか?さすがにこないな距離を遠隔の使い魔で動かすには無理やろ?」
使い魔も魔法と考えれば自明の理だ。当然の如く、魔法には有効範囲の制限がある。
「ああ、だからこそ実証実験になるらしい。地下のラカドがいた付近に既にオホーラは使い魔を飛ばしてる。よく分からねえが、使い魔同士は中継できるらしくて、もしもその流砂が地下とつながってるなら、そこで反応するはずだって話だ」
「中継やと……?さよけ、なるほど……ほんまにそれが可能なら、幾つか並列でつなげばいけるんか……」
ミレイには道筋が見えたらしい。
納得した様子だ。
クロウはあまり理解していないが、それで何かが分かるというなら試せばいいという話なだけだ。ついでに、ココも何か思い出してくれればいい。
その程度の気持ちでいいと思っていた。
やがて、荷馬車はどこかの森の手前に停車する。そこからは徒歩だった。
「何も分からないのん!」
ココの元気な声が辺りに響く。
それほど期待はしてはいなかったが、案の定だった。
眼前には奇妙な光景が広がっている。とある山の麓の崖下、位置的には森の中にあるのだが、その一角に突如砂場があった。明らかにそれ以外の大地の土とは異質で、不自然にそこだけが別の場所から切り取られたかのようだ。地続きになっていない。
突発性危険地帯というより、突発性変異地帯ではないだろうか。そう思ったが、危険性を強調する意味で前者であれば納得はいく。
どちらにせよ、自然現象とは思えない。
周辺のマナも変わっているらしいので、魔力的なものが関係しているのは間違いないようだ。
ラクシャーヌに言わせるとそれまでの天候が激変して環境が変わるのと同じとのことだ。ただ、その変化がマナによって引き起こされ、その速度が何百倍か早まっただけだと。分かるような、分からないような説明だった。
理由は結局不明なのは変わらない。
ココの記憶にも引っかからない。
それだけは分かった。
「なるほど、沈むやんな……」
石を投げ入れて、ゆっくりと砂に埋まっていくのを見るミレイ。流砂と言われる所以だ。その地帯に新たなものが置かれると、地中へと引き込まれていく。
「でも……止まったっす?」
「そりゃそうや、イルル。簡単に言えば、流砂ってのは周囲の土の密度が変わることで柔らかくなる現象やで。やから、自重で瞬間的に沈み込んでもそこからは動きがないなったら落ち着くわけや。ほんで――」
もう一度ミレイが石を投げ入れる。半分埋まった石に当たると、再び二つの石が沈んでゆく。
「こうしてまた動きがあれば、更に沈んでくんや。人みたいな生き物やと、当然もがいて出ようとするやろ?そうなると柔っこいままになってどんどん沈みよるっちゅうわけやな」
「要するに動くと深みにはまるってことだよな?」
クロウもオホーラに同様の説明を受けたが、シンプルな理解しかしていなかった。
「せやな。底なし沼とかも同じ原理やで?だから、助ける時にはできるだけ最小限の動きで一気に引っ張らなあかん」
「りょ……慌てて派手に動いて落ちていった姿が浮かぶっす」
ラカドたちのことだろう。というより、大抵の者はどうにかして出ようと躍起になってもがくに違いない。静観していられる冷静さを保てなくなるのだろう。
それよりも気になることがあった。
「ここからあいつらが落ちたとして、どうしてこんな場所に入ったんだろうな?」
一見して場違いな砂場だ。森の中で明らかに浮いている。周囲とはまるで境界線を引かれたように別物だ。警戒しないわけがない。
「そりゃ、入った覚えはないやろな。クロウはん、上やで、上。バカどもは多分、そこの崖から落ちてそのままこの流砂経由で地下世界まで沈んだんやで」
頭上を振り仰ぐミレイに釣られて、クロウも視線を上方へ向ける。
なるほど、そこには切り立った崖がある。それほど高くはないのでそのまま流砂に落ちて来る流れは想像がつく。
ラカドの証言とも一致する。「どっかから落ちた」だけだと。
「可能性は見えたな。後は、実際に地下とつながっているか、か」
クロウは近くの樹から長い枝を切り、余分なものを削いで細長い一本の棒状のものを作った。
それを流砂の中心に向かって伸ばす。厳密には真ん中ではない。それなりに広さがあるので、長さが足りなかった。それでも十分だろう。
「アテル、頼む」
「はいなのです!」
その棒状の上を黒い卵型のアテルがてくてくと歩いていく。少し枝がしなったが、重量はほとんどないので折れることなく端までたどり着いた。
そこでアテルはどこからか何匹かの蜘蛛を取り出して流砂に向かって、ぽいぽいと投げ捨てた。
蜘蛛たちは突然の暴挙に戸惑いながらも、空中で糸を吐き出して枝に活路を見出している。
とはいえ、投げられた勢いが勝って流砂に着地。糸で戻ろうとするもどうにもならない状態に陥っていた。
「ほぅほぅ、蜘蛛とはよう考えとるな。あの枝に糸を張っとけば、戻ってこれるかもしれへんというわけやな」
この一連の行為はすべて賢者の計画だった。
「せやけど、なんであの黒いのはメイド服を着とるん?」
「……ウェルヴェーヌの趣味だ」
どこか遠くを見ながら答えるクロウを見て、ミレイはあの使用人が持つ影響力の強さを思い知った。
いざってときのために仲良うしとかなあかんな……
しばらく何も変化がない時間が流れた。話題を振るおしゃべりな人間がいないせいか、沈黙が続いていた。ミレイはどちらかと言えば黙っているより話していたい派だったが、色々と考え事をしていたのでその機会がなかった。
「あ、反応したです、ご主人様!」
静かな自然環境音を破ったのはアテルのやや甲高い声だ。
「糸が切れないように気を付けてくれ」
クロウは指示を飛ばす。具体的にどうすればいいのかは分からないが、アテルならばどうにかできるのではないかと思っていた。
やがてゆっくりと糸を辿って一匹の蜘蛛が登ってくる。昆虫を見守っているという図はなかなかシュールではある。事情を知らない者からしたら、異様な光景でもあろう。そういえば、なぜ蜘蛛なのか。苦手意識はないが、嫌悪感を抱く者がいてもおかしくはないフォルムだ。人の外見とはまったく違う。オホーラの趣味なのだろうか。今度聞いてみるか。
つらつらとそんなことを考えていると、糸にぶら下がったままで蜘蛛が声を発した。
「やはり、つながっておったようじゃぞ、クロウ」
オホーラの使い魔が見事に中継されたということだ。ここがラカドたちが落ちてきた場所で間違いないようだ。「おおっ!」という声がミレイ辺りから上がった。
「そうか。下の入口はどうなってる?天井に穴が開いているのか?」
地下世界は空のように高い空間が広がっているが、当然の如く地下なので岩盤か何かの天井があるはずだ。ラカドたちが落ちてきたということは、そこに抜け穴がなければおかしい。
「それがまた奇妙でな。開閉部のような出入口の穴があったのじゃ」
「開閉?閉じることがあるのか?というか、どうやって動いているんだ?」
「仔細不明じゃ。じゃが、推測ならば立つ。おそらくは地下の空気のマナに反応して伸縮しているようなものなのじゃろう。潮の満ち引きのようなものだと思えばよい。定期的か不定期かは分からぬが、あるタイミングで開閉が行われておる。更に、閉じた状態もそれなりの期間があると思われる。ラカドの話でも、白骨がいくつかそばにあったと言っておったじゃろう?」
「運が悪いと閉じ込められるっちゅうわけか。窒息死みたいなもんやな。たまらへんなぁー」
「それで、対策は何かできるか?落下地点を四六時中監視するってのは現実的じゃない」
「当然じゃな。幸い、この開閉部はそれほど広くはない。土魔法で新たに天井の該当箇所を別の岩盤で固めてしまえば落ちて来ることはなかろう。逆に、そこから落ちたらもう助からんという意味にもなるがの」
「そりゃ、落ちる方が悪い。どうせ立ち入り禁止区域になるんだからいいだろう。その方向でやってくれ。必要なものは?」
「わし一人で十分じゃが、本体でやる必要がある。近いうちに地下世界に降りるとしよう」
思ったよりも簡単に片付きそうだった。それもオホーラという賢者がいてこその荒技なのかもしれないが。
「それと、もうひとつ。副産物として地下世界が明るい理由が分かった。天井に巨大な灯花の亜種が生息しておった。群生しておるようで、光量がなかなかのものじゃったゆえ、地上までやんわりとその明かりが届いているようじゃな」
「アカリバナ?光苔のでっかいやつみたいなもんか?」
「全然ちゃうで、クロウはん。光苔は発光してても照度の方はたいしたことあらへん。光束っちゅう光の量がへぼやからな。せやけど、灯花の光束はかなり大きいさかい、照度も段違いなんやで。ああ、照度っちゅうのは照らされる面積のことや」
「元々の光量が違うってことか。なら、地上でもそいつは使えないか?燭台の蝋燭よりいいんじゃないか?」
倹約精神をウェルヴェーヌからいつのまにか叩き込まれていたクロウは、自然にそんなことを考えていた。
「残念ながらそれは無理じゃ。灯花というのは咲いている間だけ光るのじゃが、その周期は短いゆえ使い勝手は悪い。じゃが、見つけたものは群生して交互とは言わぬがいくつかのグループで交代で輝いていた節がある。並列して使うと互いに光を切らさぬよう調整する可能性はなくもない。種子を拝借してきたゆえ、暇ができ次第ちと研究してみるつもりじゃ」
「賢者様、そいつが使い物になるようならうちに卸してくれへんか?いい感じに売り捌いてみせまっせ」
「ふむ。その辺は要相談じゃな。ただ、地上ではどのみち厳しいじゃろう。おそらく地下世界のあのマナがなければ、枯れてしまうと思われる」
「むむむ……地下限定の用途なら、探索者ギルドに売り込みかけるしかあらへんか……いや、品種改良をすればどうにか……」
商魂たくましいミレイが皮算用していると、なぜかココが反応した。
「ううっ」
突然その場にうずくまってしまう。両手で頭を抱え込んで苦しそうだった。
「どうした、ココ?」
何事かとそばにいくと、ココは必死に抱き着いてくる。
「クロ様――!!」
その身体が震えていた。何かに怯えているようだ。中にいるシロが語りかけて来る。
(主殿……いま、ある名を思い出した。それは忌むべき怨敵、ウガノースザ。我らを弄んだ男の名だ)
どうやら、ココを連れて来た収穫もあったようだ。




