1-5
ベリオスの町の惨状は思ったより酷く、思ったよりも軽微だった。
この相反する感想は見ている方向によるものだろう。それほどまでにくっきりと、場所に寄る被害の違いが出ていた。
あの災魔の破壊魔法とも言うべき攻撃が、指向性のある魔法だったことに起因しているのは間違いない。町外れであるこの場所にもその破壊の余波は如実に現れていたが、幸いにして祖母の家は射線から外れていた。
直撃コースになくて本当に助かった。全盛期の祖母ならともかく、現在の状態では防げなかっただろう。当然、自分でも無理だ。
ロレイアは無意識に魔法障壁を展開してあの破壊魔法と耐久度を妄想する。どれだけ強固に創ろうと防げるとは思えなかった。そもそも破壊魔法と言っているが、本当にそうかも分からない。とてつもない魔力は感じたが、おおよそ人の身では扱えないほどの莫大な量だったので、あれを魔法と定義していいのかすら分からないというのが本当のところだ。
いずれにせよ、あのまま災魔が暴れていたら今ここに自分がいなかった可能性は高い。
避難すら間に合わない勢いで何もかもが進んでいた。天災とはよくいったものだ。災魔という現象について、詳細が残っていない理由が痛いほど分かった。あんなものの渦中にいては、状況を具に調べて考察するなどといったことはできない。
いえ、そういう意味ではわたしは誰より詳しく知った人間ということになるのでしょうか……
今でも自分が見たものが信じられない。
できれば祖母にあれが何なのか聞きたいところだったが、残念ながら体調が思わしくなく、今も眠ったままだ。もう長くないというのは本当なのだろう。認めがたいが、自身が言っていたようにその時が近づいているのかもしれない。
ロレイアはそのためにこの町を訪れていたので、どれだけ自らをごまかそうとしてもその事実を否定はできない。
少なくとも、災魔によって終止符を打たれなかったことだけは僥倖だ。町の中心の方で相当の被害が出ている中、こんな町外れを気にかける者はいない。ロレイアも本当ならば、町の救助活動に参加して協力すべきだと思ってはいたが、祖母の容態が気になってこの場を離れる決心がつかないでいた。
近隣に家もない辺鄙な場所なので、それを咎める者もいない。精神的に楽でよかった。
そう思っていたところへ、突然の訪問者が現れた。
「あっと、すまない。この辺りにフィーヤ婆さんという人が住んでいるはずなのだが、知らないか?」
トッドと名乗る警備隊の男だった。町が大変なときに、なぜこんな場所にやってきたのか。後ろに控えている黒髪の男と、奇妙な編み込みをした前髪の青年も気になる。特に黒髪の方は、旅人風のマントで全身を覆っており、何かを隠しているように見えて怪しい。編み込みの方もやたらきょろきょろして挙動不審だ。
とにかく、警戒が必要な三人組だった。警備隊の皮鎧には一応この町の紋章が入っているので偽物ではないだろうが、盗品を着ているだけということも考えられる。まだこの町に来て日が浅いため、住民のことがまったく分からないのは不便だと今更気づく。
「フィーばあちゃんは具合が悪くて寝ています……何の用ですか?」
「体調が優れないのか……いや、もしかして昨日の襲撃で怪我でも負ったのか?そうならば、町の方にいま簡易療養所を開いているから、そちらで治療を――」
「いえ、そうではありません。もともと長くはない状態で……静かに逝かせてあげたいんです」
そこまでいうつもりはなかったのだが、気づけばロレイアはそう口に出していた。無意識だったが、それが本心だったのかもしれないと自ら気づく。祖母の最後を認めてしまっているのかもしれない。町が酷い状況なのは分かっているが、それでも今は騒がしくして欲しくないという思いが強かった。
「そ、そうか……それはすまなかった。しかし、こちらもなかなか大変な時でな。個人の事情をあまり優先できない状態だ。少しだけ協力してもらえないだろうか?」
トッドはすまなそうに頭を下げたものの、引く気もないようだった。
「……拒否権がないのなら、手早くお願いします」
「それなんだが、フィーヤ婆さんを起こせるだろうか?というのも、昨日の災魔の襲撃の魔法?か何かを目撃しているかどうかを知りたくて……自分はその手の話には疎いのだが、何やら巨大な魔法のようなものが使われそうになったらしく、それらについて見解を――」
「ああ、もうじれったい言い方だね。こういうことははっきり伝えないとダメなんだ」
編み込みの青年が前に出てきた。説明役を買って出てきたようだ。
「君のお婆さんが、ああ、そういえば君はそのお婆さんの親族ってことでいいんだよね?はいはい、お孫さんのロレイア君ね。僕はテオニィール。テオニールじゃなく、テオニィールだよ。稀代の占い師さ、よろしくね。見たところ君も魔法士っぽいけど、どんな占いを?いや、魔法士が皆占いをするわけじゃないのは知っているけれど、何かしそうな雰囲気があるからさ。仲間じゃないかい?なに、違う?本当に?でも、まぁ、これも何かの縁じゃないか、よろしくよろしく」
はっきり伝えろと言いながら、テオニィールは途中から自己紹介をしていた。語り口調も少ししつこい感じであまり好きではない。握手を求めて手を差し伸べてきたが、ロレイアは不審そうにその手をちらりと見ただけで、応じなかった。先を促すように短く吐息を漏らす。
所在なさげな自らの手を何事もなく引っ込めると、テオニィールはすぐさま続けた。一応空気は読めるようで、精神力はタフらしい。
「それで、君のお婆さんに効きたいのはこういうことだよ。昨日の災魔の魔法を見ていたかどうか。より正確に言えば、巨大な魔法を止めた瞬間の彼を見ていたかどうか、なんだけどね」
そこで視線が黒髪の男、クロウに向けられる。つられるようにロレイアもそちらを見つめ、どこか無機質なその瞳と視線が重なる。
「……どうも」
クロウはただ一言、短くそう告げる。どことなく上の空なのは考えることが山ほどあるからだが、他人にそのようなことは分からない。ロレイアは無愛想に感じながらも、質問の意味を吟味する。
……魔法を止めた?
言葉通りに受け止めるなら、災魔をどうにかしたということだろうか。確かに災魔の被害はいきなり止まったように思えた。台風が過ぎ去ったようなものだと思っていたが、人為的なものだとしたら、それを行ったのがこのクロウだということなのか。そんなことがあり得るのだろうか。
昨日、フィーヤはほぼ一日中寝ていたので、返事としては見ていないということになる。だが、ロレイアは違った。
災魔の襲撃を目撃していた。逃げる暇もなく巻き込まれ、ただ見ていることしかできなかったのだが、確かにロレイア自身は注視していた。ただ、さすがに遠目に見つめていただけで、あの魔法の中心で正確に何が起こっていたのかまでは分からない。
「……フィーばあちゃんは寝ていたので見ていません。ただ、わたしが見ていたけれど……」
その先を言うべきかどうか、ロレイアは言い淀んだ。あの時、災魔かどうかは確証はないが、人影は見た気がしたのだ。あるいはそれがクロウだったのだろうか。
しかし、そんなことがあるのだろうか。人は空を飛べない。不可思議な現象を起こす魔法というものが存在してもなお、人間は未だに空を飛ぶ、飛行するという積年の夢を果たせてはいなかった。空中に人影という時点で在り得ない状態だ。災魔が人型、魔族のような存在だという説も聞いたことはあるが、それも真実かどうかは不明だった。
「ほうほう、ロレイア君。やっぱり君も魔法士なんだね?お婆さんが腕利きの魔法士だったというなら、さもありなん。孫の君がその才能を引いていても何もおかしくはないね。実は君からはひしひしとできる魔力を感じていたんだ。それで、それで?君でもいいんだ、あの時のどでかい魔法を見ていたってことだよね?他に何があったんだい?」
畳みかけるようにテオニィールが言葉を継ぐ。
明らかに何かを期待している態度だった。ロレイアの警戒心がうずく。ここで下手に答えてもいいのだろうか。
その逡巡を感じ取ったのか、テオニィールは更に言葉を重ねる。
「おやおや、まさか僕らを怪しいと思っているのかい?それは大いなる誤解だよ、むしろ逆だよ。僕らは言わば正義の味方だ。この町の圧政を解かんとするレジスタンスのようなものさ。いやー、知ってるかい、レジスタンス。解放軍的な意味があるらしいよ。転生人の言葉らしい。新鮮だよね。まったく別の世界とやらがあるなんて、本当に夢みたいだ。いつか僕も行ってみたい。惜しむらくは、彼らの記憶がほとんど消えているってことだよね。いや、封印説も有力か。実に不思議だよ。実は前にある転生人の過去を占っては見たんだけど、これがまた凄くて――」
「テオニィール。その辺で。また話が逸れているぞ?」
捲くし立てる青年を遮って、トッドが呆れたように待ったをかける。
「すまないね、ロレイアさん。色々話が飛んだかもしれないけど、実際の所、あの魔法を見ていたなら、そこで他に何か気になった点とか、そういうものがあれば教えて欲しいということなんだ。このテオニィールが主張する推測が事実かどうか、早急に確かめなくちゃならなくてね。深く考えずに見たままのことを話してくれないか?」
「……わたしが見たのは――」
真摯なトッドの語りかけに答えようとしたロレイアだが、背後から扉を開ける音がしてはっとして振り向いた。
「ロレイア。誰ぞ、訪ねてきておるのか……?」
杖をつきながら現れたのは小柄な老婆だった。立っているのも精一杯といった様子で、かなり心配になる様子だ。すぐさま、ロレイアが駆け寄る。
「フィーばあちゃん!目が覚めたのね。でも、出歩いちゃだめよ、まだ身体が――」
「よい。もう本当に最期の最後じゃ……それより、今際の天啓が降りてきよった。お前さんの行く末を暗示するものじゃ。近くにその宿命の者がおる」
「天啓?まさか、もうその力はないって……」
「問答する時間もない。あたしにゃもう何も見えないけど、確かにお導きの光を感じる。そう、こちらからね……」
老婆が示す方向にはクロウがいた。
その腹からぱっとラクシャーヌが顔を出す。文字通り頭部だけが突き出ているので、ロレイアは驚いて腰を抜かしそうになった。
「……おい。急に出て来るな」
「わっはっはっ。そう言うな。なにやら妙な気配がしたんじゃ、今にも消えそうな魔力の灯火……っと、そこにおったのぅ。ふむふむ、興味深い。これが死に際の人間の魔力の匂いか」
ラクシャーヌはフィーヤの寿命を感じ取っているようだった。
「使い魔は何て言っているのかな?わざわざ出てきたってことは、何か思うところがあったんだろう?」
テオニィールは不可解な現象にも平然と対応している。既に、クロウとラクシャーヌの関係の説明を受けているからだ。
地下牢でラクシャーヌがクロウの身体に入り込んだことで、クロウは前代未聞の理由付けをする必要に迫られた。元々、特殊技能に関しても何らかの説明が必須だってこともあって、すべてを結びつけて何かいい案がないかと思っていた結果、ひねり出したのがラクシャーヌ=使い魔説だった。
特殊技能として、特別な使い魔を呼び出せるというものにしたのだ。
そのラクシャーヌはかなりの魔力を持った存在で、例の災魔を追い払えるほどの能力があると嘯いた。更に、希少な使い魔のために主のクロウとしか会話できないという設定で、エネルギー供給もクロウの魔力ということにして、だからこそ身体の中に収納できるという理屈を通した。かなり無茶苦茶な説明なのだが、案外筋が通っているようにも思われてすんなり受け入れられたのだった。少なくとも、当初の亜人説よりは信憑性がある。
「その婆さんの魔力が尽きかけてるのが珍しかったらしい。人が死ぬときってのは、魔力も枯渇しそうになるもんなのか?」
「ちょっ、君……なかなか歯に衣着せぬ物言いだね……確かにそういう兆候があるものだけれど、本人を目の前に堂々と言うとは、いやはや大物だね」
「な、何なのですか、その子は……?」
ロレイアは当然、ラクシャーヌのような常識外の存在を知る由もなく、いきなり人の腹から生えてきたものに目を丸くしている。
「なんとなんと……カエルム様の御心に沿って、いや、イェラー様の波動をも感じられる……往生の末にこのような摩訶不思議なマナの根源を知ることができるとは……ありがたい、ありがい……」
フィーヤは拝み倒さんばかりにクロウたちに向かってお辞儀を繰り返す。だが、その動作は緩慢で壊れた玩具のようで危なっかしい。慌ててロレイアがその身体を支えるが、フィーヤはかまわず続けた。
「ロレイアや、あたし亡きあと、彼の方たちに従いなさい。お前さんの未来は、きっとその側に……あるよ……」
「フィーばあちゃん、何を……え、そんな……」
ロレイアの腕の中で、不意にフィーヤの重みが増した。気絶したようにその身体から力が抜けたのだ。いや、最期の言葉を残してついに逝去したのかもしれない。あっさりと静かに、フィーヤの魂は昇天した。あまりの唐突さではあったが、フィーヤの最期の命の輝きだったのかもしれない。
「……安らかなる死に、源導者の祝福があらんことを」
トッドが静かに手向けの言葉を口にする。
「お、死んだ死んだ。面白いのぅ、あんな風にすっと消えてくものか。人が死んだら、その意思はどこにいくのじゃろうか?魂?とかいうものは、再生産されるものなのかえ?」
(面白がるな。こういうときは神妙にしておくべきらしい。理由は良く分からねえが、無駄に反感を買いたくはないだろ?)
ラクシャーヌが体内にいるときは、口に出さなくても会話ができるということをクロウは知ったため、周囲に聞こえないように諭すときには便利だった。記憶がないため、それぞれの状況に応じた最善の態度や振る舞いが分からなかった。経験則によって導き出される適切な行動が取れないというのは、なかなかに難しい。ただ、他人の死は厳かに迎えるべきだという通念はなんとなく感じていた。
「そういうものなのかえ?とはいえ、わっちに人間の礼儀など望むでない。それより、その者が言っておったことはどういう意味であろ?わっちらはその小娘と何ぞ関係があるのかえ?」
確かにフィーヤは意味深な言葉を残していった。ロレイアという娘の未来が、クロウたちと関係するというようにも取れた。まるで予言のようだ。
「何だがよく分からねえが……その婆さんは占い師だったのか?」
「いえ……魔法士です。ただ、ちょっと特殊な力で時折、未来予知的なことはできたのです……久しくその能力は使えていなかったのですけれど……こういうものは本人の意志と関係なく起こるものですから……」
「こんなときに重ね重ねすまないが、先程の質問にだけ答えてくれないか?それがすめば自分たちはこの場を去る。ロレイアさんも静かにフィーヤ婆さんを送りたいだろうし……」
トッドが申し訳なさそうに、だが確固とした意志で話を戻す。多忙の中でわざわざ足を運んできたので、目的を果たさないという選択肢はなかった。
「そ、そうそう。さっき、何か見た的なことを言いかけていたよね?それが大事なんだ、本当に。その、お婆さんも言っていたように、僕らは怪しいものじゃないからね。安心して話してくれていいんだよ?」
ロレイアは大事そうにフィーヤの亡骸を抱えたまま、ちらりとクロウを見た。
確かにフィーばあちゃんはこの人に従えと言っていたけれど……
黒髪に灰色の瞳。どことなく無表情で、何を考えているかはよく分からない。どこにでもいる村男のような服装に旅人のマントと、職業が分からない。帯剣などはしていないので戦闘職じゃないのだろうが、物腰がただの村人にも見えなかった。と、その耳に装石がないことに気づく。転生人のようだ。それでなんとなく納得が行くが、不思議な感覚は依然として残る。
そのお腹辺りから出ている幼女のような者は何なのか。怪しくないと言われても、頷ける要素は一つもない。
その不審な眼差しに気づいたのか、テオニィールが説明する。
「あ、そのキュートなお嬢さんはクロウの使い魔で、特殊技能で生まれた人間もどきみたいなもので、決して怪しいものじゃないんだよ?実は彼女こそが災魔を倒した凄い魔法そのものみたいなもので、この町を救った英雄みたいなものでもあるんだ」
みたいなもの、を使い過ぎだとクロウは思ったが、断定できない気持ちは痛いほど分かるので何とも言えなかった。しかも、災魔を倒したのではなく、その災魔そのものだとは口が裂けても言えない立場だったので更に複雑だ。
「特殊技能の使い魔……」
「この半端な状態がアレってんなら、こうすれば分かりやすいか?」
クロウはラクシャーヌの頭を掴んで引っ張り出す。とんでもないやり方だが、他に掴むところがないのでしょうがないとも言える。
手足をバタバタさせながら出てきたその全身の姿を見て、ロレイアの記憶が鮮明になる。
「あっ、その子は……!!」
亜人のようなその姿には見覚えがあった。例の災魔の魔法を感じて上空を見上げたとき、そこに人影を見た気がしたのだ。はっきりとは見えなかったが、今目の前にいる幼女のような亜人を見て、その影が鮮やかな輪郭と共に蘇る。
信じがたいことだが、ロレイアはその瞬間に何かを悟った。
フィーヤのような天啓――未来視のような不可思議な感覚ー―の能力は持っていないが、それに近い何かを確かに感じた。運命、あるいは宿命という果てしなく大きな流れが、間違いなくそこにはあり、自らを呑みこんでいくうねりを感じたのだ。
「その子を……その人影をあの時見ました。確かに、災魔の魔法の近くで」
「目撃情報キターーーーー!!!」
テオニィールの嬉しそうな雄たけびが辺りに響いた。
「おい、ご遺体の前で不謹慎だぞ」
同時にトッドがそれを諫める言葉を吐き、ラクシャーヌは全身で伸びをしながら言う。
「何はともあれ、こうしておぬしもわっちも普通に動けるということは良きかな、良きかな」
一晩寝て自由に動けるようになったのは確かに喜ばしいが、ロレイアの証言によってこれから更に面倒になることを考えると、クロウは素直に喜べないような気がしていた。
(もうちっと自分のことだけ考えたいんだけどな……)
不意に見上げた空はやけに青く見えた。