5-11
いつの時代にも信じられないほど狡猾な人間というものは存在する。
社会の隙間を見極め、人と人との間に生まれる闇を渡って弱みを握る。真面目な人間が汗水たらして働く一方で、その成果を霞め取っていく悪党は必ず生まれる。そして、そういう人間に使われる弱者も必然的に出来上がる。
ラカドは自分がそんな一人であることを自覚していた。
才能も金も何もなく、その日暮らしのならず者。人間関係にも恵まれず、中途半端な小悪党にいいように使われるだけ。どうせそのうち捨て駒にされて野垂れ死ぬのだと思っていた。過度な期待も絶望もなく、ただ流されるままに生きているのがラカドという男だった。
しかし、今回は何かが違った。
威勢だけはいい盗賊団に無理やり参加させられ、巻き込まれる形で何の計画かも分からないまま、あれをしろこれをしろと雑用をこなしていた。それだけだったはずが、いつの間にか見知らぬ場所にいたのだ。
そこは文字通り見たこともない世界で、詳しくは分からないものの体の中から湧き上がる興奮はこれまでの人生で感じたことがないものだった。
それだけの光景が目の前に広がっていた。これから何か凄いことが起こるということが、学のないラガトにも確信できるほどだ。
もちろん、順風満帆な滑り出しではないことは分かっている。どころか、いつものように失敗した先の今というものが紛れもない事実だ。
仲間たちと怒号や悲鳴と共に落ちて、一度は本気で死を覚悟したのだ。絶望を乗り越えた感覚というのは、なるほど高揚感が凄まじい。スリルを求めて狂ったようにギャンブルする人間の心理も少しだけ分かろうというものだ。
「んで、出口は見つかりそうなのかよ?」
「焦るな、焦るな。まずはお宝の確保だろうがよ。なに、俺たちが落ちて来た穴があるんだから、上に通じる何かは絶対あるはずだ。今はこの幸運を活かして魔道具の確保が先決だ。そこと地上のルートさえ確立できれば、後は何とかなるからな」
「それにここにはなぜか食い物もあるしな。じっくり腰を据えてやれるのがでかい」
「食い物って、喰えるようにしてんのオレっすよ?生じゃ絶対腹下すっす。ありと魔物系多いんで、マナ抜きマジ大変なんすからね」
「おぅ、愛してるぜ、料理人さんよ!おめぇが一番輝いてるぜっ」
「ちぇっ、調子いいんすから……」
そんな仲間たちの会話を聞きながら、ラカドは今いじっている魔道具を見つめる。
どういった原理なのかは分からないが、魔力を込めるだけで明かりが灯るランタンだ。不思議なのはその形状で、長方形の石をくり抜いて空洞があるだけの代物だった。その空いた場所になぜか魔法の光が灯る。経年劣化でもともとの石の装飾や形が失われたのだろうという話だが、そんな年数を経ても機能が失われていないのが逆に凄い。
というより、いつの時代か分からないほど昔のものが、現代と同じような機能を持っていること自体が驚きだ。かつてこの大陸の文明は今よりも優れていた、なんて御伽話を聞いたことがあったが、本当だったのかもしれない。
そう信じられそうなほど、こうした魔道具がゴロゴロしているのだ。
宝の山を掘り当てたと皆が目を輝やかせているのも分かる。これらを売り捌けば儲かるだろう。下っ端の自分にさえその恩恵は受けられるほどの利益が出るはずだ。
「おい、チビ。ちゃんと磨いてるか?おまえのナニより黒光りさせておけよ、がははは!!」
下品な笑い方でラカドの背中をバンバンと叩いてくるのは、大柄な男だった。
「あっ、ボス!お帰りなさいっす。収穫は何かあったっすか?」
「ああ、変な魔物を見つけたぜ。地上じゃ見ないしろもんだ。こいつを見ろよ。小せぇし、たいした攻撃力もねぇ。きっちり捕獲したから、こいつらも売り物候補で後で捕まえてやろうや」
「へぇ、どんなヤツ――ってボス!そいつはまずい!そりゃぁ、群れる魔物で一匹でもいなくなると、その集団が取り返しに来るって習性で……あああぁぁっ!?」
拠点に返ってきたボスの後ろから、ドドドドっと轟音が鳴り響ていた。
「えっ!?」
ラカドが振り返ったときには、視界が何か灰色のもので覆い尽くされ、鉄砲水に当たられたように物凄い勢いで吹き飛ばされた。
何が何だか分からないまま、そしてラカドは意識を失った。
それを何と形容すればいいのか、すぐには言葉が見つからなかった。
ただ、蠢くその様は恐ろしく気持ち悪く、やたらと多いその数も嫌悪感を増大させた。
「おいおい、何なんだ、こいつはよ……」
眉をしかめながらも、ステンドは警戒して隠し持っていたナイフを構える。アレが危険なことだけは明らかだ。
「遺跡の魔物じゃろうが、見たこともない形状をしておる……下手に刺激するでないぞ?」
「賢者様でも知らないのですか?誰か、分かる者は?」
スズコが部下の探索者に尋ねるが返事はなかった。誰も知らない未知の魔物だということだ。
いや、一人だけぶつぶつと何やら呟いていた者がいた。
クロウだ。
中にいるチビ助、ラクシャーヌに確認しているのだろう。それらしい答えを得ていた。
「確証はないが、何だか『寄生獣』の一種らしいぜ。いろいろくっついてて原形を留めてないみてえだが、多分人間も混ざってるらしい」
「寄生『獣』じゃと?寄生虫ならば分かるが……いや、地下世界ならばあり得るのか。人が混ざっているという点には同意する。あの端の方を見よ。かろうじて足らしきものがまだ残っておる。寄生するタイプだとしても、ガワを残して内部から操る感じなのやもしれぬな」
「マジかよ、人の輪郭なんてもう影も形もねーんだが?」
「寄生深度が違うだけじゃろう。それと、他にも混じっている関係でおそらく妙なかたちで融合、癒着しておるだけじゃ。何枚か皮を剥げば人体の部位も出て来ると見た」
「……どちらせによ、気分がいいものじゃありませんわね」
「それよりも、一旦退いた方がよろしくないでしょうか?正体云々よりも、こちらの身の安全を確保すべきかと」
「いや、なんか既に敵対意識を向けられているらしい。今は急に動かない方がいい。目をつけられるそうだ」
クロウが災魔であるラクシャーヌからの情報を伝えてくる。同類と言っていいのか分からないが、魔物という種族同士何か伝わるものがあるようだ。転生人であるクロウの特殊技能が使い魔であることを知っている皆は、その言葉を疑ったりはしない。
緊張した面持ちでその場に固まった。
ステンドは先導者として冷静にそれを観察する。古代遺跡では、未知の魔物に遭遇することはままある。そんな時に慌てず対処法を考えるのも仕事の一つだ。あまりの異様な光景にうろたえてしまったが、よく見ると確かにそれぞれが何かの形状をしていた。名残というか、元々の身体の部分が見え隠れしている。ただ、その周囲を灰色の何かが這いまわるようにへばりついていて、分からなくなっているだけだ。
確かにこれは寄生していると言えそうだ。おそらくはあの灰色が本体で、内部にまで侵食して乗っ取っているのだろう。厄介なのは、その灰色の何か、ねばついてるものがそれ同士でも連結していることだ。複数体がそれぞれにつながっている状態で、それでいて個体を保っているものもある。
どういう条件でその違いが出るのかは分からないが、連動して動いているらしいことは分かる。こうして群れて存在していることからも、それは確かだろう。その場合、考えられることが一つある。
「思ったんだけどよ、あれが複数の存在で群れているとしても、それを統率しているボスみたいなのがいんじゃねーのか?」
「うむ。リーダーの存在は十分に考えられるな。叩く対象として適切じゃ。じゃが、問題はその判別方法。外見からは特に違いが見当たらぬ」
「あれって魔物になるのか?魔法生物なら魔核ってやつを探せばいいんだろ?」
「寄生獣って言ったのはオマエだぜ、クロウ。魔獣なら魔物の範囲じゃね?」
正確には言ったのは使い魔のチビ助の方だろう。魔物については人とは違う知識を持っているみたいで色々と聞きたい情報はあったりするのだが、クロウ以外と直接会話できないのがネックだ。
「……分からないらしい。魔核を一応見つけようとしてるが、判断がつかないみたいだな」
「そいつはともかく、結局やるのか退くのか、どうするんだ?」
「ここを調べなきゃならんし、蹴散らすしかない。とりあえず俺がやってみるから、その間に一応おまえらは逃げられるようにしておいてくれ。ダメだったら退く」
クロウがそう言って剣を抜き放った。
最近の馬鹿げた戦闘力を知っているので、どうにかなりそうな気もするが、得体の知れない相手なので油断はできない。言われた通り、退却の準備はしておく。ここは古い時代の部屋の一つだったようで、石造りの壁の名残がまだ見て取れる。中にいた誰かが生活していた跡もしっかりと残っている。
その誰かを調べようとして、あの灰色の寄生獣を発見したのだ。排除しないことにはまともな調査などできない。
「了解。とりあえず、探索者以外は入ってきた扉付近まで後退してくれ。オレたちはクロウを援護できる位置で様子見する」
一行は黙ってその指示に従った。ここで問答して時間を無駄にするようなバカはここにはいない。
それを確認すると、クロウはすぐさま動いた。まるで自宅へと帰るように、まっすぐに灰色の蠢く何かに向かって歩いていくと、軽く手を振るような仕草でそれらを切裂いてゆく。あまりに自然で何気ない所作で何をしているのか一瞬忘れるほどだ。
瞬く間に魔物がびちゃびちゃと嫌な音を立てて地面を埋めてゆく。
粘着性のありそうな物質だと思っていたが、やはり液体に近いものがあるのだろう。寄生した元宿主の肉片のようなものと混ざり合ったその灰色の何かは、すえた匂いを発しながら四散してゆく。地面に散らばった後もひくひくと動いていたが、次第にその動きも弱まっているので死滅しているようだった。
「ちゃんと利いてるみたいだぜ、クロウ」
その様子を確認して伝える。
「そうか。けど、こっちも何か変だ……」
答えたクロウの動きもどこかぎこちなくなっていた。途中から魔物しか見ていなかったために気づかなかった。何か反撃でも受けたのだろうか、そんな様子はまるでなかったはずだが。
「どうした?大丈夫か?」
クロウは答える代わりに重い足取りで後退してきた。幸い、灰色の魔物は特に攻撃的な行動は取っていない。
ステンドは警戒しながらクロウを防御陣営を組んでいる探索者の輪に引きずり込む。クロウはやや青ざめた顔色になっていた。
「わけが分からねえが、やつらを斬るたびに違和感があった。俺は何か攻撃を受けていたか……?」
自分でも自覚がないらしい。片膝をついてやや苦しそうな表情で尋ねてくる。
「いや、オレはオマエが斬りまくっていたとこしか見えてなかったが……誰か、何か気づいたことはあるか?」
誰もが首を振った。戸惑った雰囲気が広がる中、クロウがまたぶつぶつと何か会話している。中のラクシャーヌとまた話しているのだろうか。
その間にオホーラが言う。
「ふむ……見たところ、あの寄生獣自体にそれほど攻撃的な特性はないようじゃな。一度入り込んだ後は内部から宿主を適度に破壊して、後は操るタイプかもしれぬ。それと、あの灰色が本体であるなら、粘菌類がその正体の可能性も高い」
「ネンキンルイ?」
聞き慣れない言葉だった。
「まぁ、知らぬか。粘菌というのは通説では大雑把に単細胞生物に分類されるものじゃ。要するに、動物とか植物とかでもない。ただ、特性的には同様の機能や生態活動をしておるものもおるゆえ、定義が難しいんじゃがの」
「なんかよく分からねーが、あれがそのネンキンだとしたら、それで何か分かることがあるのか?」
「うむ。魔法生物として見れば魔核があるはずじゃが、先程地面で活動停止状態になったのを確認したゆえ、魔核があろうとなかろうと千切れた後はそれほど長く生きられないのやもしれぬ。ただ、その状態から寄生できる可能性はまだ残されておる。注意は必要じゃな」
「……要するに、ぶった切る感じの攻撃なら有効だと?」
「そういうことじゃ。火や水に対する抵抗値はまだ未知数ゆえ、慎重になることも忘れぬように。リーダー説も考えられたが、今は深く考えなくても良かろう。」
奇妙にくっついているあの群れを引き離すことが重要だということだ。ステンドは投げナイフで遠隔攻撃も可能だが、あまり効率は良くなさそうだと思った。
「とりあえず、近づいて来たのは自分が斬り払います」
剣士の探索者が前に出て盾役を買って出た。対処法が分かれば、どんな魔物でも臆するものではない。
「んで、クロウは何か分かったのか?」
「……ああ。なんとなくそれっぽいのはな。多分、もう平気だ。もう一度蹴散らしてくる」
「おい、本当に大丈夫なのかよ?」
「やれば分かるさ」
その通りだが、先程の不調の後でよく平然とそう言い切れるものだ。ステンドたちが心配そうに見守っている中、クロウは孤軍奮闘してほとんどのそれを排除することに成功した。返り血ならぬ返り泥を浴びそうなほどに縦横無尽に斬りつけていたのに、本人はまったく汚れていない。あまりに早い一閃で反射がまったくないらしい。
相変わらずとんでもない腕だった。先程までの調子の悪さはどこかに消えていた。
得体の知れない灰色の魔物はそうして声もなく散って行った。
残ったのは寄生されたと思われる生物の成れの果てだ。動物なのか魔物なのか判然としないが、そこには人間のものも混じっている。
「地下人なのかどうか、これじゃ分からねーな……」
残骸から読み取れるものは多くなさそうだ。
「クロウ様、大丈夫ですか?」
ウェルヴェーヌがココを抱かかえながら主を心配する。褐色の少女はなぜか調子が悪そうだったので、その介抱をしていたようだ。半分魔物みたいなもの、という説明を受けたが一体どうなっているのか。クロウの周りには常識外のそういう輩が多くて、そういうものだと半ば流し気味に受け入れてしまっている。よくよく考えるととんでもない存在なのだが。 「ああ。俺はもう大丈夫だ。代わりにココがとばっちりを受けたみたいだな……やっぱりアレと関係しているってことか?」
「共鳴、やもしれぬな。同位体とは限らぬが、近しい何かが反応したと見れば納得はいく」
「アん?何の話だ?」
ステンドには話が見えない。だが、後回しにされる。
「今は捨ておくがよい。それよりも、多少は残したのじゃろうな?」
賢者の言にクロウが頷いた。
「ああ。奥にまだ逃げ込んだのがいる。そいつを研究材料にしてくれ。それと、なんかまだ生き残りが他にもいるみたいだぜ。あの壁の向こうから人の声がした」
「なんと!?それは是非とも確保せねば。ステンド、出番じゃぞ」
「俺なのかよっ!?」
そのままクロウがどうにかできるだろうと思ったのだが、クロウはクロウで何やら自身の身体を確かめるように何かしている。まだ違和感があるのかもしれない。
あまり頼り切るのはよろしくないということで、探索者ギルドの方でその壁を取り払うことにする。魔法と力技で壁の一枚くらいどうにでもなる。
果たして、そこには瓦礫の下に挟まった人間が助けを求めていた。
ついに地下人なのかと誰もが不安と期待で胸を膨らませていたが、一瞬でそれは現代の人間だと分かった。言葉も通じるし、何より服装が見慣れたもので時代の違いをまったく感じさせない。
「誰だよ、オマエ……」
がっかりとしたステンドの声は、皆の気持ちを代弁していた。




