5-10
「これは魔族像というより、魔人像であろうな」
一通りの報告を受けて、オホーラはそう裁定を下した。
「「魔人像?」」
幾人かの返事が重なった。聞き慣れない言葉だったので当然とも言える。
「魔族の外見については諸説あるゆえ決まった形にはならぬ。一方で、これが魔族であるならその中の特定の誰か、何かを模していなければおかしい。わしらが源導者の像を奉るときも、それぞれ違うようにじゃ。つまり、この像の元になった固有の魔族がいるはずゆえ、種族名ではなく魔人の何某という名称が正しいであろう?」
「なるほど。で、呼び方は何であれ、これがその魔人像ってことは確かなのか?」
「確かかどうかは分からぬが、古代遺跡の神秘下巻の絵とそっくりだという点には同意する。ちなみに石碑の文字に関しては記述がほとんどなかったゆえ、何語だったのかは特定できぬ」
「結局、出所は分からずってことか。他に何か分かることは?」
大陸に魔族を崇める信仰はない。いや、隠れ信仰としてはあるのかもしれないが、その場合もこのような像を作って祈りをささげるというような儀式は聞いたことがなかった。少なくとも、クロウの知識には存在しない。
だが、逆張りする人間というものはどこにでもいる。人類の天敵とされる魔族ではあるが、だからこそ惹かれる者がいないとは限らない。
「そうじゃな……こうした像の存在意義として思いつくのは、やはり信仰の象徴としての意味合いが大きいじゃろう。先の文献でも偶像崇拝の可能性に触れておったし、そう考えるのが自然なのは言うまでもない。一方でアンチテーゼ的な立ち位置だった可能性もあるとわしは見る」
「あんちてーぜ?」
聞き慣れない言葉に誰かが首を傾げる。
「要するに、対照的概念としての存在じゃな。ここでは対立する象徴、つまりは破壊するための像としてあったのかもしれないということじゃ。信仰のための像ではなく、憎悪のための像、具体的に対立感情を煽るために敢えて嫌なものを置き、それを叩くなどの疑似攻撃によって反感を増幅させる装置、と言えば分かりやすいかの?」
「ああ、あれか。訓練用のかかしに敵国の将軍の似顔絵を貼り付ける、みたいなことか?」
「うむ。悪くない例えじゃ。しかし、その真偽はとりあえず脇に置いておこう。重要なのはいかようにしてこの像がここに現れたか、そちらじゃろう」
「それだよ、それ。オレが知りたいのは!」
ステンドが勢いよくうなずいた。
「こいつがどっかから転移してきたんなら、例の転移魔法陣が使われた可能性が高いだろ?けど、そんな魔法陣は見当たらねー。一体どうなってやがるんだ?」
「そんなに先を急ぐものではない。その前に一つ確認じゃが、例の空間には召喚魔法陣はなかったんじゃな?」
「あ?例の空間って……ああ、オレが前に見つけたやつか?番人形はそこから出てきたんじゃねーかって言ってた?」
「うむ。ギルドの報告では異常なマナの流れの名残はあったが、他に特に目新しいものはなかったという。おぬしも確認したのじゃろう?」
オホーラたちが話しているのは、以前にステンドが発見した上層にあった不自然な空間のことだ。確か、通じる道はないのに明らかにそこには空洞がありそうとか、そういう話だったはずだ。クロウは完全にうろ覚えだった。追加調査をしていたことも初耳だ。いや、聞いた気もするが、完全に彼方に追いやられていた。
「ああ、したぜ。魔法陣は確かになかった。ただ、崩れたっぽい石造りか何かの跡はあったんだよな。あれが何なのか分からねーけど……んで、それが今関係あんのか?」
「そうじゃな、ここも今同じような感覚を抱かぬか?ある種、異様なマナの残り香がある……」
「え、マナって匂うのですか?」
誰かががその香りを嗅ごうと鼻を引くつかせるが、賢者は苦笑して否定した。
「なに、単なる比喩じゃよ。マナの感じ方は人それぞれゆえな。とにかく、ここの空気はちと他とは違う、そういうことじゃ。そして、その意味するところがあるとすれば――」
オホーラが像の周りに鋭い視線を送る。
その動きに釣られて皆もその方向を見るが、やはり何もないようにしか見えない。尖った岩肌や、何の変哲もない昔の石柱の残骸などだけだ。古代遺跡の上層部は基本的に遥か昔のそうした建物の一部が洞窟化したものに近い。もはや文様も削り取られて判別できない壁などが、無秩序に自然と融合しているような箇所が多い。
像が現れたその場所は、特に自然の方が多いように思えた。過去の名残は少ない。その光景を見てクロウが抱いた感想としてはそんなものだった。
だが、賢者は違うようだ。
「なるほど、わしらが思う魔法陣はここにはないかもしれぬが、よく見ればちゃんと存在しておるようじゃぞ?原点とも言うべきものが見て取れる。いや、古典的ではあるが、それよりは少し後期ではあるか」
「どういうことだ?魔法陣なんか俺にはどこにも見えないが?」
「ロウよ。おぬしの言う魔法陣とは現代の一つの様式に過ぎぬ。初めからあのように円形で文字や文様が綺麗に並べられたものであったと思うか?」
現在のクロウは例の貴族という体なので、オホーラは偽名の方で呼びかけてくる。ステンドにはこっそりその辺りの事情は話してあった。
「そりゃ、時代とともに洗練されていったのが今の形だろうな……なるほど。原始的な魔法陣ってのはもっと単純だったわけか」
「うむ。その観点でもう一度周囲を見よ。見えてくるものがあるじゃろう?」
「おい、爺さん。こっちは魔法士の講義を聞きたいわけじゃねーんだ。早く要点を話してくれ」
「なんじゃ、ステンド。向上心のない者はろくなものになれぬぞ?が、まぁ、今はよかろう。かいつまんで言うと、最古の魔法陣とは三つの石があれば可能じゃったと言われておるくらいに簡素であった。もちろん、用途や効力その他諸々の諸事情の条件が色々とあるが、この場所でも可能であるという点においては分かりやすかろう」
「たった三つの石ころで?」
「ただの石ではない。いや、厳密に言えばそれでも不可能ではないが、ややこしくなるので特殊な何かを施した石という条件くらいに思っておけばよい。更に言えば、ここでは二次元上の魔法陣ではなく三次元、高さを考慮したものだと認識した方がよいじゃろうな。それにマナの質。古代遺跡特有の空気の流れがあってこそ成立するものじゃ」
「ハっ、難しいことは分からねーが、要するにこの像はやっぱり転移してきたものってことでいいのか?」
「その可能性が一番高い。じゃが、どこからという点に関しては残念ながら手がかりがない。追跡することは難しいじゃろうな……」
オホーラはオトラ椅子の上で悩まし気に髭をいじっている。
「どこからってのもアレだが、どうしてこのタイミングでってのも謎だろ?何でいま、急に現れたんだ?」
「いや、それは明らかであろう?」
「マジか?何でだよ?特に何もしてなかったのに、気づいたらここにあったんだぜ?」
ステンドの反論に賢者はあっさりと答えを言う。
「何を言っておる。おぬしら、上層の出入り口を塞ぐ処理をしていたんじゃろう?一部を破壊して通れぬようにしたのではないか?」
「アん?確かにそうだけど、何の関係が――あっ、派手に魔法でぶっ壊したからか?」
「うむ。その魔力、マナの余波が伝わってきてこの空間の魔法陣が作動した可能性が高い。場所的に、ここからそれほど離れてはおらぬのじゃろうて」
「待ってくれ。そんな他所の魔法で反応して起動するような感じなのか?だとすると、この上層部の他にもこんなもんがあったら、危険な気がするんだが?」
クロウは懸念を口にした。予想できない事態というのはできる限り避けたい。今回は単なる像で無害だが、これが魔物であったなら大混乱だ。勝手に何かが起こりうる可能性があるなら、そういうものは排除しておきたい。
「確かに原理はその通りじゃが、滅多には起こらんじゃろう。今回のように強力な魔法が近場であること、その魔力というかマナが魔法陣に適合すること、といった限定的な条件が重ならぬ限りは大丈夫なはずじゃ」
「そういうものなのか……ん、けど、その場合、今回のヤツは適合したってことなのか?特殊な魔力じゃなきゃ大丈夫って前提と食い違いがないか?」
「いや、その特殊な魔力というのがステンドのものじゃからな。転生人の魔力が拡散することは滅多にはないはずじゃ」
「ああ、そういう……ってことは一応俺もか」
クロウは納得した。自分に魔法の才はないようなので、その心配はなさそうではあるが。反面、ラクシャーヌの場合はどうなのか、後で確認しておくべきだろう。
「……急に現れた謎がそれだとして、結局、どこから来たのかっていう問題は残るな。あと、ここに転移してきた意味も。そっちは何か考えがあんのか?」
ステンドがつば広の帽子を指で叩きながら尋ねる。
「仮説があるにはあるが証拠も傍証も足らぬ。しばらくこの一帯は封鎖して、この像を監視するくらいしか今は打てる手はないやもしれぬ」
「監視が必要なほど危険ってことか?」
「危険性はそれほどないとは考えるが、ここから更にどこかに転移する可能性がないとも言えぬ。また急に消えていたなんていう事態は避けたいじゃろう?」
「確かに……少なくとも今回みたいにそのタイミングで分かることもあるか。どのみち、この先は特に何もない地帯だったはずだし問題はないな」
ひとまず、この像については要監視対象としてその場に残されることになった。転移元はおそらく地下世界の方のはずなので、探索者ギルドの方に同じようなものを見つけたら知らせてくれるよう通知するくらいしかできることはなかった。
あの像が魔人像だとしたら、地下世界にはそれを信仰していた跡が他にも見つかるのだろうか。それは大発見であると同時にあまり嬉しくない想像も掻き立てる。人類の天敵を崇めるような集団がいた場合、その思想は人間にとってろくなものではないだろう。
一抹の不安を抱えながら地上に戻ったクロウたちの元へ、休むことなくまた別の報告が舞い込んできた。
「失礼します!地下で何やら不審なものが見つかったとのことで、是非とも確認して欲しいとの連絡がギルド側からありました。大至急、お越し頂きたいとのことです!」
本当に次から次へと、面倒なことが起こるものだ。
クロウたちは一息つく暇もなく、再び上層を経て地下世界へと赴くのだった。
上層から中層へと降りてゆくと、明るさと共に辺りの空気が違ってくる。
今まであまり気にしていなかったが、先程オホーラに言われたので余計に意識してそう感じてしまう。確かにマナの質が違うようだと分かる気がした。
その賢者は現在、お馴染みの使い魔の蜘蛛になって同行している。
本体は上層移動で疲れたとのことで、いつもの部屋にいる。代わりにココが今回はついて来た。そのココと初顔合わせのステンドは、ティレム関連の話を聞いて呆れたように首を振った。
「オマエ、魔物に懐かれる星のもとにでも生まれたのかよ?」
そんなことはないと思う。ただ、ラクシャーヌが中にいることでそんな性質があってもおかしくはないような気はしていた。
地下世界の入口であるギルドの拠点に着くと、長い黒髪が腰まで伸びている姿が印象的なスズコが天幕から出て来た。
「あら、御足労ありがとうございます。お早い対応で助かりますね」
「大至急って話だったからな。違うのか?」
「いいえ、間違いありません。ただ、それでも多忙の身でしょうし、もっと遅いかと思っていただけです。早速ですが現場へと参りましょうか。詳しい話は道すがら説明いたします」
ギルドの支部長秘書が自ら足を運んできたということは、やはりそれなりに重大な何かが起きたようだ。準備は既にできていて、すぐさま出発する。
探索者の先導で先を進みながら、スズコの話を聞いた。
「――そういうわけで、確認するにも迂闊に手を出すよりは、まずはクロウ様たちにお伝えして判断を仰ぐのが得策かと思った次第です。先日のティレムのような例もございますので……」
その元凶が一緒に歩いていることを知っているためか、少し複雑そうな表情でスズコが言葉を濁した。本来ならココの存在は秘匿すべきところだったが、ギルド上層部にだけはある程度筋を通して話しておくべきだという判断だ。今後も付き合っていく上で信頼関係は大事になる。だからこそ、今回もこうしてギルド側からしっかりと報告が来ているとも言えた。
「地下世界は何が起こるか分からないから、俺たちが行ったところで変わらないかもしれねえけどな。さっきも変な像が見つかったことだし、もしかしたら今回のと関係しているのかもしれないが……」
「タイミング的にはあり得ないとは言えぬが、都合良く解釈しすぎな気もする。じゃが、やはりここ最近で動きが出てきたことには、何か特別な意味があるのやもしれぬ」
流石の賢者にも地下世界は見通せないようだ。
スズコの説明によれば、今回見つかったものはある扉だった。何の変哲もない木製の扉で魔法で封じられていた。古代遺跡などではありふれたものに聞こえるかもしれないが、木製の扉が今も朽ちずに現存している時点で妙だった。しかも、その封印魔法が古代魔法とは違うようで、現代の魔法に近い法式だという。
つまり、地下世界の時代背景とそぐわないということだ。
「動き、ですか……」
何か思い当たることがあるのか、スズコが端正な顔を少し曇らせる。妙齢の美しい女性が憂い顔で佇む姿は異性を惹きつけるものらしく、ステンドが食い入るような視線を向けながら尋ねる。
「何か気がかりがあるんです?」
微妙に敬語気味なのは同じ探索者ギルド所属で、相手の役職を慮ってのことだろう。一応上下関係は気にするらしい。
「いえ、最近魔物が活発になっているような話を聞いていますが、普段からその手の話はよくあることなので……むやみやたらに何でも結びつけて考えてしまうのは危険でしょう?」
「そりゃ、遺跡周辺の話であれば一応気には留めておくべきじゃねーかな。それより、その扉の封印は解けそうなん……デスカイ?」
素でしゃべっていたことに気づいたのか、ステンドは不自然な語尾になっていた。
「一応、その手の魔法に長けているものを同行していますが、道楽の賢者様の方が適任かもしれませんね」
「ひょっほっほっ。解錠、解呪系にはあまり自信がないんじゃ。というより、問題はその先に何が待っているか、じゃな」
「わざわざ封印しているんだから、お宝とかじゃないのか?」
「立地条件的にそれはなさそうじゃ。隠し財宝であればそもそもそんな扉で封印しておくこと自体がズレておる。何かその裏にあると明示しておるではないか」
「そうか。隠したいならそもそも扉なんて付けずに、見つからない場所そのものに仕掛けを施した方が合理的だな」
発見された扉というのは、ある洞窟の中とはいえ通路から比較的目立つ場所にあるらしい。何より、その洞窟自体がどこか周囲とは一線を画す雰囲気があるとのことだ。どういうことなのかピンと来ていなかったが、しばらく歩いて目的地に辿り着くとその意味がすぐに分かった。
「こいつはどうにも……使われている感があるな」
ステンドの言う通り、その洞窟は何者かが住んでいるかのように生活感とも言うべき空気が漂っていた。地下世界の中にあって、どこか地上の匂いのようなものを感じるのだ。長年放置されていた空気感がそこにはなかった。
続けて問題の扉の前に案内され、誰もが浮かべた一つの朧げな疑問が次第にはっきりしていく。
「……この扉、普通に使われている形跡があるように見えるのは俺の気のせいか?」
「うむ、これは扉として日常的に使用されていると見て間違いないじゃろう……あの取っ手を見よ、粗削りな形じゃが古代の造形ではない。明らかに近代の合理性を追求した形をしておる」
オホーラの言葉は決定的だった。
「やはり、これは地下世界に住んでいる人間がいるということになりますか……?」
ギルド側がクロウたちを呼んだのも無理はない。第三者の存在が垣間見える発見だ。
「逆に聞きたいんじゃが、ギルド側は他の地下世界でそのような地下の住人を確認しておるのかね?少なくともここウィズンテ遺跡では、まだそのような報告はないはずじゃ」
その疑問にスズコは沈黙で答えた。機密保持の原則があるため、他の古代遺跡の情報に関しては所有者の許可がない限りは何も言えないのだ。しかし、否定しないことが一つの返答であるとも取れる。
「……とにかく、先を確かめなきゃな。解錠できそうか?」
同行している探索者の一人が頷いた。
「封印魔法そのものはたいしたものじゃありません。ただ、その先に更に罠が仕掛けられている可能性もあるので、一旦下がっていてもらえますか?」
「更に罠っていうのは?」
「二重三重のトラップってのが結構あるのが古代遺跡なんだわ。封印魔法だけだと思って魔法士が解いてみると、それをトリガーに物理的なカラクリが起動するとかってのはわりと多い。厄介なのは、その手の仕掛けは解いてみないと外側からじゃさっぱり見破れないって点だ」
「それだと、絶対に二個目だか三個目の罠にかかるって話にならないか?」
ステンドの解説に眉を潜めるクロウ。
「そいつを瞬時に交わすか、途中で無効化するように動くってのが先導者の腕の見せ所ってやつだよ。大丈夫、ソージは罠師としても超一流だ。なんとかしてくれるだろーよ」
同じ先導者であるステンドのお墨付きであれば安心だ。
一行が固唾をのんで見守る中、そうしてその扉は開いた。警戒していた攻撃性のある罠は特にはなかった。
そして広がる光景を見て、クロウはまた一つ厄介事が増えたことを確信した。




