5-8
「俺はロウ=タイゼル=シーリッジ……ロウ=タイゼル……」
何度かその名を繰り返す。
それがクロウの新しい貴族としての名だった。仮初とはいえ、人前で名乗ることになるのでとっさに言えなければおかしい。その他の大雑把な経歴も詰め込まれた。身分詐称というのも楽ではないと思い知る。クロウとロウでは安直すぎる気がしないでもないが、変えすぎるととっさに出てこないという配慮だ。他は別人のものから拝借している。
(三つも名を持つ意味があるのかえ?)
ラクシャーヌは呆れたように言う。災魔には理解できない概念なのだろう。
「俺もそう思うが、貴族や王族のしきたりとして、個人名、家族名の他に冠名がいるらしい」
(その最後のものがよく分からぬ。魔族には確か、名誉ある権威としての氏族名はあった気がするが、それだけで十分であろ?)
「魔族にもあるのか?多分、それに近いもんみたいだぜ。国によって違いはあるみたいだが、冠名ってのはその地域での役職名だとか、功績を称える証のような意味があるらしい。特に歴史ある王族とかは血筋が変わっても冠名は引き継いで、その国の最高権威を表わすことになるとか、そういうことみたいだな」
(ふむ?ならば、家族名とやらはやはりいらぬのではないか?)
「いや、結局そんな大層な冠名ってのは少数だろうから、単なる一族を表わす方もいるって話だろうよ。というか、この皮ベルトが落ち着かないんだが、本当に必要なのか?」
クロウは数歩後ろをついてきているウェルヴェーヌに問いかける。
「当然です。貴族として最低限の嗜みですので、外すことはなりません」
現在のクロウは膝上辺りまで丈のある紺色のチェニックを腰に巻き付けた皮ベルトで固定した服装だ。貴族の正装であれば上着も必須ではあるが、さすがにそこまでは堅苦しいので省いている。いつもの平民のような地味なズボンとシャツという着流しスタイルは禁止されてしまった。鮮やかに染めた衣服というのは、一目見て身分が高いものだと分かる上で重要な役割を果たすらしく、偽装の一環で絶対に譲れないと力説された。
「……着てる者で判断するとか、それこそ詐欺師の手口な気がするけどな」
「何を言うのですか。高価な服を用意できるかどうか、その装飾や着こなしを知っているかどうかで真価が問われるのです。付け焼刃の似せた格好ではすぐにボロが出るという意味でも、こうした様式は重要なのです」
そう言われると確かに意味はあるのかもしれない。
「けど、俺は貴族の礼儀とか作法とかまったく知らないぜ?」
知識としては出てくるかもしれないが、実践となると別物だろう。
「そこは田舎貴族ということで逆に侮られていい箇所かと思います。信憑性も増して油断させるのに好都合かと。とはいえ、最低限守って頂きたいことはありますので、しっかりと覚えてくださいませ」
「なに?今から覚えるのか?」
拒否権はクロウにはないらしい。前任の領主は俗物ではあったが腐っても貴族社会経験者だったようで、その使用人を務めていたウェルヴェーヌの知識は過不足なかった。道中でみっちりと伝授されながら、やがてクロウは迎賓館に到着した。
「では、私はここまでですので、後はしっかりとお願いします」
ウェルヴェーヌは領主の屋敷の使用人という立場なので、現在のクロウことロウ=タイゼル=シーリッジという貴族に付き従っているのはおかしくなる。常にエプロンドレスのメイド姿であることが広く知れ渡っているせいだ。ならばメイド服を着替えればいいと思うのだが「それはあり得えませんね」と笑顔で否定されたからには、無理強いはできない。かといって貴族が護衛や供を連れずに歩き回っているのも少し不自然だということで、イルルがいつもの灰色の道着ではなく執事服風味のものに着替えていた。
「……良いように使われ過ぎっす。拒否権を求めるっす」と本人は嫌がっていたが、ミレイ会長のお墨付きな上に本家の執事であるノーランから手ほどきも受けさせられていたので、偽物貴族のクロウよりそれっぽく出来上がっていた。口調だけはどうにもならなかったが、それ以外はしっかりと貴族のクロウを引き立てている。
相変わらずの存在感の希薄さはあるが、意識的に表に立つようにしているせいか、見失うようなことはない。
(わっはっはっ、では化けの皮を剥いでやるとしよう!)
なぜかノリノリのラクシャーヌは、ネーレ王ワゼルを完全に悪者だと断定しているようで殴り倒す勢いだった。
数々の不安を抱えながら、クロウは目的の部屋の扉を叩いた。
連絡は滞りなく行き届いており、その居室に招かれたクロウとイルルは、窓際に立つ青年と対峙することとなった。
「これはようこそおいでくださいました。私がネーレ王国第二代国王、ワゼル=クレメン=モイミールです。以後お見知りおきを」
優雅に軽く腰を折って挨拶される。礼としては至って普通の様式のようだ。ウェルヴェーヌ曰く、各国で礼儀作法については違いがあり、おおまかなところを即席で叩きこまれていた。今回は特殊な例には当たらなかったらしくほっとする。
「ああ、こちらこそよろしく頼む。俺はロウ=タイゼル=シーリッジだ。見ての通りの田舎貴族なんで礼儀作法については気にしないでくれると有難い」
「もちろんです。こちらも堅苦しいのは苦手でね。お互い、気兼ねなく話そうではありませんか」
いかにも人の好さそうな笑顔を浮かべた青年は、王というより王太子のような若さだった。見るからに上等な服を着て高価そうな指輪をはめているが、決して派手過ぎない控え目な装飾で嫌味はない。栗色の柔らかそうな髪は手入れが良く行き届いており、前髪の両脇を編み込んだ凝った髪型だ。なるほど、こういった手の込んだものは確かに平民には不可能だろう。
「こちらは私の護衛兼相談役のヤスパスです。そちらも従者が一人ということで、この四人での会談ということでよろしいかな?」
ヤスパスと紹介された男は寡黙なのか、黙って一礼して声は発しない。ただ、その眼差しはクロウたちを見定めるかの如く鋭かった。
「…………」
と、しばし沈黙が降りる。
クロウは向こうが何か話の切り出し方を迷っているのかと思って待っていたが、後ろに控えていたイルルが背中をこづいてささやく。
「……主、自分の紹介をしてくれないと話が進まないっす……」
「ああ、そうか。こっちのやつはイルルだ。従者みたいなもんだな」
その場にいる以上、身分が低くとも名乗り合ってからではないと始まらないらしい。そういえば、そんなこともウェルヴェーヌが言っていた気がする。やはり付け焼刃では覚えきれていないようだ。
「なるほど。では、そちらの席へどうぞ。調査権のことで結果が出たと思っても?」
椅子に腰を下ろしながら、早速ワゼルが本題に切り込んでくる。無駄話をするつもりはなかったので、クロウも即答で返す。
「ああ、進捗状況の報告だ。正直、まだ決めかねてるってのが本音だ」
「まだ……ですか。何か引っかかっていることがおありなようですね?いいでしょう……その話をする前に一つ、ロウ殿の立場を明確にして頂けますか?ベリオスの町の貴族だということは分かりましたが、実際の権限や役職についてはどのようなものを持っていらっしゃるので?」
そういえば自己紹介時に言ってなかったな、とクロウは思い返す。名前と一緒に告げるように言われていた気がする。完全に抜けていた。
「ああ、すまない。言い忘れていた。俺は言わば町の裏役担当だ。政に対して表での発言権はないが、その前段階の裏取り調査担当と言えば分かってもらえるか?」
「ほぅ……これは驚きました。実に正直な物言いですね。要するに、裏の交渉役だと?」
「そんな感じだ。既に察していると思うが、あんたらの目的がどうにもはっきりしないから直接訊きに来た、そんな風に思ってくれていい」
真正面から直球で投げ込むと、ワゼルは先程の言葉通り本当に驚いたように目を丸くしてから、愉快そうに笑った。
「ふふふ、これはまた単刀直入ですね。仮にも一国の王に対して、そこまで堂々と疑いの目を向けていると断言するとは……我が国を大分低く見積もっておられるのか、少々無礼ではないでしょうか?」
ワゼルの声に少し力がこもる。穏やかな物腰は変わっていないが、その後ろに控えているヤスパスの雰囲気が剣呑なものにがらりと変わった。返答次第ではただではすまさないといった示威だろう。イルルも反応して臨戦態勢に入りそうになるが、クロウはそれを抑える。
「身構えないでいい。そっちも不快に思ったなら謝ろう。べつにあんたの国をなめているというわけじゃない。ぶっちゃけ、どこに対しても同じだから気にしないでくれと言えばいいか?それでも力比べをしたいならそれはそれで受けてもいいが、時間の無駄だとだけは言っておく」
初めから下手に出ようとは思っていない。クロウは穏便に事を運べなくてもかまわない気概でここに来ていた。大人しくさせてから話すという選択肢も視野に入れている。ラクシャーヌのように最初から好戦的ではないが、場合によってはありだというスタンスだ。
この挑発的な言葉に場の雰囲気が更に緊張感に満たされる。ネーレ王国側はどう対応するのか、ワゼルの護衛だというヤスパスは今にも飛び掛かって来そうな気配もある。
しかし。
「……なるほど。単なるはったりだとは思えませんね。そちらのイルル殿も手練れな様子。ヤスパス、あなたも控えてください。ここでやりあってもあまり得はなさそうです」
長い息を一つ吐いて、ワゼルはたやすく退いた。
と、思った刹那。
ワゼル自身がクロウの横手から突然現れて喉元にナイフを突きつけてきた。
「油断大敵というやつで――ぶぁっ!!!?」
最後までいうことなく、ネーレ王は天井へ突き上げられていた。強烈なアッパーカットが腹部から全身を押し上げて上昇した形だ。
本人は何が起きたか分からなかっただろう。まさかクロウの内部にいるラクシャーヌが腕のみで拳を振るったなどということは、想像の埒外だ。死角どころの話ではない。
「ワゼル様っ!!?」
ヤスパスが慌ててその身を抱き起す。所詮殴っただけの一撃だ。たいしたことはあるまいとクロウは思っていたのだが、イルルがそっと耳打ちしてくる。
「主……今嫌な音がしたっす……どこかの骨折った気がするっす」
「マジで?」
(わっはっはっ!加減をしてやったのに弱っちいのぅ。王なのに耐えきれなんだとは、情けない)
耐久性に王という身分は関係あるのだろうか。何にせよ、仕掛けられたから対応しただけだ。こちらに非はない、はずだ。どこぞの王を怪我させたとしても。
「悪いな。無意識に反応したみたいだ。怪我はないか?」
明らかに苦痛に顔を歪めながらも、ワゼルは気丈にも「ええ、大丈夫です」と席に戻った。なかなか根性があるようだ。治癒士の手配でもするようかと思ったが、必要なさそうだった。
「軽い冗談のつもりだったのですが……この場においては何をされてもしかたがありませんね。お気になさらず……」
苦笑しながら軽く息を整えると、ワゼルは仕切り直しとばかりに顔を上げた。イルルの見立てが確かならばどこか内部を傷めたはずだが、それをおくびにも出さずに続ける。
「いや、想像以上に鍛えているようですね。正直、何をされたのか分かりませんでした。とにかく、先程の軽率な行動は謝罪します。不適切な冗談でしたね」
軽く頭を下げるワゼル。方向転換することにしたらしい。
クロウの見解では、さっきの行動は本気でこちらを襲いに来ていた。あのまま力技で押し通すことも視野に入れていたはずだ。だが、あっさりと不可解な方法で跳ね返されて慎重になったと見るべきだろう。臨機応変に対応している、そういう印象だ。
「一国の王の冗談としては、あまり笑えないな。なんにせよ、ほどほどにしないと従者の胃が持たないんじゃないか?」
そこには先程の剣呑な雰囲気とは違って、少し動揺したヤスパスの姿があった。おそらくワゼルの身に何が起こったのか今も理解できずに混乱しているのだろう。護衛として相手の動きが分からないというのは致命的だ。いざというときに守ることができない。クロウたちの実力を見誤ったことに気づいたということだ。
「ふふふ、これはとんだ醜態を見せてしまいましたね。重ねて謝罪しますが、そろそろ本題に入ってもよろしいですか?」
ワゼルは完全になかったことにしようとしているが、クロウは黙ってそれに乗る。少なくとも強引な手はあきらめたようなのでよしとしよう。
「ああ、そのために来たんだからな」
「感謝します。では、改めてお尋ねしますが、我が国が調査権の購入にふさわしいか否か、未だ判断がつきかねているということですね?その理由として、こちらの目的が分からない、そういうお話でしょうか?」
「間違いない。気を悪くしないで欲しいんだが、ネーレ王国はそれほど名が知られた国じゃない。資金とかの条件は満たしていても未だ信用がないってことだ。金があるからってどこにでも転移魔法の調査をさせた挙句、悪用されたとなるとウチの沽券にも関わるんでな。最低限の判別は必要だ。理解はしてくれるだろ?」
「ええ、理解しています。だからこそ、おとなしくここで待っているのですよ。けれど、一体何をもってして、我が国が邪な考えを抱いていないと証明すればよいのでしょう?建前と本音のように何事にも裏表がある以上、それを完全に示すことは不可能かと思います」
「ああ、だから直接俺が訊きに来たんだ。何が目的なのかと」
「ふむ?直接訊けば分かると?」
「少なくとも、嘘つきかどうかぐらいの基準は見えてくるさ。悪い嘘って意味でな」
「……なるほど。だからこその裏の担当役なんですね」
ワゼルの理解は早かった。ここで下手な嘘でごまかすようであれば、ネーレ王国に調査権が売られることはない。真偽を見定める能力がクロウに本当にあるのか、そこを踏まえながらどういう対応をするのかが問われている。
クロウは何も言わずにワゼルの言葉を持つ。初めから変わらない態度だが、互いの立場は既に違っている。ネーレ王は完全に受け身で試される側になっていた。長考することも考えられる状況だったが、ワゼルは意外にもすぐに腹を決めたようだ。
「分かりました。こうなればこちらも襟を開いてお話ししましょう。我が国の目的は調査権による転移魔法の解明はもちろんですが、それよりも地下世界の探索にこそあります」
「地下世界?何が見つけたいものでもあるのか?」
「ええ、ですが、今はまだ言えません。いずれにせよ、地下世界は今やどこも大国や探索者ギルド管轄によって認可制で、我が国のような小国の出る幕がありません。私は自ら手勢を率いて探索を自由にしたいのです」
「ん……自分でやりたいってのは、例えばS級探索者を雇うとかじゃダメってことか?」
「そうです。雇用関係では絶対的な信用がおけません。自分自身でどうしても確かめて調べたいことがあるのです。しかし、そのための手足となる熟練探索者や信用できる者は片手ほどしか用意できませんし、申請が通るかどうかも怪しい。なので、今回の地下世界にある転移魔法陣の調査という名目で地下世界に行けるならば、後はどうにかなるかと……大分明け透けに言いましたが、これが今の私の誠意であり本音です」
「……そうか」
確かに相当率直な言い方ではあった。転移魔法の究明よりも地下世界に興味があるということは、何かしら旨味のあるネタを持っているのだろう。それを打ち明ける気はないだろうが、その目的に嘘はないように思えた。大分粗削りな計画なことも逆に信憑性があると言えばあるように見える。
「本音は分かったが、たとえ調査権を買っても地下世界を自由に探索できるってことにはならないぜ?基本的にあそこは危険だから、調査隊の活動範囲は結界内のみって決まりだ。一応探索者ギルドの方で守備隊みたいなもんも組んではもらっているが、常時ってわけじゃないし救援も可能な限りって制限つきだ。要するに、結界外でどうなっても責任は取らないって話だ」
「それは裏を返せば、自己責任であれば転移魔法陣の外を調べてもいいということかな?」
「罰則までは課してはないが基本的に禁止だ。どこも一度は試してはみるらしいが、魔物の強さが桁違いで自然と守るようになったみたいだけどな。あと、地下世界での発見、取得物に関しては探索者ギルドがきっちり出入り口で管理してるし、所有権についてはベリオスが持つことは明確にしているから、勝手に持ち出しとかはさすがに許されないぜ?」
「もちろん、知り得た知識やモノはすべて共有するつもりだ。私はただ自分で調べて知りたい、それだけだからね」
それほどまでに知りたいものがあるということか。その熱意は本物だろう。
「けど、仮に自由に動けたとしても、一国の王様が探索とかやってる暇あるのか?今でもかなり国を空けているのに大丈夫なのか?」
「ふふふ。ここに足止めしているそちらに言われるとはね。とはいえ、このくらいで国が傾くような統治体制はしていたら、わざわざ私がやってこれるはずもない。その点は心配ご無用だ」
「……半数以上がこの訪問自体を反対していましたが……」
ヤスパスがぼそっと不満を呟いた気がしたが、ワゼルは知らん顔で続ける。
「とにかく、そういわけで我が国は邪な考えを持ってはいない。最上級の古代遺跡の地下世界を調べられる機会は他にないんだ。是非とも、調査権を売って頂きたい」
途中から熱のこもった声で押され気味だったクロウは、この辺が潮時だと悟って席を立つ。
「言い分は分かった。今回の話は一度持ち帰らせてもらう。ただ、今度のはそんなに時間がかからないはずだ。そっちの本来の目的は分かった。表立って支持することはないが、何が何でも禁止ってわけでもない。その辺りを含めて上に報告はしておく。個人的にはアリだと思わなくもないしな」
「では、ロウ殿は賛同して頂けると?」
「いや、過剰な期待はしないでくれ。俺は独断と偏見で意見をあげるだけで判断するのは上だからな。けど、最後に一つだけいいか?」
「なんなりと……」
思い出したような質問を帰り際にして、クロウは迎賓館を後にした。
(あやつ、何か隠しておるぞよ?)
帰り道、ずっと黙っていたラクシャーヌが断言する。災魔の評価はあまり高くないようだ。
「そりゃ、誰だって何か秘めてるもんだろ。表面通りの男じゃないのは確かだが、それほど悪人って感じでもなかったな」
(人間の善悪など知らぬが、妙なマナの流れを持っていたのぅ……)
「妙な流れ?」
「主、話なら帰ってからした方がいいっす……外でぶつぶつ独り言は……」
イルルに窘められて、クロウは自分一人が声に出してしゃべっていたことに気づく。人通りは少ないとはいえ、悪目立ちするのは間違いない。
内と外で会話できるというのは便利だが、使い分けが面倒だと思うクロウだった。




