1-4
湿気の多い牢屋内での作戦会議は続いていた。
相変わらずうまく動けないままのクロウは、石棺のようなベッドの上でどうにか寝返りを打って、壁にもたれて座っているラクシャーヌに視線を向ける。
「まず、俺たちはここを出るために無罪を主張しなきゃならんわけだが……」
「無罪ではない以上、騙すしかないのぅ」
「そうなるんだよな……罪悪感があるが、まぁ、仕方ない。不可抗力だ、多分。けど、いいカバーストーリーが浮かばないな。何かあるか?」
「カバが何じゃと?」
「その河馬じゃねえよ。カバーストーリー、作り話ってこった。騙すためにはそれっぽい話をでっちあげないとダメだろ?」
「そういうものなのかえ?じゃが、わっちには無理じゃな。人間のことなどよう知らぬからな」
ドヤ顔でラクシャーヌが親指を上げる。それは人間特有のジェスチャーで良く知っているように思えたが、一理あるなとも思ってしまったクロウだ。災魔という訳の分からない存在に人間の作り話を振るのはおかしい。
何かないかと記憶を探ろうにも、まったく記憶がないことに気づいて嘆息する。作り話で想起されるものは何もなかった。具体例などが欲しかったが、自分の脳内のデータベースすらまったく把握できていないのは困りものだ。
「作り話はよう分からぬが、いざとなればこんな壁など叩き壊し、逃げ出せばよかろう。どうせ囚人扱いならば、堂々と正面から逃げるのが正攻法というものじゃろ?」
「正攻法の意味がいろいろ間違ってる気がするな。ってか、お前の災魔としての力はどうなってるんだ?今でもあのヤバい魔法みたいなの使えるのか?」
「わっちの力か?ふむ……どうにも本来の100%というわけにはいかぬようじゃが……脆弱な人間よりは遥かに強いじゃろうな。ただ、エネルギーがおぬしの血であるからして、上限値はその辺りが関係するのではなかろうかのぅ」
「なるほどな、確かに供給源の俺の限界値がそのまま直結しそうだ。けど、待てよ。その理屈で行くと、お前が暴れて何かを消費すると、俺が補填しなきゃいけないわけだから……お前、できるだけ省エネで生きてくれ、マジで」
「ショウエネ?」
「効率よく控え目に生活しろってことだよ。なんか、時々俺の言葉が通じないときがあるな?俺が転生人だから、こっちの世界では使わない言い回しとかそういうことなのか」
「あるいは、わっちの人間の知識が足りないだけか。それにしても、おぬしがまともに動けないことにはどうにもならぬな。回復するまで何もすることもなさそうゆえ、とりあえずは寝るか」
「寝るなっ!まだまだ考えなきゃいけないことがいっぱいあるだろうがっ!」
「なんじゃ、わがままじゃのぅ……何を考えるというのじゃ?」
その場で横になろうとしたラクシャーヌが、面倒くさげに身体を持ち直した。牢の中で雑魚寝しようとしするその胆力は買うが、清潔に思えない岩の床はどうかとも思う。
「今後のお前の扱いだ。よくよく考えるとお前の見た目は完全に人間じゃないだろ?不審に思われなかったのはそういう人種がいて……ああ、亜人っていうのがいるのか」
ラクシャーヌの外見は人間の肌とは違って毛で覆われた部分があったり頭に耳があったり、額に角があったりする。明らかに種族が違うわけだが、この世界には亜人という人型の種族がいる。一般記憶から知識が引っ張り出され、犬族、シーナ族とも呼ばれる亜人の見た目に似ていることが分かった。
しかし、そんなシーナ族にも角はないようだ。
「その角はまずいっぽいな……さっきの警備隊のやつは、忙しくて気づかれなかったのかもしれないが……さすがにまじまじと見られたらバレるな」
「ほむ?亜人とやらには角はないのかえ?ふむ……わしの記憶にはあまりその辺のものはないようじゃ」
角に関しては、魔族には生えている記録があるらしい。魔族はこの世界では人類の敵とされているので、非常によろしくない特徴だ。
「何とか隠せないのか?」
「角をか?ふむ……やってみるか、どれどれ……とりゃっ!!!」
クロウとしては何気なく言ってみただけだが、ラクシャーヌが気合いのかけ声と共に力を込めると、額の角が引っ込んで見えなくなった。
「できるのかよっ!!!?」
「むむ?額が涼しいな。引っ込んだのかえ?」
「お前の身体、どうなってんだよ……」
「知らぬ。まぁ、できたならよかろ?わっはっはっ、これで安心じゃな」
「確かに……それじゃ、とりあえずお前は亜人のシーナ族ってことで、俺との関係を詰めるとするか……」
どこか納得のいかない気持ちを抱えながらも、クロウはラクシャーヌを恩人から頼まれて預かっている子供という設定にすることにした。転生人なので遠い親戚などの言い訳が通用せず、亜人というのは人とのハーフがいないわけではないが希少らしいので、直接の知り合いの娘やら何やらにするとややこしくなると判断した。それでもハーフなのは、純粋なシーナ族とも違った外見であることの理由付けのためだ。
亜人はこの世界では人間と共存しているものの、圧倒的に数は少なく、国によっては差別を受けたり人類より下等生物とみなされることもあるらしく、地域で扱いが異なるようだ。この町ではどうなのかまだ分からないが、トッドの反応を見た限りでは嫌悪感を抱いているようにも見えなかったので、大丈夫そうではあった。
「ほぅ、亜人のシーナ族かえ?犬っころと同じというのになんとなくモヤモヤするが、まぁ、よかろ」
どうにも当人がその亜人に対して差別意識があるような気がするが今は置いておく。
「じゃあ、恩人ってやつの設定だが……ある程度濁すことにしても、名前は必要だな。けど……何も浮かばねえ。こういうとき、過去の記憶から何も引っ張ってこれないのは不便だ」
「名前かえ?ならば、スパパビビバじゃ!」
「は?すぱ……何だって?」
「スパパビビバ!何やら高貴な名前が浮かんだのじゃ、どうじゃ?」
「いや、どうだと言われてもおかしな名前だとしか思えないんだが?」
「何じゃと!?わっちの崇高なる主に対して――あるじ?」
ラクシャーヌは自分の発した言葉に首を傾げた。
「はて……その名は軽々しく使ってはならぬようじゃ。無意識に立ち昇った名前じゃが……人間ごときには畏れ多い。よう思い出せはしないのじゃが、胸の奥に畏敬の念が湧き上がってくると同時に空恐ろしい何かも感じる……あまり触れぬ方がよい気がしてきたぞ」
「何だ、お前にとっての神みたいなもんか?」
「カミ?何じゃそれは?」
「え?神とか仏とか、そういう概念はないのか?人より上位存在みたいな……」
そこでまたもやクロウの脳裏に想起されるものがあった。そう言えば源導者という情報があった。この世界を司っているとされる存在で、三人――単位は何故か人らしい――いるようだ。逆に、神というものは存在しないらしい。この辺りの元の世界とこの世界との常識の差が判然としない。自身の記憶から参照している自覚がないからかもしれない。
「こっちだと源導者ってやつみたいだな」
「なるほど、それならば分かる。じゃが、わっちにとってはおそらく人間が抱く感情とは別物ではあろうがの。いずれにせよ、スパパビビバ様はそういうものではないようじゃ」
しっかりと様付けになっていた。ラクシャーヌは災魔なので、やはり人間とは違うものが多々あるようだ。それにしても、神という概念もまた馴染みがあるようでないな、とクロウは思った。先程のラクシャーヌ同様、自身にも無自覚、無意識について出る言葉や概念があり、元の世界の知識というのも残っているのだと感じる。
「まったくややこしい……」
思わずそう呟いたとき、何やら外が騒がしくなった。
現在地は地下牢だ。階段から誰かが下りてくる足音と共に、どこかで聞いた声が響いてきた。
「だから僕は正しかったじゃないか!いつまでも認めたがらないあのバカ領主はもうダメだよ。実際、こんなときだってのに逃げ出そうとしてたって話じゃないか。とんでもないクズだね。そもそも、僕の占いを信じなかった時点でもうダメダメなわけだけどさ。まったく、見る目がなさすぎて本当に嘆かわしいよ」
「分かった、分かったから、少し静かにしてくれないか?あんたときたらその調子でずっとしゃべってばかりじゃないか。占い師というより、弁舌家に思えてくる」
「ああ、良く回る舌だって師匠にも褒められてたよ。別にうるさくしてるわけじゃないんだ、ただ、ちゃんと話さないとなかなか人は分かってくれないからね。ほら、今回のようにさ。人間、人の話はしっかりと聞いて正しい行いをすべきなんだよ。君もそう思わないかい?」
「ああ、ああ、そうだな。っと、着いたぞ。それで、本当に彼を知っているのか?それに、今回の件に関連するって――」
声が一層近づいて来たところで、一際大きな「あっ!!」という叫びが辺りに木霊した。小走りに鉄格子へと駆け寄ってくる人影がひとつ。
「やあやあ、やっぱり君じゃないかっ!ほら、僕の言った通りだったろう?ここに手違いがあるって僕には分かっていたんだ。何より彼こそがこの町を救った立役者だよ。こんなところに閉じ込めるのはひどい間違いだ。さぁ、今すぐ出してあげなよ、ほら、早く早く!」
「なんじゃ、この騒がしい男は?」
ラクシャーヌが胡乱な目で見ると、初めて気づいたように茶髪の青年が「うわっ」と声を上げた。
「あれあれ、こっちの亜人の子供は何だい?こんな田舎には珍しいね。というか、なぜ彼と一緒に?」
「ああ、それも不明だ。自分が見つけた時には二人一緒で、その、なぜか真っ裸だったんでな。何かおかしいと思ってとりあえず拘束したってわけだ。というか、この話は既にしたはずなんだが?」
「ははは、もちろん聞いていたさ。ただ吹き抜ける風の如く通り抜けていただけだね。それはさておき、ねえ、君。あの時、上空に舞い上がったのにどうして無事なんだい?実は前人未到の飛行魔法でも編み出したのかい?いやいや、そういえば君は特殊技能持ちかもしれなかったね。というか、今よく見たらやっぱり転生人じゃないか。つまり、これはまたしても僕が正しいということだ。いやぁ、自分の才能が恐ろしいね。どうだい、トッド君、そろそろ素直に認めたらどうだい?」
ぺらぺらとよく回る舌を持つ男は、数刻前まで瓦礫に挟まっていた例の青年のようだった。確か名前はテオニールとか言っていたように思う。数少ない自分の記憶だと、クロウは妙な感慨を覚える。
長髪で前髪の両端を特殊な編み込みをして垂らしているのが特徴的だ。童顔で柔和な顔つきだが、その薄緑の瞳は純粋な輝きというより欲望が混ざり込んだような光が宿っているように見えた。旅人風の服装をまとい、使い込まれたマントには特徴的な刺繍がされていて、それなりに高価そうだった。
「どうも何も、結論が早すぎるだろう?彼が転生人なのは、装石がない時点で分かっていたことだし、それもあってここに入ってもらっていたんだ」
答えたのは警備隊のトッドだ。こちらも使い古された皮鎧を着込んだいかにもな格好で、先程よりも疲れて見えるのは町の救助活動をしていたせいだろう。
「まだ認めないのかい?なかなか強情じゃないか、君も!いいかい、彼は災魔の魔法を見ていたんだよ?そして、その中心に向かって飛んで行ってそれを止めたんだ。彼以外に、あれに近づいた人が誰か他にいるのかい?」
「その魔法とやらを見れた人間があんたを含めていないだろう?仮定で話を進められても困る」
「何じゃ、こやつら、ここからわっちらを出すかどうかの話をしているのかえ?」
ラクシャーヌは二人に興味を持ったのか、その場から立ち上がった。
「そうみたいだが、生憎とこっちの準備ができてないな。だいたい――」
普通にラクシャーヌに返事をしたクロウだが、はっと気づいて言葉を止めた。ラクシャーヌの声はクロウにしか聞こえていない。だとすれば、今の受け答えは奇妙な独り言にしかならないはずだ。
案の定、青年が尋ねる。
「んん?今のはどういうことだい?何かそこの亜人の子が奇声を発してたけど、彼女はもしかしてまだ言葉を話せないのかな?いや、でも、だとしたら、今さっきのは会話のような流れだったよね?あれ、あれ、おかしいな?君、さては亜人の言葉が分かる特殊技能持ちなのかい?」
ラクシャーヌの声は、他の者には奇声に聞こえるらしい。と、そこでまた気づきがあった。ラクシャーヌも思い当たったのか、
「のぅ……わっちの声が届かぬのなら、先程の設定云々はおぬしのみが勝手にでっちあげればいいものではないのかえ?わっちと合わせる必要性がない気がするぞえ?」
まったくその通りだな、とクロウは心の中で頷いた。その可能性に気づいていたのにすっかり忘れていた。亜人が言葉を話すのかどうかも、自分の知識では判断がつかないことにも思い当たった。今の青年の言い方だと亜人の言語はあるようだが、理解するには特殊技能がいるという風に聞こえた。
そうなると、今度はラクシャーヌの言葉を解することを特殊技能のせいにしていいのか判断がつかない。転生人の特殊技能というのは、基本的に一人につき一つというのが普通で、稀に二つ持ちもいるようだが100年に一人レベルのレアケースのようだ。そもそもの話として、特殊技能を他人に口外してもいいものかどうかも微妙なところだ。
考えることが多すぎる。
「ふーん、そこはだんまりなのかい?まぁ、特殊技能を素直に言ってしまうのも何か違うかもしれないね。いいね、謎多き男、僕は嫌いじゃないよ。だけど、そうだね、確かにあの魔法云々を他の誰かに証明してもらわないと、僕の主張の正しさが伝わらないか。ここで退くわけにはいかないな。ねぇ、トッド君。この町で一番の魔法士は誰だい?きっとその人なら、あの魔法を見ていたに違いないと思うんだ」
「一番の魔法士?どのくらいのものを期待しているか分からないが、ここは辺境の田舎だぞ?高名な誰かを想定しているなら、すぐにあきらめた方がいい。けど、そうだな。自分が知る限りですぐに思い当たるのは、領主様の側仕えにいるニガロさんか、町外れのフィーヤ婆さんかな。警備隊の同僚では……もういないだろうしな。真偽は不明だけど、昔はどこかの国の宮廷魔法士だったって噂だ」
「ああ、領主側はダメだよ。今回そこを追い払うために動いてるんだからね。この僕を信用しなかった罰だ。きっちり償ってもらわないと。でも、そうなるとその胡散臭い婆さんになるのか……いや、でもなぁ、信用できるのかい?噂になるほどなら、一応何か信憑性のある実績とかはあるってことかい?」
「うーん、どうだったかな。それこそ、占いが当たったとか、誰それが魔法を教わったとか、そういう類の話を聞いたような……」
「ええ!?全然当てになりそうにないじゃないか!」
「いや、あんたこそ占い師じゃないのか?」
「僕レベルの占い師なら信用できるけど、滅多にはいないものだからね。詐欺師ならどこにもでもいるけど」
「そう言われてもな……それより、あんたが確信を得てても証明ができないなら、やっぱりここに来た意味はないようだ。まったく、こっちも暇じゃないんだ。これでもうわがまま言うのは勘弁して欲しいな。他にすべきことが山ほどあるんだ……自分ごときが対応すべきじゃないのに、本当に困ったものだよ」
トッドは深いため息をつく。
「いやいや、あきらめないでくれよ。その領主がクソだから今、君も大変なことになってるんだろう?現に、未だにあいつらはまともに対応してない。あんなのが居座ったままだと、この先もろくなことにならないよ」
「それは……まだ事態の収拾に手間取っているだけなのかもしれない……」
「ないない、それはない。よくないよ、トッド君。現実から目を背けたらだめだよ。領主失格をここでしっかりとつきつけて、この……ああ、そう言えば、君、名前は何だっけ?」
良く分からない話が勝手に進む中で、クロウは急に問いかけられる。
「いや、お前がまず何者なんだよ、って話なんだが?」
「何だって?この稀代の占い師、テオニィールの名を忘れたっていうのかい?それはあんまりないじゃないか、友よ!」
「誰が友だよ?少し話しただけだろ。それはともかく、そう言えば占い師だって言ってたな、テオニールって名前は何となく覚えていたんだが……」
「テオニィール!!テオニールじゃないよ、間違えないでよ!?」
発音にはこだわりがあるようだ。すぐさま突っ込まれる。その勢いに感心しつつも、クロウは気になったことを尋ねる。
「それで、さっきから何の話をしているんだ?俺をここから出してくれるのか?」
「ああ、それだよ!僕の推測が正しいなら、いや、きっと正しいに決まっているんだけどね。君があの災魔を倒したんだから、こんなところに閉じ込めておくべきじゃないって話だよ。ベリオスの町は壊滅的ダメージを受けたんだ。一刻も早く復興に着手しなきゃならないのに、その牽引役がいま行方不明というか、雲隠れしているというか、いや、これもきっと当たってるよ。絶対にあのクソ領主はもう逃げてるんだ。うん、そうに違いないよ」
「いまいち話が見えないんだが、その領主云々の話は俺がここから出ることに何か関係があるのか?いや、そうか、その許可が出せるのがその領主ってことになるのか……?」
「そうじゃないよ!いや、そうだけどもそうじゃないんだ。僕の計画ではそうじゃなくて……ああ、色々説明が面倒だよ。とにかく、そのフィーヤ婆さんに期待をかけようか」
テオニィールの言葉はもはや説明放棄だった。クロウには話が見えてこない。
「この騒がしい男の声はどうにも、子守歌のように聞こえるのう……それにわっち、一つ思い出したことがあるぞ?」
ラクシャーヌが不意にとことことクロウに近づいてくる。
「な、何だ?」
満面の笑顔が張り付いたその顔を見て、クロウは何やら嫌な予感がする。本当なら後ずさって逃げたいところだが、あいにくと身体はまだ動かない。
「わっちの寝床はおぬしの中が最適だということじゃ」
「はぁ?どういう――」
そして、ラクシャーヌはクロウの身体の中に吸い込まれていった。否、その顔だけがまだ腹の辺りから突き出ている。
「わっはっはっ。単純に考えれば当然よのう。おぬしからしかエネルギーを得られないのなら、当然おぬしに入っていれば一番の最適解じゃろうて。実に合理的じゃ」
本当にそうかと思う以前に、他人に入るという発想は普通にありなのかどうかが問題だ、と思わずにいられないクロウだった。