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「なんで貴様がこんなところいにいる!?」
「いや、たまたま通りかかっただけだが?」
「そんな偶然があるかっ!バカかっ!?」
クロウはなぜか怒鳴られていた。一応、命を救ったはずの本人からどうして罵られないといけないのだろうか。
目の前の謎の槍使いを斬り捨てながら、やっぱり悪い予感は当たっていたと思った。
遡ること数分前。
暴走した魚に乗ったネージュを追って坂道を追走してきたところ、前方に見るからに怪しい武装集団を見つけた。
絶対に関わり合いになりたくはなかったが、自分の警備隊特別主任がそこへ突っ込んでいって何人かを上空に吹き飛ばしたとあっては、見て見ぬ振りはできない。というより、山道は一本道なのでネージュを追うには避けようがなかった。
嫌々近づくと、その集団はどこかの馬車を襲っている最中のようで、益々ろくでもない状況だった。
そして、当然のように気づかれて誤解された。
あの暴走した魚のような何かのすぐ後に現れたのだ。仲間か何かだと思われても仕方がない。
向こうもネージュたちに乱入されて混乱していたのか、いきなり攻撃してくるという暴挙に出てきた。降りかかる火の粉は払わねばならない。クロウはあまりやる気がなかったのだが、ネージュのはしゃぎっぷりを見ていたラクシャーヌがあてられたようで、すぐさま飛び出して魔法を放ったものだから全面交戦やむなし、という状況に突入した。
もう介入するしか残された道はなかったので、襲われている馬車の方をとりあえず助けようと動くと、あろうことかその馬車へとネージュが魚と突っ込んでいった挙句、どこかへ飛んで行った。人は空を未だに飛べないが、短期間なら跳べるということを学んだ。
本当にあの赤毛は何をしているのか。
停車していた馬車はその突撃に驚いたのか、あっという間に走り去っていって止める暇もなかった。
そうして馬車周辺が明瞭になった視界に、なぜか見知った顔がいた。一人は交戦中でもう一人は地面に倒れていた。明らかに劣勢だった。こんな場所にいるはずがない人物だったが、幻ではない。存在しているのは確かだ。
とにかく顧客は救わねばならないと、クロウは良く分からない戦闘に分け入ったのだった。
「とりあえず、しのいだか?」
混戦を制して敵を斬り伏せたクロウが問いかけると、そこに目当ての女はいなかった。
「姫様!姫様、大丈夫ですか!?」
地面に横たわったままの金髪の女に駆け寄っていた。控えめながらも豪奢な衣服を着たその者こそ、ニーガルハーヴェ皇国の第一皇女エルカージャであることは間違いなかった。どうしてこんな山道にいるのか不思議だが、合点がいくこともある。
先程までの襲撃者は、王族暗殺を目論む輩だったということだ。渓流沿いで勝手に通行止めしていた連中もぐるに違いない。相当、用意周到な計画だったのだろう。
お家騒動というやつだろうか。どう考えても厄介事なので、関わりたくはない。
傍らで一緒に戦っていたウェルヴェーヌに声をかける。
「よし、このまま何事もなかったかのように離脱するぞ。ネージュを回収して帰る」
「……本気で言っているのだとしたら、頭が腐っていると判断しますが?こちらの人員も負傷した以上、ニーガルハーヴェ皇国に後ほど代償金を支払ってもらう必要があります。付け加えるなら、その皇国側も甚大な被害を受けている様子。手当もせずに立ち去るのは非人道的な行いとして糾弾されるでしょう」
「うん……だよな」
ど正論で言い返す言葉もない。どう考えても逃げることはできないようだ。連れて来た他の部下も当然の如く乱戦に加わっていた。特に指示した覚えはないが、領主が突っ込んでいるのだから放置するはずもないか。
メイドの金銭云々はともかく、確かに怪我人の治療は必要そうだ。
「とはいえ、治療士はウチにもいないぞ?せいぜい、個人で持ってる薬草くらいじゃねえのか?」
「そうですね。とにかく、重傷者の選定と具合を確認するしかありません。それと、周囲への警戒も必要です。襲撃犯がまだ残っていて、再び仕掛けてくる可能性も考慮すべきかと」
「ラクシャーヌが暴れてたから、それはなさそうだが……一応何人かはそうさせておくか」
災魔はど派手な炎系の魔法で、何人かを火だるまにしていた。なかなかにえぐい攻撃魔法で、息絶えるまで全身が焼かれる様は戦意を喪失させるには十分だった。
「くんくん……近くにはあんまり生物の気配はないって思うのん」
ココも戦えるのだが今回は控えてもらっていた。代わりに、シロの魔獣としての能力で嗅覚による索敵を行ってもらっている。ココが表の状態でもある程度使えるのでとても便利な能力だ。
「そうか。なら、とりあえずは姫さんの容態確認からだな」
クロウはシリベスタのもとに向かう。息はしていることは遠目に確認していたが、どの程度の傷かは分かっていない。
「姫様、姫様!聞こえますかっ?」
シリベスタは必死に呼びかけていた。さすがに身体を揺すったりはしていない。怪我人は下手に動かしてはならないという鉄則は知っているようだ。
「で、どんな状態だ?何にやられたんだ?」
「――っ!?なんだ、貴様か……分からん。何かの魔法だったとは思うが、外傷は衣服の破れから肩の辺りだ」
こちらを振り返って露骨に嫌な顔をされる。そういえば、なぜだかやけに嫌われていたことをクロウは思い出す。理由は分からない。ずっと睨まられていた記憶がある。
「少し拝見させて頂きます。失礼……」
ウェルヴェーヌはエルカージャをそっと抱き起して容態を調べる。探索者の運用係としての鍛錬を積んだ時、応急処置術のようなものは一通り習っていた。治療士ほどの知識はなくとも、一般人よりは何をどう見るのかは分かっている。
「そっちに治療士の類はいないのか?」
「いたら、すぐに呼んでいる。今回はお忍びゆえ、最低限の護衛で警護に長けている者しかいないのだ」
「お忍び?どこに行こうとしてたんだ?」
「貴様の町に決まっているだろう!こんなことならば、何としてでもお止めするべきだった」
ニーガルハーヴェの事情など知る由はない。何を言っても不満げなので黙っていることにする。お忍びと言えばイルルを思い浮かべるが、今回は同行していない。それでもその辺からひょっこり現れそうな気がするのは、大分毒されていると思うべきだろうか。
周囲の者は完全に臨戦態勢を解いており、その場に座り込んでいるものが大半だ。相当きつい戦闘だったことが窺える。
「……クロウ様。皇女殿下はかなり危険な状態かもしれません。傷口から見ると何らかの毒を受けているように思いますが、わたしも専門ではないので確信は持てません。最悪の事態を避けるためにも一刻も早く治癒士を探すべきかと」
「治癒士、なのか?治療士ではなく?」
「毒の場合、即効性のものだと治療では間に合わない場合があります。あるいは、知識のある薬師なら有効な毒消しの類があるかもしれません」
神聖魔法か解毒草が必要だという見立てらしい。
「なんということだ……蛇毒などの毒消し草ならば持っているが、毒消しも確か複数を投与するのは危険だと聞いたことがある。むやみやたらに試すわけにもいかん」
シリベスタは青い顔で頭を抱える。
毒の場合は、何の毒なのか特定しなければ意味がない。いずれにせよ、確かな診断ができる者が必要ということのようだ。
「なら、ここから一番近くの村……よりは、下にいた商人たちの中に薬師がいるかどうかの可能性に賭けた方が良さそうだな。他の重傷者と一緒に馬で先行させるか」
「いえ、動かすと危険な方もいるかもしれません。まずは皇女殿下の方を優先し、治療士か薬師を見つけるのが良いかと」
「ああ。すまないが、馬を貸してくれ。私が行く。こちらの馬はすべて失ってしまっている」
「お前も大分ヤバい状態だろ?ここにいろ。しょうがないから俺が行ってやる」
「ふざけるなっ!貴様になど任せられ――ぐぬっ!!!!?な、何をする……」
シリベスタの言葉を遮って、クロウは近衛隊長の左胸辺りをつつく。破廉恥な行為のようだが、その意図するところは明らかだ。シリベスタの胸当てのその部分は無残に千切れ飛んでおり、地肌が露になっていた。激しい攻撃を受けたせいだろう。
「お前のその怪我も浅くないだろ。無理すんな。いつもの金属製の鎧なら守れただろうに……ああ、お忍びだから普通の皮鎧にしたのか」
「くっ……バカにするな。このくらいの傷、なんということは――」
「お前のくだらねえ意地で主を失ってもいいのか?何を優先すべきか分からないほどアホなのか?」
クロウの言葉に、シリベスタは己を恥じるように頭を垂れた。
「……姫様をどうか、お願いしたい」
「ああ。やれるだけはやる。ウェルヴェーヌともう一人くらい誰かついてきてくれ。他はここの怪我人たちを見ていてくれ。薬師があの下の連中の中にいれば連れて来る」
クロウはエルカージャを抱き上げ、ココと交代させて馬に乗る。
途中でまだ興奮状態のラクシャーヌに向かって、アテルを放り投げてネージュの保護を頼んだ。クロウの使い魔として顔見知りではあるが、言葉が通じないのでアテルが必須だった。
(わっはっはっ、わっちはいま久々に気分が良いから、頼まれてやろう。ついでに残党がいた場合も殺してやろうぞ!)
珍しく上機嫌だったので任せることにする。人を火だるまにして高揚しているのは如何なものかとは思わないでもなかったが、災魔だから仕方がない。
「あの魚は放置したままで大丈夫だったのでしょうか?」
坂道を駆け下りながら、ウェルヴェーヌが問いかけて来る。
「そういや、全然忘れてたな。なんか大人しくなってたからもう問題ないんじゃないか?」
「気絶していたみたいですが、何が起きたのでしょうね……いえ、それよりそんな適当な判断だったのですか?」
「いや、ラクシャーヌがいりゃ何かあっても平気だろ?」
「特別主任を探させに行ったのでは?」
「……ココがいるし、他の警備隊も……」
クロウの言葉は次第に弱弱しくなっていった。皇女を優先した結果、他がおざなりになったのは紛れもない事実だ。正直、深く考えていなかった。
微妙な空気の中、ほどなくして通行止めになっていた箇所に戻る。
天気はもう回復していて、少し晴れ間が広がっていた。
道を塞いでいた男たちは既にいなくなっており、商人たちがもう通っても大丈夫なのかどうか協議しているところだった。見えなくなったからと言って、また戻ってくる可能性もある。すぐに移動していいものか、といった状況だったようだ。
「おお、あんたらはさっき峠を登って行ったんじゃなかったか?もう道は大丈夫なのかい?」
クロウたちを覚えていた誰かが聞いてくる。おそらく、クロウというよりメイド服のウェルヴェーヌを記憶しているだけだろうが。
「ああ、多分大丈夫だろうけど、さっきの男たちはどうなった?あいつらの仲間が上である貴族を襲っていてな。その怪我人を治せる治療士か薬師が誰かいないか?」
「襲っていた?いや、それより怪我人ってそのお嬢さんかい?なるほど、大分顔色が悪い。おい、誰か隊商の中に薬師か治療士を連れているやつはいないか?」
話の分かる商人で、すぐさま辺りに声をかけてくれた。
そのおかげで薬草関係の荷物を扱っている商人は見つかったが、肝心の薬師は見当たらない。治療士もいたが、やはり毒に関しては、彼の魔法では厳しいとのことだった。そんな中、一人の旅人がある名前を教えてくれる。
「リドガーの旦那なら、何か分かるかもしれねえな」
詳しく聞くと、その商人は医療関係の商品を専門に扱っているらしく、薬師に近い知識があるという。是非紹介してくれと頼むと、どこかの木陰で休んでいたのを見たという話があった。特徴としては煙管好きでいつも吹かしている中年の男だという。
「……そんな奴なら、俺も見た気がするぜ」
その情報を頼りに記憶をたどると、果たしてそこにはまだ煙を吐いている商人の男がいた。木陰で雨宿りしていた商人風の中年だ。
「あんたがリドガーか?」
「ん?なんだ、どっかで見た兄ちゃんだな。確かにおれがリドガーだが?」
「緊急だ。この女の毒が何なのか分かるか?薬師がいなくて診断できないんだ」
「ほぅ……おれは確かに薬草を扱っちゃいるが、治療の専門ってわけじゃない。それでもいいなら診てもいいが、過度な期待はしないでくれよ。何も保証はできない」
「十分だ。うちの使用人の見立てじゃ即効性があった場合はヤバいって話なんだが、それだけでも分かれば助かる」
「ふむ。毒ならば当然の危険性だな。いいだろう。だが、こっちも商売でやっている。報酬はちゃんと出してくれるんだろうな?」
「当然だ。詳しくは言えないが、この女はそれなりに良家の嬢ちゃんでな。貸しを作っておいて損はないぜ」
さすがに王家の娘だとは言えない。商人であるリドガーには、それでも十分な効果があった。
「すぐにここに寝かせてくれ。ひとつ診てみようじゃないか――」
10分後。
ウェルヴェーヌが地面に敷いた敷物の上で、エルカージャは険しそうな表情で眠っている。意識が朦朧としているといった方が正しいのかもしれない。
その傍ら、助手のようなものだというどう見ても子供な少女のポンクと一緒に、リドガーは色紙を熱心に見ていた。
簡単な説明によるとその紙は毒を判別できる特殊なもので、患部に当てると色が変化してその毒の成分が分かるという。ただし、当然ながらあらゆる毒に対応しているわけではないので、判明しているものだけに反応するという。判断基準が色という特性上、境が曖昧なので慎重に見定める必要があるというわけだ。
「おれは黄色寄りの橙と見るが、どうだ?」
「そうですか?僕はどちらかというと緑黄色系寄りの黄色に近い気がしますけど……」
意見が別れているようだが、それが何を意味するのかは不明だ。
「もっと光りを上からあててくれ。角度で色がブレる気がする」
「失礼ながら、そんな精度で大丈夫なのですか?」
魔法の灯火で言われた通りに二人の背後から光を用意しているメイドが尋ねる。
「大丈夫じゃないな。この判別紙がいまいち広まらない理由もそこにある。見る奴の判断で揺らぎが出るからな。とはいえ、何もないよりは遥かに特定がはかどるのは確かだ。大分類としては役立つ……だが、今回に限っては、少し厄介だな」
「そうですね……僕と先生の見立てが違うとしても、いずれにせよこの毒は多分……」
「その口ぶりだと分かったみたいだな?」
クロウが割り込むと、リドガーは渋面で振り返った。
「まぁな。ぶっちゃけると、分からないことが分かった」
「ん?どういうことだ?」
「要するに、未知の毒だってことだ。魔法でやられたって話だったから、何か特殊な魔毒に侵されてる可能性が濃厚だ。残念だが……手持ちの毒消しの類に有効なものはなさそうってことだ」
せっかくの診断だったが、最悪の結果がもたされたのだった。