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選択死  作者: 雲散無常
第五章:予兆
47/138

5-3


 まるで悪夢のように幾つもの影が蠢いていた。

 斬っても、斬っても、斬っても、それは増殖するかのように襲い掛かってくる。しかし、音は聞こえない。

 そばにいた部下たちの姿もなぜか遠ざかって行く。守っていたはずの馬車も闇に呑まれて見えない。

 闇だと?

 意識が囁く。黒い影が見えているのに、全体が闇で覆われている。黒と黒。どうやって見えている?何かがおかしい。それに、たった一人でもう何時間も倒せない敵影と戦っているような感覚だ。妙だった。やはり何かが違う。一方で、その違和感が一体何なのかが分からない。

 それでも、あきらめるわけにはいかない。

 何としてでも町へ送り届けなければ。

 町へ?あれ、私は何を……?

 思考が混濁する。

 目的が霞みそうになって慌てて頭を振る。ぐにゃりとあらゆるものが歪む。立っていられない。そこへ影が襲い掛かってくる。その姿すら人型から得体の知れない魔物へと変わる。あり得ない。何もかもがおかしい。無意識に腕で振り払おうとして、己の腕がなぜかつららのような何かに変わっているのを見る。

 冷たい。寒い、怖い。

 「ひいっ」と悲鳴が口の中で漏れる。そんな叫び声は、恐怖に怯える声は二度と上げないと誓ったはずだ。もう二度と、絶対に。その違和感がすべてを断ち切った。

 これは幻覚の類だっ!!

 自分の中の何かが脳裏で叱咤する声が響く。

 不意に視界が開ける。

 周囲の音も蘇り「隊長っ!シリベスタ隊長っ!!」と誰かが腕を叩いていた。

 五感が戻り、すべてを思い出す。瞬時に状況を認識する。腕は無事だ。ただ、冷え切っていただけだ。

 「すまない。あの霧は幻惑の魔法だったようだ。他の者は無事か?」

 「ああ、隊長!良かった!おかしくなった皆を正常だった者が正気に戻しています。ただ、御者もやられてしまったので、馬車は完全に停止しています」

 魔法耐性が強い者には利かなかったのか、心に油断があったのか。いずれにせよ、まともな隊員がいたのなら自分が情けなかったというだけだ。不甲斐ない。近衛騎士隊長のシリベスタは反省を捨て置き、頭を切り替える。

 ニーガルハーヴェ皇国の第一皇女エルカージャを護送中、その暗殺を目論む集団に襲撃された。一部の囲みを突破して逃走中だったが、第二派の襲撃部隊の中に魔法士がいたのか、用意周到な霧の幻覚の罠にはまってしまったのだ。

 「分かった。すぐに近接部隊が来るだろう。警戒してくれ。私はこの霧を払う」

 シリベスタは、周囲に漂う霧を振り払うべく風の魔法を試みるが、それより先に上空から激しい雨が突発的に降り注いできた。こんなことができるのは一人だけだ。

 はっとして馬車の方を見ると、窓のカーテンを開いてエルカージャが頷いている。

 「ありがとうございます、姫様」

 状況を察して助太刀してくれたのだろう。これ以上、主の手を煩わせるわけにもいかない。

 御者の方に駆けよって、その頬を平手打ちで容赦なく叩く。

 「起きろ!呆けている暇はないぞ!」

 自分も惑わされていた分、あまり強くは責められない。正気を取り戻した御者がまともに戻るまで、しばしの猶予を見ながら他の者たちの様子を確認する。既に、敵は迫ってきており、幾人かが戦闘中だった。半分朦朧とした意識で戦っている様子の者との間に入って応戦するが、何人かはもう事切れていた。

 相手の数が想定以上に多い。あの囲みを抜けた時点でまだ伏兵がいるとは思っていなかった。自身の油断が招いた犠牲だ。

 今はとにかくこの第二派を退けなければならない。

 飛び交う矢を払い落とし、槍や剣の刃を交わしながらシリベスタは部下たちの安全を確保する。

 そういえば、いつ自分は馬を降りたのだろうか。

 濃度の濃い霧が突然前方に広がり、一度足を止めるしかなかったところまでは覚えている。その後に幻覚症状に陥っていたため、記憶が定かではない。他の部下たちの馬も見当たらない。調教訓練された軍馬なので、勝手に逃げ出すということはあまりない。

 この霧に乗じて盗まれたのかもしれない。だとすれば、この襲撃犯はどこかに雇われた盗賊団の類かもしれない。あるいは、そういった外部のならずものが混ざっているか、だ。後の首謀者の判断材料になりそうだが、今は切り抜けるのが先だ。

 先程までの激しい攻防は一旦鳴りを潜めていた。霧を払ったことで相手は退いたのだろうか。

 「そろそろ皆十分に動けるな?もう一度動くぞ?馬がなくとも、駆け足だ!」

 行動速度を減じるのが目的だったのかもしれないと、命令を下した後で気づく。だとすれば、敵はまだ油断していないということだ。あの霧に応じて一気に片をつけに来なかったことからも、慎重に事を進めているのが分かる。やはり油断ならない。

 「応っ!」

 と威勢のいい声が返る。数は減ったが、まだ近衛兵たちの士気は高い。第一皇女を守るために命を捧げた騎士たちだ。不意打ちごときで負けるなどその矜持が許さない。仲間の死を乗り越えて前へと進む。

 エルカージャの霧払いの雨のおかげで視界は開けている。襲撃部隊の第二派もほとんど片づけ終わっていた。いや、相手が撤退したという方が正しいのだろうか。あまり深く考えている暇もない。

 馬車は護衛の駆け足に合わせる速度で走り出す。

 シリベスタは前方に注意を向けながらも、魔法の気配にも神経をとがらせた。また、幻覚の霧のような攻撃を無防備に受けるわけにはいかない。魔法士の近衛隊員もいるが馬車の簡易結界維持のみで他まで範囲を広げられないだろう。逆に、皇女はそのおかげで無事だったともいえる。

 「遠距離攻撃に気をつけろ!まだ伏兵がいる可能性が高い。絶対に油断するな!」

 自分自身へと言い聞かせるように、シリベスタは声を上げる。

 ベリオスの町への道のりはまだ遠かった。




 陸に打ち上げられた魚というものは、すぐに死ぬのではないだろうか。

 クロウはその観念が揺らいでいくのを感じていた。

 半身になったケジャスは大量の血を流しながらも一向に大人しくなる様子がなかった。

 魔物であるからという理由であっても、これは成立するのだろうか。よく見ると、どういうわけか無くなった身が復活して体積が増えている気がする。

 「お前らは放っておくと肉も復元できるのか?」

 (知らぬ。じゃが、マナが十分であれば不可能ではない気もするのぅ。超回復というような復活能力もなくはないようじゃ。しかし、あれと一緒にされるのは心外じゃな。わっちはもっと高貴な種ぞ?)

 ラクシャーヌに思わず問うと、不満げな声が返ってきた。

 「クロウ様、あれは放っておいてよろしいのですか?」

 傍らに控えるウェルヴェーヌが指し示すものをクロウは良く分かっている。できるだけ見ないようにしていたのだが、やはり現実逃避はできないらしい。

 「あの男たちが何者か知らねえが、面倒なことになりそうだから出ていきたくないんだが……」

 「ウチの猪戦士が殴り倒しまくった現状では、見て見ぬ振りはできないのでは?あの方に空気を読んで他人の振りをという察知能力も求められません。密かに連れ出すといったような穏便な方法は絶望的です」

 その通りなので溜め息しか出ない。

 暴れまわるケジャスと同様に、既にネージュは何人もの男を打ち倒してしまっている。殺してまではいないと思うが、混戦状態なのでケジャスが追い打ちをかけている可能性があって生死も不明だ。本人に交戦の意志があったかどうかは微妙だが、売り言葉に買い言葉ですぐに手が出て争い出す性格だ。先に仕掛けていても何ら不思議はない。

 「いっそ全員半殺しにしてから、先に仕掛けられたってことで手打ちにしたらどうだ?」

 「相手がただのゴロツキであれば強引な手でもいいですが、素性が分からない内から乱暴な方策はどうかと……」

 (なんでもかまわぬが、ケジャスがそろそろ完全復帰どころか、進化しそうじゃぞ?)

 ラクシャーヌの指摘で巨大魚を見ると、陸の上でそれは変化を遂げていた。知識によれば巨大魚ということで、フォルム的にはアジのように比較的スリムなものだったはずだが、半身が復活した今、なぜか細長い胴のような尾が伸びており、ウナギやドジョウのように体積が延長されているように見えた。下半身?がうねっている。

 「……なんであんな形になってんだ?」

 (わっちに訊くな。陸の上で回復したために適正な形態に修正したのやもしれぬ)

 「だったら、足を生やせばよくないか?」

 (おぬしは愚かよのぅ。あれは魚ぞえ?脚など土台無理な話よ)

 「確かに……種族的になしか」

 そういう問題なのかという話な気もしたが、それより災魔の知能が向上しているのは気のせいではないだろう。出逢った頃より格段に思考力があがっている。自らを上回っていることに若干のひっかかりを覚えるものの、バカな相棒よりは断然好ましい。どうにも思考が現実逃避に傾く。

 「クロウ様、ラクシャーヌ様は何とおっしゃっているのですか?」

 内輪で話していたつもりだが、クロウの声は普通に外に出ている。会話を察したウェルヴェーヌが首を傾げていた。

 「ああ、あのケジャスが進化したのは陸の上だったからじゃねえのかって話だ。回復中に適正化を図った、みたいなもんだな」

 「なるほど。しかし、そもそも進化することが異常ではないのですか?いえ、それを言ったら自己修復能力なんてものがあることが、魔物としては大分逸脱しているような……」

 「上位種なら普通にあるんじゃなかったか?」

 「すべての上位種に備わっているとは思えませんが……専門ではありませんのでなんとも。それこそラクシャーヌ様が詳しいのでは?」

 (ふむ。わっちもすべては知らぬゆえ憶測じゃが、種にも個にもよるであろうな。ちなみにわっちは多分できるぞ。アテルもな)

 「人、というか個体差でまちまちってことか。何にせよ、またネージュが乗り回したそうにしてるな……」

 赤毛の戦士は「100発殴るぞ、おらぁ!」と男たちを相手に乱闘していたが、ケジャスが復活したのを見て目を輝かせていた。「再戦だ、この野郎!」と闘志が溢れすぎている。巨大魚の方も、万全な状態となって復讐とばかりに応戦しそうな勢いだ。案外、似た者同士なのか。

 この一匹と一人に振り回されている男たちは満身創痍で、勝手によそでやってくれという迷惑顔で怪我人を安全圏へと運んでいる。もう相手にするのは得策ではないと学んだようだ。そんな様子をやや遠巻きにして、先を急ぎたい商人たちが隙を見て抜け出そうとしている様子も見て取れる。

 しかし、ネージュとケジャスがいよいよやり合おうとしている場所は、塞がれていた道のど真ん中で無事に通ることは不可能だ。この決着がつくまでどうしようもないことは明らかだった。

 「……止めなくていいのですか?」

 二度目の使用人からの進言を聞く。止めた方がいいが、丁度良い方法がない。妙案が思いつかないので、考える振りをしてココの所へと戻る。絶対服従の縛りがあるため、馬上で褐色少女は静かにちゃんと待っていた。

 その頬はぷっくりと膨らんで大いに不満げだったが、悪い悪いと頭を撫でてやるとふゃにゃりと身体から力が抜ける。ころころと気分や態度が変わる性格や、奥手ながらも甘いものが好きなところとか、この少女の扱い方も少しずつ分かってきていた。

 「さて、どうしたもんかな……」

 連れて来た警備隊の面々とも合流して、ネージュの現状を伝える。

 「あー、ネージュさんらしいっすね……」

 「何か騒がしいと思ったらそんなことに……」

 思い思いの感想をもらう。ネージュをよく知っているかいないかで、かなりの温度差があった。その中の一人が、不意にぽつりと呟く。

 「でも、あの姐さんがナーヤー川にいたっつーことは、例のクソ逃亡者もここら辺を通ったってことかもしれやせんぜ?信じられねーくらい無茶苦茶なんだが、いつだって鼻は利く人なんで」

 だからといって、川を魚に乗って遡上するだろうか?

 そんな疑問を抱いていると、今日何度目かのどよめきが前方から聞こえてきた。ネージュ絡みであることは間違いない。

 最前線から後退してきたのだが、このまま後方で鎮静化を待つという消極策はだめだろうか。いずれ何事も丸く収まるはずだ。この雨が小降りになっているように、必ず嵐は過ぎ去るものだ。

 でも、やっぱりだめなんだろうな、多分……

 すぐ真横で笑顔をその顔に張り付けているメイドがいた。

 静かに人差し指を人混みの向こうへと向ける。逃げるな、という無言の圧力だ。

 「……うまい考えが思いつかねえ」

 仕方なく言い訳をしてみると、

 「では、力づくでいいのでは?今は時間の方が惜しいです。町でやるべきことが山ほどあります。あの赤毛に振り回されている暇は一秒たりともないことをご理解くださいませ。いつものように後回しにしていい案件ではないことを、いい加減認めてとっとと動いて欲しいと思っておりますが?」

 無言で攻めて来るかと思ったが、積極的に急かしてきた。さりげなく普段の態度への不満も含んでいてポイントが高い。たまに漏れ出る毒舌で機嫌も分かる。

 「最終的にそれしかなさそうなんだが……どうもな」

 自分でも煮え切らない答えなのは分かっている。ただ、どうにも嫌な予感がするのだ。そのためらいを察したのか、ラクシャーヌが訊いてくる。

 (なんじゃ、その嫌な予感というのは?珍しく行動が鈍いのはそのせいなのかえ?)

 (俺にも分からねえ。ただ、この先に進むとろくなことにならない、そんな気がして足が重いんだ。お前は何も感じないのか?)

 クロウと災魔はどこかでつながっているため、時には思考すら少し共有できてしまうこともある。漠然としたこの不安が何なのか分かるかもしれないと期待したが、そんなことはなかった。

 (何も感じぬ、気の迷いじゃろう。それより、また暴走を始めたみたいじゃぞ?)

 もうどうにもならないようなので、観念してクロウは再びネージュの元へと歩を進める。それにしても、災魔の視覚はどうなっているのか。かなり遠くをはっきりと認識しているようだ。便利で助かるものの、監視される立場となったらかなりの脅威だ。

 いつかそんな危うい状態にならないことを祈りつつ、気が進まぬままに通行禁止だった場所まで戻ると、良く分からない光景が展開していた。

 地上で跳ねるように暴れる巨大な魚に乗りながら、その魚の頭部の辺りを殴っている女戦士がいたのだ。

 何を言っているか分からないと思うが、ありのままの光景だ。この場にいない者に話せば、幻覚でも見ていると一笑にふされるだろう。

 ただ、今この周囲にいる人間は誰もそれを笑い飛ばしたりはしない。半ば呆れた表情で見守っているだけだ。

 「……どうしても乗りこなしたいんだな、あいつは」

 「あの情熱はどこから来るんでしょうか?」

 「クロ様、あれは何をしているのん?」

 ココの問いに正しく答えられる気がしなかったクロウは、視線を逸らして傭兵たちの惨状を確認する。

 ケジャスとネージュにやられた彼らは無傷な者が皆無で、憎々し気に今も遠巻きに魚と女戦士の格闘を見つめていた。少なくとも、今は手出しすることはあきらめたようだ。

 (それで、ここでまた棒立ちで見ているだけなのかえ?)

 ラクシャーヌが何か行動を起こせとけしかけて来る。

 結局力づくで大人しくさせるしかないのか……

 何度目かの溜息をつきながら介入しようかというところで、突然ケジャスが山を駆け上り始めた。

 「おっ、ついに言うこと聞きやがるか、この野郎!?」

 いや、どうみてもお前から逃げようとしている行動だが?

 見物人が皆驚いて観察する中、ナマズのような細長い尾をくねらせて跳ねながら、ケジャスは器用に坂道を進んでゆく。魚ならば川へと戻ればいいと思うのだが、ナーヤー川は崖下になるので見えていない可能性がある。匂いで気づかないかとも思ったが、魚が地上で嗅覚を働かせられるのかどうかは不明だ。

 そんなことを考えていると、騒がしい一匹と一人が坂道をあっという間に登り切って視界から消えた。

 残された者たちはしばらく誰も言葉を発しなかったが、誰かが皮肉げに一言漏らした。

 「で……結局、あれは何だったんだ?」

 返事は当然の如く、ひとつもなかった。

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