4-12
「ん、多分アーゲンフェッカ」
ミーヤが目の前に資料を広げた。そこには狼と思しき絵が描かれている。特徴として全身が銀色の毛皮で黄金の瞳と記述されていた。
探索者ギルドのベリオス支部の一室。書庫のような薄暗い部屋の中で、クロウは貴重だというその魔物図鑑を眺めていた。ココと混ざっている魔物を特定しておいた方がいいだろうということで、ミーヤに依頼していたのだ。
魔物、魔獣や魔法生物全般において、一番知識があるのは探索者ギルドだ。一般公開はしていないため、こうしてギルドの立会のもとにしか閲覧はできない。
「なるほど……白い狼ってのはやっぱ珍しいのか?」
「ほとんど見ない。この目撃例も希少。実際に戦闘はしていないっぽい」
「あんまり記述がないのはそのせいか。しゃべるかどうかも……分からないか」
特記事項はほとんどない。群れのリーダーらしき役割で、知性が高そうだったというくらいしか情報がなかった。
「言語を話す魔物は相当上位のものだけ。言葉が分かるのは……」
少し言い淀むような雰囲気を見せてから、ミーヤは続ける。
「ラクシャーヌだからだと、思う」
わっはっはっという得意げな幻聴が聞こえた。災魔は今クロウの中にはいない。ココの様子を見守っている。というより、眷属化するために何か目論んでいるようだったが、詳しくは分からない。アテルの時もそうだったが、その辺りの手順や行動に理屈はないのかもしれない。
「ちなみにミーヤは獣の言葉が分かったり、とかはないのか?」
あるいは獣人ならば、と望みをかけたが「ない」と即答された。そう上手い話はないようだ。
「そうか。んで、生息地は……大陸の北方ってだけか」
「白毛は寒い地方に多いって言われてる。あとは突然変異種のみ。どちらにせよ、遺跡内で見つかった例はない」
ココがどこから来たのか、その手がかりにならないかとも思ったが、あの魔獣の方も地下遺跡にいること自体が奇妙だという結論しかない。やはり、ココたちはどこか地上で実験をされてから地下遺跡内に連れてこられたのだろうか。
「それより、獣化したのが本当なら、魔獣というより獣人だった可能性が高いのでは?」
ミーヤ自身も亜人で、分類的には獣人であるシーナ種だ。いつもフードを被って隠してはいるが、クロウは既に知っている。
「そこら辺も意見を聞きたかった。ココに引っ付いてるのが魔獣だったとしても、ああいう獣化現象みたいなのは起こるのか?それとも、そのアーゲンフェッカとやらの獣人が元だったからそうなったのか、どっちなんだろうってな」
「……獣人は皆シーナ族。人の分類で言えば犬。狼も親戚だけど……狼、フェッカ系の獣人は聞いたことがない」
少し考えてからミーヤは言う。
「だから、アーゲンフェッカなら獣人ではないと思う」
そう結論付けながらも、獣人だという可能性を考慮してしまっているというのが現状の考察なのだろう。歯切れは悪い。
「ってことは、あの獣化は単に魔獣の方が人間の身体を乗っ取ろうとしたようなもんなのか?」
「不明。そもそも、魔獣と人間の混成は初耳。どういう特性か未知」
「それはオホーラも言っていたな。既存の概念じゃ測れないってな。結局、分からん尽くしか……」
「混成の呪いを解いたというのは確か?」
「一応、そういうことになってるはずだ」
特殊技能に関しては秘しているために強くは言えないものの、打ち明けたとしてもそれを証明する術はなかった。
「そう。とにかく、そんな外法があることは問題。その呪い主は見つけないと」
「ココの記憶が戻ればいいけどな……俺自身が何も思い出せない状態だから期待できねえ」
「……少なくとも制御できているなら良かった」
ミーヤもココの暴走を懸念していたようだ。地下世界での奇妙な土地の変異を見ているのだから当然ではある。
「落ち着いたら一度話してみたい。何か分かるかどうかも分からないけど」
「ああ。いつでもいいぜ。もう大丈夫そうではあるからな」
「本当に?昨日の今日だけど?」
信じがたいのは良く分かるが特殊技能の効果は絶対だ。しかも、ココたちが選んだ選択はクロウに服従するというものだったので、感覚的に安全だということが分かっている。それを他人に説明しても理解は得られないこともまた明白だ。共感できるものではない。
ココと魔獣の絆は想像していたよりも強固だったようで、あの短時間で迷わずに選択した答えは、互いに生存する方だった。そのために、赤の他人であるクロウに従うこともためらわなかったほどだ。ココはあの瞬間には意識がなかったはずだが、なぜかクロウにはその意志が伝わってきた。
結果的にクロウはラクシャーヌ、アテルに続いてココという魔物、半魔という三人(?)目を従えることになった。実際には災魔の眷属の二匹目なのかもしれない。このまま増え続けると、その面倒を見るのが大変になる未来しか見えなくて不安になる。
あいつ、絶対放任主義っぽいもんな……
わっはっはっと我関せずとばかりに笑っている災魔の姿が容易に想像できる。アテルのような純粋な魔物は、少なくとも養分が空気中のマナで事足りているようで食料を気にする必要はないが、ココは違う。普通に人間と同じように食べる必要があるらしい。ウェルヴェーヌが世話をしてくれるのは本当にあり難いところだ。正直、そんなことを考えている余裕はあまりない。
今回の特殊技能で発動条件の仮説が崩れ、一体何が引き金なのか振出しに戻った感がある。しかも、今までは基本的に自分自身の選択を迫られていたのに対し、今回はまったく他人の事柄で影響度が大分違った。謎が深まるばかりの能力で、どうにも使い勝手が悪い。その効果は絶大なのだが、狙って何かをするといったことができず、タイミングも運任せではギャンブルでしかない。なんとか使いこなしたい身としては、早く解明したいところだった。
「クロウ?」
しばらく自分の思考に没頭して黙り込んでいたため、ミーヤが心配そうに声をかけて来た。
「ああ。すまねえ、ちと考え事をしていた。ココに会いたいなら、いつでもいいって話だったか。本当に大丈夫だぜ」
「そう。考えておく。それと、ネージュの件でユニスが呼んでた。話してくるといい」
「ネージュの件?何だ?」
「不明。だから行くべき」
ミーヤに言われるまま、クロウは次に警備隊の本部を訪ねることにした。
ベリオスの町の警備隊員の数は以前より何十倍に膨れ上がっていた。
それに伴って警備隊の詰め所は各所に配置され、警備隊本部が中央付近に新たに建設されていた。先の災魔の来襲で破壊された一角の跡地である。特別区画にも隣接するその場所には、演習地と呼ばれる広い訓練場も設けられており、隊員たちが日々修練できるように整備されていた。
その演習地の横を通り抜け、屋敷然とした本部の建物へと進もうとすると、横合いから急に声をかけられる。
「クロウさん、何かこちらに用ですか?あ、もしかしてブレンさんに会いに来たとか」
振り向くとトッドが駆け寄ってきた。その後ろには鎧姿の見知らぬ者もいる。どこかで見たような気もしたが、思いだせない。
「いや、ユニスに用があってな。そっちは鍛錬中か?」
「ええ、特別主任から基礎体力の向上を命じられてまして、走って体力づくりに励んでます」
「そうか。お前はともかく、そっちの方はその格好で走るのか?」
皮鎧とはいえ腕部や脚部までフル装備で覆っている状態では走りづらそうだ。トッドが胸当てくらいの軽装なので、余計に目立つ。
「ああ、ナルタたち若者は負荷をかける意味でわざとこの状態なんです。いざって特に動けないとアレですしね」
その理屈で言うとトッド自身もやるべきな気がしたが、何か考えがあるのだろう、多分。
「わ、若いですから、だいじょぶれす!」
若者と評された少女らしき隊員が敬礼するように答えた。その黒髪はクロウと同じような色合いだったが、装石が耳にあるので転生人ではない。
「そうか。怪我しない程度に頑張ってくれ」
「はいっ!!」
威勢のいい返事を背中に受けながら、クロウは本部へと入る。ユニスは隊長室で待っているとのことだ。
素朴な廊下を歩きながら、そういえばブレンと最近顔を合わせていないことを思い出す。筋肉自慢の盾戦士は、今もトッドに稽古をつけているのだろうか。今日は姿が見えなかったが、そのことに触れもしなかった。ウィズンテ古代遺跡の調査権に貢献してくれた人物だ。もう少し優遇した対応をするべきなのだろうか。その辺りのさじ加減が未だによく分からない。
人間関係というものはやはり難しい。
そんなことを考えながらユニスの待つ部屋に入ると、書斎机に向かって忙しそうに書類を処理している薄紫髪の男がいた。中性的な顔立ちは神秘的ともいえ、女性の部下に絶大な人気があるという噂も聞こえてくる。
「ユニス。何か話があるってことだったが、今いいか?」
向かいの椅子に腰を下ろすと、ユニスは手元の書類を束ねてからこちらを向いた。
「ええ。わざわざ、御足労頂いてすみませんね。たまたま君がギルドの方に来ていると小耳に挟んだので、呼び立てた次第です」
「ああ、それでミーヤ経由で呼び出されたのか。なんでお前からの連絡があそこから来るのか不思議だったんだ」
「こことギルド支部はそこそこ近いですからね、やりとりが楽なんです。それに、寄り道するくらいの距離なら足を運んでいただけるかと思いまして。とにかく、ありがとうごさいます」
立場上はクロウの方が上なので、呼び出したことに遠慮があるようだ。クロウ自身はその辺りはまったく気にしていないので、手を振ってそのやりとりを遮る。
「それで、ネージュの件って話らしいが、どんなことだ?」
「ええ、その前にまず現状の警備隊のことをどの程度把握していますか?」
「あっと、それはだな……」
正直ほとんど分かっていない。人員確保のための手は打ったが、その後は任せっきりだ。報告書は色々と来ていた気がするが、他にも対応すべきことが多々あって目を通せていない。何か重大な見落としたがあったのだろうか。
その態度で察したのか、ユニスは「なるほど」と一人でうなずいて自分から話を続けた。
「ああ、別にこちらの状況を理解していないからと言って責めるだとか、無責任な対応に抗議をあげるだとか、放置してる分給金を上げろだとか、馬鹿どもをまとめる気苦労を何だと思っているのかだとか、そういう話をしたいわけじゃありませんのでご心配なく」
具体的に暗に愚痴られている気がしたが、受け流して先を促す。
「要するに現在の警備隊の三分の一がギルド員であるわけですが、あくまでそれは暫定的な副職的な位置づけであることは覚えていますよね?」
「ああ。提案したのは俺だからな。さすがにそこは理解している」
「であれば、ギルド員の本職としては当然の如く遺跡探索なわけです。その遺跡が最上級なために、選抜された者のみが中層への出入りを許される許可制になっており、その許可が下りていない者が現状の警備隊に属しています。更に言えば、ここで警備隊の仕事をこなしながら一定の条件で許可試験を合格すれば、晴れて遺跡探索ができるというのがここに所属する彼らの旨味なわけです」
「許可試験か。ギルドの方で選抜の方法としてそういうのを用意したってことだな?」
「ええ。警備隊に所属すると少し有利な条件になるというアドバンテージも喧伝したので、ここで働いているギルド員のほとんどの主目的はそれです」
「なるほど。人手を集めるにはなかなかいいアイデアだな」
とにかく警備隊の数を増やしたかったので、やり方の是非は気にしていない。中身は後から伴ってもいいだろう。
「そういうわけで、ネージュ様の件につながるということです」
「ん?それは……」
ユニスの説明が途中で途切れたように感じたが、今の流れを理解すればつながる。
「つまり、ネージュがその試験とやらに受かったってことなのか?」
「ええ。ちゃんと話を聞いてもらえたようで助かります。最近、上の空の聞き役しかいない気がして泥を塗りたくって壁にしたいと思っていまして……美しくない人間の末路としては当然だと思いませんか?それはともかく、実力的にはネージュ様が一番有力候補だったのは間違いない話だったので、実際にやれば結果は当たり前のものなんですが、そうしてしまうと問題があるのはお分かりですね?」
先程から何やら試されているのは気のせいではないだろう。ユニスは警備隊の特別主任補佐という肩書だが、この隊長室を使っていることからも分かるように、実質のトップだ。トッドと連携はしているだろうが、荒くれ者の探索者たちをまとめる側として人一倍苦労していることは想像に難くない。任せっきりな手前、真摯に対応すべきだ。
「ええと……ネージュが遺跡探索に戻るとここでの業務が滞る、そんな感じか?」
実際は付き添うことになるユニスがいなくなるからだろうか。自分で答えながら、クロウは言われていることの重さを少しずつ理解し始めた。
「その通りです。もう少しギルド側の対応がゆっくりだと思っていたのですが、先日の大地変動やら新規の調査権を持つ国の参入などで、予想より早く物事が進んでいましてね。まぁ、詰まるところ人手不足ってことなんでしょうが、ここの警備隊を踏み台にするならば、その踏み台そのものの運用を盤石にしておかなければ破綻するということです」
ネージュとユニスが抜けると警備隊が立ちいかなくなるということだ。確かに探索者などという戦闘屋集団をまとめるには分かりやすい力がいる。そのためにネージュを推したということもある。現段階でそのネージュがいなくなればよろしくないのは明白だ。指摘されるまで、まったくそのことに考えが及んでいなかった。思いついたときは名案だと思っていたが、長期的視点が足りていなかったようだ。
「……ネージュ本人は当然、その試験とやらを受けようとしているんだよな?」
「探索者である以上、遺跡探索が本分ですからね」
「だよな……確かにこれは難しい問題だな。ちなみに、いい感じの引継ぎ役とかは……?」
「いるわけがありません。無理に上げるならばブレン殿あたりは美しく華麗にこなせるかもしれませんが、あくまで一時しのぎにしかならないでしょう」
クロウはこめかみを抑えた。いつぞや、オホーラにも言われた気がした。誰か特定の人物に依存した運用は愚策だと。その時は賢者自身がまったくその最たる例だと思っていたが、ここにもその助言は適用されるようだ。当然、時間をかけて代役が引き継げる環境になっていくものだと考えてはいたが、様々なことが急速に移り変わる現在のベリオスの町の状況では、そんな悠長なことを言っていられないということだ。
「代替案はやはりなさそうですね?ならば、一つこちらから提案があります」
押し黙ったクロウの反応を見て、ユニスは予め用意していたものを口にする。
「ネージュ様が今の段階で探索者に専念するのが望ましくないのなら、一時的にでもその願いを叶えるという方向でしか妥協案はありません。既に大分ストレスが溜まっていますからね。それはつまり、君が遺跡に行くときには必ず同行させるということです。先日も地下の大地変動の調査に潜ったようですが、それを聞いたネージュ様をなだめるのがどれだけ大変だったか分かりますか?」
ユニスの笑顔がどこぞのメイドのそれと重なる。これは内心で怒っているときのアレだ。人間の感情には疎いクロウだが、少しは学習している。
「そ、そうか。分かった。次から地下探索にはネージュも連れていくことにする。それでいいか?」
他の選択肢などなかった。クロウは即決した。
「それは美しい選択ですね。久々にいい返事が聞けた気がします。では、ネージュ様には直接伝えてください」
「直接?」
「当然です。まさか嫌だと?」
再びの笑顔にただ頷くしかなかった。ユニスは随分と皮肉が強くなった印象だが、そうさせてしまった原因の一端を担っている気がしないでもないので、ここは従っておくのが得策だ。現在の警備隊の管理運用に大分貢献してもらっている。友好関係を維持すべき人物に違いない。
「いや、分かった。当然俺がやる。んで、ネージュはどこにいるんだ?」
「ああ、それですが、実はある輩を追跡中でしてね。先日の嵐の騒動の際に見つかった魔晶石、いきなり協力者と名乗るウッドパック商会とか何とかの会員が回収しまくってくれたわけですが……ちなみに、この諜報員らしき人たちの話はその時聞いたのが初耳でした。彼らのような部隊がいるなら警備隊を増やす必要はないのではないでしょうかね?」
「ああ、それは急に決まったんで連絡が事後報告みたいになったことはすまなかった。色々と立て込んでいてな……」
「ええ、忙しいのは自分たちだけだと勘違いしてる人はどこにでもいるものですからね。まぁ、いいでしょう。その魔晶石がこの街に幾つも埋められていたとのことで、そんな芸当ができるのは当然普段から街を巡邏している警備隊しかないというのは自明の理です。身内なら、巡回ルートも分かっているので鉢合わせすることもないですからね」
「それはオホーラからも聞いている。仕掛けた人間が警備隊の中にいるだろうって話はな……そうか、その犯人をネージュが追っているってことか」
このような裏切り者というのは、おおよそ金に目が眩んだ新参者が多いらしい。特に探索者上がりの警備隊員など、ベリオスの町に何の忠誠もないので喜んで大金になびくという。
「この手の離反者が出た場合は、見せしめに拷問と極刑で後続が出ないようにするのが普通ですが、隊規にはその辺りの項目が明確に定められていません。この機会に追加してもかまいませんよね?」
「必要と思う手を打ってくれていい。ただ、冤罪の予防はできるようにしておいてくれ」
「ええ。では、領主様お墨付きってことで進めます。それから――」
その後もユニスと警備隊に関する様々な話し合いを行った。ここぞとばかりに色々とねじ込まれた気がするが、放任している以上強く否定はできなかった。交渉とはこのように運ぶのかもしれないと学んだクロウは、人任せにするにしても時々は様子を見る必要があるのだと痛感したのだった。




