4-11
ベリオスの町の領主の屋敷には広大な地下倉庫があった。
基本的には食料などの保管庫であったが、前領主のユンガ=ビーダムの趣味だったのか、一部地下牢のようなものもあって健全ではない用途の部屋などもあった。他にも地下には一時的に隠れるためのシェルターのような役割の部屋も存在している。
検分しようと思っていたものの、忙しすぎてずっと後回しになっていた。本来ならばまだしばらくは放置される予定であったが、その地下室の一つが現在は解放されていた。
例のティレム娘のためである。
地下世界でラクシャーヌが調べて分かったことをまとめると、かの少女は魔獣と人間が混ざり合った状態の半魔獣人のようなものだと結論づけられた。そんな生物が存在するのか不思議ではあったが、賢者曰く「実験体としてならば、文献として見たことがある」とのことだった。
魔物と人間を掛け合わせるという発想が既に人道にもとる行為な上、新しい生物を作るというのは源導者に弓引く行いでもあり、禁断の実験であることは言うまでもない。狂人の類の行いだ。
どうしてそんな半魔が地下世界にいるのか気になるところではあるが、残念ながら本人に記憶はないので不明であった。その他、様々なことを尋ねても満足な答えは一切得られないという煮え切らないもので、とにかく一時的に隔離しておこうと連れてくることになった。
監禁という手段も危険ではあるが、手元に置いた方が安心感があるという判断だ。
幸いなことに、ラクシャーヌが上手くティレム娘を抑えられるということも分かっている。どういう原理かは分からないが、オホーラの推測では魔物の特性における優劣性ではないかとのことだ。つまり、災魔の方が上位種だと本能的に理解して逆らえない。狸が狼に噛みつくことがないようなものらしい。
「本当に大丈夫なのか」
暫定的な隔離室に連れて来てはみたものの、クロウはこの判断が正しいのか未だ確信が持てない。
「わっちに任せておけ。こやつはきっと使える」
自信たっぷりのラクシャーヌは、どうやらこのティレム娘を眷属に従えたいらしい。珍しくご執心の様子だった。完全な魔物ではなくとも、そんなことができるのか疑問だが、そこも含めて検証したいということのようだ。
「今は大人しくしてるからいいけどよ、ここで地下世界の時みたいに地面をおかしくされると被害がでかいから慎重に頼むぜ?」
「媒介の砂がなければ当面は大丈夫であろ。勝手なことはせぬように言い含めてもおる」
「それをちゃんと聞くかどうかは別の問題だろ?というか、未だにお前以外とまともにしゃべってないんだが?」
クロウの指摘するように、ティレム娘はまだラクシャーヌとしか会話らしきものをしていない。警戒心が強く、心を閉ざしているかのようだった。
「人嫌いのようじゃな。記憶がなくとも、このような身体にされたことを恨んでおるのやもしれぬ」
「どっかの人間が実験したってことか?」
十中八九そうだとは思っていたが、魔族が何かした可能性も考えられるのではないだろうか。同じことを思ったのか、何か考え込んでいたオホーラが尋ねる。
「実験に関しては、魔族か何かの可能性はないのかね?まぁ、人間がやりそうな確率が高い気はするんじゃが、ティレムを扱うことと魔獣の関係性などが不可解すぎて、何かそのあたりのつながりや相性などを知っている前提の知識があるように思えてな……」
「ふむ……どうなんじゃ、ココ」
ココというのがティレム娘の名前らしい。一枚の敷物の上に無造作に座っている。三角座りで膝を抱え込んでいる状態だ。
「……分かりましぇん。ココ、思い出せないのん。いつも静かなのに、ときどき、ときどき声がするのん……それが聞こえると、よく分からなくなってるのん」
「声か……あるいはそれが呪いか何かのように植え付けられておる何かかもしれぬな」
賢者はココについてもっと調べるために同行しているが、他にはクロウとラクシャーヌのみだ。いや、おそらく隠れているイルルはいるかもしれない。一応離れている指示はしている。
とりあえずの脅威は去ったということでミーヤはギルドに報告しに行き、ロレイアやウェルヴェーヌは別の要件で場を離れている。ミレイとノーランは留まっていたそうだったが、ラクシャーヌ関連でまだすべてを明かすほどの仲でもないので遠慮してもらった状態だ。
「呪い、なのか?」
「正直分からぬ。そう呼称するのが一番近いと言うだけで確証はない。とまれ、その効力も何やらラクシャーヌのおかげか収まっているようにも思える」
「それって、ラクシャーヌが離れてるとヤバいって話じゃないだろうな?」
「わっはっはっ。そう案ずるでない。一応つながりはつけておるゆえ、大丈夫であろうよ」
「つながり?もう眷属とやらにできたのか?」
「いや、そうではない。言葉にするのは難しいんじゃが、何となくその一歩手前の段階みたいなもんじゃ。理由をいちいち聞くな。わっちにも何となくでしか分からぬこともある」
「何となくなのかよ!?」
それで安心しろと言われても素直に頷けない。
「おぬしだって特殊技能とやらを懇切丁寧に説明しろと言われてできんじゃろが?わっちにだけ求めるのはおかしくないかえ?」
そう言われては何も言い返せない。クロウは賢者にラクシャーヌの言葉を伝える。
「……ふむ。確かに証明のしようもなかろうな。ここに連れて来た以上、もう信じるしかない。じゃが、逆説的に考えればラクシャーヌとのつながりがあるのなら、既にクロウとも何かしらの線がつながっているのではないのか?」
「そう、なるのか?」
災魔を見るが、「知らぬ」と肩をすくめられた。自分では特に何も感じられない。クロウはその意味において先輩になるアテルに問いかけてみる。
「アテルは何か分かるか?」
基本的に話しかけられるまで黙っているアテルは、出番が来て勢い込んでいるのか「はいっ!」と元気よくすぐさま返事をする。何か有用な情報を持っていそうな雰囲気だったが、気のせいだった。
「何も分かりません!」
ハキハキと明瞭に断言されては苦笑するしかない。
「分からないのか……」
「はい!でも、ご主人様は普通のニンゲンとちょっと違うので、直に話しかけてみたらいいと思うのです!」
「どういうことだ?」
「きっとココさんも怖がっているだけなのです!だから、もっと話しかけて仲良くなればいいのです!」
「怖がっている?ああ。人間に何かされたかもしれないからか……」
アテルは魔物だが、半魔であるココに何か通じるものがあるのかもしれない。ラクシャーヌに任せっきりであまり積極的に話しかけていなかったことは事実だ。オホーラが何度か会話を試みて無視されていたので一歩引いていたのだが、クロウはまた別だという話であればやってみる価値はある。
あまり怖がらせないよう、座り込んでいるココに近づきすぎない距離まで歩み寄る。
「まともに話すのはまだだったか。俺はクロウ。ラクシャーヌと共生している転生人だ。俺と話す意思はあるか?」
期待せずにしゃべりかけると、思いの外素直に反応が返ってきた。
「あ、ココはココなのん」
「そうか。少し話してもいいか?何も思い出せないって話だが、反対に覚えてることは何かあるか?どんなことでもいい」
「……覚えてること……」
ココは自分の頬を人差し指でつんつんしながら考えている。クロウに対して真摯に向き合っていた。後ろで賢者が「わしの時は何も反応すらなかったというに……」とどこか恨めし気な呟きが聞こえたが気にしないことにする。
間近でよく見ると、ココは大分幼い容姿だった。大きな瞳にあどけない表情と仕草、あの背中の獣毛以外はいたって健康な少女に見える。褐色の肌も艶があって綺麗に映えているが、地下では陽の光がないため日焼けはしないはずだと考えると、地黒ということだろうか。人種による地肌の色の違いは良く分からなかった。
近距離であるほど人目を引くのは、その胸の大きさでもある。背丈がミレイほどの子供サイズであることを考えると、その双丘は不釣り合いなほど盛り上がっていると言っていい。裸体を晒した際に、イルルがミレイと比べて「会長と圧倒的な差」とぼそっと呟いて、殴りかかられていたほどだ。
クロウには良く分からないが、男というのは女の胸の大きさを重視する傾向が強いとのことだ。性欲云々に関しては、自身の自覚がまったくないのでそのような感覚が皆無だった。ミレイは逆に、世の中にはツルペタ派も半数いると反論しており、どちらが正しいのかは判断できない。この件に関してはかの道楽の賢者も断言はしなかった。曰く「永遠の課題ぞ」ということで、男は余り言及しない方がいいということらしい。
あの時はついでにラクシャーヌにも感想を求めようとしていたのだが、そうしなくて正解だったのかもしれない。
とにかく、ココと普通に会話できるのは僥倖だ。
「あっ!」
急にココが声を上げた。
「思い出したのん!なんかの名、ウリャノ……!!!?」
何か叫ぼうとした途端、その身体が痙攣するようにびくっと震えたかと思うと仰向けに倒れた。
「おい、どうした?」と声をかけるが何も反応がない。失神しているようだ。
「ふむ。何かが干渉した気配があったようじゃ……忌み名の類か?」
「イミナ?」
「禁句、許されざる言葉、つまりは呪いのキーワードかもしれぬ。最後に何やら言いかけた言葉か……それはそれとして、心身は無事なのか?」
クロウはココを抱き起そうとして、何か危険を感じてぱっと離れた。その危機感は当たっていたようで、すぐさまココの身体がびくんと大きく跳ねた。次いで、身体に巻き付いていた布が弾け飛び、ココの艶やかな肌が一瞬にして獣毛に覆われ始めた。骨格まで変化しているのか、小柄な身体が大きくなり瞬く間に獣のそれに変貌していった。
「まさか獣化なのかっ!?」
オホーラが叫ぶ。その単語で脳裏に知識が閃く。獣化というのは亜人の特殊な力のようだ。先祖返りとも呼ばれ、獣人がより従来の獣に近い形態になることを言うらしい。それまでのココは人間に近い状態だったが、それが逆転したということか。
「GUGAGAGAーーーー!!!」
もはや完全に獣化したココは、その顔も犬のような動物じみたものに変化し、その牙を伴った口から咆哮が放たれる。理性を失ったような叫びだが、その獣の黄金色の瞳は鋭く美しく輝いていた。全身の真白な毛は人間のときのような艶やかさと力強さがあり、見る者を圧倒する何かをまとっていた。
クロウは蟲意識に魅入っていた。危険を察知しながらもその場から動けずに、ただただココを眺めていた。
「離れろと言っておるじゃろうが、馬鹿者っ!ええい、アテル!ココを包めっ!」
ラクシャーヌが警告していたことにもクロウは気づかなった。その身から「はいっ!」と元気よくアテルが飛び出して、初めて我に返った。
「KIXYAAーーーーー!!!」
ココの獣口から更に叫び声が上がるが、ココがその真っ黒な身体を広げて全体を包み込むと聞こえなくなった。アテルはその内部空間にいるものの自由を奪うことができる。自らも体験したので、その効果は痛いほど分かる。なるほど、良い手だった。緊迫した空気が一旦退く。
「ああ、口は塞がんでよい。何やら訴えたいことがあるようじゃ」
「なに?あの状態でもしゃべれるのか?」
「何を言っておる?さっきから呼びかけておったじゃろうが」
「いや、ただのうなり声にしか聞こえなかったぞ?」
「ふむ……おぬしには聞こえんということかえ?」
「そうみたいだな。それで、何を言っているんだ?」
今も獣化したココは奇声にしか聞こえない音を発し続けている。災魔であるラクシャーヌにはあれが言葉に聞こえているのだろうか。
「途切れ途切れゆえ、要約のようなものじゃが……『我を地下に戻せ。この者は誰も傷つけたくないと願っている。我は抑えが効かぬ。半分死にかけている』と、そんなところじゃのぅ」
「ってことは……その我ってのが魔獣の方の意志ってことか。呪いか何かで暴走してるみたいなもんか?」
「おそらく、な。逆に今、アテルで抑えつられているゆえ、わっちがこれから飼い慣らせば眷属化できよう。わっはっはっ、勝ったな!」
「これは勝ち負けなのか?というか、呪いもそれでどうにかなるのか?」
「知らぬ。が、どうにかなるじゃろう」
かなり曖昧で無責任な計画のようだ。楽観的すぎるのではないだろうか。しかし、実際に今アテルがココを制御できているようにも見える。
「どういう状況になっておる?」
オホーラにラクシャーヌの言葉を伝えると、渋面になった。
「それはちと……行き当たりばったりが過ぎるように思える。仮にその状態で眷属化したとて、その後も呪いが継続した場合、厄介事を抱えることに変わりはないのではないか?どうにもならぬ時の対策がなければ、無謀な賭けにしかならぬ」
自らの不安を言語化した賢者にクロウは深くうなずく。
「だよな。やっぱ、呪いをどうにかできないとまずいよな?」
「なんじゃ、呪い呪いと怯えおって。わっちらの関係もそのようなものであるなら、特段恐れることはなかろうて」
ラクシャーヌが不満そうに頬を膨らませてクロウを睨む。確かに特殊技能で呪われた結果、災魔と共生という状況になったことを考えると、強くは言い返せない。だが、そこに少しばかりの希望を見出す。
基本的な呪いの仕組みについてはよく分からない。解呪の仕方もおそらくは正攻法のようなものがあるのだろう。一方で、そういうものを超越するものもあるのではないだろうか。例えばそう、特殊技能のような何かが。
その閃きがやけに自分の中で大きくなる中で、ふとココを見る。アテルの黒い何かに包まれて顔だけを覗かせている状態だ。その美しい瞳を見る。野蛮な魔獣のものであるはずのそこには確かな知性が宿っていた。人間であるココを気遣う精神があった。両者の間には何かしらの絆があるのだろう。
「お前はココを救いたいと願っているんだな?」
伝わるかどうかは分からないが、問いかけると魔獣の金色の瞳から一滴の何かがこぼれ落ちた。獣も涙を流すのだろうか。その雫もまた黄金のように煌めいて見えた。それはとても美しいと感じた。
その瞬間。
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『いずれかを選択してください』 ー60s
1.混成の呪いを無理やり解呪する代わりに、絶対服従させる
2.混成の呪いである一方を消し去る代わりに、残る方の寿命を減らす
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視界にいつぞやの画面が重なって見えた。なぜか特殊技能が発動したのだ。
「何だと!?」
クロウは生命の危機を感じていない。発動条件が揃っていないはずだった。推測していた条件は違ったのだろうか。しかし、今はそれどころではない。選択しなければならなかった。時は待ってくれはない。
オホーラの「どうしたのだ?」という声も聞こえていたが、説明している暇はない。
「特殊技能が――ちょっと黙っててくれ!!」
内容を素早く確認する。この混成の呪いというのはおそらく目の前のココのものだろう。これはクロウ自らに関する選択ではないということだ。なぜか解呪できるようだが、その代償が二通りということらしい。当然、当事者に選ばせるのが筋というものだ。
「おい、俺の特殊技能で解呪できるみたいだが、代償がある。時間がないからすぐに答えろ――」
果たして、ココが選ぶ選択はどちらなのか。




