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大規模魔法、別名集団魔法とは複数の魔法士が一つの魔法を精製することを意味する。
単純に人数分X魔力が上乗せされるのだからその威力も規模も比例して増大する。ならば人を増やせば増やすだけ巨大で物凄いものになるかと言えば、そううまくもいかない。
機械のように精密に魔力を均等に足していけるものではないため、最終的に魔法としての現象を整形、まとめることが必須だ。その調整は当然の如く人数が多いほど困難になる。歴史上、最大と言われている大規模魔法は110人で、それも特殊な形だ。それは著名な双子の魔法士が成功させた魔法実験で『双頭の雷』と呼ばれている。
調整係が魂まで息の合った双子ゆえに可能だったと分析されており、その数を越えた成功例は未だにない。
翻って、調整係を一人に限定すると、おおよその限界は50人ほどだろうというのが現代魔法の見解だ。それだけの魔力を扱えるのは高位魔法士でも難しく、実際には30人規模であれば破格の魔法という評価になるのが現状だった。
ベリオスの町を襲来する魔法の嵐は、その意味では滅多にないほどの大規模魔法だと言える。歴史的にも類を見ないものだ。
砂利を、赤土を、雑草を、町の東の入口から伸びる旧道周辺のあらゆるものを巻き上げながら、その竜巻は漏斗状にうねりをあげている。その頭上の積乱雲が急速に進路を町に向けており、辺りは曇天に包まれていた。
「魔法で竜巻が起こせるのはなんとなく分かるんだが、進路まで決めれるもんなのか?」
「普通は無理だそうです。自然現象を融合させた魔法の場合、基本は自然法則に従うので竜巻のような不規則な進路をコントロールするのは不可能だと」
ウェルヴェーヌが即答した。ロレイアは魔防壁の陣頭指揮にあたるため、事前に色々と情報共有をしていたとのことだ。
「そうか。けど、アレは確実にこっちに向かって来てるんだが?」
「はい。何か絡繰りがあるのでしょうが不明です。しかし、そもそもその算段がなければこのような手段を取らないはずです」
それはその通りだ。運任せで大規模魔法など行うはずがない。
眼前に迫るとその巨大さがとんでもないことが分かる。先日のティレムとはまた違った迫力だ。逆巻くような風がまるで空気の怒りのように肌にぶち当たってくる。
嵐はあっという間に迫ってきた。目視していた距離からまるでワープしてきたようにすぐそばまで近づいている。
「魔防壁展開っ!30秒後に前進!!」
ロレイアの勇ましい声が響き、魔法士たちが一斉に魔法を展開した。膨大な魔力を感じたと思った瞬間、その荒々しい爆発のような波が徐々に整っていく。個々の魔防壁をつないで調整しているのだろう。
こちらも巨大な壁がベリオスの町の東に出来上がっていた。分かりやすくするためか、やや緑色がかった透明なものに可視化されている。
ただ、強固に固めた壁というよりはぶよぶよと柔らかそうな材質で、大きさはあるものの頼りなさが目立った。
「なんかぐにゃっとしてるが、大丈夫なのか……?」
「あの柔軟性が大事なんだそうです。凝り固めた完全な壁の場合、嵐で一部が吹き飛ばされたときに修復とか対応がすぐにできないそうで」
「なるほど……わざとそういう造りなのか」
魔法はやはり奥が深い。クロウには思いつかない発想だ。
(ふむ……呼応しておるのか?)
不意にラクシャーヌが呟く。感覚が共有され、背後を気にしているのが分かった。町中だ。
(どういう意味だ?)
特に隠す意図はなかったが、周囲には聞こえていないために内輪の会話に切り替える。
(あの嵐と、町中に埋めてある例の魔晶石につながりを感じるのじゃ。ゆえにこそ、こちらに向かって来ておるのかもしれぬ)
(そういうことか。増幅器じゃなくて誘導する役割だったってことか?)
(いや、両方兼ね備えているだけじゃろうな。犠牲魔法の件もあるし、他にも何か意図がある可能性はある。近づけぬのが一番だという爺の言い分は正しいのぅ)
(その犠牲魔法ってのは結局どういうもんなんだ?それが魔法の増幅効果みたいな話だったけどよ)
(それは何を仕込むかかによる。痕跡から魔力増強系の呪いは感じられたが、他にも何か混ざっておった。誰ぞ、解析しておるようじゃが間に合わぬであろうよ)
(そうか。オホーラはそれを確認しに行ったのかもな……自分でやれば、的な?)
(それはないと思うが……何にせよ、こっちに集中した方が良いのではないか?もうすぐそこじゃぞ?)
ラクシャーヌに言われるまでもなく、嵐がすぐそこに迫っていたのを感じた。ロレイア率いる魔防壁もずずずっと前へと進んでゆく。初めからもっと前に設置すればいいのではないかと思ったが、大規模魔法は時に具現化した後の調整が大事らしく、こうして動かすことで更に一体感を整えながら強固にするという手法だそうだ。
緻密な作業というか集中力が必要そうで、魔法に疎くても相当大変なことは分かる。分かるのだが、やはり実感がまったく伴わないために呑気な意見を言わずにはいられない。
「あの超でっかい嵐というか竜巻だけど、こんな魔防壁ができるなら、なんかどでかい魔法で相殺的なことをした方が楽なんじゃないのか?」
「クロウ様、それはさすがにないかと……」
「主、無茶ぶりすぎ」
ウェルヴェーヌとイルルのダブル能面コンビに無表情で呆れられる。大分、的外れなことを言ったようだが、その理由が分からない。その戸惑いを察したのか、ラクシャーヌが笑いながら説明してくれる
(わっはっはっ。おぬしは本当に魔法がダメダメじゃのぅ。よいか、魔法の相殺というのは超難度の技術がいるものと心得よ。相性、魔力総量、速度と範囲、想定される威力、それらすべてを把握した上で同等の魔法、魔力で打ち消さねばならぬ。その解析から必要なこの状況で、さらに複数の魔力を束ねて調整などとどんな手練れでも至難の業どころか妄想の類であろうよ)
一考に値しないほど難しいことらしい。
(やっぱ難しいもんなんだな、魔法ってのは……)
そんな呑気な会話をしているが、周囲はかなり荒れていた。
嵐の影響で様々なものが吸い込まれて、風切り音なのか巻き上げられた何かが立てている音なのか、耳障りな騒音が響いている。普通に考えれば既にクロウたちの身体も持っていかれていそうなものだが、半透明な緑色の魔防壁がそれをせき止めていた。
壁というには歪み過ぎている物体が、竜巻を正面から抑え込んでいた。一部が抉り取られるかのように巻き込まれても、すぐさまその壊れた部分が修復されていく。柔軟性とはよくいったものだ。魔法士たちが思い思いの方法で集中してその魔防壁を保持し、前進させていく。
何十人もの魔法士たちが同じ魔法を一斉に詠唱している光景は、かなり壮観な絵図だ。緊張感もなくそんな風に見ていられるのは、やはり安心感だろうか。ロレイアの指揮は見事で安定感があり、危なげがなかった。オホーラが現場にいなくても大丈夫だと判断したことも頷ける。
(情勢的には実際の所どうなんだ?素人目には、押し返して優勢に見えるんだが?)
(うむ。その見立てで間違いはない。どうやらあの大規模魔法は完全に撃ち切り型じゃな。既に発動者の意志を放れておる)
(それは要するに、もうコントロールしてる奴らはいねえってことか?)
(そうじゃ。小娘が指揮している魔防壁とは違い、魔力が続く限りただ存続するだけで、今はどこともつながってはおらぬ。ゆえに、こちらの魔防壁に対して経路変更や局所的な威力増大などの対応もできぬ。持久戦になれば自ずとこちらが完全に優位じゃ)
「なるほど、じゃあ、思ってたほどたいしたことはなかったってことか」
「主、どうしようもなくバカ……?」
気づかず声に出したら、いきなりイルルにけなされた。初めての罵倒に驚く。
「クロウ様に対して失礼すぎます、謝罪しなさい。けれど、内容には同意できる部分もあります。愚直すぎる表現なのがいけませんね。思慮が足りていない、もしくは浅慮で的外れ程度がよいでしょう」
ウェルヴェーヌの方が非難度が高い気がしてきた。何を間違えたのだろうか。
「そうか。それで、俺は何が分かってないんだ?」
「はい。あの嵐は前代未聞の大規模な竜巻で、普通にベリオスの町を半壊させる威力があります。たいしたことがないわけがありません」
「それに対するこの町の対応力が異常……普通、こんなに早く魔防壁を用意できないし、規模も制御も尋常じゃない」
「ふむ……要するに、素早く適切に対応できたから簡単に見えてるだけで、実際はとんでもないものってことでいいか?」
「……合ってる」
いつもの素っ気ない受け答えに戻ったイルルが小さく首肯した。そう言えば、さっきは割と早口にしゃべっていたような気がする。どっちが素なのか気になるところだが、少なくとも本気で呆れられていたことは分かる。思ったことをすぐ口にするのは止めた方がいいとオホーラに言われたことがあるが、何となくその忠告の意味を理解できたように思う。
その賢者が日ごろから勤しんでいる町の体制作りの重要さも、今回の件で実感できた。
何もない時にこそ有事に備えるための組織作りと連携を整えるべきだとずっと言っていたし、そのための下地を作ってきた。嵐に対抗するための人員がすぐ集められたのも、その統制を取れたのも、すべてそうした先見の明があったからだろう。
「特別区のやつらが手伝ってくれたのはやっぱ大きいんだな」
「はい。警備隊の魔法士だけではまったく足りていませんでした。特別区の優遇政策があってこそ、彼らも協力してくれたのでしょう。ただ住んでいるだけの場所を必死になって守ろうとする者はいません。住みやすい場所だからこそ、自分で守ろうとする意欲が湧くものです」
言われてみれば確かにそうだ。迫ってくる脅威から逃げる方がたやすい。ただの仮宿なら尚更だ。わざわざ立ち向かう必要などない。
目の前で嵐が徐々に押し返されていくのを見て、クロウはこれまでの日々が無駄ではなかったことを改めて痛感する。
というより、ほぼオホーラの手柄だ。こうした町作りの根幹はすべて賢者の助言に従ったものだ。改めて、その有難さを思い知る。急に現れたあの奇跡がなければ、ここまで来れなかっただろう。本人は時流読みの力でクロウの運命に惹かれてやってきた、というようなことを言っていたが、未だに何が何だか分からない。
運命などというものは信じていなかった。
ラクシャーヌと共生することが決められていたなんてことは考えられない。特殊技能で選択した結果だ。その選択肢が意図的だったかもしれないと、冷静に振り返ると考えられなくもないが、未来が決まったものであるという考えはやはり納得できなかった。自由意志で生きているのが人間だろう。
いや、記憶も過去もない身で自由意志は奪われた状態からのスタートだっただろうと言われると、反論はできないのだが。
……やっぱり変な運命に翻弄されていたりするのか?
クロウの思考が迷走していようと、現実の時間は進む。竜巻と魔防壁が正面からぶつかり合い、お互いを呑み込もうと衝突音を上げながら絡み合う。その音は騒音のようであり、悲鳴のようであっても、なぜかもう不快には響かなかった。吟遊詩人が奏でる伴走のように、荒々しくも繊細に耳に届く。
「今ですっ!畳みかけてください!!」
ロレイアがある瞬間に舵を切ると、魔防壁が一際輝いたように見えた。そしてそのまま竜巻に向かって突進してゆく。最後の一押しといったところだろうか。
それまでの音が歪み、風圧が一度上がったかと思うとすぐに凪いだ。徐々に下がるとかそういうレベルでもなく、一瞬で弾け飛んだ。
均衡していた力の行き場を失って、魔防壁が倒れ込むように崩れて、それもすぐに消え去った。
不意に静寂が訪れる。
まるで何事もなかったかのように、眼前に広がるのは竜巻被害で荒らされた平野と捩れた道だけだった。
「終わったの、か……?」
誰かが呟いたその声を皮切りに、「やったぞー!!!」という勝どきの声が続いて、あっという間に喝采に変わった。
脅威は見事打ち倒されたようだ。曇天の空もいつのまにか晴れ渡っており、明るい日差しが届いていた。
「どうにかやり切りましたね」
ウェルヴェーヌが安堵の吐息を漏らした。無表情に見えても心配していたのだろう。軽く手で拭った額にはしかし、汗はなかったように思うのは気のせいだろうか。
「おまえ、汗かくのか?」
「……クロウ様は私を何だとおもっているのでしょうか?」
例の微笑を向けられて、クロウは慌てて視線を逸らした。余計な一言を言ったらしい。また思ったことをすぐに口に出していた。気を付けねばならない。
「あぁー、軽い報奨金と宴の用意があるってロレイア経由で伝えてきてくれ。場所は特別区の酒場、宵越し屋と道楽亭だ。俺は明日の準備をしてくる」
「……主、逃亡?」
イルルたちの冷たい視線を受けながら、そそくさとその場を後にする。また何か口走って呆れられるのは御免だった。
(結局、あの嵐は何だったのじゃ?血相変えてたわりにあっさりと片付いたではないか)
(俺に聞くなよ。拍子抜けしたのは俺も同じだが、多分あの魔防壁がもっとすげえ魔法だったってことだろ。あんまり実感はないが、普通の対抗策じゃ被害が出てたってことなんだろうよ)
(確かにマナ量はなかなかのものじゃったが……ふむ、わっちの基準が人間如きと同じはずもないか。わっはっは)
ラクシャーヌは良く分からない納得の仕方をしていた。
(魔法関連の規模感がどうにもつかめないな。やっぱ実体験がないせいか。俺も少し学ぶ必要があるかもしれねえな……)
(無駄じゃ、無駄じゃ。おぬしはたいした才はない。わっちに任せておけばよい)
(なに、俺は才能ないのか?というか、そんなことわかるもんなのか?)
(うむ。共生しておるしのぅ。わっちが使えればそれで充分じゃろうて)
自分の一部からそう言われては、特に反論は思いつかない。
通りを歩いていると、嵐が過ぎ去ったことを知った町の者が皆嬉しそうに安堵して笑い合っていた。
危機的状況にあることは一般の者には伏せていたのだが、どこからか広まっていたようだ。
何もできない無力なものは、そうした時に祈ることしかできない。そうなると、やはり源導者の聖堂が必要になるか。一部ではその建設の議題も上がっていた。必須ではないが会った方がいいという意見が大多数だった。
嵐は去ったが考えるべきことはまだまだある。
クロウは次にすべきことを脳裏に浮かべながら、腹が減っていることに気づいた。急いで出てきたため、定時の食事などを一切取っていなかった。
何か軽いものでも屋台で買っていこうとして、金がないことにも気づいた。
「自分の町で肉串の一本も買えない領主ってのもせつないな……」
(なんじゃ、腹が減っておるのか?領主なのだから堂々とツケで買えばよかろう?)
「そういうみっともない真似はするなとウェルヴェーヌに言われてるからな……我慢する」
(わっはっはっ。使用人の命に従う主とは、本末転倒じゃな)
そう言われても、あの眼鏡メイドの顰蹙を買うのは避けたいと思うクロウだった。




