4-5
ウィズンテ遺跡の地下世界は、入り口付近の拠点を起点として東西南北に大まかな区分けをしていた。
全体図がまだないので、あくまで概念図を想定しての分け方だ。
調査権のある転移魔法陣は北東地区にあたり、その他の方面については今の所立ち入り禁止になっている。安全性を確保できていないからだ。探索者ギルドが中心になって、そちらは現在絶賛開拓中というのが実情である。ギルドはその任務にあたって実力のある者を選りすぐっており、徐々にその範囲を拡大する計画だ。
そんな地下世界の状況に置いて、それらに関係なく動ける者たちも存在する。
古代遺跡の所有者である領主一行、つまりはクロウたちである。
自分の庭をどう歩こうと自由であるのと同様に、まだ知らない未知の世界でどう過ごそうが持ち主の勝手であるのは道理だ。ただ、そこに安全があるかどうかの確証がないだけだった。
「こっちで本当に大丈夫なんだろうな?」
杖の先に良く分からない布を結び付け、そのたなびき具合を見ている占い師にクロウは微妙な視線を向ける。風に揺れるその布の動きと方向などで行く末を視る方法らしいが、動きながらの確認では自分の動きも加味され、恣意的になるのではないかという疑問が残る。本人が大丈夫と言っているから影響はないということだろうが、信憑性が薄れるのは仕方がない。
「しぃー!いま、集中してるんだからちょっと待ってよ」
(あんなもので分かるなら、わっちにもできそうじゃのぅ……)
ラクシャーヌの懐疑的な声はしかし、本人には聞こえていない。
クロウたちは現在、地下世界の西地区方面へと足を進めていた。ラクシャーヌの破壊衝動を抑えるために、一度吐き出させた方がいいだろうとの見解で一致した結果、破壊魔法を放つのに最適な場所を探しているところだった。
同行しているのはオホーラの使い魔の蜘蛛とウェルヴェーヌ、テオニィールにギルドから紹介された聖魔法の使い手であるシャルラムだ。彼女はミーアのお墨付きでA級探索者でもあり、今回の詳しい内容は知らされてはいない。クロウが危険な状態になった場合に、緊急処置のための保険として呼んでいる。
ラクシャーヌが災魔であることや、その破壊衝動に関する情報はロレイアやステンドにも伝えている。近しい者には知る権利があるとクロウが判断したためだ。二人とも一緒についてきたがったものの、ロレイアは転移魔法の方で監督責任があり、ステンドは別件の遺跡探索の方に同行していてかなわなかった。
特殊技能に関してはオホーラにしか話していない。現時点で伝えたところで、特に得るものはなさそうだったからだ。加えて、例の選択肢の内容が物騒なこともあって、あまり吹聴するものでもないという結論になっている。
それはそのまま、今回クロウを対象にしないという判断にもつながっていた。オホーラと話し合った結果、もしも特殊技能がクロウの危機的状況が条件だとした場合、その選択肢の内容如何では周囲の者にも危険が及ぶことが予想されたからだ。実際に、二回目の特殊技能時には付近にいた他人の命を犠牲にすることが余儀なくされた。一度特殊技能が発動すれば、その選択肢を変更したり拒否することはできない。実験で知り合いの身を危険にさらすわけにはいかなかった。
「西方面から、魔物の気配がするような気がします」
ウェルヴェーヌが不意に警告を発する。
先導者のステンドがいない今、なぜかメイドがその真似事をしていた。この無表情な使用人が学んだのは探索者の中でも運用係だったはずなのだが、器用なせいか色々と応用が利くようだ。曖昧な表現にとどまっているのは、確信が持てないせいだろう。それでも注意喚起としては十分だった。
「フェッカの類っぽいな。遠巻きに見てるぐらいなら無視しても大丈夫だろ」
「大勢の群れですと、後々厄介になるかもですよ?」
シャルラムがやんわりと口を開いた。おっとりとした治療士は紺色のローブ姿だった。それだけでは魔法士がよく着るタイプの服装だが、聖魔法の使い手のみが許される純白の長手袋が印象的で、そのためなのかローブは半袖のような特殊な仕様になっている。
「大量にいるなら、それはそれで好都合じゃ。わっちが薙ぎ払ってくれよう。じゃが、今日は半端なのが一番困るのぅ」
ラクシャーヌがクロウの腹から頭を出して嘆く。
「使い魔さんは何ておっしゃっているのですか?」
その異様な光景にもシャルラムは驚かずに微笑している。既にクロウとラクシャーヌの奇妙な共生状態の説明はすんでいた。さすがに災魔の実体化という真実は話していないが、使い魔ということでクロウの身体に出入りしている様子は実演済だった。それだけでもかなり特殊ではあるが、探索者だけあって常識外の事態にも寛容な精神は鍛えられているのか「凄いですね」の一言で片づけたあたり、なかなか肝が据わっている。
「数が多ければそいつら全部を魔法で蹴散らすから大丈夫だと、そんな感じだな」
「あらあら……物凄い自信ですね」
「ぬはっ!!?」
テオニィールが突然びくっと体を震わせて叫んだ。何事かと皆の視線が集まる。
「こ、こいつは何だろう……?」
「何の話だ?」
ひとりで驚いている占い師に問うと、テオニィールは自らが掲げた杖の先を示した。そこにはビリビリに敗れた細長い布が垂れ下がっていた。先程まで元気に風にたなびいていた面影はまるでない。考えてみると、あれほどに揺らされるほどの風も吹いていなかったように思う。あのたなびきはどこから来ていたのか。
「かなりヤバいものにぶち当たったかもしれない……正直、僕はちょっと怖くなってきたよ」
「だから、具体的に話せ。何がどうなっているのかさっぱりだぜ?」
「ああ、もう。これだから占いにトンチキなのは困るんだ。いいかい?僕はたった今まで君が望む壊し甲斐のある何かを探って占っていたわけだ。すると、何やらどでかいものがありそうな気配がしたからそっちに向かって更に探りを入れていたんだよ。そしたら、多分……向こう側から『返し』があったんだと思う」
「カエシ?」
「うん。要するに反応みたいなものだと思ってくれていいよ。強力な占いっていうのは、時に相手方に気づかれるんだ。対象が生物の場合だけど、何かが自分を視ているぞ、っていう気配を察知するっていうか。滅多にそんなことはないし、そんな特殊な感性の持ち主は本当に珍しいんだけどさ」
「そうか。つまり、お前が見つけたでかい何かは生き物で、そいつがこっちに気づいたっていう話なのか?」
「うんうん、そんな感じだよ。しかも、この反応を見るに、あまり友好的じゃないのは確かなんだよね」
「正確に報告してください。貴方様のうろたえようを見るにかなり控えめに表現しましたね?もっと危険な状況なのでは?」
ウェルヴェーヌがテオニィールをねめつける。使用人として一歩引いた立場にいつもはいるが、この占い師に対しては強気なメイドだった。
「いや、まぁ、その……こんなに返しが強かったのは正直初めてなんだよね。いや、だからといって滅茶苦茶危険だかとか、そういう話ではなくてだね、ちょっぴり不思議というか、どうなるのかなー的な?そういう、未知の領域っぽい何か的な――」
「そもそも、お前さんのそれは占いだったのか?普通の占いに、返しなぞないはずじゃが?」
オホーラの声が蜘蛛から発せられる。その蜘蛛は現在、ウェルヴェーヌの肩に乗っていた。
「いや、それはその……僕のこれはちょっと特殊だからね。普通の占いに特殊な探知魔法をかけ合わせたスペシャルなやつなのさ」
いかにも何かありそうなテオニィールの弁明を聞きたいところだったが、クロウにも分かるほどの空気の変化が前方から迫ってきていた。
「お前さんのいう友好的じゃない何かが来たみたいじゃな。ふむ……これは確かにどでかい……」
「ラクシャーヌ、もうアレでいいんじゃねえか?というか、どうにかして止めないとヤバ気な相手だ」
「僭越ながら、私としては皆さま方に撤退をお勧めします。勝てる見込みがあるのでしょうか?」
「あらあら……あれはもしかして、ティレムかもしれませんね。実物を見るのは初めてですが、話に聞いていたより大きいですね」
クロウたち一行が見たものは、聳え立つ壁のような何かだった。とにかく大きすぎて、見上げてもその頂上が見えない。シャルラムがティレムと呼んだ魔物は、御伽話に出てくる塔の魔物で、縦に長い魔法岩人形の一種とも言われている。あるいは、単に壁とも呼ばれるもので、その全体総量の大きさが存在そのものといっていい不可思議な魔法生物だった。
「でも、ティレムって動かないはずだよね?あれ、メッチャ走ってきてないかな?」
「走ってるかどうか分からねえが、近づいてきてるのは確かだよな」
「というより、呑気に話していていいのでしょうか?このままここで迎え撃つ気なのですか?」
「もうその手しかないのではないか?逃げても追いつかれるじゃろうしな」
「わっはっはっ。なんだか知らぬが、やるならやってみせようぞ」
ラクシャーヌがクロウの中から飛び出てきた。
既に皆臨戦態勢だ。逃げるという選択が現実的ではないことは確かなので、やるしかないという言葉には同意だ。
「アレで試してみることにする。お前らはシャルラムを連れて下がっていてくれ」
クロウは覚悟を決めてその場に踏み止まる。
対象があちらから来るのなら、それはそれで都合がいい。そのために来たのだ。迷うことはなかった。
「初手からぶっ放してよいのじゃな?久しく全力を出してなかったゆえ、わくわくが止まらんのじゃ」
ラクシャーヌはやる気で満ちていた。元々燻っていたものがあったのだから当然ではある。クロウには破壊衝動というものがよくは分っていない。呪いでつながっているとはいえ、その辺りは共有されているはずもなく、正直なところ災魔がいう危険性もあまり理解できているとは言えない。
それでも、本能的に何かがこみ上げてくるといった感覚が存在しうるということは分かっていた。生理的に排泄行為を我慢できないのと同じだ。そうであれば、ラクシャーヌの中で抑えきれない何か、それは確かにあるという主張に納得はいく。どれだけ切羽詰まったものなのかは分からずとも、それを耐えろと言うことはできない。
今後も向き合わなければならない破壊衝動は、いや、きっとそれこそが呪いなのかもしれない。
コントロールすべき問題。それを確かめるために、クロウは動く。
「とりあえず、俺が足止めできるか試してみる。お前はどれくらいで準備できるんだ?」
「正確には分からぬぞえ。じゃが、5分も見ればよかろう。あと、飛行はまだできぬゆえ、射線がここからになる。巻き込まれぬよう考えておくがよい」
「ぶっ放す直前じゃなく、ちょい前に合図をくれ」
それだけ言うとクロウは前方へと駆け出した。アテルが内部にいるため、自己強化はそれなりにされている状態だ。ティレムという未知の魔物相手でも、恐怖心はない。
(ごーごー、なのです!)
アテルのやる気も高いようだ。
近づくほどにその巨大さは実感できた。特に何をしてくるわけでもないのだが、ただただその圧倒的な存在感が心身共に圧迫してくる。そこには膨大なマナの波のようなものが含まれており、ある種のマナ酔いのような状態になるのだろう。
(わぁー、なんだか食べられてる感じがします!)
アテルが良く分からないことを言い出す。
「あいつの攻撃みたいなもんがあるとして、どういうのかお前は知ってるか?」
同じ魔物としての知識に期待してみたが「分かりません!」と即答された。
ならば、やることは一つだ。零距離になったところで、その足元を斬りつけるまでだ。
というか、アレは足なのか?全体像も良く分からねぇ……
目の前にしてもティレムという魔法生物の形態が認識できなかった。塔のようだと言われているが、そもそも身体の素材の判断がつかない。建造物の何かだと言われてみればそう見えるが、壁面は何とも形容しがたい平面で、凹凸がありそうな表面にはザラザラとした触感が感じられ、かといってどこかの塀の壁だと言われても納得できそうな曖昧な印象を受ける。
とにかくつかみどころがない。見る角度や距離によって変わるような、錯覚を起こさせる形と言えばいいのだろうか。
そもそも、ティレムの目的は何なのか。テオニィールの何かに反応してこちらに近づいてきたとして、それは攻撃を仕掛けてくるためなのか。
何も分からない。判断できない。だが、少なくとも友好的ではない気配はしている。
その存在感そのものでこちらを押し潰そうとするような、そんな意志を感じた。
「ごちゃごちゃ考えてもしょうがねえよな……」
クロウは剣を抜き放って集中する。
敵はすぐそこにある。遠くから見たときは走ってきていると感じたが、こうして目前まで来ると間違っていたことが分かる。
それは滑っていた。
地面を滑るように移動している。どういう原理なのかは不明だ。ただ、存在そのものがするりと移動しているのだ。音はない。これだけの巨体が、巨大な何かが動いているのにその動作音は皆無。見聞きするものすべてが錯誤する。感覚を狂わされている。マナ酔いもその一環だろうか。
結局のところ、そういう存在なのではないか。
考えるのをやめると決めたくせに、考えてしまう。それでも、同時に身体は動いている。
クロウは無意識に剣を振るった。その壁に向かって。真っ向から向かい合うと、押し潰されそうになるため側面に回る。厚みはそれほどない。不可解ではあるが、気にしている暇はない。剣先は弾かれない。ずぶずぶと壁にめり込んでいく。微小な抵抗がある。柔らかい感触でも硬い手応えでもない。ただ、刃は食い込みながら斬り進んだ。
そして、振り切れる。
一閃は通った。ティレムの動きが止まる。
何かが起こったのだが、それが分からない。クロウの一撃は利いたのかどうか、何らかのダメージがあったのかどうか。制止したことを考えれば、何かしらの影響はあったはずだが、その兆候がただ止まっただけでは心もとない。判断基準がまるで分からなかった。
「……不気味すぎる」
思わずそう呟く。
「利かないっすよ、多分……」
不意に背後から声がして振り返る。いつのまにか、そこにイルルが立っていた。いつもの灰色の道着のような恰好だ。
「お前、なんでここにいるっ!?」
「一応、自分、笛なんで」
「いやいや、今日は休みにしただろ?だいたい、どうやって来た?」
イルルにはラクシャーヌが災魔であることを伝えてはいない。ゆえに今日のテストについても知られるわけにはいかないため、側に置かないようにしていたのだ。クロウたちと一緒でなければ、地下世界に来れるはずがない。中層前にギルドの検問があるからだ。
「普通に歩いて?」
「いや、そうじゃねえよ!降りて来る資格ねえだろ?俺の名前を出して通ったのか?」
「適当にすり抜けて?」
イルルは当たり前のように裏抜けしたことを告白した。ギルドは資格のない者を通さないよう、地下世界への階段前でしっかりと入場制限をかけている。そこに穴があることが発覚してしまった。イルルが諜報員として優秀すぎるのか、ギルドの検問が雑なのか。どちらにしても悩ましい問題だが、今はそれよりも確認すべきことがある。
「ったく、お前のそれはとりあえず後回しだ。で、何か気になること言ってたな。利かないってどういうことだ?」
実際に斬りつけた手ごたえがあるのかないのか、判断がつかない状態だった。何か知っているのなら聞きたいところだ。
「……自分ら、昔アレに囲まれたことがあったっす。どんな攻撃も効かんくて、やるだけ無駄だったっす」
「囲まれた?」
いったいどういう状況なのか分からないが、嘘ではないだろう。しかし、ならばどうやってそこから抜け出したのか。尋ねると、
「三日ぐらい耐えてたらいきなり消えたっす」
「三日だと……?その間、何もされなかったのか?」
「うい。足止め目的だったす、多分」
イルルは相変わらずのやる気のなさそうな態度ではあるが、しっかりと質問には答えてくれる。
「あと、使い魔さんがさっきから何か叫んでるっす」
「あ?」
(はい!実はちょっと前から『もうぷっぱなすぞ、いいのかえ?』ってお姉さまが言っていました!)
アテルが待ってましたとばかりに報告してくる。
「何だと?それは早く言えよ!?」
(お話し中でしたので!)
「いらねえ気遣いっ!?」
距離があるため、連絡はアテル経由になる。アテルはラクシャーヌの眷属扱いらしく、ある程度離れていても意思の疎通が可能だということだ。逆に、なぜイルルがそれを知り得たのか。 とにかく、ラクシャーヌの準備が終わっているのならすぐにその場を離れるべきだ。
「離脱する。お前も来い、イルル」
「りょ……」
クロウとイルルは慌ててその場を離れるために走り出した。
その間、ティレムに動きはまったくなかった。一体何がしたいのか、先が読めない魔法生物であった。




