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しばらくの間、その部屋には沈黙が降りていた。
道楽の賢者の執務室だ。本人が書き殴ったと思しき紙の束が丸められ、そこかしこに突っ込まれた棚が両壁に並んでいる。その合間には魔法道具のようなものが乱雑に置かれていた。書斎机と椅子の後ろの大きな窓からは陽光が降り注いでおり、じっと動かない老人の姿を照らしていた。
クロウが自身の特殊技能とラクシャーヌが災魔であることをオホーラに打ち明けた後、賢者はゆっくりと身体を椅子の背もたれに戻して目を閉じたのだった。
今の今までラクシャーヌの正体を隠していたことを明かすことにしたのは、隠匿したままでは周囲に迷惑がかかりそうな事態になりそうだったからだ。自分だけで手に負えないときは、知恵のある者に助けを乞うことが最善だと学んでいる。他人の助力を得ることにためらいもなかった。性格によっては、そういう周囲を巻き込むことをよしとしない矜持やプライドといったものがあるらしいことは知ったが、自分には全く当てはまらないとクロウは自覚していた。
利用できるものは何でも利用する方が賢い。記憶がないので昔からそうだったのかは分からないが、少なくとも今はそれが基本方針の一つではあった。
「……これはなかなかに厄介な問題じゃな」
熟考していたたオホーラは、静かに薄目を開けてクロウを見た。
「まず、お前さんの言うことが本当だとして、いや、わしは疑ってはおらんが、実例がないのでな。多少含みを残した言い方になるのは承知してくれ。ラクシャーヌが災魔だとして、だ。その存在というか正体は絶対に隠しておいた方がよかろう。この街にはその犠牲者があまりに多すぎる。ラクシャーヌ本人の意志ではなかったにせよ、今の存在とは違った何かとして動いていたにせよ、それは被害者の論理では何も意味をなさぬ。恨み辛みの激情論で拷問刑に処されても、あまり文句もでまい。要するにバレたら殺される、そう思った方が良い」
「やっぱ、そうなるよな……」
そう思っているからこそ、ずっと嘘をついていたのだから当然だ。
「次に、その災魔としての性質とやらについてじゃが……これも、本人がそう感じておるのなら、そういうものだという憶測を支持するしかない。時に、お前さんとラクシャーヌがある種の共存状態にあるのなら、その破壊衝動とやらはクロウ自身にも影響を及ぼすのが道理な気がするが、そのような兆候はないのじゃな?」
「ああ。俺はまったくそういうものは感じていない。けど、まだないってだけの可能性はある……だからこそ、早めにあんたにこうして話しているわけだ」
オホーラは小さく頷いて、しばしまた黙り込んだ。
クロウも明確な答えが返ってくるとは思っていない。ただ、ラクシャーヌから打ち明けられた症状について、自分一人では処理できなさそうことは分かった。ラクシャーヌは最近、何かを壊したいという欲求が次第に高まってきているらしい。それは本能的な欲望であり生理的欲求のようなもので、自分で制御できる類のものとは思えないという結論に至っているという。つまり、その衝動が暴発した時、確実に周囲に迷惑がかかる。
その懸念があるからこそ、クロウに伝えてきたのだ。ラクシャーヌ自身もそれが一時的なものかどうか判別がつかなかったため、ここまでずっと黙っていたが、最近はその感覚が一向に衰えない傾向にあることに気づいて、警告の意味を込めて告白してきたということだ。
「わっちのこの破壊衝動を抑えきれなかった場合、どういった状態でどの程度の魔法を発動するか分からぬ。じゃが、それまで溜まりに溜まったものを吐き出すようなもので、そこに一切遠慮はないと思う方が良い」
「要するに、あの時撃とうとしてた破壊魔法みたいなもんが暴発する可能性があるってことか?」
「十分にあるのぅ。そもそも、わっちはそのために存在していたようなもんじゃからな。おぬしとの契約でどうなったのか分からぬままじゃが、なかったことにはできておらぬのではないか。それなりに抑制はしてきたつもりじゃが、このままいくとわっちとおぬしの命すら削って自滅する勢いで放ちかねん。周囲がどうなろうとわっちはかまわぬが、さすがに自滅するのは御免被りたいゆえ、こうして打ち明けたわけじゃ」
二人で検討した結果、すぐに賢者に相談ということになったのは言うまでもない。状況を推測するにも、知見が足りていなかった。
その意味ではオホーラと言えども、同じような条件ではある。災魔が実態化している前例などなく、転生人と奇妙につながっている状態などというのも前代未聞だからだ。それでも、記憶のないクロウたちよりはずっと知識や経験がある。
「そうじゃな……ラクシャーヌの破壊衝動について、現状で対処すべき最善の策としては、まず一度試してみるしかない。その感覚的なものを解消できるかどうかのテストじゃな」
考えがまとまったのか、オホーラが口を開いた。
「我慢できなくなる前に、吐き出させるみたいなもんか」
「うむ。偶発的に起こるのを待つのは危険じゃ。ならば、意図的にしかあるまい。更に言えば、その程度の見極めも大事じゃ。どの程度の破壊行為でそれが治まるのか、あるいは小規模であるならば減退するのか、その辺りも知る必要がある」
「ん、どういうことだ?」
「つまり、その破壊衝動の度合い、というものがあると仮に考えてみよ。例えばそれが100%で限界を超え、最大限の破壊魔法とやらを撃つことになると仮定したとき、ある程度抑えた破壊行為でそのパーセンテージ、割合がどの程度減るかという話だ。厳格に数値化することは難しいじゃろうが、できるだけ正確に測れるようにしておかねばならぬ」
「ああ、なるほど……一回で解消されるかどうかは分からねえってことだな?」
「うむ。ここまでその衝動が抑えきれているところを見ると、度々何らかの形で発散はできていたという推測が成り立つ。で、あれば、仮説としては少しずつでも何らかの攻撃魔法やその手の行動が代償行為として成立していたと考えられる」
「その仮説が正しいとしたら、なぜに今、わっちはこの何かを壊したい欲求を抑えられておらぬのじゃ?確かに、最近は人前に出るなというクロウの要望に応えて、ストレスなるものはあるやもしれぬし、戦闘という面において久しく行っておらぬわけじゃが……」
ラクシャーヌが腹からひょっこりと顔を出して意見を言う。多少恨みがましく聞こえるのには目を瞑っておく。そのまま賢者に伝えると、
「察するに、一時的な対処にしかなっておらぬということであろうな。あくまで想像ではあるが、根本的解決としてはやはり一度、大きな破壊魔法的なことを発動する必要がある、というようなところではないかと推察する」
「蓄積したものが溜まりたまって、という話か。確かにそれならば辻褄が合うようじゃな」
「ってことは、次に考えるべきはどこで、何に対して、そのでっかいのをぶっぱなすかって話になるか……」
「その候補としてはもう、一つしか考えられまい。地下世界で番人形どもを思う存分屠るがよい」
「あいつらか。俺らで幾つかぶっ壊しはしたが、ラクシャーヌ自身が思いっきり殴り倒したわけでもないから、実質的にはまだって判定になるのか?」
「詳しくは分からぬが、その辺りの判定というか結果も具に観測する必要がある。一口に破壊衝動と言われても、具体的に何を指すのかは難しい。攻撃対象、破壊度合い、あるいは力加減といったそれぞれの要素はできるだけ分かりやすく分類し、比較できるように整理しておくべきであろう」
オホーラの言う通りだった。今後も続く症状と捉えるならば、ラクシャーヌの感覚的なものをできるだけ可視化できた方が良い。そのためには数値化するというのはいい方法だ。
「なんじゃ、思っていたより面倒くさそうじゃのぅ……」
「暴発した時に俺らが死ぬ可能性を考えたら、面倒とか言ってる暇はねえだろ。手を抜かずに頼むぜ」
「確かに抑えが効かなくなって自爆、みたいな最期は勘弁じゃのぅ」
「そちらは早めに地下世界で実施するがよかろう。あまり人目につかぬようにな」
オホーラはそう言って一息つくと、どこか遠い場所へ思いを馳せるように視線を泳がせた。
「それで、もう一つの議題の方、お前さんの特殊技能についてじゃが……」
そちらに関してもオホーラには告げてある。膨大な知識を持つ賢者なら、何かしらの知見を得られるはずだった。常々違う視点は求めていたものの、秘密を打ち明けられずに断念していたのだ。
「イレギュラーすぎて分からんというのが正直なところじゃ」
「分からんのかいっ!?」
ラクシャーヌも期待していたようで、クロウよりも先に突っ込んでいた。クロウが思っているよりも二人の状況、呪いのような契約に関して気にしていたのかもしれない。
「何やらラクシャーヌが叫んでおるな?糾弾されておる気がするが、言い訳をさせてもらうぞ。そもそも転生人の特殊技能というのはあまりにも多種多様で分類が難しい上に、それぞれの特性についても本人ですら確固とした原理や仕組みについて理解できぬものじゃ。それを外から理解するのはほぼ不可能であるし、特殊技能研究者がいたとしても、それはおそらく一個人に絞った局所的なものであろう。応用性というか汎用性が乏しいと言わざるを得ない。どんなに掘り下げて知っても、メリットが享受できないゆえな」
「他に活かせないから、あまり理解しようとは思われないってことか?」
「そうじゃな。とはいえ、それは特殊技能の個々の特性に関してであり、原理的な部分に関しては例外じゃ。何をエネルギーに、どのような現象として変換されているのか、そういったところは別じゃ。結局のところ、お前さんたち固有の特性については自分たち以上に誰も語れぬだろうということじゃ」
「それでも、何か気づいたことはないか?」
もとより、すべて何もかも解明してもらえるとは思っていない。二人の共生について何らかの見解が欲しいだけだ。
「それは特殊技能に関してというよりは、呪い、もしくは契約でつながっていることについてじゃな?」
クロウとラクシャーヌが同時にうなずく。
そう、問題は災魔であるラクシャーヌとの現在の状況だ。特殊技能の表記では呪いとはっきりと書かれていたことが気になる。その具体的なものが分からずに不気味なのだ。
「短絡的に考えれば、今回の件で明らかになったように災魔としての特性で破壊衝動があり、それを定期的に出力しなければならないことこそが、呪いの正体と言えそうではある。そんないいつ弾けるとも知れぬ暴発魔法の種を抱え続けるなど、狂気の沙汰じゃからな」
「ん。そうだとして、この呪いは解けないのか?」
「どうじゃろうな。一般的な解呪というのは、呪いをかけた本人が解くかその呪術の法則に従って分解するか、といったところとなる。特殊技能によって呪いと定められたものについては寡聞にして知らぬゆえ、その一般的法則すら通用するかどうか疑問が残る」
「やっぱ正攻法じゃダメそうだよな……」
「そもそも、毎回そのような代償が必要となるわけでもないのであろう?」
「ああ、まだ二回しか特殊技能は使ってないが、二回目の時は別に呪いとかそういうもんが代償になかったからな。自分以外の要因が引き換えだったわけだが……条件がよく見えてこねぇ」
「聞いた限り、その選択肢に規則性、方向性があるのかどうかすら判断がつかぬ。発動条件も不明であるし、たった二回の要因で下手な憶測はせぬ方がいい」
「ふむ。やはり特殊技能をもっと使ってサンプル数を増やさねばならぬな。わっちが思うに、クロウが危うい状態になればよいのではないか?おぬし、今すぐ瀕死になるがよい」
「無茶言うな。だいたい、失敗した時にお前も死ぬ前提だと分かってて言ってるんだろうな?」
「わっちはアテルで防御すればどうにかなるんじゃなかろうか?」
「はい、お姉さまはワタシが守ります!」
「おい、俺は?」
「はい、ご主人様も守ります!」
「分離してたら、同時に二人は無理じゃぞ?」
「はっ!?ど、どうしましょう!?」
「……何を語っておるのだ?アテルの声だけでは判断がつかぬ」
完全に蚊帳の外だったオホーラが呆れたように口を挟む。ぴょこっと出てきたアテルの声は聞こえるので、余計混乱しているのだろう。
「そういや、アテルの声だけ聞こえるこの状態もよく分からねえよな?なんで、ラクシャーヌの言葉は他のやつに聞こえないんだ?同じ魔物だろ?」
「人間の分類が適用されるかどうかが怪しい上に、災魔が人型化したのも前代未聞じゃ。何をどう当て嵌めるべきかの指標がなさすぎるゆえ、比較に意味をなさぬ。ただ、私見ではラクシャーヌの声がわしらに聞こえぬ、解読できぬのにはおそらく意味があり、クロウにだけ分かる理由としてはやはりその呪いのような契約形態が関係しておるのじゃろう。お前さんの特殊技能によって現在の形になったようなものじゃからな」
「つまり、おぬしのせいということじゃな?」
「非難がましく言うなよ。「せい」じゃなくて「おかげ」だろ?お前を生かしたのは俺だぜ?」
「選択肢的に、おぬしが死にたくなかったゆえの消去法ではないかえ?」
「結果的に生きてるんだから文句を言うな」
「け、喧嘩はダメなのです!」
アテルがクロウの顔の目の前に張り付いて、必死の抗議をする。どうやって張り付いているのか疑問だが、感触も見た目で思うほど悪くはない。慣れてしまっただけかもしれないが。
「別に喧嘩はしてないから、どいてくれ」
「ホントなのです?」
「ああ。ラクシャーヌも言ってやってくれ」
「いいぞ、アテル。そのままへばりついておくのだ」
この野郎と思いながらも、事態が進展しないのでクロウは静かにアテルを剥がして頭の上に載せる。
「それで、結局何の話だったんじゃ?」
オホーラが舵を取り戻す。特殊技能の発動条件がクロウの瀕死状態かもしれないため、わざとそうした状況に持っていく提案について伝える。
「なるほど。危機的状況がトリガーとなって特殊技能が発動するという仮説は十分に考えられる。いっそ、破壊魔法をクロウに向けて放つというのもアリやもしれぬな……」
「おいおい、冗談だろ?」
「いや、その場合であれば、ラクシャーヌとクロウの共生関係が作用して、本能的にギリギリのラインを攻められるという仮定も成立しなくはない。同時に、その境界線前後で特殊技能が発動すれば一石二鳥の実験となり得る……不確定要素は多分にあるが」
「……危険要素がありすぎじゃねえか?」
「何にせよ、特殊技能に関しては、先程伝えたようにクロウ自身の生命力を削る確率が高い。その割合も人ぞれぞれではあるが、お前さんの場合継続性がある時点で消費量が多いという推測もできぬことはない。乱発は避けた方がいいのは言うまでもあるまい?となれば、効率よく試す方法は考慮せねばなるまいて」
論理的にそう言われると、あまり反論できなくなってしまう。ラクシャーヌが存在すること自体が、クロウの生命力を消費しているという考えもできなくはないということだ。その場合は、深く考えてもどうしようもない気がする。
「わっちの制御が本当に当てになるのかは疑問ではあるが、確かに自殺まがいの勢いでは撃たぬような気がするのぅ……悪い手ではないのやもしれぬ」
ラクシャーヌまで標的クロウの案に乗り気になっていた。果たして本当に大丈夫なのだろうか。
「お姉さまならきっと大丈夫です!」
アテルは不用意に煽るのは止めて欲しいところだ。
「なんせによ、早めに地下で破壊魔法系を一回はぶっぱなす必要がありそうってことだよな……」
「そうじゃな。念のため治療魔法は用意しておく方がよかろう。あの二人は治癒魔法しか扱えぬゆえ、ギルドに打診すべきじゃな」
治癒魔法と違って治療魔法は神聖魔法と呼ばれ、高位の司祭のみが扱える特殊な魔法だった。
「オホーラは使えないのか?」
「わしに信仰心などあるわけがなかろう?神聖魔法だけは、未だに源導者との不可思議なつながりが強い。その原理は研究され続けておっても、今もまったく解明されておらぬ」
「祈りを捧げるとかで、信仰の深さが測られるんだっけか?ってか、そもそも血に契約を刻む時点で、不信心なやつは弾かれるわけか」
「うむ。神聖魔法だけは、わしもついぞ契約できた試しがない。治療士が特殊である所以じゃ」
「ラクシャーヌは……使えるわけないか。対極の存在だもんな。魔力がどれだけ強くても、得手不得手があるか」
不満げに災魔が肯首する。
「不当に責められるいわれはないぞえ?回復魔法のことを言っておるのならその通り、治すより壊すことが得意じゃからな。だいたい、仮に使えたとしても破壊魔法を放った時点で、他の魔法を使えるほど余力があるとは思えぬ」
「確かに……」
「話はまとまったか?日取りを決めたらわしにも教えるがよい。災魔の破壊魔法は是非ともこの目で見ておきたい」
オホーラが妙なところに関心を寄せていた。
「それはいいけどよ、あんたは気にならないのか。災魔がこんなすぐそばにいるって事実に?」
「それは恐ろしくないのか、という意味か?」
「いつ暴発するかもしれないんだぜ?」
「それはこの世に生きることと大して変わりはすまい?何がきっかけでいつ死んでもおかしくはない。いちいち気にしておられぬよ」
オホーラは「ひょっほっほっ」といつものように笑って言った。
そういうものなのだろうか。
賢者の達観とも言うべきその思考に、自分は同意できるのかどうかクロウは分からなかった。




