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その部屋から黒ずくめの男たちは既に消えていた。
荒事は何もなかったという体で、ノーランが再びお茶を用意して丸テーブルに配膳する。既に乱れた家具などはきっちりと元に戻している手際は流石だ。
「なんや、あんさん見かけよりずっと強いやんか。ウチらごっつ騙された感じやわー」
不貞腐れたようにミレイが言うが、その顔はどこか嬉しそうだった。
「騙し打ちしてきたのはそっちだろ?」
「まったくその通りです。正しい賠償額を計算して後で請求させて頂きます」
冷静にウェルヴェーヌが報復しようとしているので、クロウは手で制する。このメイドは冗談ではなく本気でやることを既に学んでいた。
「それはまだいい。それより、さっきの話を具体的にもう少し聞かせてくれ」
「せやな。じゃあ、ここからは本当の取引をしまひょか」
ミレイは改めて、ウッドパック武器商会の裏の稼業について打ち明けてくれた。
暗器の独占販売には、この裏の顔の売り込みが含まれていた。それは諜報関連の仕事に関する請負業であり、ウッドパックの従業員はすべて密偵の仕事をこなせるという。暗器の製造販売だけではなく、その実用も兼ねているということらしい。今までは各地を移動しながら、期間限定で一時的な諜報の仕事をしてきていたが、そろそろ長期的に同じ場所に腰を落ち着けてみるのもいいだろうということで、このベリオスの地が選ばれたとのことだ。
なぜベリオスの町なのかという疑問に、ミレイは笑って答えた。
「これから伸びしろが仰山ありそうな場所やからな。新規が入り込むにも丁度いい時期やし、探索者も多い。理想的やろ?あと、奇妙な占いでも当たりらしいねん。もう、この波に乗るしかあらへんがな」
「占い?」
嫌な予感がしてクロウとウェルヴェーヌは思わず顔を見合わせた。
「せや。稀代の占い師とかなんとかいう大層な肩書名乗る兄ちゃんがいきなり現れてな、道に迷った言うてたが、本当かどうか分からへん。けど、なんだか面白そうやったから、一つウチらがここに根を張るべきかどうか占ってもろたんや。そしたらなんや、調子のいいことばっか言うてな。胡散臭い思うて、蹴り飛ばしたろ思った時に、急に芯をついたこといいよるねん。んなら、まぁ、わりとありかもしれんなー思うやろ?」
思い当たる男がいたが、人物像に焦点は当てないことにする。ただ、何を当てたのかは気になった。一応、オホーラもあのおしゃべり男の占いには一目を置いている。
「決め手になった占い?そら、ウチらが諜報部隊持っとることやな。裏家業やってるなら、ここで仕事するのはお薦め言うねん。何でも、最初は小規模でも、いずれは右肩上がりで利益は上がる言うてな。ソサで損した分を余裕で取り返せるとか平気な顔で言いよった」
ソサが何であるのかは言った本人も分かっていなかったようだが、ミレイには心当たりがあったということだ。それを言い当てたことで信用することにしたということか。
「まぁ、あんさん自身もさっきの戦いでただの領主じゃないことは証明してくれたしな。ウチらはもう腹をくくったで。んで、どや?」
クロウは選択を迫られていた。
諜報機関という役職は正直欲しいところだった。いずれ、警備隊の中からそうした組織も作る必要があるとオホーラも言っていた。近隣国に対して情報を探っておくことは必須とのことだ。また、町に新規参入してくるあらゆる人員の内部監査のためにも、秘密裏に動ける者たちはいた方がいい。
先程、音もなく現れた影の男たちの力量を見ても、ウッドパック商会の人間の実力は相当なものだと分かる。
問題は、どこまで信用できるかだ。
文字通り暗部を任せることになるので、関わる人間は絶対に信頼できる者でなければならない。
今日会ったばかりの者たちにそれを任せていいのかどうか、判断は難しい。
「とりあえず、試用期間を設けてもいいか?さすがに二つ返事でOKを出すには、お互い信頼関係が薄すぎる」
こういう場合は、決断を下すための試験をするのがいいとオホーラに教わっていた。即決すべきものとそうでないものはきちんと分けるべきだと、事前に学んでいて良かった。
「まぁ、それも道理やな。ええで、ウチらが優秀で味方につけた方がえらい得だって分からせてやるで。ほなら、笛をしばらく預けるよってからに、それも判断の一つにしたってや」
「フエ?」
「ああ、連絡係っちゅうやつや。イルル、聞いておったやろ?キミ、しばらくはこのクロウはんに付き従うんや。粗相のないよう、うまいこと頼むで」
ミレイがどこにでもなくそう言うと、不意に一人の人物が現れた。
「りょ。って、今からっすか……?」
いつのまにそこにいたのか、藍色のショートボブな少女がソファの横に立っていた。先程襲ってきた男たちといい、この気配の消し方は尋常ではない。多少警戒していたつもりだったのだが、まったく気づかなかったのでクロウは少し不安になった。
本気で不意をつかれた場合、自分に対処できるのかどうか自信がなくなっていた。
(おい、あれに気づいていたか?)
こういうときはもう一人の相棒に頼むことを最近覚えていた。
(なんじゃ?わっち使いが荒いぞえ?出てくるなと言っておきながら、今度は勝手な都合で使おうというのかえ?)
近頃は自由に人前に出ることを制限しているため、多少鬱憤が溜まっているラクシャーヌは、ここぞとばかりに文句を言う。
(お前は切り札みたいなもんなんだから、しょうがねえだろ?今度、好きなもんを食わせるから、答えてくれ)
(ふんっ、わっちを食べ物ごときで懐柔しようなどと甘いぞ。じゃが、最近露店売りで流行っている甘いパンとやらを所望する、よいな?白い粉がかかっておるやつじゃぞ?間違えるでないぞえ?)
大分、脇の甘い欲望が漏れていた。どこかで聞いた食べ物に興味があるようだ。食にこだわりがないクロウと違って、ラクシャーヌは食に関する欲求が高い。クロウの血以外はほとんど関係ないはずだが、味覚に味を占めている傾向が見られた。それで納得するなら安いものだったが。
(分かった、分かった。後でな)
(ふむ。ならば答えてやるのじゃ。あの小娘は入口横の壁から出てきたようじゃのぅ。隠し扉のようなものがあるんじゃろう。認識阻害系の魔法で気配を消すと同時にぬるりと入ってきおった。わっちを騙せると思ったら大間違いじゃがな)
ラクシャーヌは気づいていたようだ。それならば大分安心できる。一方で、気になる点もあった。
(魔法で気配を消すとかってできるもんなのか?)
(できる。魔族であれば姿を消すくらいまで可能じゃが、人間の場合、身体が消えることは不可能であるから、意識を逸らすという方向に魔法も発達したんじゃろうよ)
(意識を逸らす?)
(目の前に映っていても、見えていない、認識させない、という感じじゃろうか。壁に小さな染みがあっても、気にしなければそれは見ていない、見えていないのと同じようなもの。そういうことじゃ)
(なるほど。染みを染みだと認識しなければ、視界に入っていても見えてはいないってことか)
やはり魔法に関しては、ラクシャーヌはかなり博識だと思える。というか、最初に出逢った頃から比べて何やら頭が良くなっているように感じるのは気のせいだろうか。
(おぬし、失礼なことを考えておるようじゃが、今は目の前の小娘どもを相手にすべきなんじゃないのか?)
確かに内部で話している場合ではなかった。
突然黙り込んだクロウの次の言葉を、イルルと呼ばれた少女が待っていた。
「あー、つまり、なんだ……この子を自由に使って判断しろってことなのか?」
「せや。イルルは天然で存在感が薄くてな、こういう仕事にはめっちゃ向いてるねんけど、どうにも社交性と向上心も希薄すぎてやな。一皮むければもっとええ感じになるはずやから、ひとつ環境を変えてどないかってとこで、今回は丁度いい感じやろ。たいていのことはこなせるけん、やらせてみんさい」
「その言い方だと、こちらがいいように使われている気もしますが?」
ウェルヴェーヌの言葉に、くっくっくとミレイは笑う。
「お互い旨味のある話やで。そう噛みつかんといてぇな」
「そうか。数が必要な場合も、試験的にでも対応してくれるって話でいいのか?」
「もちろん、ある程度の数の集団が必要いうなら、イルルを通じて教えてくれたらいい。ちゃんと対応したるさかい」
「ちなみに、最大規模でどのくらいなんだ?というか、その場合はお前ら全員出動みたいな話になるのかもしれねえが」
「せやな。今連れてきてるのは50人くらいや。見習い含めてもうちょいと、本拠地的なところにも同じくらいはおるから、集めれば150前後だと思うてくれていい。もっといるっちゅうなら、見込みあるもんを探して来て鍛えるまでやな」
そこそこの数が既にいるようだ。諜報部隊として召し抱えるには十分な人数だろう。
「分かった。じゃあ、試しに使ってみるってことでとりあえずは合意しよう。イルルとか言ったか、普段は勝手についてくるって感じの扱いでいいか?仕事が仕事だけに、大っぴらに連れまわすわけにもいかねえからな」
「りょ……」
イルルは短く答えると、そのままその姿が薄れる。早速認識阻害系の魔法で控えにまわったようだ。たいして会話も交わしていないが、追々ということでいいだろう。
「なるほど……分かっていても、目の前でこんなに見失いそうになるのか。凄いな」
「くっくっく。せやろ、せやろ。あと、四六時中どっかで見張られているのもアレじゃろうから、この骨笛を使うとええ」
渡されたその小さな笛には穴が三つ開いていた。
「一つだけ穴を塞いで吹けば、すぐに来いって合図や。二つ塞ぐと、遠巻きに見ておけで、三つでしばらく近づくな、やで。まぁ、プライベートで見られたくないときもあるやろ?そういう時に吹いてぇな」
「へぇ、符丁みたいなもんか」
試しに一つだけ穴を抑えて吹いてみる。音は特にしない。犬笛のように人の耳には聞こえない周波数の音のようだ。
「……ん」
イルルが姿を現す。魔法を解いたようだ。よくよく見ると、変わった服装だ。灰色主体で目立たない色合いだが、格闘家が着るような動いやすい道着に似ている。袖やズボンに膨らみが多く、だぼっとした部分があるのは暗器を仕込むためだろうか。
「『ん』じゃあらへんで、イルル。何か用ですか、ぐらいちゃんと話せや。そういうとこやで、キミ」
「りょ。善処するっす……」
叱責されても、イルルは無表情にうなずくだけだった。どこかの眼鏡メイドと同じように感じるが、無機質さと無気力さで違いがあるな、とクロウは冷静に分析していた。ちらりとウェルヴェーヌを見ると「何か?」という視線を返される。
これは比較しているのが分かっているのかいないのか、深く考えるのはやめた。
イルルに対して何か言うべきか迷っていると、部屋の外が騒がしくなった。
次いで、「おらっ!大丈夫か、この野郎!?」と扉を蹴破る勢いで赤毛が入ってきた。ネージュである。
「なんや、招かざる客はいらんで?」
「テメエこそなんだ、チビ?アタシはこっちで騒いでたみたいだから駆けつけたまでだ。つっても、クロウ、アンタは無事みたいだな?」
「ああ、問題ない。外で待っていられなかったのか?」
「はん。一応、今は特別主任とやらだろ?ぼうっと見てる道理はねえ」
役職に対する責任は意外にも持っていたようだ。
「そんなことを言いながら、単に暇になって暴れたかっただけなのでは?」
「まぁ、そういう気持ちもあったな」
ウェルヴェーヌの指摘にあっさりとネージュが頷いた。簡単にそういうことを認めてしまうのはいかがなものか。
「ミレイ様、すみません。無傷で止められそうになく、判断を仰ぐ前に突撃されてしまいました」
「くっくっく。そうみたいやな。ええで、ええで。走り出した猪を途中で止めるのはごっつきついわ。それで、こっちの威勢のいい姐さんもあんさんの連れいうことやな?」
ネージュの後ろから恐縮して報告する部下に鷹揚に手を振るミレイ。寛大なところがあるようだ。
「ああ。ウチの警備隊の者だ」
「さよか。ほなら、最近探索者から引っ張り込んだっていう紅の暴鬼がこの姐さんっちゅうわけやな」
「さっきからうるせぇチビだな。とりあえず百発殴っていいか?」
「よくない。とりあえずで殴るのはやめろ」
「けど、そこの爺さんは結構やる気みたいだぜ?」
ノーランの笑顔が、ウェルヴェーヌの微笑のような凄みを増していた。使用人特有の持ち技なのだろうか。
「さすがに当家の主人を低俗な呼び名で侮辱され続けるのは、いさかか腹に据えかねますので……」
「くっくっく、ウチの爺が珍しくカンカンやで?お灸をすえていいなら、外で好きにさせよう思うけど、どないやろか?」
これは本人も少し苛立っているのだろうか。問われたクロウは、ネージュがそばにいると面倒そうだと判断して、厄介払いのつもりで頷いた。
「好きにやってくれ。けど、お互い怪我しない程度で頼むぜ。こんなんで仕事ができなくなるとか、バカの極みだからな」
二人は無言で外に出て行った。完全に臨戦態勢だ。ネージュはともかく、ノーランにもそういった面があることは驚きだ。
「なんや、色々とハプニングがあったけど、これからよろしゅう頼むわ」
ミレイは既に契約が成立したものとして笑顔を見せた。
「すべてはそこのイルルという方次第ですね。いっそ、あの二人を今止めてみせてもらうのもいい案なのでは?」
なかなか鬼畜なことを言うウェルヴェーヌだった。
「いや、あの二人の間に割って入るのは厳しいだろ……」
「せやせや。あんまり無茶は堪忍やで。イルルは諜報関係では優秀やけど、荒事全般に向いてるっちゅうわけやない。適材適所でお願いするわー」
「そうですか。汎用性に欠けるのはナイスポイントの減点ですね」
「ぐぬっ!?姉さん、なかなか上手いこと言い張りますやん……イルル、キミもこういうところを見習っていかなあかんで」
「……微妙」
「なんやて!?いま、うちの言うことに対して言ったんか?あ、こらっ!勝手に消えるんやない!」
ミレイの突っ込みも空しく、イルルはその後もしばらく姿を消したままだった。




