3-10
「ついに来るぞ!」
「おおっ、紅の暴鬼モードだ!」
「馬鹿野郎!あれは血まみれの狂鬼だっつーの!」
やにわに騒がしくなる周囲の声をとらえたクロウは、何事かと振り返った。
戦闘中に相手から無防備に背を向けるなどあり得ないのだが、あまりに自然体で声までかけるので、誰もがその異常さに気づくのに遅れていた。
「なんだ、そのクレナイノボーキ?ってやつは?」
「何って、ネージュ姐さんの二つ名だよ。怒りが頂点に達すると発動する狂戦士モードだ。お前、終わったぜ?」
気安い雰囲気に流されたのか、領主に対してお前呼ばわりしてくる観衆の男は、ネージュを相当気に入っているようだ。姐さんと呼ばれているとは、探索者仲間に好かれている証と見ていいのだろうか。
だが、その言葉にかぶせるように否定が入った。
「おい、嘘教えてんじゃねぇ!姐さんの二つ名は血まみれの狂鬼だ。勝手に変えるんじゃねぇよ!」
「はっ、勝手に言ってるのはお前らの方だろうが!」
なぜか、男たちが取っ組み合いの喧嘩を始めた。ネージュの二つ名で論争があるようだ。どうでもいいので、当人に向き直る。
確かに赤髪の女戦士の雰囲気が変わっていた。怒りがどうとか言っていたが、さっきから十分キレ散らかしていたのは気のせいだろうか。あの上があるとは驚きだ。
それに合わせるように、ユニスもまた何か詠唱を始めていた。ここからが本気だということか。
A級相当の探索者の実力、しっかりと見せてもらおうとクロウが考えていると、急に横から暴風が吹いた。身体が持ってかれそうになり、慌てて重心を落として踏ん張る。
何事かと思えば、ネージュが鬼の形相で笑いながら、大剣を打ち込んで来ていた。
「おお?」
正直、まったく見えなかった。
身体はアテルの特性によって衝撃を吸収したようだが、それでも力に押し流されたということだ。
「もう逃がさないよ」
ネージュの囁くような声と共に、続く斬撃をクロウも剣で受けるが、それまでの一撃とは明らかに重みが違った。女戦士の身に何が起こっているのか、更なる身体強化の類で上乗せされているのは間違いない。
そして、彼女が攻撃を振るうたびに血しぶきが飛んでくる。クロウは傷を負っているわけではないため、その血はネージュのものだ。よくみると、その額近くが真っ赤に染まっていた。精悍な美人が血に染まった状態で微笑を浮かべながら、物凄い勢いで大剣を振り回している。
なるほど、血まみれの狂鬼という二つ名がふさわしいな、とクロウはそちらに一票を投じることに意見が傾いていた。
(痛っ、結構、これっ、痛いですよ!?)
アテルがなぜか攻撃を受けるたびに悲鳴を上げる。クロウとしてはしっかり受け切っているつもりなのだが、どういうことなのか。
(ふむ。芯の通った攻撃ゆえ、クロウの身体を通してアテルにまで衝撃が届いておるのやもしれぬな。要するに、クロウの未熟な腕では完全に防げておらんということじゃ。へたっぴめっ、わっはっはっ!)
腹立たしい言い方ではあるが、筋は通っていそうだ。ならば、とクロウはここで丁度いい鍛錬とばかりに、もっとうまく受けようと色々と工夫を凝らす。
その度にアテルに、どうだ、まだ痛いか、と聞きながら修正していく。
傍目にはネージュの怒涛の攻撃に押されているクロウの構図だったが、実際は完全に剣技の練習台になっていた。とはいうものの、それまでの攻撃とは違ってネージュの一撃一撃は確実に強度を増しており、クロウも余裕で対応しているとは言い難い。
そこには技量の差が如実に表れており、改めてクロウは戦い方の大切さを感じた。
しかし、このネージュの突然の能力向上はどういう絡繰りなのか。ユニスによる補助魔法かと疑いもしたが、以前として詠唱中だ。その長さからして、よほどの大魔法を発動してようとしているらしい。観客がいる状態で危険すぎないだろうか。
ちらりと集まっている探索者たちを見ると、勝手知ったる様子で防御の魔法系である魔防壁が何重にも既に張られていることを見て取る。そうまでして見守りたいらしい。その根性は見上げたものだ。そろそろ攻撃に転じて終わらせようかと思ったが、ユニスのアレが完成するまでは待つのが礼儀だろう。
「ハッ、ハッ、ハッ……」
ネージュの呼吸音が更に荒くなる。まだ嘲笑のような笑顔が張り付いてはいるものの、流石にこれだけ連続攻撃を繰り返し続けていては身体が持たないはずだ。その回転力が落ちている。クロウもこの短時間で大分剣の取り回しが上達していた。技から技へとつなぐ際の呼吸、間、些細な身体の使い方で驚くほど流れが変わることが分かった。
まだ頭で考えながらの動きのために遅いが、これを反復して無意識に行えるようになることが、きっと技術というものなのだろう。実に奥が深い。
(はい!もう痛くなくなりました!)
アテルの申告で、実際にネージュの攻撃を完全に受け流せるようになったことを知る。
さて、ここからどう来るのか。
敢えて反撃もせずに待っていると、ネージュの腕が止まった。また一度後退するのかと思ったが、その場で息を整えている。敵を目の前にたいした胆力だ。一見無防備に見えるその佇まいにはしかし、他者を威圧する何かが確かにあった。
それは闘気と呼ばれるものらしい。ある程度の高みに達した者にしかまとえない特殊なマナの流れだと知識にある。魔力になる前の純粋な力の集合体なので、魔法などで干渉すると思わぬ反応を見せるため、生物は本能的に警戒するようになっているとのことだ。
よくよく考えてみると、マナというものをクロウはしっかりとは分かっていない。世界に存在する空気のようなもので、人の精神力と融合することで魔力となる源という程度の理解だ。
(なぁ、マナって結局何なんだ?)
(なに?急に何を言い出すのじゃ?それは本当に今聞くべきことなのかえ?)
(いや、そうかもしれねえけど、気になったんだ)
(はい、はい!マナさんはマナさんです!仲よくすればとっても心強いですけど、怒らせるととっても怖いです!)
アテルの説明は理解に苦しむ。要するに、敵にも味方にもなるという意味だろうか。なんにせよ、本質的な答えではない。
(あの赤毛、もしや呪われておるのかもしれぬな)
不意にラクシャーヌがそんなことを言い出した。
ネージュは現在も仁王立ちのような状態でどこか虚空を見つめている。最大限の力を溜めている、そんな嵐の前の静けさのような趣を感じる。
(急にバカ強くなったのも呪いのせいだって話か?)
(確証はない。さっき、あの娘の血が降りかかったじゃろう?妙な魔力を感じたってだけじゃ。まぁ、どうであれたいしたことはない。アテルと共におぬしの中にいると、わっちもすこぶる快適じゃからの。何にも負ける気がせん)
(お姉さまは無敵なのです!)
ネージュのあの血はどこから来たのか。今更ながら不思議に思う。クロウは傷つけた記憶はない。あるいは気づかなかっただけで掠っていたのだろうか。だが、額の辺りでは決してない。怒りのあまり、血管が切れて血を吹き出したのか。
それはそれで恐ろしいと思いながら、真剣にネージュの顔を注視すると、左眉の火傷跡のようなところから血だまりが広がっているように見えた。傷口が開いたのかと思ったが、火傷跡でそんなことはないはずだ、おそらくは。
あまり自分の知識が当てにならないため、どうにも締まらない。
苦笑気味に嘆息すると、ネージュの纏う闘気が急激に膨らんだ。準備が整ったということだろうか。そのタイミングに合わせるように、ユニスの詠唱も止んだ。
「―――っ!」
一瞬の静寂の後、誰かが息を呑む音と同時に、それはクロウに襲い掛かってきた。
頭上から一筋の光の矢。触れたものを焦がし尽くすであろう熱量の塊。
前方からはネージュの大剣。刹那の間に一回転して、腰の入った横薙ぎの一振りだ。遠心力に加えて溜めに溜めた魔力、踏み込みの一歩、筋力の開放。それらすべてをその一撃に込めた必殺の一閃。
手強い攻撃だということは分かった。それでも、クロウは大丈夫だとなぜか確信できた。
なぜなら、それをしっかりと把握できている、見えている。それを上回る速さで着実に対処できるからだ。
魔力を通した剣で頭上の光の矢を捻じ曲げるように弾き飛ばし、そのままの勢いで身体ごと跳躍、半円を描く剣の軌跡に沿うように上半身をひねり、宙を舞った状態でネージュの一撃に合わせる。
重心のないそんな曲芸まがいの体勢では到底受け切れないはずだったが、ガキッという鈍い金属音と共に、ネージュの会心の一撃が止まる。
相手の動揺が剣を伝わってくるが、かまわずに更に身体を回転させる。必然、連動して弧を描いたクロウの剣がネージュの大剣を押し返した。弾き飛ばされることはなかったが、重圧で痺れたのかすとんと尻もちをつく。漲っていた闘気が霧散し、どこか気の抜けたような表情でこちらを見つめているネージュがいた。
「終わりか?」
そう問いかけたが、返事は聞こえない。
綺麗に地面に着地すると、周囲からどっと歓声が沸き起こり、興奮で足を踏み鳴らする地鳴りのような響きが伝わってきたからだ。血まみれの狂鬼の決定的な一撃を返したのだ。戦闘好きにとって、たとえ賭けていない方であったとしても、その技が見事であれば称賛するのは当然のことらしい。
「ちくしょー、お前の勝ちだ、バカヤロー!」
「あんなの反則だろ、をいいぃぃ!!!」
「すげぇもん見せつけやがって!!俺の金を返せ、クソがっ!!」
罵声なのか喝采なのか、良く分からない声が飛び交う。賭けの大半はネージュ優勢だったらしいことは確かだ。
そんな外野はともかく、勝負である以上は本人の意思がすべてだ。
いまだ呆然とした様子のネージュの近くに立ち、もう一度問う。
「まだやるか?」
はっとしたようにネージュは立ち上がってもう一度大剣を握り直すが、その腕が震えていた。力がうまく入らないのだろう。
「クソが……こんなんじゃ、ごまかせもしないね。アタシの負けだ。好きにするがいいさ」
不貞腐れたように再びその場に座り込んだ。
ネージュの敗北宣言により、クロウの勝利が確定した瞬間だった。
「そういうわけで、ネージュにはしばらく警備隊の特別主任をやってもらうことになった。ついでにユニスもその副官だな」
「いや、どういうわけだよっ!?」
ステンドが秒速で突っ込んできた。
「だから、勝負に勝ったからだが?」
クロウはその日の朝食のロンパンを食べながら答えた。ロンパンとは別名白パンで、上等な小麦で作られた高級なパンだ。一般に出回っている黒パンの方でいいと言ったのだが、領主である以上、ある程度上等な食べ物を摂取しなければならないという理屈で却下された。金に余裕のある者が積極的に高級品を買い上げないと、経済的によろしくないという話らしい。
これもベリオスの町が豊かになってきた証拠の一つではあるので、受け入れるべきことだと思って甘んじる。
同じ食卓に着いているステンドも、そのロンパンを躊躇なく口に入れながら捲くし立てる。
「いやいや、クロウが勝ったら警備隊に斡旋することをギルド側、つーか探索者たちも認めるって話なだけだったろ?ネージュが主任とかいうのは関係ねーじゃねーか?」
「斡旋して主任にした。あいつ、結構人望あるみたいでな。結果的にくすぶってた連中全員が警備隊に一時雇用された。当面の人手不足もこれで解決だ」
「ブレン様からの報告だと、半数が強制的に編入された模様です。その時点でなぜか軽症の人間がかなりの数いたということから、半ば強引に勧誘された疑惑が濃厚ですね」
ウェルヴェーヌが淡々と告げる内容は、なかなかにえげつないものだった。
「おいおい。完全に無理やりじゃねーか」
「まぁ、最終的にはお互い損にはならないだろうよ」
裏でそう仕向けたのはクロウなので、何も問題はない。ネージュが先頭に立って警備隊の仕事をすれば、他の探索者もそう文句は言わないだろうという算段だ。正確に言えば、不満が出ても力でとりあえず抑えられるという企みである。オホーラの助言であることは言うまでもない。
これから他国と対等に渡り合う上で、戦力すなわち軍の数というのは絶対に必要なものらしく、兵数そのものが示威力として有効だということは何となく理解できる。10万の兵がいる場所に1000人程度で攻めようという愚か者はいない、という話だ。もっとも、そこに転生人が含まれるかどうかでまた事情は違ってくるのだが、それはまた別の視点だろう。
「んで、次は何をしろって話だったっけか?」
クロウがウェルヴェーヌに振ると、傍らに控えていたメイドがすぐさま答える。
「商人長のナキド様から、新規参入の商人系団体の制御が厳しくなっているため、もう少し厳格に法を整備してもらいたいという打診があります」
「そこら辺はオホーラの領分だろ?」
「はい。全体としてはそうなのですが、一部厄介な商会があるようで、その対応をクロウ様に任せる、とのお話です」
「……すげえ面倒臭そうな匂いがするな」
「だとしても、他の皆様も同様に対応していらっしゃいますから、クロウ様だけ楽をできる道理はないと思います」
他の皆というのは、ロレイアやテオニィールのことだろうか。魔法士の二人は転移魔法陣の調査で、ほぼ地下世界に籠っている。オルランドとニーガルハーヴェ意外の国からも既に調査権の購入は済んでおり、その受け入れ体制の構築に忙しいのだ。
オホーラも本当はそこに加わる予定だったが、地上の方の町の運用管理の方が優先度が高く、手を付けられない状態だった。
他にも色々とまだ整備するべきものは山ほどあり、正論を言われるとクロウに拒否権はなかった。
「後で資料をちゃんと読む……」
自分の時間を持つのはまだまだ先のようだ。




