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選択死  作者: 雲散無常
第一章:災魔
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1-2


 首筋に何かを感じて男は目を覚ました。

 自分が横になっているのを感じる。寝ていたのだろうか。まったく記憶はない。

 頭上には空が見える。抜けるような、とまではいかないが青空だ。どうやら外にいるらしい。野宿でもしていたのか。やはり覚えはない。

 視線を降ろす。その首元に何かがいた。ちゅうちゅうと何かを吸っていた。

 「何だ?」

 よく見ると、幼女が自分の首に牙を突き立てていた。ぞわぞわと首筋から感じていた違和感は、この小娘が原因のようだ。血を吸われているらしいと気づく。

 「おい、止めろ」

 意味不明な行為を止めようと首根っこを掴んで引っぺがす……つもりだったが、動かなかった。予想以上に幼女は強固だ。いや、自分の力が足りていないのか。意識がはっきりとしない。起き立てだからというより、血の巡りが悪いからのように思えた。貧血、という症状が思い当たる。

 はっとして、元凶に気づく。

 まさしくこの幼女のせいだ。本当に血を吸われているのだ。数秒前は漠然とそう思っただけだが、今は確信している。血を吸われている。

 だが、なぜなのか。吸血鬼という種族が脳裏をよぎるが、あれは架空の存在のはずだ。実際に血を吸う生物はいないはずだ。少なくとも、こんな人型では。

 「おい……」

 無理やり引きはがせないので、説得を試みる。

 「血を吸うのは止めてくれ」

 無意識に命令から要望に変わっていた。その甲斐があったのか、幼女がこちらを見る。

 なかなかに可愛らしい顔立ちだ。髪はゆるふわ系で柔らかそうな銀色の艶があった。大きくくりっとした瞳は灰色で、好奇心の輝きが宿っている。うっすらと赤みがかった頬はつつくと心地よさそうな弾力が見て取れる。ただし、その額には角らしきものがあり、口元からは血が滲んでいた。

 明らかに人間ではない。よく見ると頭に獣耳もあった。不意に思い出す。

 そうだ、こいつは――

 「災魔か」

 「……サイマカ?」

 幼女がしゃべった。舌ったらずなところはあるが、しっかりと言葉を発していた。

 「話せるのか?」

 「むむ?おぬしこそ、わっちの言葉が分かるのかえ?」

 「ああ。分かるな。というか、普通にしゃべれたのか、お前」

 「ほほぅ。人間に届くのか。いったい、どうなっておる……?」

 幼女は驚きに目を丸くした。どうにも、その年齢に似つかわしくない話し方だった。態度も尊大で子供とは思えない。その小さな頭が傾げられ、不意に何かに思い当たったように、勢いよくうなずいた。

 「いや、そうか!おぬし、わっちと契りを結んだのじゃな?」

 「チギリ?何の話――」

 そう返そうとして、呪いという単語が浮かび上がってくる。

 例の謎の選択肢が思い出される。

 そうだ、俺はこいつを生かす方を選んで……

 「ふむ……?わっちの記憶も何やら混濁しておるようじゃ……まぁ、よい。とりあえず、血を吸おうぞ」

 「いや、良くねえ!とりあえずで吸うのはやめろ!」

 「なぜじゃ?」

 「普通に死ぬだろ!?なんかやけに力入らねえし……ヤバい状態なのは確かだ」

 「そうなのかえ?ふむ……ふむ?ほほぅ、どうやらおぬしが死ぬとわっちにも影響が出そうじゃな。わけのわからぬ知識がある。わっちの頭の中はどうなっておるのか……まあ、よい。では、あともう少しでやめておくかのぅ」

 「いや、今すぐやめろよ!?」

 それからもしばらく問答していたが、どうにか引きはがすことに成功した男は、ようやく半身を起こして周囲を確認した。

 が、何処にいるのか判別がつかない。何かの建物の残骸の中のようで、散らばった瓦礫の山に囲まれていた。それらが遮蔽物となって遠くまで見渡せない。ただ、散発的に火の手が上がったり、煙が充満していたりと、まだ町の中にいるらしいことは分かった。

 空中の災魔に引き寄せられた後、どうなったのか定かではないが、また地上へと投げ出されたということだろうか。

 「それにしても、奇妙な状態になったものじゃな……」

 よっこいせ、とばかりに幼女が立ち上がり、ふむふむと自身の身体を確認している。その仕草は人間のそれであるが、人肌と体毛が半々くらいの比率で融合しておりほぼ半裸状態だった。災魔に服という概念はないのか、などと思っていたが、ふと自分自身を顧みて男は思わず叫んだ。

 「って、俺も裸じゃねえか!!?」 

 「何じゃ、急に大きな声を出すでない。服とやらなら、わっちの魔法で吹き飛んだようじゃ。むしろ、なぜ服だけだったのかそちらの方が謎じゃえ?」

 「いや、それは確かにそうだけどよ。真っ裸じゃ落ち着かないだろ?露出趣味は俺にはねえ」

 と答えながら、そうなのかと自身に疑問を抱く。裸でいることはおかしなことなのだろうか。そう考えたとき、社会的に人間はやはり皆服を着ていることを記憶が告げる。裸体で生活していたのは相当大昔のようだ。不意に出た露出というのも、一般的な行動でないことがなんとなく分かった。

 「大した問題ではないじゃろ。それより、おぬし、名は何という?契りを結んだからには、互いを知っておくべきであろう?」

 「大した問題だと思うがな……っていうか、名前は分からねえ。記憶がさっぱりないんでな」

 「なんと?わっちの魔法で記憶も吹き飛んだと言うのかえ?なんじゃなんじゃ、それはまた二人して困りものじゃな」

 「はあ?そいつはどういう意味だ?」

 「どうもこうも、わっちもほとんど記憶がないのじゃ。似た者同士のようじゃな。わっはっはっ」

 仁王立ちで幼女がからからと笑った。先程までこの一帯を壊滅させようとしていた災魔とは思えないほどの、屈託のない無邪気な笑顔だった。



 それから10分ほど、二人は会話を続けて現状をなんとなく整理した。

 だが、分かったことはそれほど多くない。 

 何しろ記憶がないのである。

 一般常識というか意味記憶は保持しているが、基本的には全生活史健忘のようで、自身に関するあらゆる記憶がないという状態らしい。要するに、自分が人間であることは分かるが個人として誰なのか、という認識がまったくできない。そのような一般的な知識はあっても、個人的なものは一切ないということだ。

 災魔の幼女の方も、災魔という存在だと自己認識はできるが、個体としての自我は不明ということだ。知識があっても個々の人格の情報がない場合、自己が客観的な他人になる気もしたがそうでもないらしい。共にそのような個性、自我というものが不確かな状態ではあるが、ある程度の主体性は無意識に持っているようで、どうやって生きて来たかは分からずとも、どうやって生きたいか、という漠然とした方向性は潜在的に見えていた。

 その点において、二人の見解は見事に一致した。

 つまり、無駄死にはしたくない、ということである。

 それは種としての本能から来るものであるかもしれないが、はっきりとした意志を感じた。

 「……とにかく、俺たちは今ある種の運命共同体みたいな状態になってるってことだな?どういう理屈か知らねえが、お前は俺の血が食料みたいなもんで供給が途絶えると死ぬ、と。んで、俺の方もお前が死ぬと魂が引きずられてそのまま死ぬと。そいつがつまり、お前が言う契りとやらで、多分俺が選んだあの選択結果の呪いってやつか」

 「うむ。わっちの理解はそんな感じじゃな。呪いとは不愉快な表現であるし、なぜゆえこんな状態になっているのか不明じゃが、事実は事実として認めねばなるまいて。そういうわけで、血を吸わせるがよいぞ」

 「やめろ。隙あらば吸おうとするな。お前、俺が死んだら死ぬってことを早速忘れるんじゃねえよ」

 「なに、そのくらいで死ぬわけがなかろ?」

 「お前、人間の知識ちゃんと持ってるのか?うろ覚えだが、確か人は全体の20から30%の血液を失うとかなりヤバいんだぞ?体感、もうそのギリギリまで行ってる感じだからな?というか、俺、今まったく動けないくらいだからな?」

 「なんと!そういうものなのかえ?そういえばわっち、さほど人間の知識はないようじゃの。ふむ……知識に偏りがあるのは種族の差かの?」

 「そもそも、災魔って存在はどんなもんなんだ?お前は人と同じような生物の分類でいいのか?」

 「それはどの切り口で分類するかによるんじゃないかのぅ?というか、やはりまずは名前から決めぬか?小僧にお前呼ばわりされるのは、どうにも好かぬ」

 「小僧って、お前の方が完全にガキなんだが?」

 「バカもの!わっちは長年見識をため込んでおったのじゃ。おぬしよりよっぽど長生きしておるわ!」

 「長年?そのなりで?成長が遅いってことか?」

 「いや……その……ずっと眠りながらであったからのぅ……活動年数としてはちょいと……少ないかもしれぬが……」

 災魔は急に小声になっていた。幼女の方も記憶喪失だけあって、知っている知識であってもその都度、どこかの引き出しから取り出しているような感じらしい。該当する単語や事象に合わせ、連想する情報が蘇るといった感覚だ。今もそのような形で何かに気づいた様子だった。

 「眠りながら……?睡眠学習してた、みたいな話なのか?」

 「おそらくは、そうなるんじゃなかろうかのぅ……わっちにその記憶はないが、災魔というものが世に出る前はそうした知識を蓄える期間がある、ような気がするのじゃ……」

 「なるほど……お互い、過去がまったく分からねえのは不便だな。けど、とにかく名前だっけか。それは一応決めた方がいいかもしれねえか。名前ってのは確か、アイデンティティ確立に重要なもんだって話もあった気がする」

 「あいべんぴぴー?なんじゃ、それは?」

 「アイデンティティ。自己同一性だっけか。要するに自分自身と他者、世界との関係性みたいなもんだ……確かに俺とお前とで持ってる知識の乖離があるな。それは種族としての違いに起因するのか……」

 「ふむ?おぬしの言葉はときたま、良く分からぬな。とりあえず、また話がズレる前に名を決めるとしよう。じゃが、あいにくわっちには命名規則などの知識はないようじゃ。参照するべきものがないゆえ、おぬしに決めさせてやろう。光栄に思うがよいぞ?」

 「知識がないくせに上から目線だな!けど、そうだな……お前の名前か……そういや、なんか叫んでたな」 

 男はぱっと閃いて、それを思い出す。

 「らく……しゃあ……何だっけか……ぼべー?」

 「何じゃと?らくしゃ、ぼべ?名前とはそういうものなのか?わっちが知る個体名と比較すると、妙な響きに聞こえるがの」

 「いや、なんか締まりが悪いな。らくしゃー、ぶー、ぬー?んんー、そうだな。ラクシャーヌ、なんてのはどうだ?」

 「ラクシャーヌ?ふむ、悪くない響きに思える。よい。それではわっちは今からラクシャーヌじゃ。で、あれば、おぬしはそうじゃな。クロウ、でどうじゃ?」

 「苦労?なんか幸薄そうな名前だな。ってか、お前が決めるのかよ!?」

 「おぬしがわっちのを決めたのだから、必然そうなるであろ?黒髪ゆえ、クロウじゃ。実に痛快でよかろ」

 そう言われるとそれがフェアに思えた。色から連想するという安直さえなければ、だが。とはいえ、それほど名前にこだわりも感じなかった。そう判断するだけの過去がないからなのかもしれない。あと、痛快ではなく明快だろうとも思ったが、深く考えるのは止めにした。

 「じゃあ、クロウとラクシャーヌってことだな。まだ状況がさっぱり分からねえが、よろしく頼むぜ」

 クロウは手を差し出して握手を求めるが、ラクシャーヌは不思議そうにその手をしばらく見つめると、パーンと勢いよく叩いた。

 「いたっ!!何しやがる!?」

 「何じゃ、はたいて欲しかったんじゃないのかえ?」

 「どんな解釈だよっ!?普通に礼儀としての握手だろうが!」

 「あくしゅ?よう分からぬが、礼儀というなら挨拶のようなものかえ?」

 そう言うと、ラクシャーヌがぬっとその顔をクロウへと近づける。吐息がかかるほどで、まるで口づけをする距離だ。

 「うおっ!?急にどうした?」

 「挨拶と言えば角をすり合わせるに決まっておろうが?」

 「決まってねえし、人に角はねえよ!?一方的に刺さって大惨事だろうがっ!」

 「なんと?そういえばおぬし、額にないのぅ……こういうとき、どうすればよいのだ?」

 種族間のギャップがどうやら色々あるようだと気づく。

 と、その時、不意に瓦礫が崩れた。誰かがひょいと顔を出す。

 「あ、こっちにもまだ人が―――って、へ、変態がいたーーーー!!!!!」

 甲高い娘の声で、二人は全裸だったことを思い出すことになった。

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