3-8
ベリオスの町、特別区は活気に満ちていた。
災魔の魔法によって瓦礫の山と化していた一帯は、驚くほどの速さで新しい景観に作り替えられていた。
その様相は宿場町に近く、宿屋が連なる旅宿通りと食堂がずらりと軒を並べる構図になっていた。それに加えて、鍛冶屋、武具屋、道具屋やに露店売りと、商人たちも入り乱れて市場も形成されていた。通りを歩く者たちのほとんどは戦いを生業にする人種で、各々が武器を携えて物騒な匂いもありながら、陽気な会話が至る所で交わされて独特の雰囲気がした。
その一角にある一際大きな建物が探索者ギルド、ベリオス支部だ。
立派な正面玄関の頭上には、ギルドの紋章で地平線の下へと急降下するような鳥の意匠がある。その鳥は出口を必ず探し出すことで有名な探索鳥ローレイムを模している。最上級の古代遺跡がある以上、探索者ギルドとしてその最短地に居を構えるのは当然であり、この特別区そのものが探索者たちのために用意されたものといっても過言ではない。
巨大な古代遺跡の近くでは、探索者の町と呼ばれるような地域が自然と生まれ、繁華街となるのが常だった。
そうなるよう仕向けた側である領主のクロウは、思ったよりも立派なその建物の中へと足を踏み入れた。
入ってすぐの場所は大広間のように開けており、受付カウンターまでの間に待機用の椅子が乱雑に置かれている。周囲にはかなりの探索者がいて、苛立った様子で各グループで話し合っていた。それらの視線が一斉にクロウに向けられ、次いで隣のミーヤに注がれると、盛大な舌打ちや怒りのこもったものに変わる。
地下世界の遺跡探索の必須条件から外れ、仕事にあぶれている連中だろう。確かにかなりの数がいるようだ。ミーヤはA級探索者でその探索もできるレベルなので、嫉妬ややっかみの類の逆恨みを買っているのかもしれない。
当の本人はまったく気にすることなくカウンターへと向かう。勝手知ったる足取りにクロウも続くと、突然右奥の廊下の先から怒声が聞こえてきた。
「っっざっけんなっ!!!!」
次いで、弾け飛ぶ扉が見えた。木製だったのだろう、衝撃で粉々に割れながら向かいの壁に当たって砕けた。
驚いて何事かと視線を向けると、くすんだ赤毛が逆立っていた。地面を睨みつけるようにした体勢だったためで、その頭が持ち上げらると肩を怒らせてどすどすと歩いてくる女の姿が見えた。
煽情的なボディラインを見せつけるような軽装ながら、その褐色肌の身体は一見して筋肉質であることが分かる。背中に背負った大剣も目立っており、戦士であることは間違いない。その髪と同じように顔を真っ赤にして前方を睨みつけるその相貌は、凛とした美形のそれであり、切れ長の深緑の瞳が意志の強さを感じさせる。全身から憤怒というその感情をまき散らしていても尚、荒々しい美しさのようなものがあった。
その背中から声がかかる。
「待ちなさい、ネージュ殿」
その名前を聞いてクロウは思わず隣のミーヤを見る。軽く首肯された。
どうやら確かめに来た人物の方から現れたようだ。早速、何か問題を起こしているとは流石だ。
扉がなくなった部屋から追いかけるように出てきたのは、クロウも知る探索者ギルドの支部長ノゴスだった。少しふくよかな好々爺で、落ち着いた声の持ち主だった。
呼び止められても止まる様子のないネージュに、すっと立ち塞がるミーヤ。
「ネージュ、また癇癪をおこしたの?」
「あ”あ”ん!?」
うなるような威嚇をして、ミーヤへと視線を向けるネージュ。ミーヤは小柄なので完全に見下すような状態だ。その様子からして、少なくとも知己ではあるらしい。
「文句あるのかよ、ミーヤ。アタシがどうしようとアンタには関係ねぇ」
「ある。人も物も壊すのはダメ」
「うるせぇ、壊れる方が悪いっ!」
なかなか豪気な理屈だ。クロウはふっと笑ってしまった。それを目ざとく見咎められる。
「おい、今笑いやがったか?」
苛立ちの矛先が自分に向いてしまったようだ。
「いや、なかなか豪胆な理屈だったんでな。利己主義もそこまでいけば立派なもんだ」
「なんだと!?アタシを馬鹿にするヤツは百回殴ることにしてんだ、歯食いしばんなっ!」
「百回も殴るのか?というか、いちいち数えるってことか?」
「はぁ?知るか、ボケっ!おい、ミーヤ、なんだこの素っ頓狂なヤツは?」
今にも殴りかかって来そうなネージュだったが、クロウの反応が予想外だったのか、虚を突かれたようにその拳を降ろした。
「ん、クロウ。この町の領主」
「領主?このもやしっぽいのがか?」
もやしがよく分からなかったが、どうやらひょろ長くて弱いという例えだと知る。見た目は確かに強そうには見えないな、とクロウが客観的にそれを認めていると、後ろから追いついたノゴスが頭を下げて来る。
「ご迷惑をかけて申し訳ない、クロウ殿。いま、ちょっと取り込み中でして……」
ノゴスとは遺跡を巡って何度も話し合ってきた仲だ。温厚な人物で好ましく思っている。先んじて融資してくれたことでも恩義を感じているため、首を振って気にしていないことを告げる。
「ああ、こっちは問題ないぜ、ノゴスさん。というか、ちょっと提案があって今日は来たんだが、少しいいか?」
「え?あ、はい。もちろんかまいせんが、その前に――」
ネージュを無視して話を進めるクロウに青筋を立てたネージュが、我慢できないとばかりにクロウの胸元を掴んで持ち上げようとする。
「おい、領主だか何だかしらねぇが、アタシを無視し――ぬおっ!?」
クロウとネージュは同じくらいの背丈だ。力自慢の女戦士はいつものように片手で引っ張り上げようとして、まるで動かないことに驚く。クロウがそうはさせじと踏ん張ったからだ。男女平等な精神を持ってはいても、やはり男として女に力負けはしたくないというささやかな意地のようなものがある。
「力には従うタイプか、お前?」
クロウがネージュに問うと、なぜか横からミーヤが答えた。
「それ以外に道はない。少しなら懲らしめても、いい」
「おいおい、アタシを本気で怒らせたいのか!?」
ミーヤの言葉に、ネージュの怒気が一気に頂点を迎える。その気配を察した探索者たちが、同調するように囃し立てる。元々、荒くれ者たちが多い人種なのが探索者だ。喧嘩は大好物で常に歓迎するような連中だった。周囲の熱が瞬く間に上がる。
だが、それを制する美声が不意に舞い降りた。
「お止めなさい、ネージュ」
鈴の音を鳴らしたかのような声。涼やかで、それでいて威厳に満ちたその言葉が辺りを一瞬で支配した。
いつのまにそこにいたのか、腰まで伸びた艶やかな黒髪が印象的な美人がネージュを見つめている。ノゴスの秘書であるスズコだった。
「ちっ、いたのかよ……」
ネージュが舌打ちして顔を背けたところを見ると、苦手としていることが見て取れた。数秒前の爆発しそうなほどの憤怒も、一気にしぼんでいる。
「お見苦しいところを見せてしまいました、クロウ様。お話であればこちらへどうぞ。ネージュさんはまた後ほど、詳しくお話を聞きましょう。先程壊した扉については、その時に弁償して頂きますので、お忘れなく」
さらっと釘を刺しながら、クロウを先導するように踵を返す。人を従わせることに慣れている者の所作だった。それも、自然に嫌味を感じさせないままに誘導している。そう言えばオホーラが彼女を警戒していたことを思い出す。曰く「探索者ギルドのベリオス支部を取り仕切っているのは、密かに彼女なのではないか」と。
その推測は大いにあり得そうだとクロウも思っていた。だからこそ、ここで主張しておく。
「スズコさん、その話し合いにこのネージュも参加させていいか?」
「なにっ!?というか、なんでアタシは呼び捨てなんだよっ!?」
「役職的な違い?」
「ネージュを、ですか?こちらはかまいませんが……なるほど、議題はその辺りのことなのですね?」
「ならば、僕も参加しましょう」
突然、周囲の輪から一人の青年が出てきた。中性的な顔立ちで、浅葱色の絹地のマントがやたらと目立つ。
何者かと訝しんでいると、ミーヤがぼそっと呟いて教えてくれる。
「ネージュの右腕。ユニス。面倒な男」
期せずして、お誂え向きな面子が揃ったようだ。
「――なるほど。要するにギルド員の戦闘技術鍛錬と教練職の斡旋、ベリオス側の暫定的軍備の充当と武力向上を共に満たすもの、ということですね」
特別応接室で、クロウとギルド側の話し合いが行われていた。
オホーラがまとめた立案書をギルド支部長のノゴスとその秘書スズコが確認したところだ。
ウィズンテ遺跡の地下世界探索に当たって、まだその戦闘能力が不十分だと判断されている探索者は思いの外多い。現状のベリオスの町では、他に妥当な仕事がないためにあぶれている状態なので、警備隊に編入してもらうという案だ。
「はっ、冗談じゃねえ!なんで、こんな辺鄙な町のザコどもを鍛えなきゃならねぇんだよ。釣りでもしてる方がマシだ」
赤毛の女戦士が吠える。そのあぶれている探索者の一人、ネージュだ。
「ふっ、ネージュ様に同意するしかありませんね。先程の案を聞く限り、そちらの警備隊の戦闘能力は上がるかもしれませんが、探索者同士の鍛錬で技術向上が見込めるとは思えません。これでは単に僕たち探索者が、どこの馬の骨とも分からない輩を指導するだけの家庭教師のようなもの。遺跡探索への足掛かりになる根拠が足りませんね。詭弁で押し通せるとは思わないで頂きたい」
キザな物言いながら、しっかりとした反論をしてきたのはユニスという青年だ。ネージュの右腕で、頭脳担当のようだ。
「メリットを示せって話なら、うちの警備隊には今、特別顧問でブレンがいる。より強いやつとの訓練は何物にも得難いもんだと思うが?」
ブレンは元イェゼルバイド騎士団に所属していた強者だ。大陸の傭兵騎士団としては伝説級で、その一員に名を連ねていた事実だけで実力は相当のものだ。
「あの傭兵騎士団の男とやり合えるのは確かに楽しそうだけど、それでも一人だ。こっちの全員と殴り合い続けられるわけじゃねぇだろ?何日も拘束されるのに、たった数回の戦闘訓練じゃ割に合わねぇ」
「いやいや、主目的としては君たちへの職場の提供だからね、ネージュ殿。稼ぎながら鍛錬もできるという一石二鳥で、非常に魅力的な提案だよ?」
「んなもん、アタシは頼んじゃいねぇよ、太っちょ!それより、遺跡に潜らせろってんだ。なんでアタシより弱ぇのが先に潜ってんだよ?」
支部長を太っちょ呼ばわりするのはなかなかのものだと、クロウは変なところで感心してしまった。
「それは貴方の素行が悪いのが原因です。地下で今まで同様に勝手に暴れられると、ベリオス側にも多大な迷惑がかかります。特に今は転移魔法陣関連で、各国の受け入れ体制を構築している大事な時期です。貴方の不手際によって、ギルド全体の不利益が出た場合、貴方の首一つでは済まされないのです」
スズコが涼しい声で辛辣な言葉を投げる。完全にやらかすことを前提に話しているのが面白い。
「確かにそれは……流石の僕でもかばい切れませんね……」
腕組をしながら、ユニスが眉を顰める。こちらもネージュが暴れることが当然のような反応だ。
「うおおいっ!?なんで、アタシがやらかす話になってんだよ!?単に潜って、遺跡探索するだけだろうがっ!?」
「今まで一度も普通に探索しただけの結果がなかったから言っているのです。発見した宝物類を勝手に盗む、貴重な文献を興味がないからと放置して劣化・紛失させる、価値のある遺跡そのものを破壊して進む、などなど、数えきれないほどの損失を出していることをお忘れですか?」
「あー……いや、それは、その、たまたま、だぜ?」
逆にそれだけのことをしてきて、なぜ探索者を続けられているのか。疑問に思って尋ねると、ユニスが得意げに答えた。
「ふっ、探索者には天性の勘が必須な能力だということを知らないのかな?何を隠そう、ネージュ様はその力がとりわけ優秀でね。これまでも誰も見つけられなかった秘密の間、隠し財宝、知られざる宝物庫など、数々の偉業を達成されてきたのだよ」
「はっ、アタシに言わせりゃ、見つけられない方がどうかしてんだよ。目ん玉ついてんのかよってな」
ふふんと鼻息荒く得意げなネージュ。案外、おだてられることが好きなのかもしれない。
「正当にそれを報告・保持してくださっていれば、今頃貴方はS級にすらなっていたかもしれないのですが……」
「なるほど。見つけてもその過程で無茶をし過ぎたり、かすめたりしてきたわけか」
「アタシが見つけたんだ!どうしようと勝手だろ!」
「私有地で見つけたものを勝手に取ったらそれは窃盗です。何度言ったら分かるのですか、貴方は……」
古代遺跡の所有権が探索者のものではない以上、この上なくその主張は正論であり、ゆえにこそ発見されたものは分配という契約になっている。そもそもの前提を理解していないようだ。 「はん、バレなきゃいいだろ。いらないもんはちゃんと報告してやってるしよ」
堂々と契約違反を口にしていた。どうにも、ネージュは愚直なまでに感情に一直線なようだ。裏表がない時点で好感は持てるが、世渡りはうまくできなさそうだ。そのためのユニスなのかもしれない。
「ネージュ様。いつも言っていますが、それは言葉にしてはいけませんよ。裏でこっそりやればいいのです」
「あっ、悪ぃ。つい口にしちまうんだよな。今のは冗談だ、聞き流せ、な?」
「『な?』じゃありません。ユニスさん、貴方もネージュさんをもう少しうまく補佐してください。悪だくみを助長してどうするのですか」
「ふっ、スズコ嬢に懇願されようとも、僕はネージュ様が好きに動けるよう全力を尽くすのみ。その尻ぬぐいならいくらでもしようじゃないか。何より、そんな健気な僕が美しいのだからね!」
この男も大概であった。良く分からない仕草で「どうだ」と言わんばかりに見せつけてくるが、何を返せばいいのか。
「なんだか話が進まなさそうだから、ここで一つ賭けをしようぜ、ネージュ」
ユニスを無視して、クロウはここで切り出すことにした。ネージュたちを呼んだのはそのためだ。ここまでの会話で何となくの性格はつかめた、と思う。今回の問題解決にあたって有効活用はできるはずだ。少し性格に難ありな気もするが大丈夫だろう、と信じる。
「お前と勝負してやるから俺が勝ったら今の話に乗って、こっちの言うことに従ってくれ。んで、俺が負けたら、お前を地下世界で探索できるようにしてやる。どうだ?」
「勝負?本気で言ってるのか?アンタが、アタシと?」
心底馬鹿にしたようにネージュがまじまじとクロウを見る。その顔はやはりどこか美しい。獰猛な獣の気高さのようなものがある。ふと、その左眉の辺りに火傷の跡のようなものがあるのに気づく。褐色の肌に紛れているが、一旦気づくと明らかに爛れた感じで目立つ。なぜ気づかなかったのだろうか。おそらく、常に威嚇されて目を合わせようと思わないからだろう。
「まさか、逃げないよな?」
単純な性格だと見抜いていたので分かりやすく煽ると、すぐに乗ってきた。
「誰に言ってんだ、この野郎!いいぜ、ボコボコにしてやるよ!」
扱いやすい人間というのは実にいいものじゃ、と悪い笑顔を浮かべていたオホーラの言葉が少しだけ分かったクロウだった。