3-5
転移魔法陣の視察隊一行は、その後も魔物の群れをいくつか撃退しながらも、二日目には到着した。
比較的穏やかだった雰囲気はしかし、既に緊張感の漂うひりついたものへと変わり果てていた。
ベリオス側がほとんど戦闘に参加しなかったことや、その領主のクロウがニーガルハーヴェ皇国の不興を買ったためだったり、魔法陣についての十分な説明を未だにしていなかったりと、様々な要因が重なった結果である。
間に入っている探索者ギルド陣営としては、互いにもう少し歩み寄って欲しいところではあるのだが、下手に口出しもできない立場なので傍観に徹していた。
そんな微妙な空気の中、転移魔法陣が設置されている区域へと足を踏み入れると、道楽の賢者オホーラが何事もなかったかのように語り出した。
「それでは皆の衆。今目の前にしているものが、このウィズンテ遺跡で発見した記念すべき転移魔法陣の一つじゃ。この魔法陣は対になっており、もう片方へと瞬時に無機物も有機物も移動させられる。原理は不明じゃが、分解からの再構築ではなく、空間跳躍による瞬間移動だとわしは思っておる」
すぐに皇女から質問が飛ぶ。
「人間も転移可能という話ですけれど、人体に悪影響はありませんの?」
「もちろんじゃ。今、わしらがピンピンしていることがその証拠じゃな。ベリオスの町の遺跡攻略班は全員転移魔法を経験済で、体調不良になった者はひとりもおらぬ」
「そのもう片方とやらはどれくらい遠い場所にあるのか、既に分かっているのか?」
オルランド王国騎士団のアッパータリヤー騎士長は、辺りをきょろきょろ見回していた。転移先が近くにある可能性を疑っているのかもしれない。極端に短い距離、目と鼻の先に転移するだけならその価値は低い。ここまでいくら質問しても単に転移が可能だとしか知らされず、事前情報がないために疑心暗鬼になっているのだ。
「具体的な距離は分からぬが、ここから見える場所ではないことは確実じゃな」
ここに来てオホーラは一気に情報開示に踏み切るようだ。今まで何も答えなかったことにもすらすらと返事をしている。
「では、跳んだ先には何があるのかね?」
ドネスク司教がしゃがれた声で尋ねた。
「少なくともこことはまったく別の地域じゃな。とにかく転移すれば分かる。まず試したいという者から先着順でゆくかの。一度に送れる数は魔法陣の大きさに比例するゆえ、何度か行う形になる」
両国の人間が一瞬顔を見合わせる。一番乗りをしたい気持ちと、本当に危険がないか不安を感じての躊躇が垣間見えた。オルランド側としては格上であるニーガルハーヴェの意向も汲み取る必要があり、自ら率先して意見を言えないという政治的立場もあるのだろう。
「はいはい、そういうことで第一陣の方はこの稀代の占い師である僕、テオニィールが先導するよ。この広い大陸でもまだほとんど誰も経験したことのない、瞬間移動を体感したい人はどうぞ。えっ、ここまで来て見てるだけなんてもったいないことをする人なんていないよね?」
微妙に煽るようにテオニィールが皆を促す。その軽いノリが若干固くなっていた場を和やかにした。
「もちろん、わたくしが行きますわ。ニーガルハーヴェ皇女として転移魔法の真偽を確かめにきたのですもの」
「お待ちください、姫様!まずは私たちで安全確認をしてから――」
イスパーラが止めに入るが、エルカージャが遮った。
「お黙りなさいな。ベリオス側で既に何度も試されているのは明白。ここは我が国が率先して堂々とした姿を見せ、優位に立つときですわ」
立派な愛国心だが、他国の前でそれを赤裸々に語るのは少し違う。優秀な政治家なはずだが、さすがに不安があるのか、ぼろが出たようだ。微妙な空気をごまかすように、ニーガルハーヴェ騎士団の何人かが魔法陣に歩みを進めた。
「では、最初はニーガルハーヴェ皇国御一行と言うことでよろしいな?ああ、一つだけ注意事項がある。転移後は魔法陣付近から離れないように。一帯には結界が貼っておるゆえ、中ならば安全じゃが、その外については一切保証できぬ。結界外に出た場合は、わしらも責任を持てないことは予め承知して頂こう」
「ちょっと待て。その結界の範囲というのは目視できるものなのか?内か外か分からねば、判断できないだろう?」
「そこは大丈夫ですよ、イスパーラ隊長殿。しっかり分かりやすくしてあるので、行けばすぐに確認できます。それなりに余裕を持った広さもあるので、大丈夫大丈夫。じゃあ、早速行っちゃうてことで―!」
テオニィールは得意げな顔で両手を広げた。
「しばし待たれよ」
そこで今度はドネスク司教が声を上げた。出鼻をくじかれた占い師が、がくっと肩を落とす。
「肝心の転移魔法陣の起動方法をまだ聞いておらぬが、その説明はせぬのか?仮に転移魔法陣が本物だとして、その使用方法が秘密にされたままでは意味がない」
「ふむ?まずは実践してから説明と思うておったが、先に聞きたいのならそれでもかまわぬよ。起動方法はざっくりと言えばブラガ語での詠唱、それのみじゃ。必要な魔力はこの魔法陣そのものに動力回路として存在しているゆえ、起動者の消費魔力はほぼない」
「ブラガ語……じゃと?」
ざわめきが一部で起こる。全体ではないのは、その意味するところが分かる者だけが動揺しているからだ。
皇女は分からない派閥だったので、驚いている部下に向かって説明を求める。
「ブラガというのはとある古代文明の名前であります。ですが、そもそもその存在自体が曖昧としていまして、主流な考えでは御伽噺の類で誰かの創作だというのが有力視されていたのです」
その言葉を受けて、オホーラが補足する。
「確かにブラガ文明は長らく謎の一つとして語られておった。じゃが、言語まで記録された文献がある以上、創作にしても手が込み過ぎているというのがわしの師の考えでな。必ずどこかにあるという強い信念のもと、探し続けていた経緯がある。学者の諸君は魔法陣を見て、頭を悩ませていたのではないか?その様式と書き込まれている文字列が未知のものであることに?」
今回の転移魔法陣の視察には学者も同伴している。調査権の審査も含んでいる以上、専門知識が必要だからだ。
その学者たちをもってしても、魔法陣の不可解さは群を抜いていたようだ。オホーラの指摘に誰一人として反論できない。
「実際の所、どうなんだ?」
ドネスクが部下に問い質すと、可能性は否定できないという消極的な肯定が続いた。ニーガルハーヴェ側も同様の結論で、未知の言語であることを認めた。ブラガ文明の存在自体を疑っている状態で、その言語を学ぼうとする者がいないのは道理だ。判別できないことは必然であろう。ベリオス側の優位性はこの時点で絶対的だ。
「納得したなら、早速実践編でもういいよね?少なくとも、この起動のブラガ語は調査権を得た国には提供する予定だからね、心配しないで。この僕は優秀だからすぐさま発音できたけど、それなりの素養があれば君たちの中にも詠唱できる人はきっといるから。そういうわけで、いっちゃうよー」
腰を折られた形のテオニィールは今度こそはと詠唱を始める。いつもの軽口の口調に戻っていて失礼な態度ではあったが、転移魔法陣の秘密の一端に触れた皆は驚きでそれどころではなかった。
そうして、一陣、二陣と次々と転移魔法でもう一つの場所へと跳んだ。人数が多いために何度かそれを繰り返した。それでも全員ではない。残った者たちは自身が体験せずとも、同僚が消えるのを目の当たりにすれば、転移魔法を信じないはずもなかった。
最後にオホーラとクロウも転移して、その結界内に降り立った。明らかに別の場所にいることを確認した者たちは、信じられないといった面持で辺りを調べ回っている。
「さて、これが真の転移魔法陣か否か、まだ疑う者はここにおるかね?」
今の今で空間跳躍を実感している者たちが否定するはずもなかった。
代わりに、エルカージャ皇女が質問する。
「転移魔法陣が本物だということは分かりましたわ。けれど、ここは一体どこですの?そこのピコ鳥のように囀る男から、結界の外はどこかの山腹だと聞きましたが、外は危険と言いながらそちらは知っているということですわよね?」
「現在地が気になる気持ちは分かるんじゃが、ものには順序というものがある。段階を踏んで説明するゆえ、今しばらく辛抱していただきたい」
オホーラは一国の皇女相手に一歩も退くことなく、自分のペースで続ける。
「まず、この場所の説明をしておこう。周囲を見て分かるかと思うが、何かの聖堂跡だと推測できる。ブラガ文明では地の源導者であるイェラー崇拝者が多かったことから、その系列だとは思うが特徴があまり一致しないため、これはまだ確証を得てはおらぬ」
一同は大きくうなずく。確かに元の転移魔法陣の場所とは違って、現在地は岩床が敷き詰められ、随所に石柱が聳え立った屋内であった。年月で風化しているために傷んだり欠けたりしてはいるが、荘厳な文様が掘られていたり、教会的な様式も見られることからただの建造物ではないことも明らかだった。この廃墟だけでも価値のある発見だった。
「結界はこの大広間の範囲だと説明されたであろうが、その外側には小部屋が二つほどあるだけで、周囲は山のような大自然だ。山だと分かったのは坂道であることや、樹々が続いていること、切り立った崖などを確認し、そこから標高の高さも視認したことで確実じゃ」
「貴様らが外に出たのなら、我らが周囲を探索できない理由はないと思うが?何か探られるとまずいことでもあるのか?」
アッパータリヤーが非難するような口調で声を上げる。
「ひょっほっほっ。まさかまさか。わしらもまだ満足に調べられてはおらぬゆえ、隠すべきものがあるかどうかすら分からぬよ」
「ならば、なぜ殊更に止める?」
「まぁ、そこは後ほど身をもって体験するがよろしい。こればかりはいかように言葉を尽くしても納得はすまい。ただ、ここより外は魔物の質が段違いということだけは肝に銘じてもらいたい」
「要するに、そちらの戦力では歯が立たないために危険だと言っているだけであろう?我らであれば違うのではないか?」
ドネスク司教が小馬鹿にしたように顔を歪ませた。
「じゃから、それは後で自ら試してみればよかろう?それよりも先を続ける。転移魔法陣についてじゃが、既に気づいていると思うがここには三つある。そのどれもが先の魔法陣とつながっており、即ちあちらの一つとこちらの三つは対になっておる。こちらの三つどこから飛んでも先程の魔法陣に戻るということじゃな」
「一対一の対応ではないということですの?」
「そのようじゃな。ちなみに起動のための詠唱はどちらも同じゆえ、転移魔法陣の際の移動先というのは、おそらく魔法陣そのものに組み込まれておるようじゃ」
「……なるほど。詠唱で行く先を決めるタイプではないということですわね?」
「皇女様はさすがに理解が早い。さて、とりあえず魔法陣についてこちらが提供できる最低限のことは共有した。何か質問は?」
各騎士団に随伴してきた学者たちがひそひそと相談を始める。
ここで適切な疑問を投げかけて、自分たちの優秀さを示したいのだろう。下手なことを聞いて知性を疑われるわけにはいかない。国としての面子がかかっているのだ。
先手を取ったのはニーガルハーヴェ側だった。学者らしい気難しそうな男が、顎髭を撫でながら聞く。
「一つ尋ねたい。この転移魔法陣の魔力供給、源となるマナはどこから入力されているのだろうか?」
「それは起動する魔法士からではないですの?」
「恐れながら、姫殿下。それは無理です。転移魔法は未だ未知の魔法でありますが、物質を空間移動させているわけですので、相当の魔力消費が予想されます。先程、7、8度の転移魔法陣の使用を確認していますので、あの二人の魔法士のみで賄うのは不可能だと断言できますし、魔法士の消費量はほぼないと言っておりましたので、どこか外部にあることが必然です」
二人の魔法士というのは、テオニィールとロレイアのことだ。
「悪くない目の付け所じゃの。その推測はおおよそついておるが、詳細は控えさせてもらおう。ただし、先にも言ったように起動者にかかる負担はほんの少しゆえ、後で教える詠唱さえ発話できれば誰でも問題ないということだけは改めて伝えておこう」
「では、こちらも一つ。魔法陣の本来のものについてではないが、その外側に書き足されたものが両側の二つに見受けられる。これは明らかに後からのものだと思うが、あなた方がやったのかね?」
オルランド側の指摘に、ニーガルハーヴェ側に動揺が走る。気づいていなかったようだ。
「そちらもまた目ざといことじゃな。いかにも、少しばかり手を加えたことは認めよう。じゃが、その聞き方ではまだ目的までは分かっておらぬようじゃな?」
「少しお待ちなさいな!あなた、転移魔法陣に手を加えたですって!?なんという危険なことをしているんですの!」
「落ち着きなさい、皇女様。転移魔法陣そのものを書き換えてはいませんのでご安心を。さすがにわしも理解しておらぬものを悪戯にいじるほど愚かではありませぬ。単にこの結界の維持のために、この魔法陣の仕組みを利用して魔力を引き出しているだけじゃよ」
「引き出している……?」
「結界を維持するのには当然魔力が必須、では今、その魔力はどこから得ているのでしょうな?」
当たり前のように言うオホーラに、皆がはっとしたように気づく。
「確かに……ここの結界は転移してきた時、既に張られていた……しかも、この規模であれば通常は数人の魔法士が大規模魔法で維持しているはずのものだ」
「つまり、転移魔法陣の供給源と同様にどこからか引っ張ってきていないとおかしい」
常識ではあり得ない何かを皆が感じ始めたところで、オホーラはパンパンと急に手を叩いた。
「それでは、その答えを理解するためにも、先程の外側への好奇心を満たすためにも、一度結界の外に出てみてはいかがかな?ただし、絶対に遠くへはいかないように。斥候を少し出してすぐに引き返させるのがよろしい。この辺りの魔物はすぐに寄ってくるので、大いに試して頂きたい。わしらが危険だと言った意味が分かる。なに、この結界の有効性は証明されておるゆえ、死にたくなかったから結界内へ逃げてくればよい。つまらぬ意地を張って無駄死にすることもあるまいて」
大分挑発的な言葉を投げる。
当然の如く、武に自信がある者たちはいきり立つ。辺境の町の名も知らぬ者たちに、大国の騎士団が劣るなんてことはあってはならない。名誉にかけて実力を示すべき時だ。
「言われずとも、我らニーガルハーヴェ皇国騎士団の名にかけて、貴様らが恐れる魔物を討ってくれるわ!」
「オルランド王国騎士団も、精鋭しかおらんということを知らしめてみせようぞ!」
意気揚々と結界の外へ出てゆく両騎士団。それでも、しっかりと編隊を組んで慎重に進んでいるところは好感が持てる。ここでバラバラに飛び出すようでは、ただの野盗だ。
一方でベリオス側、クロウたちは動かない。ここまでは完全にオホーラの計画通りだった。騎士団員以外の学者や、エルカージャ皇女。探索者ギルドのグリゾーンなどは残っている。そのまましばらくの時間が過ぎた。
「奴らはどんな感じだ、クロウ?」
ステンドが近くに寄って来てささやいた。皇女からの厳しい視線から意識的に逃れていたクロウは、丁度いいとばかりに探索者を盾にして答える。
「ラクシャーヌによると、普通の魔物類には善戦してたが、例のやつが現れて旗色が悪くなってきたみたいだな」
災魔は現在クロウの内部で大人しくしている。視察隊の者が来てからずっとそうしていた。使い魔という稀有な特殊技能を安易に開示することはないという判断だ。実際はそういうものではないが、それも含めて無理に表に出す必要はない。
「じゃあ、一応出る準備はしとくか。さすがに死なれると面倒だしな」
「そこまで儚い美でもなさそうだったがな。泥臭くとも、逃げ帰ってくるだけの美しさは持っていそうだったぞ」
「その強さを美的感覚で言うのは、分かりづらいだけだと思うんだけどなー、ブレン君。それはともかく、僕としては何人か死んでくれた方がはっきりと自覚してくれて都合がいいと思うんだけど、どうだい?」
占い師が物騒なことを言う。クロウは黙って集中するように結界の外を見る。薄暗く鬱蒼とした林に目を凝らしていると、接敵した気配と共に騎士たちの戦いの声が聞こえてきた。
エルカージャ皇女にも伝わってきたようで、戦況報告を聞いている。最初は余裕の表情を浮かべていたが、次第に眉根を寄せていった。
そうこうしている内に、最初の負傷兵が身体を引きずるようにして結界内に戻ってくる。
オルランド王国側の騎士団だった。すぐさま、ドネスク司教が叱責する。
「一体何をしている!おめおめと逃げ帰ってくるなど国の恥だぞ!」
「す、すみません、司教様!しかし、あの魔法岩人形は普通じゃありません。どうにか一度倒しても、すぐに復活してくるのです」
「魔法岩人形じゃと!?」
そうこうしている間に、ニーガルハーヴェ側の騎士たちも結界内に逃げ帰ってきた。今度は皇女が声を荒げた。
「あなた達まで、どうしたというのですか!?」
「申し訳ありません、皇女殿下。ですが、あの魔法岩人形は異常です。あれほどの魔力を持ったものが自由に動いているなんてあり得ません。操っている魔法士が見当たらないのです。一旦イスパーラ隊長を引き上げさせて下さい。騎士団の名誉のために退かない覚悟でしたが、ここは何卒!」
「なんですって……!!それほどなのですか?」
両国の代表者がオホーラの方を振り返る。現在戦っている魔物について情報をよこせという視線だ。賢者は鷹揚にうなずいて、結界の外へと視線を向ける。
「そろそろ一体、掻い潜ったモノが現れる。とくとご覧あれ。あれは魔法岩人形などの範疇でくくれるものではない。わしらは番人形と名付けておる」
「番人形ですって?きゃあっ、何ですのっ!!?」
皇女が突然の振動に悲鳴を上げた。
見上げた先で、巨大な岩の拳が空中で止まっていた。番人形の攻撃が結界で阻まれたのだ。
「出番みたいだぜ」
クロウたちは一斉に飛び出して行った。




