12-4
クロウが目を覚ましたのは、魔獣騒ぎがあった日から一日経った後だった。
久しぶりに急激に血を吸われたせいであっけなく貧血で倒れたのは情けないことではあるが、半分ラクシャーヌのせいでもある。災魔も加減を忘れていたので同罪だ。
互いになんとなくばつが悪く、それ以上この件については話題にしないことで暗黙のうちに合意した。
ともあれ、自室のベッドの上でその後の状況をウェルヴェーヌから聞かされた。
例の魔獣のフェッカたちはベリオスの町の郊外の雑木林の一画に、専用の区画を用意したとのことだ。
寝床として犬小屋のようなものがいるのかと思ったが、野生の狼というのは地面を掘って巣穴を作ったり、横穴などを利用しているようで特に必要はないとのことだった。風雨をしのげれば、犬小屋のようなものでも使うかもしれないが、クーンやアテルを介していらないと言われていた。
そのため特に何も用意せず、周囲を柵で囲って作物改良の研究農地の一つということで一般人の立ち入りを禁止するに留めた。魔獣たちにはいずれ首輪もつけてもらい、安全に飼う予定だ。
驚いたのはその調教役にココが割り当てられたことだ。これはクーンの進言で、後々のためにもそうした方がいいと強く推された結果だった。
クーン曰く、ココは魔物の視点では人工的な混在種で複雑な立場になるらしく、大雑把に言えば忌避されるか畏怖されるのかの二択だという。前者は不自然な異物として忌み嫌わられるということで、これを覆すのはかなり難しいらしい。本能的に察する天敵に近いもので、突然そうした反応にココがさらされるのは忍びないというクーンの親心のようだ。
既にココとシロの歪な状態を見抜いているクーンは、その在り方に強く思うところがあるらしい。友好的で羨ましい限りだが、その優しさをクロウにも少し分けて欲しいと思う。
畏怖云々については動物的な習性なので、これもまた今後に備えてクーンと同じように格下のものには毅然とした態度で接する練習をしておく目的のようだ。そのことからも分かるように、どうやらクーンは今後も魔獣の配下を増やしたい意向があるらしい。それは結果的にラクシャーヌの魔力の助けにもなるという。眷属が増えれば、その主の最大魔力は向上する可能性が高いという話だ。
災魔もその考えは持っているが、数より質で厳選して行く方向だと以前に聞いた。実際のところは管理が面倒だという側面もあったようで、その負担をクーンがするのであれば問題ないと許可したらしい。そう考えると、クーンもココを使って丸投げする魂胆などではないかと勘ぐってしまうが、確かめる勇気はまだクロウにはなかった。
少なくとも、クーンはココを気にかけているように思えた。クロウのことよりもずっと。
それはやはり、ココとシロが不自然な形で共生しているからだろう。ラクシャーヌとクロウも同じようなものだが、ココたちは更に歪みが大きい。無理やり実験体にされたようなもので、未だにその実態はよく分かっていない。遺跡の魔物の中には合成獣、クーンが自称した混在種のような存在はいるが、それらとも違って人工的なものは魔獣から見ても奇妙に映るということなのかもしれない。
異質な存在は集団から排斥される傾向にあると賢者も言っていた。
しかし、それはクーン自身にも当てはまる。よくよく考えるとクロウ自身もそうだ。
いや、何なら俺の回りはそんなのばっかりのような……
もはや普通が分からくなってきたので、クロウは深く考えるのをやめた。
「――それと、ネージュ様がようやく捕縛されましたので、尋問できる準備が整っています。お会いになりますよね?」
ウェルヴェーヌの物騒な言葉で現実に引き戻される。
質問ではなく確認のような物言いだった。そして、メイドはあの微笑を浮かべている。拒否などできない。
「あ、ああ。かまわない。裏結晶の話だよな?」
そういえば、ブレンを追って飛び出していったのを最後に、最近はまったく顔を合わせていなかった気がする。
あれはいつだったか。目まぐるしく色々とありすぎて分からなくなる。
「はい。どうやらその件で何か知っているような感じです。この機会に色々吐き出させてしまえばいいかと」
色々とは何なのか。言い方に含みがある。
「まだ本調子じゃないが、話は聞ける。問題ない」
急激に血を失った後は、ほぼ丸一日の休息を余儀なくされる。身体がまだ少しだるい。適度な供給で安定していただけに、久々にまた寝込んだ気分だ。
まったくあの災魔はやってくれる。その当人はクロウの中で今もぐっすりと熟睡していた。死にかけたというのは本当なのだろう。ラクシャーヌもまだ回復中だった。
「了解しました。療養中に誠に申し訳ございませんが、早めにお耳にした方がよろしいかと思ってすぐに呼べるよう待機させていますので、今すぐでも大丈夫です」
「ん?そんなに急ぐってことは重要な話ってことか?」
「はい……正直、私も良く分かっていません。ただ、オホーラ様も早い方がいいと仰って、その場に同席するとのことです」
「うむ。実はもういたりする」
その時、ウェルヴェーヌの肩にひょっこりと蜘蛛が現れた。最初からいたらしい。
「隠れてる意味あったのか?」
「ひょっほっほっ、ウェルヴェーヌ嬢の邪魔をせんようにな。まぁ、他にもいろいろ見聞きしているゆえ、通常は現れんだけじゃ」
確かに最近、至る所で蜘蛛を見かける気がする。掃除が行き届いている屋敷だが、蜘蛛に関してはその排除対象にはなっていない。
よくよく考えると、蜘蛛嫌いの人間がいたらクロウ会ではやっていけない気がする。
「そうか。とにかく重要なことなら聞くまでだ。呼んでいいぜ」
程なく、ネージュがクロウの寝室に現れる。
警備隊特別主任の赤毛の戦士は、どこかバツが悪そうに入って来た。が、辺りを見回して呆れたようにいつもの調子で言う。
「おいおい、とてもこの町の領主様の寝室には見えねぇな。稼いでる探索者の方がよっぽどいい部屋に住んでるぜ?」
「別に寝るだけの部屋なんだから必要ないだろ?」
「無礼な物言いはやめてください、特別主任。物の価値が分からないだけでしょう?。このベッドは質素ながら温もりのある木材に包み込むような緩衝材のマット、最高級のシーツと掛布団が使われていて、快適な寝心地を提供しているのです」
「そうなのか?」
「ぷっ!使ってる本人が気づいてねぇじゃねぇか!」
そんな高級なベッドだったとは知らなかった。いつの間にか最初のものから変わっていたことには気づいていたが。たまに寝ている間にどこからかココが潜り込んでくるから、当初のものからサイズが大きいものに取り換えられた。そんな風にしか認識していなかった。
「……そんなことより、本題に入ってください。クロウ様はまだ休息が必要なところを――」
「ああ、分かった分かった!小言はもういい。アタシも長居する気はねぇ」
ネージュは近くの椅子を引き寄せて腰を下ろした。クロウがベッドの上にいる事情は理解しているようだった。
「んで、例の裏結晶についてだったな。言っとくが、本当にたいしたは話じゃねぇぞ?なぜか急かされてるが、過大評価ってもんだ」
赤毛の戦士はそうして飄々と語り出した。
その噂話を聞いたのは初めてではなかった。
探索者の間では時折流れてくるジョークのようなもの。古代遺物をネコババして一攫千金を狙う夢物語だ。
古代遺跡でのみ手に入る希少価値の高い魔道具。探索者であれば、そんな未知のものに直接触れる機会がある。当然、ギルドに報告して納めるが、手に入れた瞬間は発見者である探索者の者といえる。ギルド規定では使用厳禁で、発見した状態で持ち帰ることが鉄則ではあっても、探索者になるような者は好奇心の塊でもある。使ってみたくなるのが人情だ。もっとも、試しに使ってみようとして簡単に扱えないものが多いのも古代遺物の特徴なので、何も起きないことがほとんだ。用途不明の魔道具であることが多い。
一方で、幾つか既に見つかっている古代遺物などは類型で判別可能だったり、明らかに武器のような形状なものは外見から察しが付く。
そしてそういうものには既におおよその高額の価値資産が見積もられている。市場価格が想像できる。現実的な値札が見えれば、魔が差すのが人間の性。探索者としての信用も将来も失うが、大金を手に入れるチャンスは得られる。勝手に取得して横流ししようという輩が現れるというわけだ。
ただし、そんなリスクがあることはギルド側も予想して対策はいくつもされている。地下世界から持ち出さねばならないという絶対的な壁もあり、個人でこれを突破するのは至難の業だ。
そう、個人では不可能だと言われている。
だからこそ、組織的に古代遺物の横流し、着服をする一団がいて、その協力者には探索者ギルドの上層部の人間が関わっているという。昔から密かにささやかれている噂話。
ネージュはその話を具体的なものとして体験したことがあった。
一度だけ、現実的な勧誘を受けたことがあるのだ。
問題児としてちょっとした有名人だったせいで目をつけられたのだろう。古代遺物の横流しに協力する気はあるかと、匿名での提案があった。当時からA級の実力はあるものの、喧嘩っ早く協調性が悪いためにB級に留められていたという内情があり、思うように稼げなくて借金生活をしていた。協力者になればA級試験を受けさせてくれる上に、借金も肩代わりしてくれるという破格の申し出だった。
相棒のユニスからは絶対に関わるなと忠告されていたが、少し面白そうだったので試しに一度話だけでも聞こうと誘いに乗った。
すると、説明会のようなものをするからとある場所を指定された。複数人をまとめて集めるという。その際に他の参加者に正体がバレないために幾つかの対策を細かく指定され、互いに誰か分からないようにする方法が取られていた。物理的な目隠し以外に魔法薬なども使った本格的なものだっただけに、怪しさも本気度も倍増だった。
興味本位で参加しても良かったのだが、馬鹿正直に従うのもしゃくだった。ネージュはこっそりと会場に忍び込むことにした。
しかし、当日の会場は既に強固な結界が張られていて隠れて盗み聞くことはできなかった。主催者側の当然の防衛策ではある。
ネージュはあきらめようとしたが、彼女にはユニスがいた。乱暴者の陰に隠れた相棒の魔法士は、その実力を完全に隠していた。ネージュが自分の忠告を無視して会場に行くことを予見していたユニスは、ネージュより先行して会場の結界に密かに穴を開けていた。
主催者が誰なのかを探って相手を見極めようとした結果だったが、そこで思わぬ情報を拾った。その会場を準備している者もまた雇われた探索者で、その会話から危険な名を聞いたのだ。それは決して近づきたくない類のきな臭いもだったので、ユニスはすぐにその場を離れた。
同じように結界を警戒して引き返したネージュにそれを伝え、二度とこの手の話には乗らないように釘を刺した。それ以降、この手の話にネージュは近寄っていない。
「――で、ユニスが聞いた名前ってのが、その当時いた場所の副支部長だったってわけだ。真偽は分からねぇが、そこで出てくるだけでもうヤバいだろ?下手に足を突っ込むと絶対に泥沼だ」
「なるほどな。その後、そういう奴らから接触はまったくしてこなかったのか?」
「ああ、すぐに他の遺跡に出張ったしな。あん時の計画がどうなったかも知らねぇ」
一通りの話を終えてから、ネージュは首をゴキゴキと鳴らす。
「ただ、この話にはまだ続きがあってよ。ユニスがその時に盗み聞いてた時の仲間がちょっとした顔見知りで、別の機会に会ったわけだ」
ここまで裏結晶については具体的には出て来ていない。S級探索者のヨーグによれば、ギルドの横流しをしている背景には結社が絡んでいるとのことだ。どうやらここからつながってくるのだと、クロウは注意深く耳を傾ける。
「そいつとはまぁ色々あったんだが、そこらは全部省くとして結果だけ言うとだな……限りなく黒かったってことだ」
「それは要するに、そいつが横流しに関わっていたと確信できたって話か?」
ネージュは「多分な」とうなずく。
「別件で軽く情報を手にれるつもりだったんだけどな。最終的にそいつが消されたことを考えると、そう考えるのが妥当だろうよ。無理やり吐かせた内容に、断片的にヤバすぎるそっち系が含まれてたんだ。すぐに途中で手を引いて正解だったぜ。ユニスがそいつとやりとりするときに死ぬほど慎重だったおかげもあって、アタシらは難を逃れたってわけだ」
「で、その時手を引いた理由は何なんだ?」
おそらくそれがこの話の核だ。クロウでもそれは分かった。
「そうだな……言うまでもねぇけど、こいつは他言無用だ。マジで人前では口に出すなよ」
豪快で他人のことなど気にしないネージュが珍しく念を押す。いつかのヨーグと同じようにそれだけ厄介なのだろう。
「まず一つ目は、バルチーニの野郎の名が出てきたせいだ。こいつは対外的にはA級探索者ってだけだが、実質S級扱いでクソ強い。で、問題は本部付きって点だ。そいつはギルド生え抜きの野郎って意味で、アタシらみたいに近い生業から移ってきたのとはまったく別物ってことだ。ギルドが家族みてぇなもんで、ギルドそのものに忠誠を誓っているとかそんな感じだと思えばいい」
「ギルド命、みたいな感じか。お前が素直に認めるんなら相当強いんだろうな」
「ああ、ムカつくがバチボコに強い。で、二つ目は結社の名も出たことだ。そいつは確信を持っていた。この二つが結びつく意味がどれだけヤバいかは分かるな?散々黒い噂で聞いちゃいたが、実際に関わったやつからの口から出たらもうダメだ。中にいる以上、そこに関わったらロクなことにはならねぇ。だから退いた。S級だって関わるなって言ってたんだろ?つまりそういうこった。こいつは闇が深すぎる」
ネージュは一気にまくし立てると、それで終わりだと肩をすくめた。
「一つ聞くが、そこまでギルド内部で怪しい動きがあることを知っていてなお、おぬしらが探索者をやめていないのは何故じゃ?」
「はっ、他にできることなんてねぇし、関わらなきゃ別にどうでもいい。知らねぇ振りしてりゃ金は稼げる仕事だ」
「然るべき筋に、告発なり何なりそういうことは考えなかったのですか?」
ウェルヴェーヌの問いに、ネージュは忌々しそうに吐き捨てる。
「考えるわけあるかよ。証拠もねぇし無駄だ。第一そいつは上の政治的対立とやらに片足を突っ込むことになるんだと。ユニスがこの件に関しては全部忘れるのがいいってんで、ずっと思い出しもしなかったのが本当のところだよ」
「その政治的対立ってのは?」
「要するに、探索者ギルドも一枚岩ではないということじゃ。裏で結社とつながっている一派とそうでない派閥があることは容易に想像がつく。距離を置くのは賢明な判断じゃろうて」
オホーラが思案声で続ける。
「問題は、ベリオス支部のノゴス殿やスズコ殿がどの陣営におるか、じゃな。少なくとも、クロウに避けろと忠告してきたヨーグ殿は白だとは思うが……」
「それはここの支部にも、結社とやらとつながってるヤツがいるってことか?」
「その可能性があるという段階じゃ。ただ、結社とギルドに関係があったとしてもそう簡単にボロを出すような体制ではあるまい。疑わしい窓口もきっちり口封じをしてくる所を見ると、下手に探りを入れるのも厳しそうじゃ。で、あろう、イルル殿?」
その時、急にベッドの横にイルルが現れた。
「そうっすね、賢者様。一応潜り込んではいるっすけど、さすがに警戒が強いんで深くは踏み込めてないっす」
「お前、いたのかよ?」
「お久っす、主。地下から帰ってきたって聞いて戻って来たっす」
確かに久々に見た気がした。
地下世界での鍛錬には必要なかったので、しばらく休暇でも取ったらどうかと勧めていた。何をしていたのかと聞くと、ウッドパック商会の新人研修の教官をさせられていたらしい。
「会長の罠に嵌まったっす。避暑地って言うからバケーションに行ったら、完全に研修用の森だったっす。強制労働反対、しくしく……」
泣き真似をするが、イルルもウェルヴェーヌ同様に基本が無表情なので大根役者もいいところだった。
「再会に水を差してすまぬが、話を戻してもよいかの?」
「りょ、控えるっす」
その途端にイルルの気配が消えた。相変わらず存在感自体が薄れるようなその技は規格外すぎる。
「そういうわけで、ギルドのその暗部にはおいそれと手を出しづらい。かといって、ウィズンテ遺跡の古代遺物はベリオスに所有権がある。それを勝手に持ち出されるわけにもいかぬ。領主として、どういう立場を取るつもりじゃ?」
その二択は難しい判断だった。
探索者ギルドなしに古代遺跡の探索はできない。その見返りとして多少の着服を認めるか、ギルド内部に徹底した調査の手を入れて不正を取り締まるか。後者の場合は、他の組織に横槍を入れることになるので相当の軋轢を生む。はっきりとした証拠が出れば正当性は認められるだろうが、過干渉と取られることは間違いない。今後の関係に響く。
「……気づかない振りで見過ごすのが穏当なんだろうが……あの裏結晶とやらがろくでもない連中に渡って、ここらで使われるのは困るな」
「あの、肝心のその裏結晶についてはどういうものなのかは分かっているのですか?」
「現在進行形で研究中じゃが、欠片しかないのでな。古代遺物の一つじゃとは思うが、その性質の一部のみを解析するのが精一杯で全容が分かるかどうかは微妙じゃ。ただ、異質な魔力の活動源になり得るということ。実際に生命体に融合していたことを踏まえると、悪用されたときにはろくなことが起こらぬじゃろうな」
「結社が一番古代遺物の中で欲しがってるって話だったしな。間違いなくヤベぇもんだろうよ」
「結局、ギルド次第ってことになるよな?ベリオス支部のノゴス達が調査する側か、結社に加担している側かをまず突き止めなくちゃならないんじゃないか?」
クロウの判断に賢者がうなずく。
「うむ。それは正しくわしの初手と一致する。して、どうそれを実現する?」
「そりゃ、本人に直接確かめるしかないだろ?」
直接ぶつけて反応を見る。婉曲に問い詰めるにしてもかなり危険な賭けだが、クロウに迷いはなかった。
放置はしない。
それが領主としての決断だった。




