12-2
ベリオスの町の周辺は警備隊が巡回している。
独立都市としての地位を確立する前から、オホーラはその役割をしっかりと割り当てて徹底させていた。
大勢の町民の安全確保のためには必須な自衛行動の一環だ。
ゆえに、その魔獣の群れは早期発見できていた。
通常ならばそのまま撃退して町へ近づけさせない。討伐するなり、押し戻すなりで終わりだ。
しかし、その群れは異様な行動を取っていた。
一列に綺麗に並んで歩いていた。走るわけでもなく、獲物を探して周囲に目を配っているわけでもない。何か目的があって、ただ決められた進路で一路ベリオスの町へ向けて行進しているように見えた。巡回していた警備隊の者は初めて見る光景に戸惑い、混乱し、どうすべきか分からなくなった。こんな想定はマニュアルにはない。
応援を呼ぶことだけは確定事項だったので、そこで上に判断を仰ぐしかなかった。
その報告がオホーラのもとに届いたのは早かった。ベリオスの町の情報伝達の構築は初期から効率よく張り巡らされてきた。迅速に対応できる環境作りは、賢者が優先している重要な柱の一つだった。しっかりと機能した結果、対応は素早く行われた。
「……クーンが一枚噛んでいるってのか?」
馬を駆りながら、クロウは半信半疑で頭上の蜘蛛に尋ねる。使い魔状態のオホーラは「うむ」とうなずいた。
「可能性の一つじゃがな。今もこうして導くように走っておろう?何か意図があるように思える」
確かにクーンは着かず離れずで前を走っていた。時折クロウを振り返ってついて来ているか、確認しているようにも思う。
アテルを通じて質問はしてみたがが、答える気はなさそうだという残念な反応しか得られていない。
「良く分からねえが、クーンが何かしようとしてるとして、遠距離にいる魔獣を呼べるってことなのか?」
「それも分からぬ。じゃが、試しに近づかせても襲ってはこなかったという話じゃ。普通の魔獣ではあり得ぬ反応じゃ」
「クロウ様にお仲間を見せたいだけ、とか?」
横を並走する馬上から、少し楽しそうな声が響く。
「……というか、なんでお前までついてきたんだ?」
「あら、まだわたくしの話が途中でしたのをお忘れですか?」
「いや、そりゃそうだけど、後でまた改めてでいいだろうよ」
「フッ、こんな面白そうな状況をお嬢様が見逃すはずがないよ。それに領主様がいれば大手を振ってベリオスの外にも出れる。実に都合がいいじゃないか」
ハミアを抱えるように馬を操るカヴァルエが、明け透けに本音を漏らす。
「単に外に出て気晴らししたいだけじゃねえか……」
「まったく、もっと貴方は立場を弁えて発言してください。ハミア様に多少窮屈な思いをさせてしまっているかもしれませんが、それを緩和するための役割も貴方の職務でしょうに」
ウェルヴェーヌの小言が止まらないが、今はそれどころではない。
(アテル、ラクシャーヌのやつはまだ応答ないのか?)
クーンの思惑が何にせよ、いざというときの為に主である災魔を呼んでおきたかったのだが、クロウの呼びかけにはまったく反応がなかった。災魔は最近ずっと修行と称して別行動をしていることが多い。同じ魔物同士の方が呼応しやすいので、アテルに呼びかけてもらっているが芳しい成果はないようだ。
(多分、お姉さまは寝ているみたいなのです。起きてくれないのです)
(無理やり起こせないのか?)
自分の中にいるのならそれができるのだが、離れた場所ではさすがに無理だった。
(ごめんなさいです。できないのです)
しょんぼりするアテルに気にするなと声をかけ、現実に意識を戻す。ラクシャーヌは当てにしない方がいいようだ。
「おい、クーン。何がしたいんだ、お前は?いい加減、ちゃんと教えろ」
何か関係していそうな眷属に声をかける。
これまでまともに向き合っていなかった。避けられていたので面倒だと脇に置いていた。後回しでも問題ないと思っていたが、この事態にクーンが噛んでいるならそうも言っていられない。
首根っこを捕まえてでも話し合う必要がある。その口を開かせなければ先に進めない。
だが、クロウが本腰を入れたからといってクーンもそうなるとは限らない。相変わらず何も言わないまま、狐もどきは魔獣の方へと走り続ける。
「フッ、完全に無視されているようだね。飼い犬に手を噛まれる実演かい?それで、ハミルお嬢様を笑わせようとしているのかい?」
「お黙りなさい。クロウ様に対する不当な侮辱は減俸対象です」
「でも、どうしてクーンさんはあれほどクロウ様を避けているのでしょう?何か怒らせるようなことでもしたのでしょうか?」
「いや、まったく覚えがない。そもそも、まともに何かを交わしたこともない」
「え?逆にそれが問題なのでは?」
「ん?どういうことだ?」
クロウの返答に皆が押し黙る。一瞬でクーンの態度に合点がいったからだ。
「クロウよ。礼節というものは人として最低限必須なものぞ?たとえそれが魔獣相手であろうと、おぬしの家族になるような者に対してしっかりと向き合わないでいてよいはずがなかろう?」
「いや、俺は話しかけてたぞ?あっちが無視してただけだ」
「一度避けられたからといって対話をあきらめたのですか?主たるもの、もっと寛容に接するべきではありませんか?」
「アハハ、これは器が小さいと言わざるを得ないね!」
散々な言われようだった。クロウは反論しかけるが、何だかんだと後回しにしていたのは事実で負い目がある。
もっと何度も会話を試みるべきだったということか。立場的にクロウがそれをするべきだという話らしい。面倒臭がった自分に非があるといわれたら否定はできない。
「けど、それと今回の魔獣とどういう関係があるんだよ」
「それも含めてしっかりとクーンと話せ。度量を示すがよい」
「無視する相手にどう話せと……?」
「根気よく話しかけて向き合うしかないかと。クロウ様ならばできます」
ウェルヴェーヌだけがやや同情的にアドバイスをくれるが、クロウはもっと直接的な解決策が欲しかった。
とりあえず殴って大人しくさせてから話させるか、などと物騒なことを考える。ラクシャーヌが取った方法は、クロウにはそういう風に見えていた。また決闘でもすべきなのかと。
「あ、クーンがしゃべりかけてきたのです!」
不意にアテルがクロウの肩口に出て来て、思わぬ報告をする。
「なに?何て言っている?」
「ええと、『そなたの威を示せ』だそうです!」
「イを示せ?何のイだ?」
「ほぅ、ついにしびれを切らして直接的に要求してきたか。威光や恐れの威であろうよ。まさしく主としての器を試されておるわけじゃ」
オホーラの説明で理解する。それならば分かりやすい。
前方を走っていたクーンは今、立ち止まってその全身に魔力を漲らせている。
図らずも、物騒なやり方が正しかったようだ。相手もその気なら応じるまでだ。
「お前らは離れててくれ。俺が上だって分からせればいいなら、そうするだけだぜ」
「フッ、野蛮な力技だけでは誰も従いはしないものだけどね」
カヴァルエは皮肉を残して素早くクロウから距離を取った。
「ひょっほっほっ、後回しにしてきた不名誉を挽回してくるがよい」
オホーラもウェルヴェーヌの元へと飛び移る。邪魔も手助けもするつもりはないということだろう。
「アテルも残らなくてもいいんだぜ?」
「いいえ!ワタシはご主人様の力になるのです!」
しばらく四面楚歌状態だったので、アテルの純粋な応援は有り難かった。欲を言えばもう少しクーンとの橋渡しをしてくれとも思ったが、高望みはよくないだろう。
とにかく舞台は整ったようだ。
報告にあった魔獣たちは今は関係ないらしく、まだその姿は見えない。今は気にしないでいいのなら気が楽だ。
クーンとの対決に備えてクロウは馬を降りてその眼前に立つ。距離はまだあるがクーンから放たれるその魔力は、そちら方面に疎いクロウでも分かるほど膨れ上がっていた。
だだっ広い何もない草原の中で、一匹と一人が対峙する。
クーンの狐顔がクロウの正面に向く。その視線が交錯した瞬間、脳裏に聞いたことのない声が響く。
(ようやくわらわと向き合う気になったのかしら?そなたがラクシャーヌ様の主に相応しいかどうか見極めるつもりだったのですけれど、一向にその片鱗が見られないのでわらわ自ら試させて頂きますわ)
(そうか。そういう意図があったのなら、もっと先に言えばよかったんじゃねえのか?わざわざ無視することはないだろ)
ようやく声が聞けたクーンの言葉は予想通りの棘のあるものだった。感情の機微に疎いクロウでも、この態度から好かれていないことは察せられる。なぜ毛嫌いされているのかは皆目見当もつかないのだが。
(……まったく度し難い。無視するような真似をしていたのはそなたの方ではないかしら?)
(は?何を言ってい――)
(お黙りなさい!)
クーンがそこで突如会話を打ち切った。より一層の魔力が瞬間的に爆ぜる。
その余波というか副次効果のような周囲への干渉力が、静電気のように四方八方に拡散した。クロウの身体にも一部が通り過ぎ、刹那の衝撃で筋肉が勝手に収縮する。不可抗力的に身体が反応し、金縛りにあったようにその一瞬で動きが止められたのだ。
魔力だけでこれだけの影響力を及ぼせるとは思ってもいなかった。それはラクシャーヌとはまた違った魔力の強さを感じさせる。
(余計な問答はこれ以上いりません。これより放つわらわの一撃で、そなたの真価を示しなさい)
クーンの全身から光が立ち昇る。それは魔力か魔法なのか。
クロウにはもはや判別がつかないが、何を求められているかははっきりと自覚した。
これから飛んでくる何らかの攻撃を受けてみろ、というクーンからの挑戦だ。それで何が分かるのか知らないが、ここまでまともに相手にしてくれなかったクーンが望んでいるのなら受けて立つしかない。あわよくば反撃という形で斬り込むのも悪くないか。
そんな考えが頭をよぎったところで、更に目の前の魔力が増大した。まだ上限値じゃないらしい。冷汗が流れる。
おいおい、さすがに洒落にならねえんじゃ……
今体内にはラクシャーヌがいない。アテルのみだ。魔力関係は災魔に頼っているため、自分がどの程度の魔力、魔法に対抗できるのかは未知数だ。ただ、脳内の危険信号は鳴り響いている。まともにあれを受けるなと警告している。
「VWAAAーーーーーーーっ!!!」
クーンがそこで一声高く吠える。
もはや考えている暇はなかった。剣を抜き放って咄嗟に構える。剣で魔法を斬るため、否、受けるためだ。どんな形の魔法であれ、その威力を相殺しなくてはならなかった。自身の魔力を剣に込める。
すると咆哮に一瞬遅れて、その衝撃波がクロウに襲い掛かってきた。
薙ぎ払うように剣を振りかけて、クーンの射抜くような視線とぶつかる。その金色がかった瞳に先程の声が重なる。
――真価を示しなさい
いま何を求められているのか。このまま普通に受ければそれでいいのか。
不意に周りが気になった。なぜだかは分からない。こんな危険な状態だと言うのに今更ながらに改めて自分の周囲をちらりと確認する。
そこで初めて気づく。
自分が立っている場所。その足元、大地。何がそこにあるのか。ここは単なる草原ではなかった。ひっそりとそこには何かが眠っていた。
クーンは知っていたのだろうか。多分、そうだ。
今この攻撃をクロウが受けたり弾けばどうなるか。その衝撃を分散した力はこの辺りへと飛び散る。周辺の地面は抉れ、草木は吹き飛ぶだろう。
自然にそうなるのならば問題はない。過ぎ去る時間の必然的結果だ。
しかし、いまクロウが振り払った力の余波だとするならば、それはクロウのせいだ。攻撃してきたクーンが一番の原因ではあるが、直接的な要因はクロウになる。無関係だと割り切ることはできる。事実、どうでもいいと感じなくもない。
唐突に脳裏にある木標が浮かんだ。まったく今日まで思い出しもしなかったのに、鮮明にフラッシュバックした。今でもその意義は良く分からない。分からないが、意味はあるのだと知っている。
だから、クロウはその攻撃をその身で受けた。剣は使わなかった。
衝撃で弾き飛ばされそうになるが、全身で受け止めるべく踏ん張る。アテルのおかげでもあるのだろう。あらゆる力すべてを防御にまわすことで耐え忍ぶ。
「ぐっ……!!」
苦痛に歯を食いしばりながらも倒れない。想像通りとんでもない魔法攻撃だった。何系かすらクロウには分からなかったが、体内でその魔力が暴れ回る。まるで身体の中で竜巻が起こっていて、何もかもを内から吹き飛ばそうとしているかのようだった。気持ち悪さと痛みに耐えながら、上下左右に引っ張られたり押されたりする力を押さえつける。
ぐるぐると意識すらかき乱される。だが、それも長くは続かない。
ひとしきり荒らし回った竜巻はやがて鎮静化し、ボロボロになったクロウはがっくりと膝をついた。
全身が切り刻まれたように切り傷だらけで血がにじんでいる。それでも、重要な臓器は守れたようだ。アテルが重点的に防いでくれたのだと分かっていた。
(ありがとな、アテル……)
(問題、ないの、です)
さすがに無理をしたであろうことは、その声の覇気のなさから察せられた。相当の負荷をかけた。その甲斐はあったはずだ。
クロウは未だ痛む身体に鞭を打って前方を睨む。覚悟は示したつもりだ。クーンはどう見るのか。
(どうしてその剣で受けなかったのかしら?)
(……この下に何かの骨が埋まってる。ここが墓だったら、荒らしちまうだろうが……)
クーンはおそらくそのことを知っていてとぼけている。ここを着弾点にした時点で、クロウを試したのは間違いない。
(なるほど。でも、知っていますかしら?わらわたち魔獣や獣に墓なんて高尚な考えはありませんよ?)
言われてはっとする。確かにそうだ。墓という文化、概念は人間のものだ。ここに埋められている骨は、単に食い散らかされたものが経年で沈んだだけなのかもしれない。
なぜそんなことに気づけなかったのか。いや、ならばなぜ、クーンはここを選んだのか。
混乱するクロウに、クーンは静かに語りかけてくる。
(そなたの胸の内に、黒く大きな鳥の影を見ました。わらわを避けていたのはそのせいなのではなくて?)
ゆっくりとクーンが近づいてくる。
(そしてその鳥は既に躯になっている。その死の責任をそなたは感じている)
静かにクーンの声が耳朶を打つ。
(特殊技能とやらは良く分かりませんが、そのせいだったのでしょう?悔やんでいるのかしら?それとも、気にしない振りをしているのかしら?)
次第にささやくようなその声音は女性的で儚く、どこか優しくも聞こえてきた。
(俺は別に……)
クロウは特に言い返す言葉を持っていないことに気づいた。なんとなく合点がいく部分があった。
無意識にシーアのことを思い出していたのかもしれない。会話云々のことも、墓を連想したことも、あの黒トサカ鷲の雛が原因だったのかもしれない。
(わらわを過去の魔獣と一緒にしないでくださるかしら?)
いつのまにかクーンはクロウの目の前に歩み寄っていた。その狐顔の視線が丁度片膝をついたクロウの高さと重なる。凛とした金の瞳が気高く輝く。
その無言の圧にクロウはうなずく。
(そうか。俺はお前とあいつを勝手に比べちまっていたか……)
クロウはシーアの死をどこか消化しきれないままに胸に閉じ込め、クーンから距離を置いていたのかもしれない。その無自覚さが弱さに見えてクーンは気に入らなかったのだろう。避けていたのは、自分の方だったのか。
(その鳥のことは知りませんけれど、主を守ったのなら誇ることでしょう。そこから目を背けるような真似は冒涜ではなくて?)
(ああ。そうだな。最期にあの時、あいつは鳴いた気がする。その意味をちゃんと受け取らなきゃな)
クロウが噛みしめるようにそう呟くと、クーンはクロウにそっとその身体を寄せた。
(少しだけ覚悟は見せてもらいました。不格好で酷い対応でしたけれど、一応合格としてあげましょう、クロウ。暫定的にですけれども、ね)
クーンはそうして初めてクロウの名を呼んだのだった。