12-1
西日の差す窓際のソファに、ちょこんと座っている少女がいた。
貴族風のドレスをまとい、その佇まいには気品を感じる。
灰茶色の肩までかかるその長い髪は風に揺られて光に煌めき、耳元で編み込まれた一筋の精緻な三つ編みは彼女の高貴さを象徴するかのようだった。
珍しい象牙色の瞳は幼い容姿とは違って大人びた知性の片鱗を宿し、静かにこちらを見つめていた。
「それで、ハミルお嬢様に何を訊きたいのですか?こちらはまだお茶会の準備中だったというのに」
その傍らに立つのは、カヴァルエ=フォードランという執事のような恰好をした美青年。
いや、オホーラによると男装しているだけで女だという話だった。中性的な顔立ちなのでどちらとも取れる。今回、ノルワイダ王国の第二王女につけたベリオス側からの監視役だ。表向きは使用人兼護衛と言う形だった。
「ひょっほっほっ、そんなに構えるな、カヴァルエ。おぬしがそんなに刺々しいとハミル嬢も警戒してしまうじゃろうて」
クロウの頭の上で、蜘蛛の使い魔状態の賢者が笑う。
「というか、お前のその蜘蛛形態の方が怖がらせるんじゃないのか?」
一般的に女子は無視類を嫌う傾向があるらしい。最近そのことをクロウは知って驚いた。周囲の女性陣でそのような反応をする者はいなかったからだ。大分珍しいことだったようだ。
「それは心配無用だね、クロウ様。ハミルお嬢様は使い魔には慣れておいでさ」
「そうか。というか、お前随分馴染んでるな……」
脇に控えて主人の代わりに受け答えする様は長年仕えてきたかのような風格まで感じる。お嬢様呼びも板についていて違和感がなかった。
「フッ、それはボクが完璧に仕事をこなしているという称賛だね?惜しみない賛辞に感謝を、クロウ様」
優雅にお辞儀されるが、別に褒めたつもりはない。噂通り少し変わった性格のようだ。
「所作は綺麗で悪くありませんが、端々に自己顕示欲が滲み出ています。もっと相手への敬意を押し出して、自身を控えなさい。仮にも使用人を演じるのなら、しっかりとその役を果たしてもらわないと困ります」
ウェルヴェーヌから厳しい指導が入る。どういう関係なのかクロウにはいまいち分からなかった。
カヴァルエはハミア第二王女のためにベリオス側、正確にはオホーラが用意した人物だ。同盟の際にノルワイダから保護の名目で預けられたため、その安全確保のために最適だということで呼び寄せたと聞いている。
四六時中そばにいるので同性であること、護衛として腕が立つこと、円滑な関係を築けること辺りがポイントだと思うが、現状の穏やかなハミアの表情からして良好な関係ではあるように思う。もっとも、ハミアはまだ14歳の童顔ながら大人びた雰囲気の物静かな性格なので、分かりやすく外からその心情は察せられない。
「とにかく話を戻そう。彼女について何か分かったって話だが、ここで直接聞いてもいいのか?」
「ウン。というより、ハミアお嬢様本人から直に伝えたいという要望なのさ」
「え?どういうことですか?先程、貴方はこちらに何のための訪問か尋ねましたよね?矛盾しています」
「アハハ、それは当然だろう?義務としてまずは主人のため貴婦人の威徳を立てないとね。形式美というやつさ」
「……本人の前でその物言い、やはり貴方には品性が足りていませんね」
ウェルヴェーヌの怜悧な視線にも臆することなく、カヴァルエは肩をすくめる。
「まぁ、ボクの美麗な流儀を理解できなくとも責めたりしないさ。けれど、今は優先順位が違うんじゃないかい?」
「うむ。カヴァルエの性癖は気にせぬことじゃ。ハミア嬢の話を聞くとしよう」
そのハミア当人はここまで一言も発していない。穏やかな微笑を湛えているだけだった。話せないというわけではないだろう。静かにただ見守っているといった雰囲気だった。
クロウはこの幼い王女と未だにまともに言葉を交わしていないことも思い出した。
色々と他にやることが多すぎて後回しになっていた。相手が子供とはいえ、これは王族に対して不敬というやつなのだろうか。だが、ここまで賢者などから何も言われていない。どう接するべきか今更ながらに思案して、クロウは考えることをやめた。
理屈や理由をこねくり回してもしょうがない。自分なりに自然体でいくことにする。問題があれば誰かが止めるだろう。
「それで、お前は何を話してくれるんだ?」
単刀直入にクロウが改めて切り出すと、それを待っていたかのようにハミアが初めて口を開いた。
「はい。まずはご挨拶からさせてください。わたくしはハミアと申します。クロウ様には今日まできちんとしたお礼もできておらず、申し訳ありませんでした。ノルワイダ王国との同盟により、この身を保護下に置いて頂き誠にありがとうございます」
少女らしく可愛らしい声音とは裏腹に、その口調は丁寧でしっかりとしたものだった。
「今日お呼び立てしましたのは、ベリオスの町の情報収集能力とその他様々な総合力が期待値を満たしていると判断し、わたくしが持つ秘密の一部を自ら公表すべきだと決断したからです。今まで黙っていたことは謝罪しますが、これも互いの最善を考慮した結果だとご理解頂けると信じております」
小さく目礼される。やはりその所作には気品があった。
「ああ、別にかまわない。話すタイミングをはかってたってことだよな。で、その秘密ってのはお前の能力みたいな話だな?」
既に概要はオホーラから聞いていた。
先読みの巫女の予見『漆黒の雨に備え大鷲の瞳から逃れるために、西の大地に封じられし乙女の祈りを守れ』の意味について、どうやらこの乙女がハミアを指しているのかもしれないということだった。ノルワイダ王国がわざわざ第二王女をベリオスに預けてきた意図。ウッドパック商会が探り出した情報によると、ハミアにはノーグフェール王族の血が入っているとのことだ。
ノーグフェールは大陸西方の魔法大国で、その血筋となれば最高位の高貴な者ということになるが、それ以上に特殊な体質であることが重要だという。あくまで噂でしかないが、ノーグフェールの王族は伝統的に特別な魔法士が生まれることが多く、それが国を発展させた要因とさえ言われている。
つまり、ハミアには何らかの特殊な魔力関係の能力がある可能性が高いということだ。しかし一方で、ハミアは公式にはノーグフェールと血縁関係はないことになっている。母親のセナリーがノーグフェール前王の御落胤であることが原因だった。
ノルワイダが小国ながら最長の歴史を持つ国としてやってこれたのは、大国筋との政略結婚などで大国とのつながりを有していることが大きいらしい。中でも各国の微妙な血筋などを受け入れ、うまく立ち回ってきたのだろうと賢者は言う。不測の事態の際にはこうした公に認められていない血縁の者が問題になることが多く、その受け皿として国と言う単位で緩衝的に機能したのではないかという話だった。
物事には裏表があるとはいえ、こうした王族などの公然の秘密やら暗黙のルールのようなややこしい是認と否認は本当に厄介だとクロウは思う。状況によって真逆に入れ替わる立場など、真実でもなんでもないと思うのだが、それが世に広く受け入れられたりするのが不可解だ。大義名分の恐ろしさを感じる。
ともあれ、ハミアはそうした特異な身分であるということだ。
「既にカヴァルエさんからも報告がされていると思いますが、わたくしのある力はノーグフェールの血筋によるものだそうです。通常、このような力は生まれた際にはもう顕在化していて、後から発現することはないそうなのですが、わたくしは幸か不幸かそのレアケースだったようです。そのせいもあってか、この事実を知る者は限られています。だからこそ今まで平穏に過ごせていたらしいのですが、最近そのことを知った悪辣な者がいるという話で、わたくしはお兄様の薦めもあってこちらに逃げてきたというのが事情となります」
お兄様というのはモメンドのことだろう。
ハミアについて詳細は一切伏せていたが、自力である程度調べることを前提とし、時期が来たら打ち明けてもいいというような指示があったのだと思われる。しかし、肝心の能力についてはまだ隠している。クロウはもう一歩踏み込む。
「その能力ってのは言えないのか?そいつを狙ってお前をさらいに来る奴がいるかもって話なんだろ?それだけ凄い力ってのが何なのか知っておきたい」
「それは……」
ハミアは初めてそこで言い淀んだ。毅然としていた態度が一瞬崩れる。
「お嬢様。言いたくないのでしたらご無理はせずともかまいませんよ?ここには嫌がることを強制するような無粋な者はおりません」
その通りではあるが、カヴァルエはどちらの味方なのか。それ以上、聞きづらい空気になってしまっていた。
と、ベリオス側の者たちは思ったのだが、そこは空気を読まない、否、読めないクロウだった。
「いや、確かに強制はしねえけど、言って欲しい。何の能力か分からないとこっちも困るからな」
「クロウ様……それは実質脅しに聞こえますが?」
「え?そうか?」
カヴァルエは戸惑った表情を浮かべた。彼女もまた、あまりクロウとは関わっていない。領主として無難に当たり障りない言動をする人物だと評していたので、ここでハミアを気遣って一歩退くと思っていた。それが一般的な反応だからだ。
「ひょっほっほっ、カヴァルエはハミア嬢に向き合うあまり、クロウのことをまだ分かっておらぬようじゃな。まだまだ観察眼が足りぬぞ、精進せよ」
オホーラの最後の言葉は出来の悪い生徒をしかる教師のような響きがあった。
カヴァルエとオホーラはそのような関係なのかもしれない。今回、わざわざハミアという王女の護衛のために呼んだ人材だ。賢者には何某かの目的があったに違いない。
「いずれにせよ、ハミア嬢も隠すつもりはないのじゃろう?見極めの段階が終わったからこそ、わしらをここに呼んだ。何か最後の一押しでもお望みかな?」
「さすがは賢者様。実はその通りです。悪戯に試すようで心苦しいのですが、一つだけ懸念点があります。クロウ様の中には複数の使い魔がいると聞いております。そちらを確かめさせて頂けないでしょうか?」
「ラクシャーヌたちを?確かめるというのは具体的には何をするつもりなんだ?」
「はい。ただこの目で実際に見たいだけです。その他、決して危険な真似などするつもりはありません」
ハミアは真っすぐに答えてきた。その象牙色の瞳は穏やかで澄んでいる。
見るだけで何が分かるというのか。そう尋ねようとして、その不思議な瞳の前に言葉を飲み込んだ。対面してこそ分かることもある。クロウ自身も相手を見極めようとするなら、やはり直に会って確かめたいと思う。何の不思議もないか。
「そうか。ただ、使い魔のラクシャーヌは今別のところにいてな。すぐに呼び出せない。代わりにその部下みたいなアテルとクーンを紹介する」
クロウはすぐさまアテルを取り出して、目の前の長机の上に乗せる。
「お招きいただき、参上なのです!」
ぴょこっと棒のような手を上げてから、黒い卵がお辞儀をする。いつものようにエプロンドレス姿だ。
「まぁ……!?」
「なんとっ……!?」
ハミアもカヴァルエも驚きに目を丸くしていた。得体の知れない生物がいきなりしゃべったのだから無理もない。
「クーンは一応そこにいるんだが、生憎俺にまだ懐いてなくてな。アテルみたいなのは期待しないでくれ」
「え?」
クロウが視線を向けた先につられて、ハミアが顔を向ける。部屋の片隅にちょこんと狐顔の何かが座っていて、毛づくろいをしていた。
「いつの間に……?」
「最初からいたぜ。未だに収納できないんだが、ちゃんとついては来るんだ」
身体の中に収納するという方が異常なのだが、クロウにはもうその感覚はなくなっていた。
ハミアの方は混乱が止まらない。使い魔の噂は聞いていたが、想像以上に常識外の事態だ。とにかく目の前の黒い卵に注目する。見たこともないフォルムの魔物のようだが、服を着ていて愛嬌がある。
「……普通に会話できるのですか?」
「はいなのです!アテルなのです。よろしくおねがいしますです」
「これはご丁寧に。わたくしはハミアと申します……」
「ニンゲンさんの名前はもう聞いていたのです!ワタシを見て何かわかりましたか、なのです?」
勢いで話し始めたハミアだが、すぐさまアテルがきちんとした受け答えをしていることに気づく。
「あの、あなたはラクシャーヌと言う方ではないのですよね?クロウ様の使い魔は皆このように賢くしゃべるのですか?」
「はいなのです!あ、でも、ワタシはお姉さまではないのです。きちんとした使い魔はお姉さまだけで、ワタシたちはその眷属なのです。それと、ココさんとシロさんはまたちょっと別なのです!」
「お姉さま……ココさん……?」
一気に情報量が増えてゆくので、ハミアはさすがにまとめきれそうになかった。クロウが助け舟を出す。
「ええとだな、一応俺の使い魔はラクシャーヌだけで、そのまた使い魔みたいなのがアテルとかクーンだと思ってくれ。だから姉妹みたいな関係性になってる。んで、ココとかはまたちょっと違う複雑な関係なんで今は気にしないでいい」
「な、なるほど……?」
「ご主人様はとってもいい人なのです!確認よろしくなのです!」
ぺこりと頭を下げるアテル。黒くて丸い卵型の塊。見たこともないそれが、それが目の前で可愛らしくしゃべっている事実。とんでもない状況だ。
しばし呆気に取られていたハミアは、やがてクスクスと笑い出す。
「ふふふ、あなたを見るつもりだったのだけれど、そんな風に言われたら信じないわけにはいきませんね。触れてもいいですか?」
「はいなのです!かまわないのです!」
おっかなびっくりでもなく、ハミアは自然にアテルを手のひらですくいあげてその表面を優しくなでる。
普通の者は見たこともないものを恐れる。ましてやしゃべる魔法生物だ。触れるにしても慎重になるだろう。しかし、ハミアは人間の子供に接するように穏やかだった。
その行為そのものがハミアの人となりを表わしている。賢者は「ほぅ」と感嘆の声をもらしていた。
「まぁ、とってもツルツルで心地よいのね」
「はいなのです!ザラザラよりツルツルだとメイド長に教えられているのです!」
ウェルヴェーヌがうんうんと無言でうなずいていた。アテルは身体表面の感触も変えられる。しっかりと教育していたらしい。
と、そこへ新たな影がさっと現れた。
長机の上に突如飛び込んできたのは、意外にもクーンだった。その狐顔はじっとハミアを見上げてから、くいっと頭を少し振る。
「あら?あなたも撫でて欲しいのですか?」
「何だと?」
その言葉に思わず反応したのはクロウだった。実は未だにまだその身体に触れていなかった。というより、触れさせてもらえていないというのが正しい。
一度くらいは撫でてやりたいという密かな希望があったので、先を越されて無意識に声が出てしまったのだ。
「いや、俺は未だにそいつに触ったことがなくてな……」
慌てて言い訳すると、ハミアの笑顔がさらに広がった。
「まぁ、それは申し訳ありません。でも、この子が望んでいるようなのでお先に失礼しますね」
そこで遠慮しないのがハミアの性格のようだ。変わった体形のクーンを気にすることなく「ほらほら、どうです?」とその身体を撫でまわす。
「くーん……!」
名前の由来通りに、その鳴き声が響き渡る。気持ちよさそうなことは皆に伝わってくる。クロウは何も言わなかったが、その拳が少し強く握られていた。
「……ご主人様もどうぞ」
アテルが気を遣ってか、クロウの元にぴょこんと戻ってくる。
それがまた何とも言えない場の空気を作った。クロウが無表情なこともどこかシュールだった。
「ああ、ありがとうな、アテル……でも大丈夫だ。それより、クーンはどういうつもりなんだ。今まで動かなかったのに急にどうした。何か言ってるか?」
「えっーと、ご主人様よりこっちの方が撫でるのがうまそうだ、と言ってましたのです!」
アテルも容赦なくありのままを伝えてくる。カヴァルエがぷっと吹き出した。
「アハハ、随分嫌われているようだね、クロウ様は」
「ああ、まったく心当たりがないんだがな」
「違うのです。多分、オスメスの違いなだけです!」
「なに!?そうなのか?こいつ、オスだったのかよ……」
アテルが言った衝撃の事実にクロウはクーンをまじまじと見つめる。雌雄の違いは確かに分からない、というか気にしていなかった。順当に考えると、女好きだからクロウにはなびかないという俗っぽい理由が透けてくる。
「いいえ、クーンはメスなのです!」
「「「そっちかよっ(そっちなのですかっ)!?」」」
複数の声が重なって響く。ハミアの声が混ざっていた気がするが誰も指摘はしなかった。
しばらく沈黙が落ちた後、ごほんと咳払いをしてハミアが語り出す。
「ええと、それでわたくしの力なのですが――」
ようやく本題が戻ってきたところで、今度は部屋をノックする音に遮られる。
ウェルヴェーヌが素早く扉の外で応対すると、珍しく困惑した声でその内容を告げた。
「申し訳ありません、クロウ様。警備隊からの緊急報告で、奇妙な魔獣の群れがこちらへ向かって行進してきているとの報があり、どうすべきか判断を仰ぎたいそうです」
「行進?襲撃を受けているということかの?」
賢者の問いにメイドは首を振る。
「いいえ。それが奇妙なことに、数十頭が綺麗に並んで歩いてきているだけで、近づいても特に敵対反応もないそうなのです。ただ、一路ベリオスを目指しているようなので、何か知らないかということで……」
「何だそりゃ?」
内容を聞いてもクロウには頭に入ってこなかった。魔獣に訪問されるいわれはない。そんな話は聞いたことがなかった。
すると、クーンがすくっと立ち上がって部屋を出ていこうとする。その際に、人間たちに向かってくいっと顔を向けた。まるでついて来いという仕草だった。
実際、アテルが補足してくる。
「さっさと来い、って言っているのです!」
その魔獣たちについて、クーンは何か知っているようだった。