11-11
地下世界に修行に来て既に6日が経っていた。
長くとも10日ぐらいで帰る予定なので、もう半分過ぎたことになる。
クロウは強くなった感覚は多少ある。あるにはあるのだが、それは身体的に鍛えられた結果というより、ラクシャーヌが新たな魔物であるクーンを眷属化した副次的なものによるところが多い気がしていた。素直に自身の結果だと思えなかった。
そして現在、そのクーンと言う狐顔の不可思議な魔獣の後を追っていた。
「わーい!戻って来てー」
ココが呼びかける言葉を間違えながら叫んでいた。クーンはココのお気に入りだ。初対面からペット感覚で大事そうにしていた。
「ココちゃん、『おーい』ですよー?」
エミルが何度も訂正しているが一向に直る様子がなかった。
それはともかく、一同がクーンを探しているのには理由があった。
本当なら勝手に走り回ってどこかへ行こうと、災魔の眷属になった以上そのうち戻ってくる。そういう風にできているのでわざわざ探し回る必要はなかった。
しかし、クーンはある目的地に向かっているとラクシャーヌが示唆したために無視できない。
ナガランカ。
謎の影が残した教会を意味する言葉。そこへ導いてくれるかもしれないと災魔が言い出したので、何の手掛かりもなかったクロウたちはその行方を追っていた。
「ラクシャーヌの言葉を疑うわけではないんじゃが、もう少し具体性のある話は何かないのか?丸一日クーンの後をつけているが、特に何の痕跡も見られぬ」
オホーラの言葉はもっともだが、ラクシャーヌはいつものように地下世界ではほとんど眠っている。
何度か聞き出そうとはしたが「いいから、あやつを追え」の一点張りで他に何も話そうとしなかった。
同じように魔物同士で意思疎通ができるアテルによると、クーンはまだこちらを対等の立場とは認めていないようで、必要以上に会話をしたがらないという話だった。
実際にクロウは直接クーンと会話しようとしとして、鼻であしらわれた感覚だけがあった。
ラクシャーヌのことは主と認めたが、その共同体であるクロウに対してはまだということだ。かといって、どうすればいいのかクロウには良く分かっていない。魔物の従え方のマニュアルは持っていなかった。
「俺もそう思うが『後を追え』としかラクシャーヌも言わないんだ。少なくとも罠とかではないとしか俺にも言えない」
「ううむ。その辺の曖昧さは人間と魔物系の種族の違いとかそういうことなのかのぅ……知的生命体であろうと根底の考え方は違うがゆえに」
「とにかく追跡」
ミーヤの言う通り、今できるのはクーンの後を追うことしかなかった。
道中で何度か魔物にも襲われたものの、クロウ一人でそれほど苦もなく排除できた。現在地はちょっとした荒れ地の真っただ中で、枯草のようにくすんだ植物と乾いた大地、硬い黄砂に覆われた景色が続いている。
クーンの姿は見えないが、ラクシャーヌの眷属なのである程度クロウにもその位置は伝わる。ひたすらにその気配を追いかけていた。
「そう言えば、あの転移魔法陣があった場所も教会みたいな跡地ではなかったか?」
特に話題もなく歩き続けていた折、不意にシリベスタがそんなことを呟いた。
「そういや、そうだな。待てよ、実はあそこがナガランカなのか?」
「そんなわけがあるまい。確かにあそこは聖堂跡のような面影が残っておるし教会かもしれんが、あの場所はブラガ文明の名残がある。そして、ナガランカというのはブラガ語ではない。関係はないのじゃよ」
オホーラがすぐさま否定した。クロウが思いつくようなことは既に考えていたのだろう。
「回想。何か重要な場所に近づくと番人形が出現する法則。ナガランカもそうした場所にある?」
「その可能性はあるじゃろうが、肝心の番人形を地下世界で最近は見なくなったのではないか?転移魔法陣も各地にもっとあると予想していたが、新しいものはまったく見つけられておらぬ。ゆえに、番人形が実は転移魔法陣とセットだという説に今は傾きつつある」
「……要検討。暫定的に賢者を支持」
そんな会話を交わしている内に、ちょっとした窪地に辿り着いていた。
周囲の荒れ地からは二、三段低い地形で、近づくまではまったく気づけない鍋底のような地域だった。
その端の苔むした大岩の上にクーンが座っている。
そこから動く様子がない。
「ここが目的地なのか?」
クロウはその窪地へと降りて周囲を見回す。荒れ地とはまた違う草木が辺りに生い茂っていた。土壌が違うのか、やや水分を含んでいるようにも思える。目立って何かがあるわけではない。
少なくともクロウには変わったものは目に入らなかった。しかし、
「クロウ、あっち」
ミーヤが何かを見つけたのか、左手へ移動する。
背丈の高い黄土色の稲穂のような植物の中、不意にその姿が消える。屈んでいるようだ。
「何かあったのか?」
そちらへ歩いていくと、何か固いものが足に当たる。石だった。
綺麗な直角を持った石の瓦礫のようなものが足元にある。自然な形ではない。
「これは……」
「建物の残骸じゃ!」
同じものを目にしたオホーラが叫ぶ。
「発見。この辺に何か建造物があった」
ミーヤが何かの破片を手に持っていた。赤茶けたそれにはかろうじて模様のようなものが刻まれているように見える。
「陶器の欠片か。生活していた者の名残じゃな」
その後、この窪地を歩き回ってみると集落のようなものがあった痕跡を見つけた。少なくとも十数人は住んでいたと思われる家の残骸らしきもの、壺や器の欠片や、黒ずんだ錆で覆われた刃物の成れの果てなども幾つか見つかった。
久々に地下世界で見る、かつての人々の生活跡だった。
「だが、ナガランカとかいう教会とは関係ないようだな」
一通り調べ終わった後で、シリベスタが冷静に結果をまとめた。
発見物としては貴重なものの、こちらが探していたものではない。期待が大きかっただけに少し拍子抜けだ。
「まぁ、そう落ち込むこともあるまい。ここに人が住んでいたならば、この周辺は住みやすい環境だった可能性が高い。ここを中心に範囲を広げれば、他を探すよりも過去の生活圏を見つけられるやもしれぬ」
「そうですね。起点として有効活用できそうです。闇雲に探すよりは、ずっと期待値が高いはずですもんね」
「そうか。じゃあ、明日からはここを中心にやるか」
クロウがそう予定を立てようとしたところでストップがかる。
その日程の余裕はもうないとのことだった。地下世界での滞在期間には限界がある。地上に戻るために引き返す頃合いだった。
じゃあ、帰るかと決めてその日のうちに地上に戻れるわけではない。
戻るのにも日数がかかるということをクロウは失念していた。どうやら時間切れだった。
「ここからはギルドが引き継ぐ」
ミーヤがしっかりとこの場を記録して、後日捜索を開始するとのことだった。
その夜。
そのまま窪地に野営地を敷いて、焚き火を囲んで休んでいた。
クーンがなぜこの場所に連れて来たのかという話題になっていた。本人に直接聞いてはみたものの、クロウの言葉にはまだ答えてくれなかった。
「クロ様、嫌われてるのん?」
「そうなのか?」
「逆に聞き返してる時点でどうかと思う……思います」
シリベスタの呆れた声に賢者が笑う。
「ひょっほっほっ。理由は何にせよ、ある種の手掛かりをくれたわけじゃから、嫌われてるわけではあるまいよ。迂遠なやり方なのは気になるところではあるが」
「戒律とかで直接言えない、とかって人もいますよね?」
「獣にルールがあるというのか?」
エミルの言葉にシリベスタが驚いた声を上げる。
「ふふふのふふふ、勘違いしていけませんよ、シリベスタさん。単なる獣ではなく知性ある獣です。私ごときよりもずっと頭のいい彼らに独自の習慣があっても何もおかしくはありません。たとえば、遺跡の魔物のアリ系のある種族は、隊列を組んで行進するように歩いて他の生物を威圧するといった行動を取ります。明確にそうしたルールのもとに動いているのです。これって凄くないですか?」
不気味な笑いと興奮気味の声でエミルが反論する。
この魔法士の趣向はかなり独特だった。その後も様々な魔物の変わった行動様式を披露し、悦に入った表情を浮かべて周囲を困惑させていた。残念ながらこの場に同好の士はいなかったようだ。
話題のクーン本人はココの腕の中で眠っている。
クロウには撫でさせもしないクーンだが、ココには懐いていて好きにさせている。密かにあの羽の感触をちょっと確かめたいと思っているクロウは、少しばかり納得がいっていなかった。
「異物発見。クロウ、確認」
その時、暗がりからミーヤが現れた。用を足しに行っていたはずだが何か見つけたらしい。
小さく黒光りするものを渡される。石の破片のように見えた。
焚き火の光でそれが手のひらの上で赤く輝く。
「ん?」
さっきは黒く見えた。改めてクロウが角度を変えて見つめると、今度は緑っぽくも見える。この奇妙な感覚には覚えがあった。
「まさか裏結晶なのか?」
「再確認。クロウもそう思う?」
探索者であるミーヤは裏結晶について多少知識がある。実物は見たことがないと言っていたが、見る角度によって色が変わる性質は知っていたのだろう。
「どこでこれを?」
「廃墟の壁。突き刺さってた。背中に当たって痛かった」
「……なるほど。ションベン中に気が付いたわけか」
ミーヤの用便中の姿が思い浮かんだ。丁度低い位置にあって、気になって引っこ抜いたのだろう。
「禁止。想像するな」
デリカシーのないクロウの発言にミーヤは少し顔を赤らめて脇腹を小突く。
「いて!何をしやがる?」
「馬鹿」
そんな他人の羞恥心に鈍感なクロウには、ミーヤの行動が理解できなくて当惑する。なぜ叩かれたのか。
しかし、それよりも気になることがあった。
「こいつ、魔力がないよな?」
手にしたものが裏結晶の欠片ならば、もっと魔力を感じるはずだった。実際、循環封印の場で見つかったものはホウライが絶賛研究しているが、クロウにも分かるほど深みのある異質な魔力を秘めていた。これにはそれがない。
「提案。賢者に意見を求む」
当然のごとくオホーラにもそれを見せると、やはり魔力はないという答えが返ってきた。
「ふむ……これはなかなかに面白い。半永続的に裏結晶は機能するのかと思っていたが、そうではないということか。ならば、これを持ち帰って比較検証することで何か見えてくるものがあるじゃろう」
「でも、どうして地下世界に裏結晶があるんでしょう?」
「いや、古代遺物なんだからここにある方が自然だろ?地上にある方がおかしんじゃないのか?」
「むにゃ?ココ?」
舟をこいでいたココが自分が呼ばれたと思って身じろぎしたとき、眠っていたかに見えたクーンの耳がぴくりと動いてむくりと起き上がる。
その鼻がひくつき、どこか一点の遠くを見つめていた。
「クン!!」
鋭い鳴き声でクロウもその気配に気づく。
「何か来たみたいだな」
「鳥?」
ミーヤの言葉で皆が頭上を見上げる。闇の中に確かに浮いている何かが見えた。こちらを監視しているようにも思える。
地下世界では鳥はあまり飛んでいない。いつかの黒トサカ鷲を思い出すが、それほど大きくもなかった。
シーアはあれでも雛鳥だったか……
「ーーーーーっ!?」
ふとした記憶に捕らわれていると、手のひらに違和感を覚えて視線を移す。そこにあるはずの裏結晶がなかった。
ぱっと周囲を見回すと、小さな黒い影が走り去ってゆく姿を見た気がした。
「裏結晶が取られた!」
「なにっ!?」
珍しくオホーラが大きい声を上げて「取り返すんじゃ!」と叫ぶ。研究対象を奪われて必死なのだろう。
「その前にアレをやらないとまずいですよ!」
エミルが頭上に向かって照明代わりの光球を浮かべた。その光に照らされて、フェッカ、野犬の群れが窪地の崖上に並んでいた。こちらを見下ろしている瞳が光に反射して不気味だった。
先程の気配はあの魔物たちだったようだ。
「消失。鳥も囮か」
ミーヤの悔しそうな声も遠かった。
色々と思うこと、考えるべきことはあるものの、今はフェッカの対応が先だ。
クロウたちは魔物狩りを始めた。