11-10
シリベスタは困惑していた。
目の前の未知の生物に対して、どう接すればいいのか分からなかった。
ココを追ってクロウが夜の闇の中に消え、戻ってきた時にはなぜかその胸に魔物を抱いていた。
正確に言えば魔獣か。いや、正確さもない。見知らぬ魔獣なので魔法生物なのかもしれない。
狐のような顔に小さな羽の生えた背中。短足気味の四つ足に三本の尻尾。聞いたこともない不思議な生き物だった。その尻尾の一部や腹に傷を負っている。
その手当と世話役を任せられてしまった。
危険はないと言われても初めて見る魔獣だ。警戒せざるを得ない。おっかなびっくり治療をした。衰弱しているのか抵抗はなかったが、いつ牙を向いてくるか分からない。
緊張しながら対応しているとクロウはさっさと先に寝ていた。まったく勝手な主人だ。
腹立たしくて文句の一つも言ってやろうとして、不意にウェルヴェーヌの鋭い視線を斜め後方から感じて身体が硬直する。今回、使用人長は同行していない。いるはずがない。それでも叱責されるのを恐れてシリベスタは自重した。嫌な条件反射のようなものが染みついてきている。そのことから目を逸らすように頭を振る。
今は他にすべきことがある……
自身にそう言い聞かせて魔獣に簡易的な寝床を作ってやる。
ココが持ってきた藁のような草を敷き詰めただけのものだが、地べたよりはマシだろう。
その場に横たえてやると、なぜかココがその横に自らも横たわった。
「今夜はクーンと一緒に寝るのん!」
クーンといういうのはその魔獣の名らしかった。勝手につけたに違いない。
自由奔放でつかみどころのない無邪気な少女。シリベスタにはココの存在も良く分からなかった。出自不明の孤児だと聞いている。やたらとクロウと近しいので何かそれ以上の秘密がありそうだが、安易に踏み込んでいいものではない。
仮初の役職で他国の自分がなぜ領主の特別な取り巻きと一緒にいるのか。地下世界という特別な場所を体験できることは正直嬉しくもあるが、主人であるエルカージャ皇女が大変な時に一体何をしているのかと自問することも多々ある。どうしようもないと分かっていても、己の不甲斐なさに歯噛みする。
最近増えてきた溜息を意識しながら、シリベスタはじっと朝を待った。
明くる日。
夜番を途中で交代したミーヤに起こされ、シリベスタは自分が寝坊したのかと焦って飛び起きた。
この旅の食事担当は運用係代理の仕事だ。しっかりと仕事を果たせなくてはウェルヴェーヌに後でどやされる。
「誤解。食事はまだいい。クロウが昨日の魔獣と何かしている。貴重」
探索者ギルドの寡黙な戦士は独特の話し方をする。
とはいえ、もう大分慣れたのでおおよその意味は伝わった。何か領主が珍しいことをしているので見た方がいいということだろう。
仮にも領主を呼び捨てにするのはどうかと思うが、それが可能な間柄ということなのだと理解していた。ぶっきらぼうにも見えるが不器用なだけで気遣いはできる方だ。今も善意で教えてくれているのだと思われる。
「そもそも、何のために連れてきたんだ……?」
なし崩し的に治療をしろと言われたが、魔獣を世話する意味がシリベスタには分からなかった。
愛玩動物としてペットにして飼う物好きが貴族にいる話は聞いたことがあっても、クロウは絶対にそのような嗜好の持ち主ではない。
だからクロウがどうするつもりなのか、興味はあった。
丘の手前の野営地で、クロウはその使い魔のラクシャーヌと何かしゃべっていた。
この銀髪の小柄な人型使い魔も奇妙な存在だった。どこか愛らしくもずる賢い雰囲気の少女で、時折空恐ろしい鋭い眼差しをしている。こちらにはわからない言語をしゃべり、その魔法の腕前は相当高く、あの道楽の賢者オホーラでさえ一目置いている。おまけにクロウの体内に出入りするというわけの分からない常識外の特性もあった。
クロウとは主従関係というより対等な立場のようにも見え、いつも何か言い争っている印象もある。色々とおかしな関係だ。
「本気か?そんなたいそうなヤツには見えないんだが?」
「ーーー、ーーーー!!」
「分かった、分かった。確かに俺にはそっち方面は判断できねえ。好きにやっていい」
やはり何か口論していたらしい二人だが、クロウが折れたようだ。ラクシャーヌの言葉はクロウにしか聞こえないが、身振りや表情からなんとなく察せられることもある。
シリベスタが近づいていくと、周囲にいたエミルがそっとささやいてくる。
「あ、おはようございます。今、ラクシャーヌちゃんがあの魔獣を飼うみたいないことをクロウ様と話し合っていたみたいなんです」
「飼う?使い魔が魔物を?」
聞いたこともない話ではあるが、そんなことはこのクロウたちといると日常茶飯事だった。普通ではないことが普通なので感覚が鈍っている。
「ひょっほっほっ。あの魔獣に特別なものを感じているようじゃの」
今はエミルの頭の上に乗っている賢者もどこか楽し気な調子だった。すっかり慣れてしまったものの、この蜘蛛の使い魔の状態で会話できているということもあり得ない状況だ。この魔法が広まれば、大規模な戦場においてどれだけ戦況が変わることか。情報の伝達速度は文字通り生死を分けることになる。
もっとも、こんなとんでもない魔法は常人では扱いきれないとのことで、現時点ではオホーラしか使えないとのことだ。それまで賢者などと言う存在は御伽噺の類だと信じていなかったが、世の中には嘘みたいなことが本当にあるのだと思い知らされた。
世界は広い。自分の狭い了見では思いも及ばないことがありすぎる。
「刮目。どう手懐けるのか」
ミーヤは興味津々といった好奇な目を向けていた。
と、クロウがこちらを振り返る。
「ああ、お前らここは危険っぽいからちょっと離れててくれ。こいつを一旦大人しくさせる必要があるんだと」
一体何の話なのかと聞き返そうとしたところ、賢者とエミルが説明してくれた。
「ほぅ。ラクシャーヌでも調伏がいるとはのぅ。あの魔獣、見た目より相当厄介なやつみたいじゃ」
「オホーラ様、調伏ってあの悪意ある外敵を心服させるっていう伝説の荒技ですか?」
「伝説かどうかは知らぬが、おおよそ合ってはいる。一般化すると、どちからが上か分からせて屈服させる決闘のようなものじゃな。言い聞かせられぬなら、身体に教え込むというアレじゃ」
「わー、やっぱり!動物系の上下関係を決定するやつですねー。魔獣にも有効なんだ」
エミルは拳を握り締めて興奮している。良く分からない趣味を持っているようだ。
一方で、シリベスタは一点どうしても気になることがあった。
「あの魔獣、怪我をしていましたが、その状態でやるのですか?」
決闘と聞いたので、それでは不公平なのではないかと思ってしまう。
「それが分かった上での選択じゃろうて。なに、ラクシャーヌも本気で打ち倒そうというつもりではあるまい」
「あるいはそれでも勝算があるのかもしれませんよー。可愛い顔して手強そうですもの」
「期待。どういう動きをするのか興味」
すっかり観戦モードのエミルたちに、それ以上何も言える言葉はなかった。
どうやって戦うのかと見守っていると、普通に戦闘が始まっていた。魔獣は唐突に巨大化し、それが合図であるかのようにラクシャーヌもその腹に魔法を放つ。怪我をしている箇所だ。弱点を突くのは定石とはいえ容赦がない。
魔獣はその魔法を素早く避けるとその背中の羽を広げた。いや、今では翼のように大きい。羽ばたけば飛べるのではないか、そう皆が意識した時にその翼は大きく広がったまま止まった。孔雀がその飾り羽を最大限に開いたような形だ。注目を惹くが、それ以上には何もない。
その状態からの高速移動に翼が使われている様子もなかった。
「単なる飾りなのか!?」
「飛べないのっ!?」
そうツッコミが入っても仕方がない。一体何のための羽、翼なのか。
相対するラクシャーヌはそれを見て爆笑していた。腹を抱えて笑っている。大分余裕があるようだ。
「クーンが本気になったらきっと飛べるのん!」
ココが無邪気にはしゃいだ声を上げるが、その身体は大木にくくりつけられていた。魔獣に味方するといって聞かなかったので、そうやって拘束しているとのことだ。かなりお気に入りらしい。そのそばでクロウは対戦を見つめている。戦闘には参加しなくていいようだ。つまり、この決闘は使い魔と魔獣の間でのみ行われている。
主が参加しないというのはどういう状況なのか。シリベスタの理解の範疇を越えていた。
魔獣は笑われていることなどおかまいなしに、翼を広げたままラクシャーヌの小柄な体に向かって体当たりを仕掛ける。衝突面積の拡大が目的だったのだろうか。
使い魔は尚も笑いながらその突進を紙一重で避け、その右手に雷の魔法をまとう。
電撃らしきものがその周囲でバチバチと音を立てているので分かりやすい。肉弾戦上等という挑発にもとれた。
魔獣はその意図を理解しているように再び襲い掛かる。今度は尻尾の一部が伸びて鞭のようにしなっていた。すれ違いざまにその一本がラクシャーヌの身体を打つ。
と思われたその瞬間、その尻尾の鞭をラクシャーヌが掴む。
手のひらから雷の魔法が解放されて魔獣が痺れるか焦げるかと予測したが、そうはならなかった。魔獣は何事もなかったかのようにつかんだ使い魔ごと引きずるように駆け出す。そしてその勢いのまま、使い魔を地面に叩きつけようとしていた。
今度はラクシャーヌがたまらずその手を放して、空中に放り出される。
そこへ追撃するように魔獣が咆哮する。その口から魔法か何かの衝撃波が放たれた。そんな技も使えるのか。
想像以上に攻撃手段が豊富のようだった。
空中ではまともに動けない。ラクシャーヌがその衝撃波をまともに喰らうと思われたそのとき、使い魔の目の前に透明な盾のようなものが発現して、その衝撃波を跳ね返した。魔防壁に反射能力を持たせたものだ。
どうやって計算したのか、その跳ね返しは綺麗に魔獣へと向かって行った。
そんな反射攻撃を予想していなかったのだろう。その一撃は見事なカウンターとなって魔獣を打ち抜いた。
ダメージが通ったのはその巨大化した身体がしぼんでいったことで明らかだった。「KYUUUーー!!」といった甲高い鳴き声からも、それで勝負が決したと誰もが思った。
しかし、それで終わらなかった。
倒れ伏して元の大きさに戻った魔獣がゆっくりと立ち上がり、その身体が発光したかと想うと魔力が急激に増大した。
その余波が周囲に飛び散って、シリベスタはその一つを弾かざるを得なかった。時に強力な魔力は電磁波のように場を乱す。制御されていないものだと尚更だった。自然に盛れ溢れた膨大な魔力というものは、空気中のマナと結びついて予期できない挙動を引き起こす。自然発火や極度のマナ酔いなどを誘発することもあり、魔力暴走現象と呼ばれることもある。
あの狐もどきのどこにこれほどの魔力が秘められていたのか。
「この隠された魔力をラクシャーヌは見抜いていたわけじゃな」
オホーラが感心したようにひとりごちる。
内包する魔力が高いということは、それを使ってより強力な魔法が発動できるということだ。使い魔のラクシャーヌの魔力量も桁外れなのでどうなるのか。
固唾をのんで次の展開を見守るシリベスタ達の前で、決着はしかしあっさりと着いた。
魔獣がこれから必殺の一撃を放とうという瞬間に、ラクシャーヌがその脳天にげんこつを落としたのだ。まさかの物理的な一発。
その身のこなしもさることながら、魔獣の意識を一瞬で刈り取るその威力も生半可なものではない。単なる見様見真似ではなく、技を昇華した一撃だったということだ。
高位魔法士並みの実力だとは知っていたが、身体能力も達人クラスらしい。想定以上の恐ろしい武力だった。
「で、終わったってことでいいんだな?」
クロウがラクシャーヌに語り掛けると、使い魔は小さな胸を反らせて高笑いをしていた。笑い声には聞こえない音ではあるが、その仕草は分かりやすい。
同時にココが解放されて、一目散に「クーン!」と魔獣の方に駆け寄っていく。
完全に伸びて眠っているその身体を抱き上げ、「お姉ちゃん酷いのん!」とラクシャーヌを責めるように睨んでいる。
どうして姉呼びなのかシリベスタは知らないが、それだけ近しい間柄なのだろう。
「ーーー!、ーーー……」
妹分には若干弱いのか、後ずさりながら何か言い訳めいたことを説明している雰囲気があった。
そんな光景を微笑ましく見ていた賢者たちの会話は小難しい。
「あの爆発的な魔力増大は、今後の魔物においても警戒せねばなるまいな。直前までまったく予測不能じゃ」
「はい。隠匿できる性質があるのでしょうが、人間の場合でもあそこまでの瞬間的増加はちょっと類を見ないですね。戦力判断が狂っちゃいます」
「記録推奨。種族特性で覚えるしかない」
しっかりと武人視点の観測をしていたようだ。どんな経験も無駄にはしないのが成長する者の秘訣だ。
シリベスタもそう在りたいと思っているが、今は別のことが気になって仕方がなかった。
「あの、結局あの魔獣は何がしたかったのですか?」
魔獣は林の中でこちらを追いかけて来ていたという。ならば何か用があったのではないか。その一方で、ラクシャーヌに喧嘩を吹っ掛けてきたらしい。整合性が取れない。
その疑問に答えてくれたのはクロウだった。
「ああ、なんかラクシャーヌの魔力に惹かれてたみたいだが、実際には俺の使い魔ってことに気づいてなんか納得がいかなかったらしい。それで、ラクシャーヌがそんなことはないと証明するために力を示した、みたいな流れだ」
「なるほど……つまり、クロウ様がひ弱に見えたことが原因だと?」
「ん……?あれ、そういうことになるのか?」
思うままに指摘すると、賢者が笑った。
「ひょっほっほっ!確かにそういう風にも取れるようじゃな。確かにおぬしの魔力で、あのラクシャーヌを従えているとは到底思えぬ。何か不正を疑われたのやもしれぬ」
「マジかよ。ちょっと聞いてみるわ」
「え!?話せるのですか?」
エミルの驚きの声に、クロウは何でもないようにうなずく。
「ラクシャーヌが眷属化したんなら、俺でも多分できるようになるだろ」
「というより、あのコ、既にしゃべっていたということです?」
「ああ、だから決闘みたいなことしたんだろう?」
「言われてみれば、意思の疎通がなければそんな取引みたいなことしませんよね。はわわ!ってことはクーンちゃんは遺跡の魔物の上位種みたいな存在ってこと?」
「言語能力など、既にアテルも持っているじゃろう。この地下世界の魔物じゃ。それほど驚くことでもなかろうて」
いや、会話できる魔物なんてとんでもない大発見だ。色々諸事情で秘匿されているが、世間に公表したら大ニュースのはずだった。
アテルに続いてあの魔獣クーンもそうなのだとしたら、クロウは世にも珍しい魔物を二匹管理下に置くことになる。世紀の魔獣使いと呼ばれてもおかしくはない。
「そういや、そのクーンってのはあいつの名前か?ココだけじゃなく、お前らもそれで呼んでいるのか?」
「あ、いや、何となく?」
エミルが照れ笑いを浮かべると、ラクシャーヌが「ーーーーー!!!」と何か叫びながら近寄ってきた。やや怒っているように見える。
「シャクコ?なんで、そんな名前なんだ?……はあ、コシャクだから?どうなんだ、そのネーミングセンスは」
クロウが代弁したその名前は確かに微妙に思えた。
その後、ココとラクシャーヌの間で激しいやり取りが繰り返され、あの魔獣の名前は晴れてクーンとなった。
そう言えば、ココもまたあの使い魔と話せる不思議に気づく。
常識外のことが多すぎて、シリベスタはもう深く考えることをあきらめかけている。
ただ、クーンがどうやら雌の魔獣だということを知った。それくらいの情報量でちょうどいいと思った。
地下世界は不可思議なことで溢れすぎている。