11-9
トアードを退けた後、林の中で小休止を取ることにした。
オホーラ曰くナガランカを見つけるにしても、ただ闇雲に歩き回ったところで見つからないだろうという話だった。
「地下世界が元々は地上だったなら、建物の跡ぐらいもう少しあってもよさそうなのにまったく見つからないのはなぜだ?」
クロウはこれまでに転移魔法陣の場所ぐらいでしか地下世界の構造物を見た記憶がなかった。
人々が住んでいた痕跡があまりに少ない。長い月日がすべてを風化させたのだとしても、もう少し残存物があってもよさそうだと考える。
「ふむ。村や町の残骸などは風化してしまって何も残らぬじゃろうな。昔や古い時代などと一口に言うが、その年数が桁違いじゃ。想像以上に時の流れによる劣化、いや消滅は激しい。逆に、今もその一部が残存していることの方が驚異的だと考える方が正しいのじゃ。それだけ当時の城や教会などの巨大建造物は技術の粋を集めて作られ、莫大な魔力をつぎ込まれていたのであろう」
硬い動物の骨でさえ年月で完全に分解されるともいうし、やはり経年劣化というものが何桁も続けば固形物は消えてゆくのかもしれない、
だが、あの謎の人影がナガランカを探せというからには、まだこの地下世界にはその形跡が残っているはずだ。あんな得体の知れないものを盲目的に信じるのもどうかとは思うが、本能的にそれが嘘ではないという気がしている。己の直観は無視できない。
「地下人が見つかっていないのは、結局そういう人間が生活していた痕跡が見つからないことにも起因してそうだ……」
シリベスタの呟きにミーヤが頷く。
「同意。手がかりが少なすぎる」
探索者の言葉には重みがあった。地下人の発見はギルドの優先事項の一つでもある。
「それでも建物を探すなら、基本に忠実に地道にやるしかないと思うのです。人が住みやすい場所、家屋が建てやすい場所を巡るしかないのです。歴史的発見のチャンスなのです!」
エミルがふんすと鼻息荒く拳を突き上げる。
ナガランカという未知の遺跡探索という目的に興奮している。気弱な魔法士だが、そのような冒険が大好物らしい。だからこそイェゼルバイド騎士団に所属していたのだろう。伝説の傭兵騎士団は探索者の護衛という仕事も請け負っていたという。探索者ギルドが外部の武力集団を頼ることはほとんどないが、重要な遺跡の攻略などの際の臨時要員として協力を要請することはある。結局のところ、数は力であり、要求される実力が高い場合は探索者だけで賄えないときもある。
考えてみると、クロウ自身が率いるこの集団もある意味、そういった外部集団ということになる。
建前上、探索者のミーヤがいるが、実態はクロウの私設団のようなものだ。所有者特権でギルド主体と反転している状態ではあるが。
「で、具体的にそいつはどこになるんだ?」
適当に歩き回っても探せないとはいうが、実際にどこを目指せと言うのか。人が住みそうな場所と言われても、クロウには良く分からなかった。しかも、オホーラによれば現在と過去とでは地形も変わっている可能性もあり、今見えている光景だけではなく時代の推移を加味する必要があるという。
クロウにはさっぱり見当がつきそうもなかった。
「まずはまた高台に上ってこの辺りを俯瞰するところから始めるがよかろう」
「それで前に言ってた川沿いとか、そういう場所を探すわけか」
「あるいは、フェッカやロスファなどの魔物を追うのも手じゃ。人里まで降りてくる雑食系、肉食系の魔物や動物のテリトリーの側と言うのも一つの探索方法になる。ただし、これは実際に集落が存在する場合の話で、狩場や餌場の減少などで生息地を移動することもあるゆえ、地下世界ではあくまで補足的なものじゃがな」
色々と推測する方法はあるらしい。クロウには学ぶべきことが多い。
「地下世界の地形も色々と変わってそうですよね。大規模な天変地異がなくても、そもそもの始まりから劇的な環境変化があって相当違っているだろうし……」
「そういえば、どっかの川が干上がっていたな。地上から沈下したときにその手の変化が起きたって話か?」
「それだけではありませんよ、クロウさん。地下のマナは大分地上とは勝手が違うのです。あらゆる生態系の根底が変わってしまうのです。当たり前にあった光の要素も減少していますしね。ここは独自の動植物で形成されている言わば別世界なのです」
「何度もそう言われるが、どうにも俺にはその実感がないんだよな……」
「ひょっほっほっ。本当の意味でその違いが分かる者はあまり多くはあるまいて。前提となる幅広い知識が必要になるからの。じゃが、クロウよ。例えばこの地下世界に馬がいないのはなぜか考えてみるがよい。なぜ、探索者もわしらも徒歩で探索しておるのじゃ?これだけ広い場所だと分かっておるのに」
言われてみれば確かに謎だった。
道を整備していないから馬車は無理だとしても、乗馬して移動すれば歩きよりもずっと楽に移動できるはずだ。しかし、誰もそうしていない。できないからなのか。少し考えてから答える。
「……餌の問題か?」
「うむ。それも一つの要因ではあるが、もっと根本的な問題がある。そもそも、地上の馬を連れて来ても地下世界ではまともに走れぬということじゃ。環境が違い過ぎてすぐに死んでしまうじゃろう。それほどに環境、空気と光量の違いは大きい」
「ん、生きられないってことか?そうか、それほどか……」
地下と地上の環境の違いというものが少し分かった気がした。クロウ自身が問題ないので軽くとらえていたのは否めない。ラクシャーヌもマナが大分違うとは言っていた。空気中のマナの質と量はその成分に大きく関係する。呼吸が重要である以上、そこが揺らげばまともに活動できないという話か。よくよく考えればその通りだと思う。
それに個人差もあるだろうが、転生人と大陸人でもまた影響度は違うはずだ。
俺はまったくその重大さに気づいていなかったんだな。
話を聞いているつもりでも、内容の本当の意味をしっかりと理解していなければしょうがない。主観のみの判断は取りこぼしているものが多いようだ。
「地下世界は魔界との距離も近いですからね。何らかの影響が漏れ出しててもおかしくはないです」
「魔界か。審問の間にある門がつながってるとかどうとかいうやつか。けど、魔界ってのは異空間みたいなもんで、別にこの地下の更に下にあるってわけじゃないんだろ?」
「その辺りも含めて未知の領域じゃ。この地下世界に魔界を支える大木の根が届いているとか、魔界への扉からあちらのマナが流入しているとか、位置や性質などには諸説あるものの、何一つ確定事項はない」
魔界にいるとされる魔族そのものが御伽噺のようなものだ。人は日常にないものは思考の外に追いやる。目の前に二つの扉があってどちらを開けるか迷っている際に、背後に三つ目の扉があるかもしれないと振り返ろうと思う者は滅多にいない。なんとなくそうらしい、という曖昧なものがこの世には沢山あり、それを確かめる術はあまりにも少ない。
「ああ、馬の話で思い出したが、一応地下世界に適応した馬の育成は数頭のみだがうまくいっているそうじゃ。これはギルド主体で行っているものじゃが、相違ないじゃろう、ミーヤ殿?」
賢者に対して、探索者ギルド代表としてミーヤがうなずく。
「肯定。長距離の移動手段の確保は必須。地下世界での前例のノウハウはあるから、ウィズンテ遺跡でも始まりの村で調教している」
「そうか。色々と俺には見えてないもんがいっぱいあるな」
「誰だってそうじゃ。日々学習じゃよ」
それからクロウたちは、高台を求めて林の中をまた進み始めた。
小高い丘を見つけた頃には、夜に近い時刻になっていた。
地上と違って昼夜の判断はつかないので、すべて自分たちの腹時計だ。
その日はそこまでと野営を敷く中で、ココがすんすんと鼻をひくつかせた。
「クロ様、ずっとついて来てた匂いがなんか変わったかも?」
「ん、どういうことだ?」
急にそんなことを言われても、まったく意味が分からなかった。
「昼間からずっと変な匂いが来てたのん!」
「変な匂いってのは?」
「魔物か何かが後をつけて来てってことですかね……?」
エミルが怪訝な顔をした。そうだとしたら、誰もそのことに気づいていなかったことになる。
「そうなのか?どうして何も言わなかった?」
「えーっと、微妙だったから?悪さはしそうになかったし、よく分からない感じだったのん!えっへん!」
ココがなぜか得意げに胸を張る。その小柄な体に不似合いな豊満な胸が揺れた。褒めてもらいたさそうにしているが、意味が分からないので放置する。
「……奇妙。そんな気配はなかった。今も感じない」
ミーヤが周囲を見回す。熟練の探索者として、そのような見逃しがあるというのは信じ難いのだろう。
「ふむ。ココの言う通りであれば、相手側に害意がないのじゃろう。であれば、ミーヤ殿が感知できないのも不思議ではない」
「そういうものか。で、そいつが変わったってことは何か良くない感じなのか?」
「ちょっと待て。その娘の勘違いという可能性は考慮しないのか?」
シリベスタが口を挟む。無条件にココの主張を信じている点に違和感を覚えたからだ。誰しも勘違いはするもので、そう感じるのは当然ではある。
しかし、クロウは確信を持ってそれを否定した。
「あるかもしれないが、ココが匂うって言うなら大体そうなんだろう。今までも外したことはないからな」
クロウはココの頭を無意識に撫でながら当たり前のように答えた。それは絶対的な信頼・絆があってのことだったが、本人は気づいてないようだった。ココも当然のように身を委ねている。
シリベスタはその関係を少し羨ましくも思った。主であるエルカージャのことを思い、慌てて頭を振る。本国で戦っているであろうその側に、自分がいられない不甲斐なさをまだ自分の中で消化できていない。いま考えるべきことではない。
「なるほど……余計なことを言ったようだ」
シリベスタはそれ以上疑念を口にすることをやめた。
「うにゅー、なんか別なのが来た気がするのん。ココ、ちょっと見てくるー」
気持ちよさそうにクロウに撫でられていたココは、ぱっと起き上がると暗闇へと走り出した。
「あ、おい!一人で行くな。ったく、俺もちょっと見てくる」
慌ててその後を追いかけるクロウを見て、ミーヤがぼそっと呟く。
「……親バカ?」
その言葉にエミルが吹き出し、オホーラが「いや、どちらかというとシスコンではないかのぅ」と呑気に感想を漏らす。
クロウは否定するだろうが、いつのまにかココの保護者として甘やかしたり心配する体質になっていることに周囲の人間は気づいていた。感情に乏しい男の喜怒哀楽をより引き出せるのはココなのではないかと内心では皆思っていた。
「後を追わなくていいのか?」
シリベスタがエミルたちに問うが、何かあってもクロウなら問題ないと首を振られる。元々、修行が目的なので敵がいたらその方が好都合だという話でもある。
それもそうかと納得して、シリベスタは夕食の準備を続けた。ウェルヴェーヌからしっかりとした食事を用意するように厳命されている。その命令を反故にするわけにはいかなかった。彼女もまた、いつのまにか使用人頭の部下として完璧に躾けられていることに自覚がなかった。
「ココ、どこだ?」
一方で、飛び出した褐色娘を追いかけていたクロウはその姿を見失っていた。
夜の林の中だ。想像以上に迷いやすい。
慌てて出たので松明も持ってきていない。光源は自然のヒカリタケと発光する小さな虫、天井からの灯花の明かりのみだ。森と違って林の場合は間隔が広いのでその灯花の光量はそこそこ届くものの、日陰も多く闇の虫食い状態だった。
呼びかけに答える声はない。
クロウは気配を探る。それほど遠くはないはずだ。遠距離でなければ、クロウにもそれぐらいの索敵能力はある。ココが言っていたように魔物がつけてきていたのなら、それも含めて何かが近くにいるはずだった。
周囲に集中して二分ほど経った頃、右手奥で幾つかの強い生命力を感じた。一つはココに違いない。
迷うことなく駆け出す。既に会敵している様子だった。
(シロ!ココは無事か?)
白狼であるアーゲンフェッカの魂に呼びかける。今はココの方に同化していた。ノルワイダ事変の際に超遠距離でも通信できた実績がある。この程度の距離なら余裕だろう。
(長殿。ココは交戦中だ。特に問題はないが、妙な魔獣がいて怪我をしている。その保護をしたいようだ)
(妙な魔獣?)
(狐面だが、体躯がまったく違う。かといって合成獣という感じでもない。未知の種だと思われるが我には判断できぬ)
狐面と言われて、トアードに襲われていたあの魔獣を思い出す。
怪我をしているのも共通点だ。あの場から逃げ出したアレが戻ってきたのだろうか。とにかく行けば分かる。
気配を辿って林の中を駆け抜ける。
程なくしてココの「うおーりゃ、なのん!」という気合が入っているのかいないのか良く分からない気迫の叫びが聞こえてきた。
やり合っている魔物は巨大な芋虫のような形状をしていた。
蜘蛛の糸のようなものを吐いているので、蚕なのかもしれない。だが、毒々しい紫色なので決して触れたいとは思わない類のものだった。あんなもので繭にされたら中で溶けてしまいそうだった。
「大丈夫か?」
その赤紫色の身体の一部を切り裂きながらココに近づく。
「あ、クロ様!あの子を守ってあげたいのん!」
ココの視線の先には、やはりあの狐の顔をした見知らぬ魔獣が横たわっていた。腹の方に傷口が見えている。逃げた先で更に負傷したのだろうか。
「何で助けたいんだ?」
芋虫が体内から幼虫を飛ばしてくるので、ココを抱えて距離を取る。幼虫といえど、その大きさはココの半身ぐらいあった。
「なんとなく、話したそうだったからー?」
「しゃべれるのか?」
「分かんないのん。でも、多分、お姉ちゃんに伝えたがってたのかも?」
ラクシャーヌは現在爆睡中だった。地下世界ではいつもより寝ていることが多い。そうした方がマナに順応できるという説明を受けたが、どういう理屈なのかクロウには不明だ。
何にせよ、ココの言う通りならラクシャーヌ自身が気づいていそうなものだ。
いや、眠っているから無理なのか。
自身で共生はしているが、災魔や魔物関係についてはまったく理解が及ばない。ココが感じていることを信じるしかなかった。
「とりあえず、これを先に片付けるか」
芋虫が狐もどきを狙っているのは間違いない。手負いの相手の方が餌としてたやすいからだろう。
ラクシャーヌに用があるのなら、そうさせてはならない。ある種の客だ。災魔を叩き起こして確認するのも手だが、排除が先だ。
クロウとココは短期決戦で仕留めることにした。