11-6
「――それで、結局その人影は何だったのだ?」
シリベスタが不満げな態度で仁王立ちしていた。
何度も気絶させられ、その間に事態が勝手に進んでいたことに苛立っているのだろう。それは勿論自分自身に対してだが、外にも漏れ出している。
「それは分からない。オホーラは何か知っているか?」
「ポス、コマニ、ナガランカ……うっすらとどこかで聞いた覚えがある気がするんじゃが、思い出せぬ。ホウライたちにも今確認しておる」
シズレー学者団の中には、古語というか古代文明を研究している者もいる。そちらに望みをつなぐしかない。
クロウたちは元の地下世界、草原のような場所に戻っていた。
砂漠のような異空間に飛ばされ、更に奇妙な尖塔に登っていた状況からやっと解放されたところだ。だが、結局どういう理屈で移動させられたのかも分からなかった上、転移させられた理由も不明だった。まさに狐につままれた気分というものだ。
それでもとりあえずは状況を確認するということで、クロウが体験した尖塔の中の話を伝えたところだった。他の皆はその間昏倒したままで、認識すらしていなかったためだ。
「不穏。ポスに安寧を云々が気になる」
ミーヤが思案顔で言った。その言葉に懸念があるということだろう。
「何がなのん?」
ココがクロウの膝の上で首をかしげる。眠りから目覚めた褐色娘は、何か悪夢を見たのかクロウに甘えるようにしがみついてきたので、落ち着かせるためにも座らせている状態だ。
「安寧を求めるということは、何かが乱れているということじゃろう。それをクロウに求めるのが良く分からぬが……」
「具体的に何も話さない時点で胡散臭すぎるんだよな……」
「そうですか?私ごときは制約があるという点でむしろとんでもない存在のような気がしてしまいますけど」
「ふむ。不用意に干渉できないという言い方は、色々と解釈の余地があることは確かじゃな」
「よく分かんないけど、今日はココたち何かするのー?」
突然妙な空間に飛ばされたが、元々の目的地は記憶が飛ぶというある地域だ。そこにまだ至っていない。
「ああ、妙なもんに巻き込まれたが、まだ時間はある。少し休んだら進むぞ」
「そう言えば、記憶がなくなるという場所は今のとは違うということか?」
シリベスタの確認にエミルが首肯する。
「違うと思います。例の現象は当人が気絶した感覚もなかったので、先程の私ごときの場合とは違うかと思います。昏倒していたら、さすがに目覚めたときに気づくはずでしょう」
「確かに……じゃあ、まったく無関係なのか」
「そこはそうとも言い切れぬ。同地域ではないとはいえ近くはあるし、空白あるいは欠如した記憶という近似した結果がある以上、個人的にはなんらかの関係性はあるように思う」
「オホーラ様はそうお考えなのですね?ならば、やはり無関係じゃないのかしら。むむむ……」
エミルはすぐさま自身の意見を翻した。賢者の弁を絶対視しているようだ。
「提案。いずれにしても、同じ轍は踏みたくない。先導者と本隊を分けるべき」
「ミーヤの言う通り、また同じ目にはあいたくはないな。誰かを先行させて、全員が一気に罠にかからないようにって話か」
「あ、それは私ごときで恐縮ですが、やらせてもらいますね。空間の歪みに気づけなかったカラクリはまだ謎ですけど、少なくとも魔力反応で見分けることはできますので、ちょろっと前方に飛ばしながら進みます」
「そんなことができるのか?」
「はい。微弱にしても魔力消費が避けられないので控えていましたが、この先は妙な現象の確率が高い地域でもあるのでとりあえず常時発動でいきます」
「そうか。それはよろしく頼む。けど、誰も気づけないで空間転移させられるのはさすがにまずいな。エミルのその方法で予防できるとしても、ずっとそんなことをしながら探索は魔力が持たないだろ?」
「根本的解決ははかりたいところじゃが、現段階では解明は厳しいと言わざるを得ない。あの砂漠への移行のトリガーをわしも散々考えていたが、どうにも解せぬ。見逃しているものがある気がしてならぬが、再現ができぬゆえに手がない」
オホーラは口惜しそうだった。
「この辺だけが怪しいわけだから場所に関係しているんじゃないのか?探索者ギルドで、他の地域から似たような報告はないんだろ?」
「肯定。でも、まだ結論は出せない。地下は広い。他でも同様の可能性はある」
「範囲固定式転移の仕掛けなら、尚更その痕跡が分からないのは意味不明なんですよね。事前に用意してあるのなら絶対に兆しが分かるはず……」
「今はそこを深く考えてもしかたがないぞ、エミルよ。こういう時は、分かりそうなものから紐解くのじゃ」
草原を歩きながら、オホーラが講釈するように続ける。
「あの砂漠空間で二回転移したという仮説は実によい。そこで、クロウのみが覚醒した上で謎の塔が現れたという点に着目するがよい」
「いえ、オホーラ様。僭越ながら私ごときも一応目覚めたのですが……」
「うむ。おぬしは例外と思え。ミーヤ嬢ちゃんやシリベスタ殿が目覚めなかったことに理由があるとしたらどうじゃ?ああ、ココもクロウの身内換算で考えなくてもよい」
「ええと、その場合、クロウ様のみが本来あの塔に気づくことになり、実際登ったわけですから……初めからクロウ様だけを誘われたと?」
「その観点から言えば、砂漠空間で再度転移したことにも意味がある。魔力が強いわしやエミルを排除するためじゃったと。二回目は、マナ酔いの効果もあったじゃろう?」
「排除……あっ、使い魔状態のオホーラ様を引き離すためですね?そしてあの揺れは確かに強い魔力を当てられた感覚はありました」
「そういうことか。俺も脳が揺らされるような気分だったな。それで気絶したんだと思ったが……」
「その解釈で合っている。だが、一度目の転移は特にわしらは何もなく移動していたことを思い出すがよい。気絶などさせられておらぬ」
「理解。気絶は転移に必須条件ではない?」
ミーヤの言葉でクロウにも話が見えてきた。転移魔法陣でも移動した際に気絶などしない。
「なるほど。俺だけがあの塔を登るように仕向けたかった。それがさっきの人影が仕掛けた転移の目的だったってことか?ミーヤたちは必要なかったから眠らせた、みたいな話か」
「一つの合理的解釈でしかないが、筋は一応通るじゃろうて」
「それでは結局、最初の疑問に立ち返るのでは?」
シリベスタの言う通りだった。
あの人影がクロウに伝えたこと、それを理解しなければならない。そのためにはあの見知らぬ単語を知る必要があり、手掛かりはないということだ。
一行に溜息の連鎖が広がる。現状ではそれ以上は進展しそうになかった。手詰まりだ。
「んー、それよりココはお腹が空いたのん!」
微妙な空気を吹き飛ばすように、ココが無邪気にお腹を鳴らした。
その後の歩みは平穏だった。
エミルが不意打ちの転移を警戒しつつ進み、時折出てくる魔物をクロウが危なげなく狩る。
地下世界では明確な昼夜の移り変わりが分からないので、体内時計で適度に休憩を取る。
その日は夜になったということで、ちょっとした岩間の場所で野営をした。
開けた場所に陣取るのも視界を確保する一つの手ではあるが、少人数の場合は障害物があった方が守りやすい。警戒する方向を限定できるからだ。
最初の夜の見張り番として、クロウは大きな岩の上に座っていた。
シリベスタが持ってきた天幕で他の皆は雑魚寝している。
「――またココの夢を見たわけか」
話し相手は蜘蛛のオホーラだった。謎の人影のインパクトがありすぎて忘れていたが、最初に気絶した際に奇妙な体験をしていたことを思い出したのだ。
「多分、あれはあいつだったと思うが確信はない。けど、前も同じように共鳴?だっけか。あんな感じだったからな」
「なるほど。であれば、その魔獣を檻に閉じ込めていたのはやはりウガノースザとやらなのじゃろう。またよからぬ実験をしていたことは容易に想像できる」
ココとシロの宿敵。外法の魔法士だという謎の人物だ。
「やっぱそういうことだよな……けど、マスターとか呼ばせていたのが気になる。何がしたいんだ、こいつは……」
「どうせろくでもないことであろうよ。それにしても、この地下世界を根城にしていそうじゃが、一向に本人の影が見えぬのは解せぬな。とはいえ、ここは考えているよりずっと広い。交わらずとも不思議はないとも言えるが」
「ウガノースザについては現状で分からないのはしょうがないな。んで、ココの出自というか結局森でさらわれたみたいな感じだったが、そっちについてはどう思う?」
「どう思うというのは、つまりその森が地上か地下か、という意味か?」
賢者は正しくクロウの疑問を理解していた。
朧げに見たクロウの記憶では、あの森がどこなのかは皆目見当もつかない。しかし、その後の魔獣の餌を運んでいた場所は地下世界な気がした。
その時のココは明らかにさらわれてから年月が経っていた状態だった。以前に見たシロと融合した時よりもさらに後だったように思う。
では、果たしてココがさらわれたのは地下世界だったのか。
更に言えば、ココはその時誰かと一緒に森に入ったようだったし、村という概念も出てきた。
それらが指し示すのは一つの事実だ。
「ああ。ココが地下世界でさらわれたのなら、ここには地下人みたいないのがいて、少なくとも村ぐらいの集落はあるって考えられないか?」
広大な地下世界では独自に進化、生息している動植物がいる。
人間もまたそこに含まれると思うのは自然な推測だろう。未だにその報告がないとはいえ、実際に探索者が長期間地下世界で生活できていることも踏まえれば、地下人という存在はまったくの空論ではない。
「可能性はもちろんある。じゃが、ココが仮に地下人であったとしても現状は純粋にそう呼べる人種ではないし、不幸にもウガノースザによって色々といじられたこともあり、その記憶を根拠とするのは推奨できぬな」
「そんな小難しいことは言ってないぜ。単に信憑性が増したって話だ」
「そういう意味では同意するが、今度はウガノースザが果たして地下人なのかという疑問も出て来るな。元々この世界の魔法士なのか、地上から地下に降りてきた者なのか」
「ああ、その可能性もあるのか。普通に地上から降りてきたろくでもないヤツだと決めつけてたな」
「……他に気になるのは言語の問題か」
「言葉?」
「ココは標準的な大陸言語をしゃべっている。地下世界の元が古代大陸であるとするならば、地下人もその系譜で間違いはないのじゃろうが、あまりにも違和感なくは話しているのが少々腑に落ちない。それこそ謎の人影が語っていたように、わしらには理解できぬ単語やら何やらがあってもおかしくはなかろう?」
「なるほど……」
クロウはそんな風に考えたこともなかった。言葉は勝手に転生人の特性か何かで理解できてしまうので、言語の違いそのものに思考が至らない。と、そこで疑問が湧く。
「待てよ。俺の転生人の能力でも、例の妙な単語は翻訳されなかったってことになるのか」
「そう言えば、おぬしはあらゆる書物が普通に読めるのじゃったな?となると、古語でもない独自の単語かもしれぬか」
「ってことはまた地下人の可能性が上がったわけか。過去にはない未知のものってことだろ?」
「ううむ、おぬしのというか転生人の能力についても不確かなものが多いゆえ、この線をいくら追っても希望的観測による解釈が多くなるだけに気がするな。その翻訳にも何らかの制約があるとしたら、未知だの過去だのという推測も的外れになる」
「そうか」
結局すべてが煮え切らない答えに辿り着く。分からないことが多すぎる。
クロウはココのことを思う。未だに何者か分からないという点では、自分と重なる部分がある。過去の境遇もおそらくは一般的にはかなり不憫なものなのだろう。
しかし、その度合いがいまいち推し量れない。
どの程度不幸なのか、どれくらい同情すべきものなのか、感情的な動きが自身の中にあまり生まれないためにつかめないのだ。
やはり感情の希薄さが原因か。
それをオホーラに尋ねてみると、賢者はなぜか笑い飛ばした。
「ひょっほっほっ。そんな風に思っている時点で確かに見当はずれかもしれぬな。よいか、クロウよ」
賢者はクロウの頭の上で解説モードに入った。声音がいつもと少し違うので分かる。
「同情というものは共感の一種じゃ。そして、共感とは自然に生まれるものであって程度を考えて作り出すようなものではない。おぬしは自分にないものを一般的な箱の中からとりあえず取り出して取り繕おうとしているようじゃが、そのやり方はもういいじゃろう。次の段階に入るべきじゃ」
「次の段階ってのは?」
「感情は自然に芽生える。クロウにもゆっくりとじゃがその歩みは既にあるのじゃ。焦らずに経験を積むだけでよかろうよ。一般的な考えを知ることは悪くはないが、それに倣う必要はない。共感も自ずとわかるようになる。ゆえに無理して計算した行動をすることはないのじゃ」
「そういうもんか……」
完璧に言っていることを理解してはいないが、クロウは考えすぎないでいいのだと教えられた気がした。
「でも、そうなるとココの過去を見ても俺は何も感じていないことになるんだが……ろくでなしに見えるんじゃねえか?」
「ひょっほっほっ。そういう自分自身に対して違和感を感じておるからこそ、ココに対してどう接していいか悩んでおるのじゃろう?そこには既に憐憫の感情がある。もしも無関心であれば、そこで思い悩むことなどあるまいて」
「…………」
クロウにはやはり良く分からない。自分の心の中で何をどう感じているのか、かたちにならないものがあるとは思うものの、それに名前をつけられなかった。オホーラの指摘が正しいのかすらも不明だ。
「やっぱ、感情ってのは難しいな……」
「それは間違いない。答えなど永遠にないことが多い難問の一つじゃ。おぬしだけではない。気にするな……む?ちょっと報告が来た」
賢者はそこで不意に黙り込んだ。
本体の方で誰かとやりとりしているのかもしれない。もう夜中だと思うが、緊急の報告か何かだろうか。
しばらくして、オホーラが再び話しかけてくる。
「クロウよ、一つだけさきほどの不明な単語が分かったやもしれぬ。今しがた、ホウライから連絡があった」
学者団の名は伊達ではなかったようだ。仕事が早い。
「マジか?シズレーの連中は優秀だな。それで?」
「うむ。ナガランカについては、どうやら『教会』という意味らしい。それらしい古語があったとのことじゃ」
「教会?建物か。つまり、そいつを探せって言われたわけか」
謎の人影の唯一の助言だ。重要な意味があるに違いない。
クロウはじっと暗闇を見つめた。
果たしてこの先にそのナガランカは本当にあるのだろうか。