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選択死  作者: 雲散無常
第十一章:漣
123/132

11-5

 

 少女は必死に誰かを呼んでいた。

 その名を叫んで、叫んで、探し回っていた。

 しかし、辺りに人影はまったくない。薄暗く赤茶けた樹々が周りを取り囲み、じっと立ち尽くしているだけだった。

 見知らぬ光景に少女は泣きそうになる。いや、既に涙は頬を伝っていた。

 ここまで一人で来たわけではない。

 手をつないでいた大人がいた。そのぬくもりが今はない。

 不思議なことにその大人が誰なのかは思い出せない。姿もおぼろげだ。それでも大事な人だったはずだ。大切なつながりがあったはずだった。

 だからこそ、寂しくて、哀しくて、不安で呼び続けている。探し回っている。

 なのに誰も応えてくれない。

 やがて力尽きた少女はその場に倒れ込んだ。声を出し続けたせいで喉がカラカラだった。水が欲しい。森の中ならば川が必要だ。岩場などの湧き水を探すよりも確率が高い。そうした知識はあった。

 少女は這うようにして進む。川のせせらぎが遠く聞こえていた。

 水分補給の大切さも教わっていた。教えてくれたのはやはり大切な人だった気がする。

 色々と記憶が曖昧だった。そもそも、なぜこんな森にいるのだろうか。

 あの人が連れてきたのだろうか。でも、森には入るなと言われていた記憶がある。

 子供は村から出てはいけない掟だ。

 外にはXXXが一杯いて危険だからと厳命されていた。

 実際、XXが掟を破って森へ入って死んだ。引き裂かれたような死体を見て、恐ろしい何かが本当にいるんだと少女は思い知った。

 その時の恐怖が蘇ってくる。

 ここはそんな森の中かもしれない。自然の樹のはずが、今にも襲い掛かってきそうな何かに見えて怯える。

 恐怖で余計に喉が渇く。水が飲みたい。

 川へと向かっているんだと思い出す。両手を動かす。両足に力を込める。考えがまとまらない。

 少女は這って、這って、川の音がする方向へと進む。進んでいるはずだった。

 意識が朦朧としてきて何もかも分からなくなる。自分の身体が動いているのか、止まっているのか、それすらも定かではなかった。

 そして、不意に頭上から見知らぬ声が聞こえた。

 「―――ー、――――」

 身体も精神も震えさせるような何かを感じた。そこで完全に少女の意識は途絶えた。



 いつもの朝の音で目が覚める。

 それは鳥の鳴き声で、何という名前の鳥かは知らなかった。ただ、毎日その時間に遠く響いて聞こえてくる。

 少女は葉を敷き詰めただけの簡素な寝床から起き上がり、日課をこなすために外に出る。

 巨木の洞の中が少女の住処だった。食料の木の実やキノコたちを貯蔵する小さな木箱と、身を横たえるための空間しかない。

 少女はボロボロの衣服を気持ち程度に着付け直し、先を急ぐ。怠慢は罪だ。

 近くの川の溜池で飲み水をすすり、小さな洞窟へと向かった。

 そこでは魔獣が檻の中に閉じ込められている。

 マスターが巨大化させたXXXという魔獣はとても凶暴で少女は怖くて近づきたくなかった。

 いつも物欲しそうに少女を見つめてくる。獲物を見る視線だった。恐ろしくてたまらない。

 それでも、少女はその世話を任せられている。拒否権はなかった。嫌でも対応しなければならない。

 なぜそんなことをさせるのか、マスターの考えは分からない。分かりたくもない。考えたくもなかった。

 少女はただ従うだけの人形だった。許可がなければしゃべることもできず、逆らえばひどい折檻を受ける。マスターが容赦のない性格だということは身に沁みて理解している。抵抗する気力などなかった。

 言われるがままに、今日も魔獣に餌を与える。

 餌そのものは用意されている。どこから取ってくるのか、常に新鮮な何かの肉が無造作に置かれていた。

 少女の身体ぐらい大きいものもある。そういうときは一生懸命に引きずって檻の前まで持ち運ぶ必要があった。そうすると、鉄格子越しに魔獣がそれを中に引きずり込んで食べる。

 何度か巻き込まれそうになったこともあり、怪我をしたこともあった。

 一度は本当に檻越しに捕まれて死んだかと思ったこともある。その時は意識を失って、気が付いたらなぜか寝床で寝ていた。記憶が飛んでいて何も思い出せなかった。マスターはそのことを知っているのかどうかも分からない。時折ふらっと現れて少女をじっと無言で見つめるのだが、特に何も言われなかった。

 日課はひたすらに続いてゆく。

 ある日、少女は洞窟に奥があることを知った。正確には知っていたものの、今まで近づきもしなかっただけだ。禁止されている。余計な行動はマスターから許されていない。

 けれど、いつものように餌やりをしていた時に奥から声がして、興味を抑えきれずに向かってしまった。

 そうすべきではないと分かっていたが止められなかった。どうしてそんなことをしたのかは振り返っても分からない。内なる声さえ、やめた方がいいと忠告していたにも関わらず、だ。この内なる声というのは、少女にいつからか聞こえてくる幻聴のようなものだった。

 何か大事な決断をするとき、頭の中に響いてくることが度々あった。単なる自分の作り出した妄想だとは思っていたが、いつしかその声に従った方がいい結果になるような気もしていた。あの時はそれに逆らってしまった。魔が差したというものだろうか。

 衝動というものに魅入られていたのかもしれない。

 少女が恐る恐る進むと、洞窟の奥には別の檻があった。

 灯りなどない。時折生えている光苔のほのかな光源だけが頼りだった。

 その声は徐々にはっきりとしてきた。少女にも分かる言語だった。久々に聞いた気がした。

 泣き声だった。助けて、と泣き叫んでいるようだった。悲痛な声だったが、少女は特に何も感じていなかった。

 少女はそっと檻に近づいた。中は暗くて見えない。息遣いだけを感じた。

 どうしたの?

 そう声をかけようとして、しゃべることを禁じられていることを思い出した。ここに来ること自体も許可されていない。更に罪を重ねるのか。一方で、今更だという思いもある。

 檻の前でどうすべきか迷っていた。引き返すという手もある。

 しばし自問して、少女は一つの決断をした。




 クロウは目覚めた瞬間、素早く周囲を見回した。

 最近何度も意識を奪われたことで、復帰する際に警戒する癖がついていた。

 気絶した時点で既に遅すぎるという話もあるが、強制的に昏倒させられることを防げないなら、せめてそのリカバリーをより良くすべきだという心構えだ。

 (ラクシャーヌ?起きてるか?)

 まずは半身に確認を取る。傍らではココが横たわっていてまだ眠っていた。揺さぶるが目覚める気配はない。

 自分自身もまだ意識が明瞭ではなかった。何か見知らぬ少女の体験に同調していたような気がするが、よく思い出せない。

 (ぬぬ……?)

 災魔から反応があったが、まだ完全に覚醒はしていなかった。

 その間も周囲を確かめる。昏倒したのは尖塔の螺旋階段を登った先、踊り場だったはずだ。そこで霧のような何かに気づいて意識を奪われた。キリキノコが噴出する紫の霧かとも思ったが、あの霧は灰色に近かったので違ったことを覚えている。

 何にせよ、今見えているのはそんな尖塔の中とは思えなかった。

 視界いっぱいに見えるのはだだっ広い灰色の空間だ。何もないまるで雲の中のような光景。茫洋としていてつかみどころのない景色だった。

 また違う空間に飛ばされたのだろうか。

 足元も灰色のもやがかかった何かで、床なのか大地なのか判然としない感覚だった。

 (ぐぬぬ、また何か仕掛けられたというのかえ?こうも不覚をとられ続けるといっそ笑えてくるものじゃな、わっはっはっ……)

 ラクシャーヌは乾いた笑い声をあげる。無理に自身を鼓舞しているかのようだ。自嘲する気持ちはクロウにも分かる。

 (過ぎたことより現状だ。ここが何か分かるか?尖塔の中じゃないみたいだぜ)

 (うむ。ここもまた奇妙なマナに満ちているな。ココは直接それに当てられてまだ起きておらぬじゃろう?)

 (そういう理由なのか?俺は普通に目が覚めたが?)

 (クロウの場合、わっちにその辺りの感覚が分譲されているゆえ、影響が小さくなっているのではないか。ともあれ、気を抜くでない。何やら変な気配が近づいておる)

 変な気配と言われて警戒するが、クロウ自身にはまったく感じられない。

 それがまた厄介だった。魔力が関係しているのだろうか。ラクシャーヌと同様の危機感が持てないというのは困る。

 逆に言えば、自己防衛機能が反応していないということで、その気配とやらは危険ではないのかもしれない。災魔にその疑問をぶつける。

 (……その考えが正しいことを願う。わっちは危険だとも感じるが……言われてみればそこまででもない、のかえ?)

 ラクシャーヌも自信がなくなってきたようだ。最近は互いにどうにも不甲斐ない。

 改めて周囲を見回すと、漠然と広がる灰色の世界の中に異物があった。全体的に霧の中のような空間だが、その場所だけ影が濃い。濃淡が違った。

 ラクシャーヌ曰くその方向から気配がするとのことで、じっと見つめていたがそれ以上何も変化がなかった。

 ココもまだ眠ったまま起きない。事態が何も変わらないので、クロウはその影へと近づいてみることにした。災魔も賛成する。念のためクロウの外へ出て、独立して動ける体制にした。ココはクロウがおぶっていく。

 地面の感覚はどこか不思議なものの、歩きにくいということはなかった。

 あまりにも何もない空間のために距離感がつかめない。慎重にしばらく歩いた。時間の感覚も正直曖昧だった。それでも10分は過ぎていないだろうという頃、不意に影から別の影が現れた。濃い影の塊の中から、人影が分裂したような感覚だ。

 いや、人なのかも怪しい。手足と胴体と頭部らしきものがあるという形容しかできなかった。

 その人影が突然語りかけてきた。

 それは声としてではなく直接心に響いてくるような感覚で、丁度ラクシャーヌとの脳内会話に近いものだった。

 「何をしに来た、異方者よ?」

 「……いや、お前こそ何者だ?」

 「うむ。まずは名を名乗れ」

 「我が何者かなど些事に過ぎぬ。汝らの目的を申せ」

 その言葉には力があった。抗いがたい強制力のような何かを感じて、自然と答えていた。

 「地下世界へ来た目的って意味なら、古代遺物アーティファクトの捜索だ」

 「この空間には勝手に連れ去られたようなものじゃがな」

 「古代遺物……そのためには破壊も厭わぬか?」

 「破壊?それが何を指すのか分からないが、必要最低限ですますつもりだ。別に何かを壊したいわけじゃない」

 人影はそれからしばし黙り込んだ。じっと見られているような、それでいて突き放されているような、奇妙な感覚を覚える。あからさまな敵意は感じられないが、居心地はすこぶる悪い。対話してきたということは、何らかの目的と意思があるということだろうか。

 その間にクロウとラクシャーヌはささやき合う。災魔は現在外に現出しているが、そっと触れ合っていることで内部での会話が可能になる。

 (こやつ、わっちの言葉も聞き分けておったな?)

 (というか、どういう存在なんだ?敵対意志はなさそうだが、意図が読めねえ)

 (奇妙な魔力の塊としか言えぬな。今まで感じたことのない類じゃ。それと、この空間に似たものを感じる)

 それはどういう意味だと聞き返す前に、人影が再び話し始めた。

 「我は平穏を望む。願わくば、ポスに安寧をもたらさんことを」

 「ポス?なんだそれは?それと、ここに俺たちを呼び込んだのはお前なのか?」

 「然り。汝らからは珍奇なコマニを感じたゆえ、確かめる必要があった。そして、それは済んだ。歪みはあれど濁りは許容できると判断する」

 「何を言っているのかさっぱりだ。もっと具体的に話せないのか?」

 「我は不用意に干渉できぬ。ポスの安寧に協力するのなら、一つ助言を与える。ナガランカを探せ」

 「だからさっきから単語が意味不明だ。ポスとかナガランカってのは何だ?」

 「もう時間がないようだ。この邂逅が将来意義あることであるように願う」

 「聞く耳なしかよっ!?」

 人影は言いたいことだけを言って唐突に遠ざかる。それはほんの瞬きの間だった。刹那にその姿が遠ざかり、すべてが灰色の世界に溶けてゆく。何かの手品のようだ。

 あの濃淡のあった場所もいつのまにか消え去っており、不意にふわりと風のようなものを感じた瞬間、再び周囲を霧が覆う。

 「またこれなのかえ?」

 ラクシャーヌの心底嫌そうな声を聞きながら、クロウは背中で眠るココのぬくもりを強く感じていた。

 褐色娘が安らかにずっと眠り続けていたことに、何か意味があるのではないかとふと思ったのだ。それに、あの人影はずっとクロウではなくココを見ていた気がしてならなかった。視線どころか眼球があったのかすら怪しい造形だったが、なぜかそんな風にクロウは感じた。

 そして、そんな考えも何もかもを霧は閉ざしていくのだった。


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