11-4
目が覚めた時、いの一番に思ったのは最近このパターンが多いなという自嘲だった。
どれくらい気を失っていたのか、すぐに周囲を確認する。
皆倒れ伏していたが命に別状はなさそうだった。自身の体調も確認、特に異常はなかった。吐き気のようなものを覚えて気絶した気がするが、今は気分も悪くはない。
次いで脳裏に過ぎるのが、ミーヤが言っていた謎の記憶喪失の件だ。
しかし、そちらは確か気絶などすることはないという話だった。これは別の現象だろうか。思えば、まだ危険地域には達していないはずだった。
とりあえず立ち上がって違和感を覚える。
はっとして周囲を見回す。景色が変わっていなかった。未だにそこに広がるのは砂漠の光景だ。
覚醒した瞬間、なぜだか無意識に元の地下世界へ戻ったのだと思い込んでいた。だが、違った。まだこここは異空間だ。
そうなると、シリベスタたちはどういう状態なのか。
身体を揺さぶりながら声をかけるがまったく起きる様子がない。一方で死んでいるわけでもない。息はある。眠っているようだった。昏睡しているといった方が正しいか。
(ラクシャーヌ、起きろ)
災魔は既にクロウの内部に戻っていたので、強制的に覚醒させる。外に出て同時に気絶していたことまでは覚えている。その後、意識を失うと同時にクロウ内部に吸収されたのだろう。魔力の関係でそのような挙動になることは分かっている。
(ぬぅ?)
(寝ぼけてる暇はないぜ。さっきの揺れで皆気絶しちまったみたいだが、何か心当たりはあるか?)
(ほぅ……そうか、わっちも影響を受けたのか……)
ラクシャーヌがひょいとまたクロウの身体から出てくる。伸びをして体の様子を確かめると、異常がないと判断してクロウに向き直る。
「まだ元の場所へ戻っておらぬというわけじゃな?」
「ああ、まだ変な空間のままだ。あの揺れも何だったのかさっぱり分からない」
見渡す限りの砂漠の光景はそのまま変わっていないように見えた。他に増えたものも減ったものもない、とクロウの感覚は告げている。
「ふむ……マナは少し変わっておるな。他に気になるところといえば……」
ラクシャーヌは言いながら、どこか遠くを見つめて言葉を止める。
「他の奴らが眠ったままなのは、そのマナの変化に関係があるのか?」
「さてな……わっちに分かるのはこの場に関してのみじゃ。その他弱者のことなど知らぬ。それより、何かけったいなものが迫ってきておるな」
「何だそりゃ?敵か?」
と、その時。がばっとココが跳び起きた。
「クロ様、下っ!!」
クロウは瞬時に反応してその場から飛び退った。それまで自分が立っていた砂漠の砂が刹那に消え去る。近くにいたラクシャーヌも同時に避難していた。
代わりにそこには細長い塔が生えていた。一瞬で何十メートルはあろうかという砂の塔が空に向かって伸びていた。一体何が起こったのか分からない。
「なっ!?こいつは……何だ?」
「分かるわけがない。妙な気配はこれのようじゃが……質量がでたらめじゃな。魔力反応とまったく一致しておらぬ。この空間ならではの無茶っぷりといったところか……」
「これ、くちゃくないけど、何か変」
ココがクロウの足に抱き着いてきた。不安を感じているらしい。
妙な気配とやらは、クロウにも段々と分かってきた。それは完全に塔の方から漂ってくる。それも、上だ。見上げる。
「登ってこいってやつか……」
何となくの知識で、こうした謎の建物が現出したときは中に入れば黒幕が待ち構えているといった展開がお約束だと知っていた。
「ふざけた真似をしおって。一発殴りに行くしかないな!」
ラクシャーヌの動機はともかく、活路はそこにしかないのかもしれない。しかし、とクロウは振り返る。
「あいつらを放っておいていいものかね」
シリベスタ達はまだ起きる様子がない。あれだけ揺さぶっても眠り続けていたので、魔法か何かで眠らされている気がした。ミーヤもエミルも同様だ。
「今も眠っておるような奴らはどうせ役に立たぬ、放っておけ」
クロウが起こすまで災魔も眠っていた気がするが、今は指摘しないでおく。
「……そういやオホーラもなのか?」
蜘蛛の使い魔の状態で同行していた賢者は、クロウの頭の上にいたはずだ。
「ふむ。そう言えば爺もおらぬな。ん?待つがよい。気を失う前、あの爺はどういう状態じゃった?」
「どうって、普通に会話してただろ?」
「そうじゃったか?あまり覚えておらぬが、それはそれで奇妙じゃぞ?ここが異空間であるならば、使い魔状態である爺との接続は切れているのが普通であろ?」
言われて気づく。確かにそうだ。
オホーラはあくまで蜘蛛の使い魔を幾つも中継して遠距離でも動かせるようにしている。そのためには同じ世界にいなければならない。地下世界と地上はある意味で地続きではあるが、ここが異空間というならばその時点で途切れるはずだ。だが、あの時普通に会話は成立していた。
更に現在は、その蜘蛛自体の存在が見えない。中に入っていたオホーラが弾き出され、既にどこかに逃げ去っただけかもしれないが、生物が昏倒させたらのだとしたら蜘蛛もまた動けなかったと考えるのが妥当だ。その辺に転がっているのが自然ではないだろうか。
いずれにせよ、あの揺れの前後でオホーラの状態が変化したことになる。
「あいててて……」
不意に新たな声がしたかと思うと、エミルがむくりと起き上がった。
「お前、起きたのか」
「ふぁい?」
きょとんとした間抜けな声を上げたのは、今回の助っ人として参戦した魔法士だった。
「――なるほど、なるほど。つまりここはまた別の異空間かもしれませんね」
エミルは自分の髪をいじりながら、そう結論付けた。
「別の空間?でも、気を失う前と同じ砂漠に見えるぜ?」
「ええ、多分同じ平面ですが、座標が違うようなものと思えばいいかもしれません。私ごときの感覚で恐縮ですが、多分間違いありません。気絶前はココちゃんが臭いと言っていましたが、今はそうではないでしょう?」
名前を出されたココは、クロウにへばりついたまま「うん」とうなずく。
「ふむ、この小娘の言うことも一理あるな。それならば爺がここにいられぬことにも説明がつく」
「どういうことだ?」
「つまり、最初にまず砂漠空間Aに間抜けなクロウは足を踏み入れた。この砂漠空間Aは異空間じゃが、まだ元の地下世界とのつながりは強い。例えるなら道がつながっている入口のようなものと考えるがよい。じゃが、今現在わっちらがいる砂漠空間Bは、砂漠空間Aとはつながっておるが、地下世界とは隔絶しておる。あの揺れでAからBに更に移動させられたというわけじゃな」
「ん-、要するに二回転移したみたいなことか?」
「ですです。一回目は入口に近かったのでオホーラ様も接続できていましたが、二回目は更に離れたのでもう中継できなかった的な」
「そうか。けど、そうなると今度は転移するまで誰もその仕掛けか何かに気づかなかったって話になるわけだな」
「はい……面目ないです」
クロウは単に事実確認をしただけだが、エミルはしょんぼりとうなだれてしまった。
「わっはっはっ、揃いも揃って愚かじゃな」
災魔は勝手なことを言っているが、自分も同じようなものだと気づいていないのか。眠っていたことは言い訳でしかない。
「それは別にかまわない。完璧に何でも分かるやつなんていないだろ。それより、まだ何がきっかけで転移したのか分からない方が問題だな」
「ええと、それはクロウ様は三回目があると思っているのですか?」
「それはないぞ?」
エミルの言葉にラクシャーヌが断言する。
「何で言い切れる?」
「馬鹿者めっ、目の前のものを見よ。こんな意味ありげなものを出しておいて、また別へ飛ばすなどそれこそ意味がない」
クロウはその塔を見つめて説得力があると認める。エミルにそのことを伝えた。
「確かに使い魔さんの言う通りかもしれません。この塔が生えてきたのだとしたら、何らかの意図でここに呼ばれた可能性が高いですね」
「その場合、今度は何で一回目でここに飛ばさなかったのか疑問が残るな」
「ええい、ごちゃごちゃ推測しても答えなぞ出んじゃろ!とっとと登るぞ」
それもまた事実だった。元々、登って確かめるつもりだったのだ。
まだ眠っているシリベスタとミーヤをエミルに任せて、クロウとラクシャーヌはその砂の塔に登ることにした。
入口は木製のような扉がある。ようなという曖昧な表現なのは、その木が何の種類なのかまったく分からなかったからだ。ある程度の硬さと、妙な柔らかさのある性質であることもその不可思議な感覚を補強していた。
この空間そのものが未知であるならば、そういうこともあるだろう。クロウは深く考えるのをやめてその扉を開いた。
鍵はかかっていなかった。
開けた途端、なぜか懐かしいような爽やかな風が吹き抜けた気がした。まるで大草原の中にいるような錯覚を起こす。
しかし、実際に目の前に広がっているのは古ぼけた石の螺旋階段だ。塔の中央には太く長い石柱があり、その周囲を階段が巡っている。手すりもない安全性に欠けた造りだ。他には特に目立ったものは見当たらない殺風景な内部だった。
「最上階は見えぬな……」
ラクシャーヌが手をかざして見上げた。
「また変な匂いがする気がするのん……」
「匂うのか?マナがまた違うってやつか」
その時、背後で扉が急に閉まった。その音に振り返る。
誰もいなかった。自動で閉じるはずもない。エミルも敢えて閉じないはずだ。再び開けようとして、案の定動かない。お決まりの展開のようだ。
「ふむ、上に来いということかえ?閉じ込めずとも向かうというに、よほど必死と見える」
「向こうの目的がそれなら、行くしかないな」
クロウは螺旋階段に足をかける。だが、その手を引く者がいた。
「ココ?」
「クロ様、この上は何か嫌な感じなのん……」
無邪気ないつもの顔が曇っていた。泣きそうといってもいい。
「不安なのか?けど、行くしかない。もしあれなら、ここで待ってても……」
「いや、ココも来るがよい。離れるのは得策ではない」
ラクシャーヌが厳しい声で告げる。
「臆病風に吹かれるでない、ココ。この先どんな困難があろうと、怯むことに意味はない。常に強くあれ」
まるでどこかの師匠が弟子に諭すような言葉でココを叱咤する。ちょっと得意げな顔なのが気になる。どこかで聞きかじって言いたいだけなのではないかと邪推する。災魔にはそういうところがある。すぐに影響を受けるのだ。
「でも、お姉ちゃん。この匂いはなんか……」
「分かっておる。おそらく精神干渉系の何かを仕掛けてくるじゃろう。ゆえにこそ、強く心を持て。気合があれば岩をも砕ける」
何を言っているのか。状況とそぐわないセリフだった。
いやそれよりも気になることを口走っていた。問答無用で階段を登り始めたラクシャーヌを呼び止める。
「おい、待て。精神干渉系って何の話だ?」
「ぬ?そのままの意味じゃ。あの揺れと同時に脳みそも揺れたであろう?あれは肉体のみならず、わっちらの精神に干渉してきた証左じゃ。分かっておれば、このまま二度も不覚はとらぬ。きっちりプロテクトすればよいだけじゃ」
「初耳なんだが?それに、プロテクトって具体的にどうやるんだ?」
「じゃから気合じゃ!クロウもしっかり脳をガードするんじゃ」
「気合って、お前、曖昧すぎんだろ?それに精神は心で心臓じゃないのか?仮に脳だとしてもガードって具体的な方法を教えてくれ」
「ええい、いちいちうるさい!それも気合じゃ!行くぞ、ココ!こんなナヨナヨした男のようにはなるなよ!」
「ふぁ、ふぁい!?」
強引にココの手を引っ張って、ラクシャーヌが階段を駆け上がる。
「あ、おい!そんなに急いで落ちるなよ?」
螺旋階段に手すりはない。石階段にある程度の幅はあるので柱に手をついて行けば安全だが、外側はむき出しで倒れたりしたら、そのまま下へと落ちてしまう。
高所恐怖症であれば最悪の環境だ。
後を追うクロウは、駆け上がりながら内壁を見る。砂の壁のはずだが、そうは思えない固そうな材質に見えた。窓さえ一つもない。
それでも真っ暗闇ではないことに気づく。薄暗いとは感じるが、窓からの採光がないのに良く見える。どうやら天井から光が漏れているようだ。そこでまたはっとする。
外の砂漠の世界はかなり明るかったことを思い出す。普通に遠くまで見通せたのだ。地下世界のほのかな明るさではなく、しっかりとした陽光があった気がした。
だとすればこの空間はやはり地下世界ではないのだろうか。謎が増えてゆく。
その間もラクシャーヌとココは階段を上り続ける。一応警戒しているのか、もう小走りではない。普通の速度で歩いている。
しばらくすると、見上げた先にそれまでの螺旋階段以外のものが見えた。螺旋階段の踊り場だ。その場所だけ幅広の土台ができている。
「ラクシャーヌ。そこで一度止まれ」
「なんじゃ、もう疲れたのかえ?」
「違う。一回立ち止まって観察すべきだろうが」
その考えに同意したのか、災魔は踊り場で待っていた。安全柵などはここにもなく、へりに立って災魔は熱心に下を見つめていた。
「何か見えるのか?」
「いや……それが良く見えぬのじゃ。こんなに霧がかかっておったかのぅ?」
「霧?」
「あっ――」
ココの叫びと共にそれは再び突然に始まった。ラクシャーヌが見ていた霧が一気にクロウたちの元へと上昇してきたのだ。
いや、あるいは上からも来ていたのだろうか。あっという間にその霧にのまれたとき、クロウは夢紫の霧を思い出していた。
俗称はキリキノコだったか。だが、この霧は紫色ではない。そう思いつつも、同じような何かを感じて意識が薄れてゆくのを感じた。
「気合だぁぁぁ……!!」
災魔のその声はすぐさま勢いを失くし、やがてクロウの思考は閉ざされた。
一体何度昏倒させられるのか。その答えに答える者はいなかった。