11-3
ウィズンテ遺跡の地下世界は始まりの村から始まる。
意味からその名をつけたのだから当然なのだが、口にすると妙な感じだ。
最初期こそ単なる天幕だけだったことを考えると、今や宿泊施設やその他各設備が整えられて立派な町の様相で感慨深い。地下用農地や研究区画も設けられ、地下世界に適応するための必要な拠点として着実に広がっている。規模感では完全に村の小ささなのだが、一つ一つが現代風の一流並みにすら思えてしまう。
ただ一点、薄暗いということを除けば、地上のそれと遜色ない景色に見えた。
そんな村の中央広場には巨大な掲示板が立っており、現在のこの地下世界地図が張られている。
調査して確認された森や川、転移魔法陣のおおよその位置、危険な魔獣が発見された場所などを危険地域として、始まりの村の周辺から徐々にその範囲を広げている。
更には、各探索者一行の調査地域も一目でわかるように表示されていた。リアルタイムで分かるものではないが、少なくとも東西南北、どの方面にどのくらいの者が出かけているかが確認できる。
クロウはその一点を見つめていた。
「ヨーグの行方を気にしておるのか?」
頭に乗った蜘蛛からオホーラの声が響く。
「ん、そういうわけじゃねえが……」
S級探索者は東方面に足を延ばしているようだった。あわよくば共に探索するのもありだと思っていたが、ヨーグは既に旅立ってしまっていて合流は難しそうだった。単独での探索ではなく、ギルド側の要請を受けて少数の3人でのパーティを組んでいるという。二人も受け入れたということだ。
あの豪快な性格とうまくやっていける人間はそう多くあるまい。どんな人間なのか少し興味がある。
「……あの境界線らしきものは未探索エリアとの境なのか?」
シリベスタが同じように掲示板を見上げていた。
「否定。厳密には。単に製作途中もある。色々」
独特な話し方で答えたのはミーヤだ。相変わらず頭まですっぽりと覆うフード、魔法着のような全身を包むローブと探索者らしからぬ恰好をしている。
「それ、メイド長の弟子?」
そして、シリベスタの服装を見て素直な疑問を投げた。
「ち、違う!これは無理やり着させられているだけだ!私の意思ではない!」
エプロンドレス姿に巨大な麻袋を背負った奇抜なスタイルは、ウェルヴェーヌのそれとまったく同じだった。彼女は今回の地下遠征に参加していない。その代わりにシリベスタに自分の役目を厳命していた。正式にはニーガルハーヴェ国籍の客人のはずだが「命に代えてもクロウ様をお守りするように」と、完全に自分の部下に対する指示というか命令系だった。
シリベスタ自身は複雑な思いを抱きながらも、その命令に逆らう気はなかった。自分がベリオス領主に対してしでかした失敗は自覚している。その償いとして、恩情をかけられての現状だと分かっているゆえにこそ、納得がいかないことでも従っていた。
我慢することには慣れている。とはいえ、本音が漏れることは止められないし、誤解は解いておくべきだ。
やることはやるが、好き好んでやっているわけではない。
「それで、どこへ行くのん?」
ココがそんなやりとりを気にすることなく、いつもの調子で背後から尋ねる。
褐色の少女の現在位置はクロウの背中だった。クロウがおぶっているのでなく、自主的に張り付いているといった状態だ。良く分からないがそういう訓練らしい。
時折ずり落ちそうになってクロウの首回りがきつく締められるが、それ以外は気にならないのでクロウは好きにさせている。
「んー、そいつを今決めかねている。一応危険地域のどこかを下見しようとは思っているが……」
クロウの目的は修行だ。己を鍛えるためには、この地下世界の魔物は強くて都合がいい。その際に探索者たちにとって障害となるものを排除できれば一石二鳥だ。
「提案。西方面の森の手前、不思議な報告。記憶を失う場所がある」
「は?なんだ、そりゃ?」
ミーヤが突然、奇妙なことを言い出した。
詳しく聞いてみると、最近探索者の間で空白の記憶がある者が頻出しているという。覚えていないのは1、2時間ほどで、白昼夢を見ていたということもなくただ気づくと時間が飛んでいたという奇妙なものだった。
気絶していたわけでもなく、後から思い出すと断絶した時間があるという奇妙な感覚。一人、二人なら単なる気のせいだが、そういった感覚を持つ者が五人を数えた時に錯覚ではないと判断されて調査が行われた。
その結果、いずれの者もある地域を探索していたことが分かり、実際にその付近で同じように記憶が飛ぶ者が続出した。しかし、何が起こっているのかは分からなかった。トリガーが何かすら判然としない。その地域の魔力が特段おかしいということもなく、原因究明の手掛かりがまったくなかった。
現状で実害こそないものの、薄気味悪い場所だということで暫定的に危険地域としてマークしているという話だった。
「そいつはまた……妙な話だな」
「興味あり?」
「まぁ、ちょっと寄ってみようかとは思った」
ミーヤに答えつつ、もう一度掲示板の地図を見る。その危険地域を越えた先には森がある。
魔獣狩りをするのには困らなそうだ。何もなくても無駄足ということにはなるまい。
「了解。目的地はその周辺でよい?」
「ああ。そうしようと思う。けど、なんでそんなに確認するんだ?」
「不可解。これだけ見ていて気づかない?」
呆れたように首を傾げられて、クロウは掲示板を再度見る。はっと気づく。
「おぅ……俺たちの行先もここにピン留めするためか」
そうすることでどのグループがどこにいるのかを把握できる。確かにたった今見て確認していた。そのことを失念しているのは愚かとしか言いようがない。ミーヤの微妙な態度が分かった。
「ひょっほっほっ。クロウは色々と抜けておるからの」
賢者の皮肉をまったく否定できなかった。
「あ、あの、お待たせしましたです」
その時、急にばたばたと走ってくる足音と共に一人の小柄な影が近づいてきた。
背負っているココと同様の童顔で、地味な色の長袖に長ズボンの服装。天然がかったゆるふわなボブカットの茶髪も相まって一層幼く見える外見だが、彼女は今回のパーティに同行する助っ人の魔法士だった。
「おお、戻ったか、エミルよ。おぬし、相変わらずの緊張しいじゃな。出発前には必ず厠へ行くクセは変わっておらぬようで安心したぞい」
「わわっ!オホーラ様、そんなことバラさないでください!でも、私ごときのくだらないクセを覚えておいてくださってありがとうございます」
慌てながらもぺこりと頭を下げるエミル。
かつて最強とうたわれたイェゼルバイド騎士団に所属していたようにはまったく見えない。腰が低く、まるで駆け出しの戦闘屋のような雰囲気だ。だが、ブレンやオホーラの知り合いなので嘘ではない。わざわざ道楽の賢者が呼び寄せてくれた人材でもある。
たとえ魔法士らしくなくても、大人には見えなくても、おどおどしていて頼りなさそうに思えても、強力な協力者なのだ。
今回の地下探索へはこの4人を伴って行う。
クロウの鍛錬が主目的なので探索そのものはおまけ程度の予定だ。その支援役という位置づけになる。ミーヤが含まれているのは半ば偶然だった。元々は何か別の用件があったものの、突如キャンセルされて身体が空いたので、それならばと同行することになった。
「とりあえず行ってみるか」
ぶらりと町を散策するような足取りで、クロウたちは出発した。
地下世界では、道など当然整備されていない。
かろうじて転移魔法陣が設置されている場所付近へのみ、魔物除けの魔鈴などが設置され、簡易的に道と分かるようになっている。
その他の場所については必要最低限の立札が要所要所に立てられ、大雑把にこれより先何々といったものがある程度だ。
つまり、方向音痴には厳しい世界である。
もっとも、探索者にはその筋の専門家である先導者がおり、常に現在位置と目的地を把握できる能力を持つ者がいるので問題はない。
翻ってクロウ一行はどうか。
今回はその役を負うステンドがいない。通常ならば補助として運用係などがその役目を担うこともあるが、シリベスタは急造で訓練してきたに過ぎずあまり役に立たなかった。ウェルヴェーヌのようにしっかりと手ほどきをうけたわけではなく、間に合わせで詰め込まれたようなものだ。責めることはできない。
とはいえ、A級探索者のベテランであるミーヤがいる。更には古代遺跡の探索を請け負うこともよくあったという元イェゼルバイド騎士団のエミルもいた。経験豊富な人間がいるのだから何も問題はない。
そのはずだった。
「まさか、突発性危険地帯に巻き込まれようとは……」
クロウたちは賢者ですら驚く事態に直面していた。
記憶を失うことがある不思議な地域。その方面へと歩を進めて半日ほど経った頃だった。
草原のような場所を歩いていたら不意に砂漠へと迷い込んでいた。おかしな言い方だが、そうとしか言えなかった。瞬きの間に、視界が変わっていた。
「こんな一瞬で様変わりすることがあるんだな」
クロウは戸惑いよりも興味深く思って、地面の砂を指ですくう。
それは紛れもなく砂粒であり、先程まで踏みしめていた土とはまったく異なっていた。見渡す限りの砂の世界。本物の砂漠を見たことはないが、知識としてあるその光景が正に目の前に広がっていた。遠くは蜃気楼のように揺らめいて確認はできなかった。ただ、少なくとも視認できる範囲で終わりは見えない。
「超異常。地下世界でもこんなことは稀」
ミーヤが当たりを警戒するように見回す。
「私ごときが言うことではないのですが、珍しい現象かと思います。オホーラ様の指摘通り突発性危険地帯だとしても、変化があまりに速すぎます」
「ぬぬん?というか、ココはこれ、違うと思うのん」
それまでずっとクロウの背中にへばりついていたココがぴょんと飛び降りた。次いで、指先から何か魔法を上方へ飛ばした。皆がその行方を反射的に見る。
派手な緑色の一筋の光がすっと伸びていき、やがて消えてゆくかと思われたときに何かに跳ね返って屈折した。
「あっ!?まさか、異空間?」
エミルがそう叫んだ後、すぐさま同じように指先から魔法を飛ばす。ただし、今回は水平方向だ。かなり遠くまでその光は見えていたが、ある地点でやはり何かに当たって反射した。
「なんと。つまり、わしらは気がつかぬうちに妙な空間に入り込んでしまったというわけか……」
「ん?つまりと言われても、良く分からねえんだが?」
今の実験が何を明かしたのか。
オホーラたちの会話についていけず、クロウは説明を求めた。
エミルが恐縮しながら話した内容によると、現在変化したこの見知らぬ砂漠は突発性危険地帯になったわけではなく、局所的に別の空間につなげられているということだ。突発性危険地帯とはいつかの流砂の如く、ある状態の自然が急にまったく別の形状に変化して危険な場所になってしまうことをいう。
原因は不明だが、砂漠が泥沼地帯に、平地が丘に、草原に急に裂け目ができたりと不自然な変化が唐突に発生する。今回のものもそれに該当するとオホーラが判断したのも無理はない。知らないうちに異空間に入り込んでいるというような事態は、知覚に敏感であることに自負がある魔法士には考えられないことだからだ。
それは気配に鋭敏な感覚を持つ暗殺者が背後を取られるようなものだ。致命的なミスだった。
ミーヤやエミルもそうした空気には敏感だが、誰一人としてこの奇妙な状況に陥るまで気づけなかった。歴戦の強者が出し抜かれたに等しい。明らかに異常だということだ。
「なるほどな。じゃあ、ちょっとラクシャーヌにも聞いてみる」
災魔やアテルは現在、クロウの中で眠っている。最近は独自の修行をしているようなので好きにさせていた。そのせいもあってか、今日も起きるまで放置しておけと言われていた。が、今は非常事態に近い。叩き起こしてもいいだろう。
魔法関連ではやはり頼りになる相棒だ。その存在も含めて特殊なだけに、こうした例外的な事態では役立ってくれる。
(なんじゃ、特に魔物がいるわけでもないのかえ?)
やや寝ぼけた声のラクシャーヌは、周囲を見渡してからあくびをもらす。
(ああ、攻撃を受けてるわけじゃないが、誰もこの空間に気づかなかったってのは妙だって話でな。警戒した方がよさげだと思うが、何かお前は感じるか?)
(空間?ほぅ……地下のマナとも確かに違うようじゃな)
災魔はクロウの身体からひょいと出て、その足で砂漠を確かめる。それから徐にその砂に手を突っ込むと「ふん」と気合を入れた。
何かの魔法を放ったらしい。
やがて足元からドンっという音と共にちょっとした揺れがあった。
「おい、何をしたんだ?」
「ふむ。ちょっと揺らぐかどうか確かめたまでじゃ。して、今おぬしも感じたであろう?わっちの推測通りなら、この空間は作為的なものじゃ。地面のみならず、四方八方から反響した反応があったゆえ」
「そんな反応あったか?」
クロウはまったく気づかなかったので、ラクシャーヌの言葉をオホーラたちに確認する。災魔の言葉は皆に届かない。
「今確かに全体から魔力反応が返ってきました。なるほど、その使い魔さんが広範囲に影響する魔法を内部へと送り込んだのですね。私ごときでは思いつかない素晴らしい確認方法です」
「この空間が何者かによる意図的なものなら、それはそれでとんでもない相手じゃが……特に何か仕掛けてくる様子もないのが気になるのぅ。一体何が目的じゃ?」
賢者の困惑は皆の総意でもあった。
自分たちが何に巻き込まれているのか。意味の分からないことほど不気味に感じる。
「くんくん、この辺のマナ、なんかくちゃい?」
ココが鼻をすんすんとさせながら、良く分からないことを言い出す。
「マナが臭いってどういうことだ、ココ?」
「この匂い、クロ様は感じないのん?」
「ココがマナ濃度を匂いとして受け取っておるのなら、何かが今変わっておるのかもしれぬ。わっちにはまだ変化は……いや、何か動いておるのか?」
ラクシャーヌが一点を見つめて警戒を強める。
その方向に目をやるが、クロウには何も見つからない。砂漠が広がっているだけだ。
「向こうに何かがあるのか?」
クロウの言葉に皆が一斉にそちらへと視線を移す。その時、地面が再び揺れた。
「――――――っ!!?」
その揺れは一瞬で大きくなり、その場に立っていられないほどに酷く揺さぶられる。同時に視界が歪む。
単なる地震の揺れではない。脳まで直接激しく振動させられたかのように、五感すべてが狂い出した。誰かの叫び声がしていたが、もはや意味を汲み取れない。
思考までもがままならなかった。天地がひっくり返ったようにすべてが混沌として、吐き気まで催してくる。
そして、唐突に闇が訪れた。
自分が意識を失ったと自覚する間もなく、クロウの記憶はそこで途切れた。