2-1
ベリオスの町の復興は着々と進んでいた。
領主会の各会長が組織的に整えられ、しっかりとした計画で日々実務をこなせるようになったからだ。
目標を明確にしてそのための段階的な道筋を示すことで、具体的に何をすればいいのか、何が必要なのかがはっきりとして、皆が分かりやすく動けるようになったことが大きい。そこに大きく貢献したのがオホーラだ。道楽の賢者は、その見識を余すことなく発揮して役立っている。
一方で、領主としてのクロウは完全に日陰者と化していた。
屋敷の執務室ではなく、予備の書斎のような、ただただ本棚に囲まれた部屋。古ぼけた机に積み上がった本。全体的に色あせた空間の中、軋む椅子の上でクロウは今日も本を読みふけっていた。書かれている言語は様々なものがあるのだが、クロウはそのすべてがなぜか読めた。転生人の特性として、自然と言語理解はできるらしい。
窓辺の床板の上では、ラクシャーヌがだらしない姿勢のまま涎を垂らしながらうたた寝をしている。たまには外に出ないと体がなまる、などと言っていたが、結局寝ているなら何も意味はないと思いつつも、クロウは好きにさせていた。最近はあまり人前に出すことがなくなったのは事実で、その反動かもしれないからだ。
ある魔法書を読み進めていると、扉がノックされてウェルヴェーヌが入ってきた。
「失礼します。ジェンス様より承認と判断案件の書類を幾つか承りました。確認お願いします」
一切の無駄なく、眼鏡メイドはすぐに本題を切り出した。
「ああ、そこに置いといてくれ。緊急じゃないんだろ?」
「はい。大丈夫です。ただ、一件だけ別物がありまして……」
ウェルベーヌが珍しく言い淀む。何事かと気になって、クロウは顔を上げた。
「厄介ごとなのか?」
「いえ。こちらはテオニィール様からのもので、お渡しすべきかどうか判断が難しく……」
「もう持ってきてるなら、見せてくれていい。どうせ、くだらない提案なんだろ?」
差し出されたその一枚にざっと目を通した後、クロウは無言でそれを丸めてくずかごへと捨てる。
「……お前、迷う必要があったのか?」
「一理あるかと思いましたので」
「お前も納得がいってないってことか」
「いえ。考え方は理解できましたし、実際こうして町が滞りなく動いていますので、正しい判断だとは思います」
「じゃあ、それでいいじゃねえか。何も問題はない」
「しかし、それではクロウ様が……」
「俺はもともと、やりたくて領主をやってるわけじゃねえし、こっちの方が楽だ。気にするな」
それで話は終わりだと、クロウは再び手元の本に目を戻す。
くずかごの中に捨て去られた紙には「領主クロウの復権計画」という見出しが書かれていた。それは先の魔法岩人形騒動に端を発した、領主会会長代理の話につながるものだった。
「町のモンを犠牲にしたってことかよ!?」
ドンっと机を大きく叩いて叫んだのは、大工の頭領であるガバンだ。顔の半分を覆うほどの髭面がいかつい男だった。
「落ち着いてください、ガバンさん。もっと多くの他の町の皆を助けるために仕方なく、です」
「数の問題じゃねぇだろ、トッド!だいたい、てめえら警備隊が不甲斐ねぇから、こんなことになったんじゃねぇか?」
「それを言われると自分としては厳しいですが、少ない人員でみんなできることを精一杯やっている。あまりそういう非難はしないで欲しい」
トッドが不満を述べると、ガバンは少し反省したように声を落とした。
「ああ、いや、すまん。今のはちと言い過ぎた。てめぇらは良くやってくれている……けどよ、やっぱおれは納得がいかねぇな」
「個人の感情はさておき、領主会としてはクロウ会長の判断は正しいと言わざるを得んな」
カイゼル髭を撫でながら、商人長のナキドが渋い声で言った。恰幅の良い50代の男で、経験豊富な聡明さもあって領主会では議長のような立場になっている。
屋敷の応接室には現在、他にも農地長ネーベル、占い師のテオニィールや賢者のオホーラなど、町の運営に関わる主要な人物である領主会の面子がほぼ揃っていた。当然、領主のクロウも上座に座っているが、一通りの説明を終えて今は黙っている。
「僕としては、その辺りは少しぼかして、魔法岩人形を倒したってところだけ強調すればいいんじゃないかと思うね。無闇に火種を大きくするのは下策だし、結果的に正しい判断っていうのは間違いないしね」
「バカ言うな!勝手に他人様の命奪っておいて、正しいってこたぁねぇだろうがよ」
「そうしなければもっとたくさんの人が犠牲になったんだよ?そっちの方が大惨事じゃないか」
「死んだ遺族の前でそう言えるのかってんだ!それに、ミトラのガキも一人含まれてたんだぞ?子供まで巻き込まれて……」
ガバンの悲痛な呟きに皆が押し黙ってしまうが、その雰囲気を打ち消すように笑い声が不意に響く。
「ひょっほっほっ。まぁ、まぁ、こういう時は一旦冷静に考えてみるがよろしい」
オホーラだった。この賢者の老人は身体が悪いらしく、常に専用の安楽椅子のようなものに座っている。実は齢が160を超えていて肉体的にはほとんど機能していないために、これまた常備しているニギリモの魔杖の魔力で補填して、どうにか生きている状態だと言う。どこまで本当か定かではないが、それが真実だと思わせるだけの何かがオホーラにはあった。
「クロウの特殊技能で魔法岩人形の脅威を取り除けたのが事実。そのために町の十数人が犠牲になったのも事実。そうしなければ、更に沢山の犠牲が出ていたことも事実じゃろう。問題はその十数人の犠牲をどう扱うか、ということじゃな」
オホーラは議題を簡潔にまとめる。
「倫理的な観点から言えば、ガバン殿の言うように町人の犠牲を軽んじてはならぬし、多数を生かす為に少数を見捨ててもいいという理論は許してはならない。一方で、現実問題として、かの犠牲がなければもっと多数の死傷者が増え続け、女子供も当然含まれていたことじゃろう。このようなとき、感情と対応への対処は別のものとして考えるべきじゃ」
「具体的にはどのように?」
ナキドが冷静に先を促す。
「まず前提として、この事実をどこまで町の者に話すか、あるいは話す内容を特定の集団に絞るか、という問題がある。要するに、当事者関係者には真実を話し、その他の者には最低限の概要に留めるといった段階をつけるか、ということじゃ。この利点は当事者たちにとってはある程度の納得感を持たせられると同時にこちらの誠実さを与えられる。半面、内容からして反発も買うため、緘口令を敷いても漏洩する可能性は高い」
「人の口に戸は立てられないよ。誰かが絶対に漏らすさ。だからさっきも言ったように、僕は初めから用意した概要説明を全員にする方がいいと思うね。嘘というより、ある程度ぼかした説明ってやつだね。まぁ、今この場にいる人は真実を知っているわけだから、ここからこの先漏れるってことも十分あり得るけど、これだけ少ない人数だとそのリスクをおかそうとする人はあんまりいないでしょ」
「いずれにせよ、今のは遺族や死傷者が出たことへの倫理面での感情的な対処じゃ。今風に言えば精神的ケアともいうもので、ガバン殿のように感受性が豊かな者へのアピールとも言える。一方で、町の地下に古代遺跡が存在し、今回のように魔物や魔法生物が脅威となることを知らしめる必要もある。付随して今回のように、我らは町の者をできるだけ多く救える存在であると強調することも重要だ。今後も危険は断続して存在し、それを防ぐための手段と能力があることを広く告知する必要性は言うまでもない。これが対応への対処じゃ。わしの言いたいことが分かるかの?」
「問題を二つに分けて考えよ、ということですな?両方一つにまとめて対処しようとすべきではないと」
ナキドの言葉にオホーラがうなずく。
「さよう。遺族への説明と、今回の騒動に関する対応の説明は分けて考えるべきじゃ」
「単純に今回の犠牲者についての真実を伏せるという選択肢はないのかね?クロウ殿は正直に真相を話してくれたが、それを町の者すべてに言わずともよい気はする。オホーラ殿が指摘したように、どこまで話すかという範囲の話だな。ガバン殿のように義憤にかれる者もいよう。無駄に反発を買う真似をせぬ方がいいとも思えるが?」
「それも一つの手ではあるが、一度でもそうした隠蔽対応をすると、発覚した場合に信頼が失われるリスクがある。言わばこれは、今後この町の方針としてどう舵を取るかのかという命題でもある。その上で、わしとしては一つ提案がある」
そこで老賢者は、分かりやすく間を置いた。しばし辺りに沈黙が落ちる。
それをよしとしなかったのは農地長ネーベルだ。
「なんだい?もったいつけてないで、さっさと言っておしまいよ。あたしゃ、早く畑に戻りたいんだ」
畑仕事に一生を捧げている、いかにも農民な風貌の彼女は、ややせっかちな性格だ。かといって、我慢強くないというわけでもない。無駄な時間を嫌うという傾向があるだけで、慎重に事の推移を見守る聡明さも持っている才女だ。今回に限っては、オホーラの意味ありげな演出を嫌ってのことだろう。
「ひょっほっほっ。もったいつけたわけではない。とりあえず、まぁ、クロウを領主の座から降ろすのが得策じゃと、そう言いたかっただけじゃよ」
予想外の衝撃的な提案に一同はどよめいた。
「じょ、冗談じゃないよ!クロウが領主としてどれだけふさわしいか、皆分かっているはずだよ!?ここまで町のためにどれだけ頑張ってきたと思っているんだい!?」
いち早く反応して反対したのはテオニィールだった。領主付き筆頭占い師として、クロウを領主にしたのは自分だと自負している彼にとっては、絶対に受け入れがたいことだ。
「……どういう意図があるのかね?」
対して、冷静に問いかけたのはやはり商人長のナキドだ。その渋く低音の声には場を支配する響きがある。ざわついていた空気が一気に静まる。
「まず初めに言っておくが、これはあくまで表向きの話であり、実質的にクロウを領主から外すと言うものではない」
前置きをしてから、オホーラはその内容を語り出した。
政治には常に表と裏の顔があり、それをうまく使いこなさなければならない。要するに、人前で話すことと実際に行うことは別で、必ずしも一致していなくてもよいということだ。人間が感情というものに左右される以上、どんなに理性的に合理的な判断をしようと、喜怒哀楽によって納得されないことは必ず出てくる。そうした感情のほとんどは一時的なものであることが多く、そうであるならば、一過性のその苛烈な嵐をやりすごせばいいだけだという考え方もできる。
そのための表の顔、対外的に納得感のある話ができる人情派の代表者を用意することが肝だ。民衆に寄り添い、耳障りの言い言葉だけを吐き、矢面に立って感情的な者をなだめる役だ。 そして、裏では実質的な実権を持つ者が、感情を排して合理的判断に基づいて町を動かす。このとき、表の代表者は常に裏の者を悪者にすることが有効になる。どう取り繕おうと、一度政策が行われれば、実際の影響で何が起こったのかは皆が知るところとなる。表の代表者は、その際に裏の者を止めようとしたという姿勢だけをアピールし続けることが重要だ。悪いのは常に裏の実権者で、表の代表者は町人たちと同じ側だと印象付けることで、分かりやすい対比構造が生まれる。
この極端な善悪二元論による管理運用をオホーラは推奨するというのが概要だ。たった一人を悪者にして不満のはけ口とすることで、ベリオスの町に一体感が生まれ、上手く機能するという計画だった。
「領主のクロウ殿が大分貧乏くじを引いてる気がするが、仕組み的には悪くないと考える。今までもある意味、無難だがまったく動こうとしないユンガを責任対象にして、わしらはまとまってきたところがないとは言えぬしな」
「うむ。ナキド殿はよく分かっておられるようじゃ。仮想敵を作って戦意を保つのは戦術としても理にかなっておる。政治においても同じじゃ。先程のガバン殿のように、これからの政策においては感情が爆発することもあろう。それを効率よく吸収できるはずじゃ」
「……難しいことはあたしには分からないけどね。それで現領主のあんたはいいのかい?」
ネーベルに話を振られ、それまで黙っていたクロウはようやく口を開いた。
「それが最善なら俺はまったく構わない。表舞台に出ようなんて元々思っていなかったし、やりたくもなかった立場だ。裏に回れるならそっちの方がいい」
「ちょっと待つんだ、クロウ!本当に分かってるのかい!そうなったら君は最悪、悪者にされて嫌な役回りになるんだよ?皆から影口を叩かれ、嫌われる可能性が高いってことだよ?」
「ああ、他人にどう思われようと関係ない。それで、表の顔役には誰か候補がいるのか?そいつの立ち回りも結構面倒臭そうな気がするんだが?」
「それなら、わしに最適な人物の心当たりがある。その方向で行くならすぐにでも手配して、今回の件の説明から早速活躍してもらうのがいいだろう。皆、異論はないのだな?」
そうして話はとんとん拍子に進み、クロウは裏方に回ることになった。表向きの領主代行、領主会内では会長代理という立場で、ジェンス=ドードームウという男に白羽の矢が立つことになった。ジェンスはもともと雑貨屋を営む温厚で有名な人物で、ネリオスの町ではその人柄と人脈から庶民の相談役として誰からも好かれており、今回のような役職にはぴったりだった。 抜擢されたジェンスは、戸惑いながらも町のためならとその役を引き受け、早速魔法岩人形の出現とその顛末の説明を行った。
その際に、領主であるクロウが被害の拡大を抑えるために、町の住民を何人か犠牲にして止めた話をした。あの場では目撃談が多く完全に事実を隠蔽することは不可能だったので、特殊技能の犠牲になったというという点だけをぼかして、結果を伝えた方が得策だと判断したのだ。
町の者を巻き込んだことでクロウへの非難は予想通り多く、その責任懲罰として領主代理のジェンスがしばらくは政務を執る流れを作った。実際は、クロウが領主会の会長という実権はそのままの役職で裏に回っただけなのだが、一般の町の者が知ることはない。
この決着の仕方は概ね好評で、ジェンスは歓声と共に迎えられた。オホーラの描いた展開通りにいったのである。
再び本に没頭する主人に軽くため息をついて、ウェルヴェーヌは部屋を出ようとした。
クロウが頑固であることは既に良く分かっていたので、これ以上の進言は無駄だと悟ったためだ。
しかし、扉を開けようとしたところで、逆にその扉が開いた。慌てて後方へ退く。
「おっと!?悪い、悪い、人がいるとは思わなかったもんでね」
悪びれた様子もなくすっと部屋に入って来たのは、つば広の帽子を被ったステンドだった。
「ステンド様、部屋に入るときは必ずノックをしてからといつもお願いしているはずですが?」
「ああ、たまたま忘れちまっただけだよ。次からは気を付ける」
「その言葉ももう7回ほど聞きましたが?」
「へー、そうだったか?じゃあ、次に期待だな」
まったく動じた様子のないステンドを見て、ウェルヴェーヌは諦めたのか道を譲った。
「クロウ様、ステンド様がお見えです」
既に部屋に入っているので無駄なことのように思えるが、取次ぐのはメイドの仕事だ。きっちりとその役を果たさねばならない。
「……ああ、聞こえてる。何か報告が?」
クロウは特に気にした様子もなく、先を促した。
「いや、特に進展はないんだが、ちと相談があってよ。今、いいか?」
ステンドはどっかりと空いている椅子に腰を下ろすと、懐から何かを取り出した。
「ダメだと言っても、もう何か広げてるじゃねえか。なんだ、それは?地図か?」
ちらりと盗み見て気を惹かれたのか、クロウは本から視線を上げた。
「いや、地図ってほど立派なもんじゃない。とりあえず、簡易的にここまでの全体像を把握するために作ってるもんってだけだ。ただ、ここを見てくれ」
広げた図の中の一点をステンドは指差した。
そこには何もない空間を表わす楕円が描かれている。
「分かるか?ここだけ不自然な空間が空いている。上下関係から見ればわかるように、ここに通じる道がないのに、だ」
言われてみると、確かにそのスペースには何かがあって然るべき構造に見える。だが、どこからもそこに至る経路はない。
「つまり、そこに何か秘密があると?けど、どうやったら辿り着けるか分からないってとこか?」
「ビンゴ!まさしく、それだよ、オレが聞きたかったのは!さすが、クロウだぜ。んで、何か知恵はないか?」
目を輝かせるステンドに、クロウは大きなため息をついた。
「お前な……俺は記憶喪失者な上に、お前は探索者。完全に聞くべき相手を間違ってるじゃねえか……」
ステンド=イリマトゥーニは転生人で、ベリオスの町の地下に発見された遺跡の調査に雇っているA級探索者だ。クロウの言っていることが正しい。立場がまったくあべこべだった。
「そう言うなって。お前も転生人だ。大胆な発想ってやつはオレたちの方が持ってるんだぜ?何も間違っていないだろ?」
「いや。俺は記憶がないって散々言ってるだろうが。着想とか閃きとかも、経験から来るんじゃねえのか?そういう意味で、俺はここの人間より貧弱だぞ?」
「おぅふ……」
その言葉に納得したのか、ステンドの勢いが完全に削がれた。そこに、新たな声が付け加わる。
「それならば、いっそ上から下に掘ってみればよいではないか。そこに何かしらあるのじゃろ?」
いつの間に起きたのか、ラクシャーヌが興味深そうにその図を見ながら言い放った。