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選択死  作者: 雲散無常
第十章:事変
116/133

10-10


 その場所は簡潔に言えば地下牢だった。

 鉄格子は錆びつき、石床も苔むしているどころか土塗れで長年使われていないことが分かるほどの劣化が見られた。

 廃棄された収監所の一つだ。安全に作業ができる場所。

 第二王子に関係のある場所では露見する可能性が高いのは明白であり、できるだけそうした危険を回避した結果がこの場所だった。

 地上の入り口部分はとある農家の穀物庫で、持ち主もこの場所は知らないという。元々は警備隊の詰め所があったところを区画整理で潰した場所で、だからこそ今では誰も知らないまま放棄されたわけだ。

 なぜそれをモメンドが知っているのかは詮索しなくてもいいだろう。事情はそれぞれにある。

 ともあれ、つけられていないことを確認しながらクロウはここまでやってきた。

 予め光源もないことは知らされていたので、イルルが用意した蝋燭のみでまずは作業場所を確保することにする。

 埃っぽい空気が身体にまとわりつく。ラクシャーヌに風の魔法で空気を一新してもらった。幸い、通気口設備はあった。長年の塵芥で詰まっていたが、そこも同時に吹き飛ばしてどうにか普通に呼吸ができるくらいの空間に保つ。

 先にキヤス隊の方が来ていたら、どうしたのだろうか。いや、魔法を使える者もいるから大丈夫か。ちなみに、まだ向こうから連絡はない。イルルによると、よほど余裕がない限り直接現れる可能性が高いらしい。確かに悠長に通信するよりは、合流地点は分かっているのだから急ぐ方が効率的だ。

 成功したかどうかの報告が欲しいのはこちらの都合でしかない。信じて待つのみだ。

 「あの壁、大丈夫かえ……?相当脆くなっておるぞ?」

 ラクシャーヌが指差した土壁は、確かにひび割れの跡が顕著で頼りない。とはいえ、地下牢のどこでもたいして違いはない。

 「今日までこうして持っているんだから大丈夫だろう。今日に限って崩れるとか、よほどの悪運だろうよ」

 「あー、クロウよ。そういうことを言うと逆に招き寄せるものらしいぞ?おぬしの今の言葉で嫌な予感がぐっと増したのう」

 「いや、今のはお前が言わせたようなもんじゃねえか」

 理不尽な会話をしつつ、クロウは操体術の男を壁にもたれかけせた。まだ意識はない。ベルトで縛っているので目が覚めても何もできないとは思うが、大人しくしていて欲しいものだ。護衛の魔法士があっさりと自害したことを踏まえ、舌を噛み切るなどの暴挙に出ないよう猿轡も噛ませておいた。それ以外の方法があった場合はあきらめるしかない。

 肝心なのは邪魔されないことだ。

 「あの……何があったんすか?」

 後はキヤス隊を待つだけという準備が整ったところで、イルルが口を開いた。

 何のことかと一瞬思ったが、そういえばまだ状況説明をしていなかった。中で何があったのか、推測混じりの概要を語った。

 「なるほど……本命を偶然引いたわけっすか」

 「そうなるな。とにかくアテルのお手柄だ」

 予想外の事態にはなったが、結果的にアテルの踏ん張りでどうにかなったようなものだ。何か後で好きなものでも与えるべきだろう。

 「えっと、そうなるとあの二人が必要になるのでは?」

 「二人?」

 「巫女と王子っす」

 「おう……」

 素で忘れていた。ヘンリー二世とアネージャ。先読みの巫女の占いで、解呪に必要そうだということでついてきたのだ。おそらく、この場にいなければ意味がない。

 「呼んでくるっすか?」

 イルルにうなずくと、頼れる諜報員はすぐに飛んで行った。

 色々とまだ冷静になれていないようだ。クロウは深く深呼吸をする。

 それから改めてメモ紙を通読する。ノルワイダ側が用意した呪いの刻印への対処法だ。それに補足するようにオホーラが書き加えた解呪の説明書のようなもの。自分にそんなことができるとは到底思えなかったが、なぜかやるのはクロウ自身らしい。

 賢者のお墨付きと先読みの巫女の占いでゴリ押しされた。運命なるものは好きではないが、逆らえない流れには身をゆだねることも時には必要だと学んでもいる。やれるだけやってみるしかない。

 それからしばらく時間が過ぎてから、地下牢に誰かが降りてきた。

 警戒して身構えたものの、この場所を知っているのは身内だけだ。雰囲気からしても、敵対するもののそれではなかった。イルルであれば何か声をかけてくる。残る可能性はひとつ。

 「キヤスか?」

 こんな場で初対面とはおかしな話だが、今回の作戦上しかたがなくもある。

 「そうだ」

 短く答えた男は、誰かを背負っていた。包帯で顔を巻かれている。

 「怪我を?」

 「偽装だ。どこに?」

 キヤスの返答は短い。普段から絵で伝えてくるという話だ。喋るのは苦手なのかもしれない。

 クロウはを藁を敷いただけの簡易シーツを指差した。ここにまともなベッドなど用意はできない。

 そっとそこに横たえられた男が第一王子のようだ。無事に回収してきた手腕を褒めるべきなのだろうが、キヤスの方が何も言わないのでどう対応すればいいのか反応に困った。互いに無言で微妙な静寂が続く。

 ふとキヤスと目が合う。思ったよりも若い。いや、そう見えるだけか。背丈もそれほど高くなく、童顔なせいで朴訥な青年のように感じる。そういった狙いの装いなのかもしれない。とにかく何か話すべきか。何かを待っているようにも見える。

 「……互いに回収できて何よりだ」

 キヤスは一つ頷くが、その視線はまだクロウに固定されていた。表情を読むのは苦手だが、何か期待されていることはひしひしと感じる。だが、やはり分からない。何を言うべきなのか。だから、聞く。

 「何かあるのか?」

 「次の指示を」

 言われて気づく。打ち合わせは合流するところまでだった。キヤスはこの後の流れを知らない。説明しろということか。ずっとそれを待っていたのか。

 「ああ、すまない。これから解呪作業に入る。その間、周辺の警戒を頼めるか」

 「分かった」

 キヤスは入口付近に移動して壁に張り付いた。そこで警護してくれるつもりのようだ。命令を待ってたとは悪いことをした。自立した部隊の隊長だからもっと自由にやるのかと思ったが、指揮系統にはきちんと従うタイプのようだ。

 再び辺りは静かになる。クロウもキヤスも押し黙ったままだが、元々無口なのでその静けさは苦痛ではなかった。

 やがて、イルルが二人を連れて戻ってきた。いや、もっと人数が多かった。

 「途中で合流したっす」

 イルルの報告ではキヤス隊がほぼ揃っているという。一人だけまだ外で歩哨役をしているとのことだが、付近に今それらしい敵はいない。

 「んで、オレらを呼び出したってことはいよいよ大詰めか何かか?」

 ヘンリー二世が軽口を叩く。いきなり地下牢のような場所に呼び出されたにも関わらず、気にした様子はない。肝が据わっているのか能天気なのか。

 「主、どう説明したらいいか分からなかったっす……」

 イルルが小声でささやいてくる。呼び出しを頼んだが、どう言えばいいのかは特に指定していなかった。ノルワイダの機密事項を語るわけにもいかないので適度な情報しか渡せない。その辺りをまったくイルルと共有できていなかった。やはり色々と抜けている。

 クロウは己の非を改めて感じた。

 「すまない。後は任せてくれ」

 イルルにうなずいてから二人に向き合う。この場に至っては、ある程度は話す必要があるだろう。

 「これからあの男の解呪を行おうと思っている。あんたらの宣託がそれに関係しているはずだから、何か思うところがあったら言ってくれ。そのためにこの場に呼んだ」

 「解呪か、なるほど……」

 ヘンリー二世は顎に手をあててから隣の先読みの巫女アネージャを見る。

 「現時点で何かあるか?」

 「いえ。今のところは何も……」

 「ん、そうか?何かまだ言いたそうに見えるぜ?」

 「……わたし自身、まだよくわかっておりませんので」

 それからキヤス隊の面々に周辺の警戒を改めて要請し、イルルには助手として解呪の共同作業を頼む。といっても、特に何かをすることはない。もしものための補助員のようなものだ。基本的にはクロウ一人でやらねばならない作業だった。

 まったくの素人で初の試みだというのに、その対象が同盟国の第一王子とは常軌を逸している。今更それについて文句を言っても仕方がないが、目の前にすると考えずにはいられない。これが運命ならやはり、そんなものは好きになれないと思うクロウだった。

 「主、まずは何から試すっすか?」

 イルルの言葉で無駄な思考から我に返る。余計なことはもう捨てよう。

 「ああ、とりあえずは形状とか形態の確認だな」

 一般的な解呪とは何か。そのためには呪いとは何かという話になるが、詳細は省く。一口には言えない上、分類も定義さえも違うからだ。なんちゃって解呪士見習いのクロウの理解では、状態異常の魔法の一種を半永続的に受けることが呪いだ。

 そして、その呪いの魔法を相殺するのが解呪という行為だと解釈している。では、解呪は魔法なのかというとそれもまた様々な解釈がある。実際、解呪魔法というものも存在はするが、解呪の仕方は千差万別。必ずしも魔法のみが唯一の手段ではない。

 薬学、人体学、秘孔、果ては独自の解体術など鍵に至れば過程は何でもありだという。詰まるところ、その鍵を見つけて回せれば扉が開き、呪いが解放されるという仕組みだとオホーラは比喩で教えてくれた。

 だからクロウが今からやろうとしているのは、その鍵を見つける作業だ。

 包帯男もとい第一王子をうつ伏せにする。完全に昏睡状態なのでいきなり目覚めることはない。

 呪いにかかった人間には分かりやすい痕が出ることが多いという。その心当たりとして、まずクロウは第一王子の背中を確認した。

 「……これか」

 そこには痣のように青黒い何かが広がっていた。もちろん、単なる傷跡などではないだろう。魔力音痴でも分かるほど、異様な魔力を感じた。

 先読みの巫女の予見には『獄囚の背に刻まれし凶月』とあった。そのままの解釈で合っていたようだ。同時にやはり、アネージャの恐るべき能力を痛感する。彼女にはこれが既に見えていたということだ。スレマール王国が国を挙げて信用するわけだ。

 「呪印か。直に見るのは初めてだぜ」

 ヘンリー二世が興味深そうに呟く。イルルも真剣にそれを見つめている。

 だが、クロウは周囲の反応にかまっていなかった。

 集中してその何かに向けて手をかざしてゆっくりと動かす。オホーラによると、そうした呪印には核となるスポットがあり、その場所こそが鍵になる可能性が高いということだ。魔力に疎い自分で分かるとは思えないと言うと、賢者は首を振った。

 「おぬしにはラクシャーヌがおるじゃろう?役割分担で魔力方面を持っていかれておるようじゃが、本来はおぬし自身にも備わっておる。感じ取ることは十分にできるはずじゃ」

 そういうものらしい。ちなみに災魔は今クロウの中で眠っている。

 アテルが疲弊しているので一緒に休んだ方が回復が早いと言っていたが、本当にそうなのかは分からない。単に自分も寝たいだけかもしれなかった。どちらにせよ、必要な時には起こせるので問題はない。

 ずっと痣を見つめているせいか、その形の一部分がどこか月のそれに見えてくる。単に先読みの巫女の言葉に引っ張られているだけだろうか。

 この世界の月は空の源導者カエルムの第三の目とも言われている。昼間の光である太陽が通常の目で、夜はその目が閉じられるからだというのが通説だ。第三の目である月は補助的なものであり、だからこそ周期的に半開きや薄目となることがあるためにその形が変化するという説明がなされている。

 特に凶月というのは三ヶ月のような形のことを指し、この時期は良くないことが起こりやすいと信じられていた。

 そんな風説もあってか、第一王子の背中にその面影を無意識に探しているだけなのだろうか。

 手をかざしながら何かいい感じに感じ取れるものがあるのだろうと思っていたクロウだったが、先程から一向にその気配はなかった。手応えがなさすぎる。

 他の誰もが邪魔にならないように配慮して何も言わないまま、クロウの方をずっと見つめているのも少し気まずかった。焦りはないが、居心地の悪さは感じた。

 この方法はあきらめるべきか。何が正解で妥当なのか、それすらもクロウには分からない。闇雲に様々な方法を試すべきか、一つのやり方で試行錯誤を繰り返すべきか。いっそ、ラクシャーヌを起こして何かやらせるべきなのか。いや、頼り過ぎはよくないと決めたはずだ。

 もう少し自分一人で何とかする方がいい。

 思考がぐるぐると巡るものの、決定打はまったくなかった。気疲れとも言うべきものを感じ、一度仕切り直すことにする。姿勢を正して、上を見上げる。特にそこには何もない。辺り飴だ。ここは地下で、見えるのは仄暗い土の天井だ。せめて外なら気分転換にもなったのに、などとと思っていると、

 「あの、主、大丈夫っすか?」

 ふとイルルが声をかけてくる。

 「ん、何がだ?」

 「気づいてないのか?オマエ、さっきからクソデカ溜息ばかりだぜ?」

 「そうなのか?」

 イルルが頭を縦に振る。どうやら、うまくいってないことが丸分かりだったようだ。

 「まぁ、そう簡単にいかないことは分かってたんだろ?気長にやればいい」

 ヘンリー二世から慰められる。事情を知らない人間から言われると複雑な気分だった。逆に少し冷静になれた。視野狭窄になっていたかもしれない。

 とりあえず、色々と試すことから始めることにする。

 オホーラが一般的な優先順位的なものは教えてくれていた。それとノルワイダ側からの別紙を合わせて、想定される幾つかの方法を一つずつ試していく。すべてが初めてのことでそれが合っているかどうかも判断できないまま、黙々とその作業を続ける。

 何か変化が出れば、それが次の一手への取っ掛かりになるはずだ。流れ作業のように、淡々と工程が積み重なっていく。

 無心で続けた。何かが起こるはずだと。

 しかし。そう信じて試行してみた結果は全敗だった。驚くほど何も変わらなかった。どんな些細な気づきもなく、淡々と時間だけが過ぎていた。

 「……何も分からねえ」

 思わず呟いた言葉で、イルルが「え?」と固まった。

 「主、まさか万策尽きたんすか?」

 「いや、可能性が高いやつを試していただけだが……まるで反応がない」

 クロウのその言葉に沈黙が降りる。今回の任務の最終目標が目の前にあるのに、その最後の扉が開かない。このままではすべてが無駄になる。厳しい状況だった。

 と、小さなメモ紙が地面を滑ってくる。イルルがそれを取り上げて読む。

 「キヤス隊長からっす。『呪いを仕掛けた本人に聞けばいい』と」

 せっかくの助言だが、それができれば最初からしている。説明していなかったので、ここで伝えておく。

 「尋問方式は多分使えない。自害される危険性が高い。こいつは無傷でこのままあっち側に渡したい」

 自滅しようとする人間を完璧に防ぐ手立てはない。意識を失わせている間だけが安全とも言える。何より第二王子側にとってこのダパージ皇国の捕虜は貴重だ。失うのは痛手だった。

 「なら、予見を紐解くしかないな。『祓うべき間に鏡写しの蜘蛛の糸。断ち切らんとする一つと二つ。欠けても欠けることなかれ』そいつが当てはまるものが何かだ」

 先読みの巫女頼みだが、クロウ一人ではどうにもならないのなら利用することにためらいはない。

 ただ、散々それについても考えてはいた。それでも、何が該当するのか分からなかった。

 「何か考えがあるのか?」

 「さあな。ただ、もっと近くで見てもいいか?」

 遠慮して距離を取っていた王子は、クロウが一歩引いたところでその背中の痣のようなものをまじまじと見つめた。アネージャも同様だ。何も言わないが、じっと監察している。

 「……ふむ」

 腕組するヘンリー二世。難しい表情をしていた。

 「どうだ?」

 「うむ、さっぱりだな」

 「おい」

 「はっはっは。オレに期待していたのか?呪いを始めて見たんだぞ。分かるわけがない」

 ならばなぜ近くで見たいなんて言い出したのか。そう言いかけて、本命はそちらではないとクロウは気づいた。先読みの巫女だ。ヘンリー二世もそのために話を振っただけなのだろう。アネージャは未だに、じっと第一王子のカヤリスの背中を凝視していた。

 「……もしかして蜘蛛の糸とは――」

 その声が胸にすとんと落ちた。

 少しだけ鍵の輪郭が見えた気がした。


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