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選択死  作者: 雲散無常
第十章:事変
115/134

10-9


 それは唐突に瓦解した。

 身体が軽くなり、視界がブレた。様々なものが一気に体内へぶつかってくるような衝撃。

 その揺さぶりに耐えられずに酩酊したように全身がふらつく。当たり前の時間が戻った時、自身の感覚は未だ追いついていなかった。

 それでも状況は待ってくれない。

 ラクシャーヌの放った魔法が弾け、何やら複数の音が同時に重なって辺りに響いた。

 空間が元に戻ったのだ。時間もまた然り。

 一早くその状況に対応したのはクロウだった。その決壊を引き起こしたのだから当然ではある。

 違和感の残る身体に鞭打って目標の相手へと飛び込んでゆく。

 操体術の使い手であろう男はまともに立ってもいられない様子でふらついていた。もう一人の弟子らしき者に至ってはその場に倒れ込んでいた。

 魔法士の方に気を配っている余裕はない。そちらはラクシャーヌに任せてある。元々、そちらへ向かって魔法を放っていたはずだ。

 指示を出している暇もない。

 警戒したような反撃もなく、相手を叩き伏せる。文字通り斬るのではなく叩きつけた。まだ殺すつもりはない。無力化させることが目的だ。

 床へと身体ごと押し付け、腕をねじり上げて抵抗力を奪う。その間に弟子の方が何か仕掛けてくるかと思いきや、立ち上がった途端に逃げ出した。

 返し手でどうにか打ち倒す算段だったが、当てが外れた。見事な戦略的撤退だ。

 呆気に取られて初速も遅れた上に、不意に横手から何かが飛んできたので姿勢を寝かせてそれを交わす。

 護衛の魔法士がクロウを狙ってきたのだ。ラクシャーヌは何をしているのかと思えば、頭を押さえてよろめいていた。初撃の魔法を放った後から行動していないようだ。使えないヤツだ。

 ちらりと押さえつけている相手を確認する。呻き声も上げないと思っていたら、既に意識を失っていた。腕を掴んでいる必要性はない。

 標的を切り替える。

 護衛の魔法士は、再び杖に魔力か何かを込めているようだった。接近したことでフードの下の顔が見えた。皺が多い肌。鋭い眼光。この状況でも咄嗟に動けている。年齢で判断するなら歴戦の猛者のようだ。手強い。

 剣を拾い直してその懐へと飛び込む。魔法士相手に距離を取るわけにはいかない。

 相手もその不利を理解している。すばやく後方へと飛び退って間合いを取ろうとする。その動きは速すぎて人間離れしていた。風の魔法の高速移動だろう。

 剣先が届かない。もう一度その距離を詰めようとしたところで、ラクシャーヌがようやく動いた。

 「一匹逃げておるぞ?」

 「言ってないで、追え!」

 「わっはっは。無理じゃ!身体が痺れておる!」

 笑っている場合か。

 逃げた弟子らしき者は気になるが、今は魔法士の方だ。この間も次の魔法の準備をしている。一手一手が速い。その判断が、と言うべきか。後手に回らされている。

 クロウは魔法士に向かって移動するように見せかけて、ラクシャーヌの方に跳んだ。

 「動けないなら中に戻れ!」

 「ぬおっ!?」

 そのまま災魔を内部に取り込む。体内に取り込んでいると、クロウの身体能力は飛躍的に上がる。その状態でまた魔法士へと駆ける。

 再び距離を取ろうとした魔法士だったが、先程のようにはいかない。

 クロウの速度が段違いだったからだ。逃れられずに杖を振りかざす。クロウの一振りを防ぐつもりだ。通常であれば杖で剣を受け切れるはずがない。だが、魔法士はその杖に魔力をまとわせることで近距離の武器に対抗する強度を与えることができる。

 あくまで防御的な用途でしかないが、棒術のような武術を会得している者もいる。その類の敵だったらしい。クロウが捉えたと思った攻撃は、綺麗に逸らされていた。

 (用心するがよい。あれは見かけよりもっと手強いぞえ?)

 だったら、お前がもっと役立てと言いたかったが、頼ってばかりなのも違うなと思ってクロウは無言を通した。

 何にせよ、やることは変わらない。

 一閃を防いだ魔法士は油断なく警戒しながら次の魔法の準備に入っている。無詠唱ではなく、かなり簡略化されたものを使っている。クロウに通る魔法の威力を出すには、最低限その方法で出力を上げなければならないと分かっているのだろう。

 小刻みに動きながらも、小声で唱え続けている。それを黙って許すわけにはいかなかった。

 再びフェイントを織り交ぜて肉薄する。右と見せかけて左に回り込み、背後を取る素振りで敢えて正面を選んだ。

 相手は手練れとはいえ魔法士だ。近接戦闘における分はクロウにある。

 その目論見は功を奏し、完全に翻弄された魔法士は魔法詠唱を乱された挙句、クロウの攻撃への対応が遅れた。

 殺すつもりはなかったのでその脇腹へと突きを繰り出す。速さを優先した結果だ。しっかりと手応えがあった。そこから外側へと横っ腹を引き裂く。

 「ぐぶっ……」

 魔法士は片膝をつきながら、とっさに魔法を放つ。電撃のような光が走った。本来は一直線のものだろうが、乱された結果小枝のような不規則なものとなって広範囲に広がっていた。それでも、クロウには届かない。既にその方向にはいない。

 再び背後に回り込んでその首を腕で締め上げる。

 「これ以上抵抗するな。素直に答えれば、命までは取らない」

 かもしれない、と続く言葉の本音を隠して相手に告げる。

 勝敗は決した。そう思ったのだが、相手は隠し玉を持っていた。不意に足元からの異様な気配を感じて飛び退る。

 目の前にいきなり鋭角で巨大な針の群れが現れた。土槍だ。魔法士は自分ごと、クロウを突き刺そうとしていた。

 (ふん、諸共自害しようとしたようじゃな……人間にしてはあっぱれじゃ。潔いではないか)

 「……何者か分からなくなっちまった」

 魔法士の身体はいくつもの針に貫かれ、文字通り粉々になっている。骨までも貫通したのか、グロテスクな肉塊とかつて人間だった残滓が風で吹き飛んでしまうぐらいだった。決して敵の手には落ちないという強い意思表示。やはり判断が早い。覚悟が決まりすぎていた。

 (名のある者であったのやもしれぬな。アテルを半ば止めたほどの魔法の使い手じゃ)

 「そうだ。そのアテルはどうした?無事か?」

 (うむ。今、散らばった自身を集めて収束しようとしておる。というか、おぬし何をした?あの状況を打破したのはクロウなのであろ?シロの気配を一瞬感じたように感じたんじゃが……)

 「俺にも正直良く分かってないんだが――」

 クロウは思いついた策をラクシャーヌに説明した。

 時間が停滞した、というよりひどく遅滞していたあの状況を打破するために何かできるか考えたとき、アテルとどうにかして連絡を取る方法があれば何とかできるのではないかと考えたこと。そのためにあの場にいなかったラクシャーヌの残りの眷属であり、クロウの内部に共存できるシロに目を付けたこと。

 あまりにも距離が離れていたが、必死に呼びかければつながるのではないかと試したこと。その結果なのか、連絡が届いたと思われた矢先に時間が元に戻ったこと、などだ。

 既にシロの気配は感じられないことで結ぶと、ラクシャーヌは「うむむ……」とうなって黙り込んでしまった。

 説明になっていないような説明なので無理はない。実際、何が起こったのか、どういう現象だったのかはクロウにもさっぱり分かっていない。

 それでも無理やりに推測するならば、アテルとの道を強引に開いた結果、時間停滞状態のようなあの現象に楔を打ち込めたのではないかと思っている。状況に変化をもたらせたという意味だ。その道というのが、いわゆるクロウやラクシャーヌたちのつながりだ。体内へ収納可能なほどの共同体意識、強く互いに結びついている関係性だった。

 それが一時的に断たれていたため、元に戻ろうとする復元力のようなものが働いた。その際に阻害していたものが破壊された。そんな風に解釈はできる。

 補足としてラクシャーヌにその推理も告げたが、「違うじゃろな」と即否定された。

 (わっちとおぬしは呪いで結びついておるが、わっちと眷属とは契約のようなものじゃぞ?まったく形態が異なる)

 そうなのか。クロウには違いがあまり分からなかった。

 (じゃが、シロとアテルとの間におぬしの言う『道』ができたという部分については無理筋でもなさそうじゃ。そこでつながった結果、アテルの拘束が解けたのは間違いではなかろう)

 「拘束?」

 (正確にそういう状態だったかは分からぬが、あの魔法士が干渉してアテルは身動きの取れぬ状況にあった。わっちはそこへ横槍を入れられんかったが、シロめはどうやってか、それを可能にしたのじゃろ。何にせよ、あそこで伸びている者をどうにかするのが目的であろ?今はそちらを優先した方がよい)

 アテルが無事ならばその通りだ。

 一人既に逃していることも含めてここからどうするか考える。

 気絶させた男が操体術の使い手かどうか魔法士に確認したかったが、もうどうしようもない。本人を起こして問い質しても素直に答えそうもなかった。護衛のあれほどの覚悟を見せられたのだ。楽観視はできない。

 もうそういう前提で動く。迷っている暇もない。

 まずはイルルにキヤス隊への合図を送ってもらわねばならない。操体術の使い手を捕らえている今、第一王子を回収する絶好のタイミングだ。同時並行の片方をほぼ終わらせてしまった形だったが。

 「主!大丈夫っすか!?なんかいきなり見知らぬおっさんたちが出てきて……」

 丁度良くイルルが現れた。ともかく骨笛でキヤス隊への作戦決行の合図を送ってもらう。

 「第一王子の方はこれでいい。で、外で何かあったのか」

 「ダパージの連中かは分からないっすけど―ー」

 クロウたちが部屋の中に入った後、イルルは周囲を警戒して入口付近で待機していた。

 特に何も変わったことはなく、時間だけが過ぎた。それからどのくらい経ったのか、あまりにも変化がないことにイルルが不安を覚えた頃、突然真っ暗だった壁が消え失せた。

 同時に何か争う音も聞こえてきた。部屋の中に向かおうとするイルルだったが、その時背後に急に人の気配がしたという。

 振り返ると、見知らぬ男たちがなぜか数人床に転がっていた。その手足の一部には、あの黒い壁と同じようなもやがかかっていたという。男たちは一様にうめいており、辺りは一瞬にして騒がしくなっていた。いつのまに現れたのかイルルは混乱しながらも、念のため気絶させて回った。その間に、黒いもやも薄れて消えた。

 「黒いもや?」

 (ふむ、なるほど。それはおそらくアテルの一部じゃろうな。不意に干渉されたことで空間を覆う一部が飛び火したのやもしれぬ。そしてそのせいで、その者たちは一種の空間の狭間に閉じ込められ、クロウが解き放ったことでこちらへと戻ってきた、といったところか。ゆえに、いきなり現れたように見えたということじゃ)

 「そうか……アテルが絡みついてたみたいなもんか」

 「え?どういう……」

 「説明は後だ。こっちは操体術のヤツを確保した。すぐ移動する」

 空間の狭間とか恐ろしい推論が飛び出してきたが、かまっている暇はなかった。今は操体術の使い手を予定の場所へと連行し、キヤスが第一王子を攫ってくるのを待つ。突発的に始まったが、そのための計画も準備もここまでしっかりとしてきた。既に幕は上がっている。進行しなければならない。

 操体術の使い手を縛るものを探したが見つからないので、転がっていた人間のベルトを拝借して手足を縛った。まだ意識を失っているが念のためだ。

 イルルは疑問を飲み込んでクロウを手伝った。

 逃げた一人については潔くあきらめることにした。弟子で予備だという推論を信じて、障害にならないと判断する。

 「アテルの様子はどうだ?」

 「ふむ。ちょっと待て」」

 ラクシャーヌに尋ねると、腹の中から上半身を出して災魔が手を伸ばす。

 次いで、何か良く分からない所作を繰り返した。更に少し経つと、その手に黒い何かが集まり出した。アテルを引き寄せているらしい。そんな真似ができるのか。

 クロウは黙ってそれが終わるのを待った。集中しているようなので邪魔しないためだ。かつて質問して怒られた経験がある。

 分からないことは聞くのが一番だが、時と場合を見極める必要があることも学んでいた。

 やがて黒いもやの収束が終わった。

 「ふむ。ほぼ集まったようじゃな?」

 「はいです。助かりましたなのです」

 久々に聞くアテルの声だった。いつの間にか、ラクシャーヌの掌の上に黒い卵が乗っかっている。

 「もう大丈夫か、アテル?」

 「ご主人様、ご迷惑おかけしたのです。ごめんなさいです」

 ぺこりと卵がおじぎをする。明らかに声に張りがない。疲弊しているのだろう。いつもはもっと元気が良かったはずだ。いつものエプロンドレスの服も着ていない。裸だ。いや、アテルに裸の概念はあるのだろうか。今はどうでもいいか。

 「謝る必要はない。無事ならそれでいいし、今はここを離れるのが先決だ。中に戻って休め」

 「はいなのです!」

 聞きたいことは色々あれど、優先順序を間違えるわけにはいかない。

 操体術の男を背負って、倉庫らしき場所を後にする。

 周囲に自分たちを見張っている目がないかイルルに確認させつつ、集合場所へと走る。

 屋内だったためか、あの場の戦闘でも外では騒ぎにはなっていなかったようだ。

 今のところ不審な気配はない。

 計画通りならば、これから第一王子の解呪的なことをしなければならない。その安全確保のためにもつけられるわけにはいかなかった。

 細心の注意を払いながら移動する。

 その間にも、アテルに何があったのか確認した。

 結論的には、ほぼラクシャーヌの推論通りだった。怪しい男たちが一室にしたので、とりあえず場所ごと封鎖してラクシャーヌに連絡を取ろうとしたところ、その過程で護衛の魔法士の魔力が抵抗というより浸食に近い形でアテルと衝突。その余波で空間がねじれた状態で固定化。異常に気づいた男たちが部屋に近寄ってきたことで、アテルの一部はそちらも取り込もうと自動でとりついた、とそういう流れらしい。

 アテル自身もなぜあんな停滞した状態になったのかは分からず、自身でどうにもならない状況に陥っていた。ラクシャーヌとも連絡が取れず、いよいよ困っていたところへ突然シロの手が伸びてきたという。それは実際にシロの物理的接触があったということではなく、アテルの感覚の話だ。

 ラクシャーヌが直接触れても何も反応がなかったのに、シロで変化が起こったのは、やはり奇妙な状態で空間が現実と切り離されていたからだと思われた。ラクシャーヌとクロウはその内部に入り込んだはずだが、本質的にはまだ外側の中というややこしい状況でアテルとの道がつながっていない状態だった。

 しかし、シロはクロウを通じて外側の中から更に中へと辿り着いたということだ。多重構造過ぎてややこしいが、より内側からアテルへとつながったために、空間の決壊を引き起こせたというのがラクシャーヌの推測で、アテルも「そんな感じだと思うのです」とふわふわとした答えだった。

 いずれにせよ、前例のない体験だったので正確な解答はおそらく見つからない。

 クロウはせいぜい、後でシロに礼の一つでも言っておこうというぐらいの感想しか抱けなかった。それほど不可解な現象だった。

 ちなみに、部屋の外にいた連中はダパージ皇国の人間ではなく、雇われ傭兵の類かもしれないとのことだ。アテルが盗み聞いた会話からしても、たいしたものはなかった。

 ただし、護衛の魔法士は大分毛色が違って、操体術の使い手と共に後ろ暗いことをしてそうな雰囲気があったとアテルは感じたという。

 「悪いやつのにおいがしたのです」

 魔物が言う『悪い』という感覚が分からないし、当てになるのかどうかは疑問だった。だが、少なくともその怪しさをラクシャーヌに確認しようとしていた。総じて、今回の件はアテルが失敗したわけではない。不幸な事故に近いものだ。結果的に、操体術の使い手を捕縛できたので悪くもない。

 「わっはっは。何にせよお手柄じゃ、アテル」

 と災魔は眷属を労ったが、よくよく考えるとラクシャーヌ自身は何もしてなかったのではないか、とクロウは少し訝しんだ。

 敢えて言葉にしなかったのだが、半分ほど以心伝心で伝わってしまう関係性が災いして「色々頑張ったじゃろうが!」と中から蹴りを入れられた。

 短期は損気。内部にいたため、そのダメージはラクシャーヌ自身にも反映された、どころかアテルへも伝播した。

 「おうふっ!?」「あいたっ!?」「っ痛!」

 三者三様にうめいて、クロウは足を止める。

 「主、何かされたっすか!?」

 急に立ち止まるクロウに駆け寄るイルル。内部事情など知らないので、敵の奇襲かと周囲を警戒していた。

 「いや、何でもない。腹痛みたいなもんだ」

 「……りょ?」

 クロウの任務の第一段階はなんとも締まらない終わり方であった。


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