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選択死  作者: 雲散無常
第十章:事変
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10-8


 キヤスはその音で仮眠から目覚めた。

 骨笛の合図だ。

 通常の鳴らし方ではない。今回の任務でのみ特殊な意味を持つ符丁。

 近くで見張りをしていたと思われるジュリナが近づいてくる。

 「即時実行の緊急連絡ですね。もう全員配置につくように動き出してると思います」

 「……行くぞ」

 短く一言。

 それですべてが動き出す。準備はできている。完璧には程遠いが、期限付きの任務ではいつものことだ。どれほど計画しようと準備は準備に過ぎない。

 本番はいつだって唐突に始まり、予想外の出来事で満ちている。

 計画や予測はあくまで精神的な前哨戦だ。真に大切なのは常在戦場の心構え。やるべきことを最後までやり遂げる意思。その時が来たなら、後はやり通すだけ。

 キヤスに迷いはなかった。向こう側がどういう状況であれ、己の職務を全うするだけだ。余計なことは考えない。

 拠点を出て監視ポイントに向かう。今夜のシフトはヤンだったはずだ。

 闇の中を駆け抜けながら、まだ夜半前だと推測する。普通の歓楽街がそろそろ寝静まる頃。理想の時間帯にはまだ早い。

 それでも、最悪の時間でもない。星明かりもほどほどだ。人目を避けながら疾走。気になる視線はなし。緊急実行のトリガーは、少なくとも周辺での突発的な騒動に起因するものではないようだ。何かの便乗が濃厚な線だと思っていたが当てが外れた。

 程なく到着する。暗がりの中からすぐさま反応があった。

 「隊長。いくっすか?」

 ヤンも無駄口は叩かない。もう新人ではない。やや緊張している素振りだが、問題ないだろう。

 「トーリとノゥバから連絡は?」

 ジュリナの問いに「既に配置についてるっす」とヤンが答える。

 任務には部隊全員が必要だ。少数精鋭とは誰一人として遊びがないという意味でもある。

 計画ができた時点で、いついかなるときにでも始められるようになっている。もはや確認は必要ない。

 「キヤス隊、任務を開始する」

 決まり文句を告げ、短く骨笛を吹く。露払いはトーリの役目だ。同時にノゥバへの合図だった。

 想定時間を待って、ひっそりとキヤスも動く。

 第一王子までのルートは頭に入っている。今回の標的確保には非接触条件がない。初めから終わりまで誰にも見られずに決行しなくてもよいということだ。邪魔者は排除してもいい。止むを得ない場合の殺しも許可が出ている。

 その点では楽だ。かといって、殺しは余計な障害も作ることになりかねないので避けるに越したことはない。

 トーリがうまくやるだろう。攻撃担当の仲間は粗削りでも、その辺りのセンスは抜群だ。

 それに障害となる衛兵関連はこの手の護衛としては驚くほど少ない。練度についても十分対応可能な範囲だ。脅威度は低い。

 行きに関しては心配はなかった。想定では楽に標的までたどり着ける。

 問題は帰りの方だ。

 指定された合流場所に標的を送り届ける際、決して追手にその場所を特定されてはならない。追跡を確実にかわす必要がある。陽動は用意してあるが、それで足りるかどうか。

 どちらにせよ、速度が重要だ。どんな工程も素早く終わらせ、その場を去る。それが肝だ。

 トーリが手順通りに道行の衛兵を昏倒させて突き進む。奇襲はキヤス隊の得意とするところだ。それに特化しているとも言える。十八番でしくじるわけにはいかなかった。

 ここまではまったく問題ない。予定外の登場人物はおらず、無駄に騒ぐ動物類の乱入もない。

 あっという間に監視していた標的の居室へとやってきた。

 トーリが扉越しに最後の確認。既に部屋の前の歩哨役は無力化している。正面のみ見通せる廊下でも、死角は必ずある。特に怠慢な職務態度の見張りなどは視線が固定されていないので、その隙をつくのは容易だった。

 現在の部屋の中は第二王子のみ。この時間は既に就寝していることも監視で分かっている。

 「隊長」

 トーリが短くささやく。ここからはキヤスの出番だ。

 といっても、たいした作業ではない。眠っている標的を騒がれないように昏倒させ、背負っていくだけだ。

 状況を説明して自ら動いてもらう方法もあるが、標的の精神状態が不明だった。監視している間も、たいした会話は聞こえてこなかった。事前情報では、薬か何かでまともに思考させない状態にしている可能性もあるというか、ほぼそのような不安定な状況だろうという前提だった。実際そうなのだろう。確認して状況説明している暇はない。

 キヤスは扉の鍵を開けてするりと中に忍び込んだ。たいした錠前ではない。針金一本で事足りた。

 間取りは把握している。標的はベッドで安らかに寝息を立てている。

 すぐさまその傍らに移動。昏睡するツボを一突き。より深い眠りに入ったことを確認してから、頭や顔を包帯で覆って人相を見えなくする。背負っている姿を見られた場合でも、誰か分からなくするためだ。寝間着も当然着替えさせる。

 意識のない人間に服を着させるのは難しいのだが、この手の任務ではよくあることなのでキヤスには苦ではなかった。その際に、標的の背中に奇妙な文様を認めるが、気にせずに背負った。時間に余裕はない。

 必要な偽装を施してから負ぶって部屋の前へと戻る。

 「第二フェイズに移行」

 トーリが短く宣言して来た道を逆行し始める。

 その頃にはどこからか流れてきた煙が辺りに充満していた。

 ノゥバが仕掛けた火事の影響だ。近郊の空き家を燃やして陽動と同時に、こちらの目くらましのための煙を誘導させている。自然発生の分だけでは足りないので、ヤンが煙玉で増加させている。火事はこれをより不自然に思わせないための布石でもある。

 逃げる際に見咎められても、倒れた人間を外に運んでいるだけだと言い訳が立つ。目撃されない前提ではあるが、すべてに目が行き届くわけではない。

 ピーっとどこかで警笛が鳴り響いた。火事に気づいて警備隊が動く頃だ。

 「こちらを注視する目はなし」

 ジュリナの状況報告。気配に敏感な彼女の察知能力は部隊随一だ。広範囲で自身に対する注目度を感じ取れる。ネガティブな能力だろうが、隠密行動する際には貴重な才能だった。

 敵の増援は未だないようだ。トーリの障害排除が的確だったという証左。このまま行けば予定通りに届けられる。

 そう思って現場から遠ざかろうとした瞬間。

 「不審な敵影が三つ。東西の屋根上と後方」

 ジュリナからの鋭い警告。先程とは真逆の報告。一歩進めば状況も変わる。急展開には慣れていた。

 「完全捕捉か?」

 まだ煙幕の有効範囲内だ。この状態ではっきりとこちらの位置がバレているか否か。それが重要だ。

 「……いえ、おそらくは方向範囲のみですね」

 ジュリナの返答に素早く指示を出す。

 「トーリとヤンは任意遊撃。俺たちは移動して状況確認。ジュリ……ごほっ!!」

 キヤスはむせた。久々に長く言葉を発しようとしてせいだろう。普段から声を出さなくなった弊害だ。

 「私が確認ですね、了解」

 一方で、そういうところまで察してくれる仲間は貴重だ。キヤスはうなずいて、すぐさま移動を開始する。

 トーリたち二人も散開した。やるべきことは皆すぐに分かる。連携の取れた部隊の利点だ。細かい指示はいらない。

 現場からここまでの間で目撃された覚えはなかった。ならば、敵はどうしてこちらを感知したのか。標的に何か仕掛けがあったのだろう。身体の奇妙な紋様が頭をよぎる。捕捉されるパターンも想定済だったので動揺はない。ここからはそのパターンのどれがに該当するか絞り込む。

 煙幕の外まで走り抜け、建物の陰に滑り込む。

 ジュリナもその隣に駆け込んできて、やや上空を振り仰ぐ。周辺の気配を探っているときの姿勢だ。余計なことは一切言わずに待つ。

 「……敵はこちらを見失った模様。有効範囲があるのかもしれません」

 距離が関係していることは想像に難くない。このまま手早く逃走すれば追跡は間逃れるだろう。だが、それでは足りない。

 合流地点付近を捜索された場合、近くを通りがかっただけで露見するようなことはあってはならない。予定ではこの後、標的を通常に戻す作業が行われる。その際に邪魔が入るようなことは許されない。居場所を特定される危険はできるだけ減らすべきだ。

 相手がどの手段でこちらを捕捉しているのか。突き止めておかねばらならない。

 「魔力障壁を展開」

 キヤスは次の段階へ進んだ。ジュリナは説明せずとも心得ていた。再び、敵と思しき者たちの動向へ集中する。

 しばらく無言でその場に留まる。背中の標的は未だに眠りの中で変化はない。それは悪くない兆候だ。さらわれたことが露見しているなら、例の操体術とやらで勝手に動く可能性もある。意識がなくともできるかどうかは不明だが、最悪の想定は常にしている。

 その意味では、今の追手は確信があってキヤスたちを追ってきたわけではないのだろうか。いや、それもおかしい。

 少なくとも標的の何かを感知して追跡してきたはずだ。何かが噛み合わない。

 「……追手の挙動が慌しくなりました。更に明後日の方向へ向かっています。ちなみに、一人はトーリがおそらく襲撃して無力化していますね」

 魔力による探知軽減は有効なようだ。ならば、どうにかなりそうだ。

 「単独で合流地点へ向かう。トーリとヤンに今の追手が何者か探らせろ」

 「え……あ、了解です」

 一瞬間が空いたのは、ジュリナもキヤスに同行したかったからだろう。当初の予定ではそうなっていた。実際、安全確保に彼女の気配察知は役立つ。

 しかし、今優先すべきなのは敵側の奇妙な違和感だ。こうした予感は放置しておくべきではない。

 一人でも標的を合流地点へ運ぶことは可能だ。周囲からの監視の目にもある程度は対応できる。山場は既に過ぎた。後は任務を完了するまでだ。

 キヤスは音もなくその場を離れた。 




 その存在をまったく失念していたのはミスとしか言いようがない。

 操体術の使い手ばかりに注目して、護衛の存在を考えなかったのは油断だった。

 いくら巧妙に潜んでいたとしても、貴重な人材の側にそれを守る者がいないはずがない。いや、分かってはいた。護衛がいることは想定はしていたが、その強さを見誤っていたと言うべきか。それほどの脅威だと計算していなかっただけだ。

 あるいは自己評価が高すぎたのか。知らずに傲慢になっていたのかもしれない。

 ラクシャーヌに続いて飛び込んだ部屋の中には奇妙な光景が広がっていた。

 まず見慣れた災魔の姿がなぜか空中に浮かんでいた。

 本来のラクシャーヌなら飛行魔法は使えるが、クロウと同化してからは不可能となっているはずだ。数秒なら可能だが、魔力消費が激しすぎて現実的ではないとのことで封印している。だというのに浮いている。

 いや、それを言うならばクロウ自身も何かがおかしかった。

 勢いよく飛び込んだはずなのに、視界が一向に変わらない。周囲を一瞬で確認したつもりが、そこから先に進まない。

 完全に停止しているわけではなかった。まるでスローモーションのようにゆっくりと動いている。

 (何が起きてる?ラクシャーヌ?)

 呼びかけるが返事がない。いや、何か聞こえる。「わーーー」と言うような一音が長く続いている。ふざけているわけはない。状況に思い当たる。声も引き延ばされているのだ。

 何がどういう経緯でそうなっているか分からないが、推測するにこの部屋の時間すべてがひどく停滞しているようだ。

 思い当たるのはアテルの能力。それに何かが干渉して想定外の事態となっているといったところか。

 原理はどうでもいい。誰かがアテルを阻害している。それが重要だ。

 改めて視界を確認する。ラクシャーヌに気を取られたが、その前方に三人の見知らぬ人間がいる。二人は平民以上貴族未満といった装いの服装で、採り立てて特徴はない。いや、よく見ると両腕になかなか太めの腕輪をしている。その装飾は遠目にも精緻な紋様具合で豪奢に映った。

 一品物の高価そうなものだ。魔道具の類だとすれば、操体術の使い手だろうか。それでアテルが偵察ではなく捕獲に移行せざるを得なかったという流れなら合点がいく。当たりを引いてしまったということだ。内一人はまだ子供か成年したてといった童顔だった。顔立ちだけで判断すべきではないが、体格もまだ幼い。師と弟子といった関係がしっくりくる。

 残る一人の男は分かりやすい恰好をしていた。明らかに魔法士だ。杖を持ち、顔をフードで覆い、膝下まで長い典型的な魔法着で何やら魔法を発動したようなポーズで止まっている。、アテルに対抗している魔法か何かが正にいま詠唱されているのかもしれない。

 ならばクロウが取るべき行動は一つ。その魔法士を打ち倒すことだ。

 だが、身体は動かない。否。動いているがあまりにも緩慢で進まない。

 一体いつからこの状態なのか。こうなったからには、アテルの空間封鎖を解いてもらった方がいいが、その連絡手段がない。いや、この場でなら届くのだろうか。思考がまとまらない。

 違う。さっきはラクシャーヌの声が聞こえた。互いに通信はできている。その時間も長いだけだ。クロウの言葉も同様に間延びしている可能性が高い。

 これではアテルに声が届いても意味が通じない。内部のやり取りですらこれでは絶望的だ。

 アテルもラクシャーヌも既に外に出ている状況では、打つ手がないかように思えた。

 ん、待てよ?ここに入るまでラクシャーヌとは普通に会話していた。この部屋でのみ影響が出るなら、この場にいない者ならまだ希望があるか。ココとシロが脳裏をよぎる。今回はシロだ。ココはクロウに取り込むことはできないが、精神体であるシロは普段クロウ内部にいるとも言える。

 そして彼らはラクシャーヌの眷属だ。つながりは明確に存在する。とはいえ、ココたちはベリオスの町にいる。あまりにも距離は遠い。

 それでも賭けるしかないか。シロからアテルに連絡を……いや、ダメだ。さっきまでラクシャーヌの呼びかけにアテルは応えられていない。そのやり方に意味はない。

 だが、本当にそうか。ここでシロに連絡がつくなら、ラクシャーヌとアテルとはまた別の現象になるんじゃないのか。

 思考が堂々巡りになる。

 視界は未だ動かない、ように見えてただゆっくりと過ぎてゆく。操体術の使い手らしき者の冷静な表情が印象的だ。弟子であろう方は明らかに驚いているのと対照的だった。

 そこではっと気づく。キヤスに連絡を送るべきだ。目の前の相手が操体術の使い手であるなら、今こそ第一王子を回収する好機だ。同時進行が必須条件。

 ここで無駄に時間をかけている暇はない。やれることはとにかくやるべきだ。

 (シロっ!!!聞こえるか!?今すぐ応えてくれ!!!)

 ありったけの気持ちを込めて呼びかける。

 反応はない。やはり遠すぎるか。しかし、あきらめきれない。もう一度繰り返す。

 待つ。

 何も変化がなかった。ダメか。

 そう思ったとき、ラクシャーヌの視線がこちらに向いた気がした。いや、気のせいだろう。災魔の顔が見えているわけではない。

 万事休すか。

 この緩慢な時間の中で仕掛けるしかないのか。そう頭を切り替えようとしたとき、身体の中に何かを感じた。ひどくゆっくりとだが、熱気のようなものが体内で込み上がってくる。それが何なのか理解できなかったが、クロウは今一度シロを呼んでいた。無意識の条件反射のようなものだった。

 すると、はっきりとその声が聞こえた。

 (……長……殿?) 

 クロウをそう呼ぶ者はたった一人しかいなかった。


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