10-6
「で、準備は整ったのか?」
ノルワイダ王国の王都ワンダールに来てから早三日。いや、まだ三日というべきなのだろうか。
クロウは潜伏先の宿屋でキヤス隊の報告をイルルから受けていた。
本当はジュリナがすべきところを、未だにクロウに面と向かってはできないという内気さのせいでイルルが仲介している。二度手間でよろしくないと思うが、仕事内容に関しては優秀なので性格的なものは容認して自由に任せるしかない。
「最低限の経路確保と理想プランの確立はできたらしいっす」
「理想プラン?」
「要するに希望的観測に基づいた計画ならうまくいくって話っす。普通はこの段階じゃ実行に移さないっすけど」
イルルの説明は分かりやすい。
「今すぐやれって場合には、一応動けるようになったってことか」
時間が肝になっている今、いざというときには無策でも突入しなければならない状況もあり得た。最低限の筋道ができたことは僥倖だろう。
「本来なら標的とその護衛の行動パターンを最低でも一巡りは確認するっす……でも、そこまで待てないっすよね?」
「待てなくはないが……第二王子側の睨み合いもいつまで続けられるか微妙だがらな。その理想プランで賭けに出ることも真剣に考える必要はある。具体的な方法についてはまとまっているのか?」
「いま詳細を詰めてるから、今夜辺りには用意できるっす」
「そうか。けど、それとは別にやらなくちゃならないことがあるってのは、例の操体術の方だな?」
今のはあくまで第一王子カヤリス奪還の話であり、それに付随する最大の問題があると聞いていた。
「そうっす。第一王子を操っているダパージの人間を特定して、同時に拘束するのが重要っす」
カヤリスを無事に拉致して来ても、運搬中やその後の工程の中で無理やり操体術で動かされると厄介なことになる。目視できる距離という条件があるようだが、標的を監視する役が中継すれば操る側がどこにいようと理論的には可能だと推測されている。
ゆえに、操体術を行う人間、操術役を無力化する必要がある。中継する方を潰せばいいとも思ったが、一時しのぎにしかならないという判断だ。根本的な脅威を取り除かないと安心できないという理屈は納得がいく。
「で、そっちの方がまだ不十分だというわけか」
「三日で奪還する目途を立てただけで驚異的な速さっす……」
イルルの指摘は正論なのだろう。今回の奪還任務における標準的な期間の基準がクロウにはないため、何が当たり前なのかすら分からない。普通に報告書でできていることだけを考えると、その過程にどれほどの困難が伴っているのか理解できないため、結果だけを見て判断してしまう。
本当はもっと時間がかかるものだと言われても、こうして成果が目に見えてしまうとたやすく感じる。それもあって実務体験もするつもりだったのだが、邪魔になるから遠慮してくれと断られていた。
言い分はもっともなので引き下がったが、現状は色々と板挟みになっている。経験不足のままでの判断は難しい。あちらを立てればこちらが立たず、だ。人を使うことの難しさを改めて思い知る。
「そうなんだろうが、実感がまったくなくてな。とにかく、操術役の方の進捗はどの程度なんだ?」
「えっと、ちょっと待ってくださいっす」
イルルは屋根裏へと素早く消えた。
どうもそちらにジュリナがいるらしい。相変わらずクロウの前には姿を見せていない。かろうじて気配が分かる程度だ。どれだけ隠密技術が高いのか。
クロウは水差しからコップに水を注ぎ足して喉を潤す。
ここ三日でほとんど何もしていなかった。
第一王子のカヤリスを拉致する計画の重要なポイントは二つ。王子そのものの奪還と、操術役の制圧だ。前者は現段階でどうにかなりそうだという状況だが、後者がまだ不確定すぎるとのことだ。そもそも、その役割の人間が一人とも限らない。特殊な技能であるゆえに多くはいないだろうという推測があるだけだ。
それでもバックアップを含めれば最低二人体制を見積もるべきだというのがこちらの見立てだった。たった一人という可能性も十分あり得るのだが、楽観視は危険だと考えている。
かといって、そのすべてを特定できるのかというのはまた別の話だろう。現状、その一人でさえ掴めていない。
相手が分かれば、クロウ自ら捕縛しに行く予定だ。そのために単身乗り込んできた。第一王子を取り戻す役割には、潜入技術が足りないという判断でもある。そこはやはり諜報の専門家であるキヤス隊に任せる方がいいという結論になっている。
強行突破もありならば問題なく遂行できると自負しているが、秘密裏に事を運ぶには少し荷が重いのは確かだった。露見した場合には操体術でも抵抗される。その保険も兼ねての同時進行の制圧が必須となっている。どのみち、解呪する間も操体術を使われるわけにはいかない。やはり、不安の芽は排除すべきだ。
「主、お待たせっす」
イルルが確認したところによると、操体術の使い手の居場所候補は三つほど見つけてはいた。ただ、そのどれにも確信はなく、下手に確認を急げば見つかって移動されたり警戒されるので慎重に動く必要があるという話だった。
自ら偵察に行って確かめたい気持ちもあるが、それで勘づかれて台無しになってはキヤスたちに申し訳が立たない。一方で、時間もない。最悪の場合はそれでもやる必要がある。いっそ、先読みの巫女に占ってもらうことも考えたが、占いというものはそういう局所的なものに使える便利グッズではないと釘を刺されていた。テオニィール辺りならやってくれそうな気もするが、信憑性が低くなって結局意味はないか。
かくして、ただ待っているだけという微妙な時間をクロウを持て余していた。報告も終わり、今日の予定は未定だった。
「暇だな……」
「あの二人も同じっすよ?」
同様な状態をスレマールの二人に強いていることを思い出させられる。
先読みの巫女の能力で何か重要な役割があるという話だが、今のところその兆候は何一つ見られない。あちらも手持無沙汰になっていそうだ。しかも、状況すらほとんど分かっていない。それから比べればマシな方か。いや、比較するものではないか。
そんな風に思っていると、部屋の外に誰かの気配がした。
イルルが素早く動いて警戒を強めたが、すぐにその手に何かを持って戻ってきた。
「連絡みたいっす」
ドアの下の隙間から差し込まれていたらしい。差出人の名前はないが、事前に決めていた小さなマークが一つだけ描かれていた。それで十分だ。
この宿は第二王子側が手配してくれた場所ではあるが、店側はこちらの事情をまったく知らされていない。いざというときに無関係だと巻き込まないための処置であり、ベリオスとのつながりの痕跡を残さないためでもある。その辺りは徹底されていた。
だからこそ、ワンダールに入ってからもまったく第二王子側とのやり取りはなかった。
どこかでこちらを監視して状況は見ていたはずだが、一切の接触はなかった。ここでわざわざ連絡してきたのは何か緊急事態かもしれない。
クロウはすぐさま内容に目を通す。
「……こいつはまた、タイムリーだな。どこかで盗聴でもされてるのか?」
「それはないっす」
イルルが即答するほど自信があるなら、信用できるだろう。
「何か悪いニュースっすか?」
「いや。あっちも例の技術者を探していたみたいでな。現状の候補地を教えてくれた。それと、遠回しに急いでくれっていうのと進捗を送れとさ」
完全にこちらのやり方に任せてもらってはいるが、やはり現状報告は欲しいようだ。この辺りの取り決めはなかったが、もっともな要求なので用意はできている。というより、それくらいしかすることがなかった。
「返答はどういう方法っすか?」
「宿屋の主人に手紙形式で預けるだけでいいらしい。『ドンゾ』宛てといえば伝わるとのことだ」
「りょ。早速報告書をまとめるっす」
「いや、待て」
即行動に移りそうなイルルを制して、まずはもらった候補地をキヤスの方に伝達することを指示する。すり合わせれば有力な場所が絞り込めるはずだ。返信はそれからでいいだろう。
考えてみれば、第二王子側もただ牽制行動に終始しているはずもなかった。
目立たぬようにではあるが情報収集を怠るはずもない。地元の強みだ。傍観しているわけもなかった。
結果的に二重チェックできるのは有難かった。
翌日には照会が終わって、有力な候補が二つに絞られた。キヤス隊が見つけていた三つのうち、一つは第二王子側の協力者の拠点だったようだ。怪しいと思われている時点でどうなのかと思ったが、諜報関係者からすればそうした場所は完全に隠せるものではないらしく、特に問題があるわけではないとのことだ。
重要なのは怪しいと思われても確信を掴ませないとのことで、各分野にはやはり色々と専門的な常識があるのだと学ぶ。
ともあれ、キヤスが最有力としているものとは違う方を、クロウは偵察してみることにした。
危険をおかしてまでやるべきかと聞かれれば微妙なところだ。ただ、時間は貴重だ。無駄にしたくない。別に暇すぎて動きたいというわけではない。
キヤス隊は今総出で任務に当たっている。少しでも負担を減らすためだ。諜報関係に明るくないクロウが動くのは逆に足を引っ張りかねないが、敢えて一番怪しいところではないところを選んだのはその辺りも配慮してのことだ。最悪の事態になってもハズレならばどうにかなる。
うまくいけば残る最有力候補が確定的にもなる。一石二鳥なはずだ、多分。
それに、勝算がないわけではない。クロウにはアテルがいる。様々な形状に変化できるアテルは偵察に最適だ。小さい魔物で人目にもつきにくい。おまけにラクシャーヌの眷属なので、多少離れた距離でも通信が可能だ。クロウも本来はその機能が共有できるのだが、魔力の扱いが不十分で十全に使いこなせないため、ラクシャーヌ経由ということになる。どうにも、魔法方面の才能はすべてラクシャーヌに吸われている気がする。そんな話をしたら、災魔から努力不足をわっちのせいにするなと怒られた。
そういうつもりはないが、本当のところはどうなのだろうか。案外的を射ているように思うが、あまり強く主張はできない。証拠もない。
アテルを使うのは良いこと尽くめに思えるが、魔力の塊で感知されやすいという弱点もある。魔力に敏感な相手には逆に気取られる可能性が高い。ただ、そちらは魔力を抑える技術もあってある程度は大丈夫とのことだ。聞けば、ラクシャーヌとその辺りの調整ができるように訓練していたらしい。魔法生物である以上完全に減らすことはできないが、人間が気配を消す要領で減少できるという。
ちなみにラクシャーヌ自身については、その減少具合があまり芳しくないらしい。元々の魔力が高すぎるせいらしい。クロウの内部にいる間はその限りではないが、外で実体化するとどうしても魔力が抑えきれない状態だという。「わっちは最強の魔力持ちだからじゃな」と本人は威張っていたが、単にやり方が下手なのではないかとクロウは疑っていた。目立ちたがりの傾向があるため、その手の技術とは相性が悪いだけな気がしている。決して口にはしないが。
「あそこの建物がどうやらそうらしいっす」
夜の繁華街。
その一角を指差してイルルがささやいた。当然のごとく、護衛役として彼女もついてきた。実はクロウ同様に暇で仕方がなかったんじゃないだろうか。クロウはやや怪しんでいた。
現在地はある民家の屋根の上だ。視界が確保でき、闇夜に紛れるのに適した場所を陣取っている。
「普通の民家というより、何かの倉庫みたいに見えるな」
大きな両開きの扉のわりに出入口の照明は小さく薄暗い。いかにも胡散臭い雰囲気が漂っているが、単に夜だからという要素も否定できない。
大通りからは離れていてもそれほど奥まった場所でもなく、人通りはまばらながらも流れている。
「ざっと調べた限りでは買い手募集中の建物っす。たまに浮浪者と清掃業者っぽいのが入ってくのを見るっていうのが、近所の人の話っす」
「そんな場所に城の関係者が入って行ったことがあると?」
「そうっす。関係者って言っても、ただの庭師の見習いみたいっすけど……仕事終わりに直接っていうのはちょっと怪しいっす」
キヤス隊は第一王子軟禁に関係していそうな者を片っ端から洗い出している。その中で、不審な行動を取る者を尾行してマークしているとのことだ。もちろん、人手はあまりに少ないので厳選して対象は絞っている。その一人がここに入って行った事実があるということだ。
位置的にも何人かの中継で第一王子まで届く。無理のない距離だ。
「アテル、できる限りでいいから見て来てくれるか。操体術がどんな状態で行われるのかは分からねぇが、儀式めいた分かりやすい形じゃないかもしれない。あるいはダパージ関係の単語を拾えるだけでもいい。後はもしかしたらまったく別の犯罪集団とかが根城にしているだけかもしれない。いずれにせよ、そういうのが分かるだけでも助かる」
「はい!ワタシに任せてください!」
こういう仕事がしたかったのか、アテルはかなり前向きだった。やや興奮した様子さえある。
黒い卵型の魔法生物。ウェルヴェーヌが作ったエプロンドレス風の服を着たその姿は、唯一無二の造形だ。更に言えば、その卵から細長い手のようなものが力こぶを作るようなカタチに固定される。どこでそんなポーズを覚えたのか、ココといい学習能力は高いのかもしれない。
「ああ、頼んだ。けど、くれぐれもバレないこと優先でな。何かあったらすぐラクシャーヌに伝えてくれ」
「はいなのです!」
「じゃあ、行くぜ」
アテルは張り切って飛んで行った。文字通りにクロウが目的の建物の方へ投げ込んだからだ。
自身を変形させて衝撃を吸収できるアテルは、乱暴に扱っても傷つかない。雑に扱うというと言い方は悪いが、その辺りの柔軟性は様々な場面で役立つ。
(ちなみに、視界は共有できたりしないのか?)
ラクシャーヌに思いついたことを尋ねると、
(わっちら眷属とのつながりを万能なものなどと勝手に思うでない!遠距離でやりとりできるだけでも物凄いことなんじゃぞ!?)
すぐさま叱責された。色々と影の努力があるらしい。結果だけを見て、軽はずみに邪推するなと説教を受ける。確かに軽い気持ちで聞いたのだが、それがいけないのだろうか。知らないことを尋ねるのは悪いことではなかったはずだ。
すると「おぬしはもっと空気を読め」と返された。時と場合によるのだと。災魔にそんなことを言われるとは思っていなかった。自分はやはりそういうものに配慮が足りないようだ。
人知れずクロウが気落ちしている間にも、時間は経過していた。
「周囲には特に気になる輩はいなかったっす」
イルルがいつの間にか周辺を探っていたようだ。それすらもクロウは気づいていなかった。
自分にはやはり隠密系技術はないらしい。もっとうまく探ったり潜むこともできると思っていたが、自己評価が高すぎたか。
「想定だとここが外れであることの確認だからな。何事もなかったってのが分かれば理想なんだが……」
ワンダールの夜は少し肌寒い。
夜風が屋根の上のクロウたちを緩やかに冷ましてゆく。ラクシャーヌはあれから黙ったままだ。アテルとの通信に集中しているのだろう。距離が遠ければ遠いほど難しいという話だった。 イルルも無言のままだった。こちらは曲がりなりにも諜報活動の専門家だ。潜んで待つことには慣れているのだろう。無駄に進捗を聞いたりして急かすことはしてこない。
それもあって、クロウはラクシャーヌに確認をしていない。できなかった。いちいち今どんな状況なのかと聞いていたら邪魔にしかならない。
夜の繁華街の喧騒が遠く響いていた。
野外活動に赴いたものの、結局クロウはまた待つだけの立場だった。どうにも思っていたようには進まない。
時間だけがゆっくりと過ぎてゆく。
と、不意にラクシャーヌが腹の中から頭を出した。
「非常によろしくない状況になった。突っ込め、クロウ」
「ん?どういうことだ?」
「説明している暇はない。アテルがパンチじゃ!」
「ピンチって言いたいのか?何でそんなことに?」
「いいから今は動けっ!」
ラクシャーヌが有無を言わせぬ勢いで急かせる。ただことではないようだ。急展開過ぎる。
「主、何が?」
「良く分からんが、アテルが中でピンチらしい。突っ込めと言っているでそうしようと思う」
「え?突っ込む?」
当惑しているイルルにかまわず、クロウは監視していた建物へと走り出した。屋根の上を。
「ちょっ、説明を願うっす!」
それは俺も同じだと思いながらクロウは加速した。ラクシャーヌの焦りのようなものが伝わってきたからだ。
何か良くないことが起こっている。それだけは確かだった。




