9-9
その隘路には乾いた空気が流れていた。
背の高い雑草が生い茂っており、視界はかなり悪かった。
棘性のある植物でなかったことは幸いだ。進むのにそれほど障害にならない。
干上がった土地が短期間でこれほど活性化するのは珍しいという。確かに、この状態を見てかつてはここが川だったとは到底思えなかった。
ミカサ村の粉ひき小屋へ通じる抜け道は、大分役立つことは間違いない。
「まさか、こんな場所があるとは……迂闊でした」
タファ=ルラ教徒たちを監視をしていたウッドパック商会の諜報員は、悔しそうに唇を噛んだ。
ジーと名乗ったその青年を無能と非難することはできない。相手側も周囲を警戒している中での情報収集だ。安易に近づけもしない上に聞きこむ相手もいない中で、できることは限られている。気取られることなく遠巻きに実態を調査していただけでも御の字だろう。
その報告によれば、既に村人たちはほとんどがタファ=ルラ教に取り込まれているという。
教導という宗教的な思想で人を導くという考えがあるが、タファ=ルラ教のそれは洗脳という悪しき方法の代替に他ならない。精神的、肉体的に追い詰めて強制的に教義を刷り込むようなやり方がまともであるはずがない。
つまり、今や救うべき村人もほとんどが敵側になってしまっているということだ。
そしてもう一つ厄介なのが傭兵団の存在だった。
デガミス傭兵団というらしいがまったく情報がない。練度はそこそこで、身なりからするとゴロツキ上がりといった感想。実力の程は並だという評価だが、確度はあまりない。判断材料が少なすぎてどうにもならないとのことだ。
それでも、戦闘可能な人員として10人ほどがいることになる。オゴカン率いるタファ=ルラ信徒が16人なので、それに加えてミカサ村の30人から50人ほどの村人を加えるとかなりの大人数だった。洗脳具合によってはそれだけの数が抵抗してくることになる。
クロウは一度、オゴカンと対話の場を設けたいと思ってもいたのだが、ミカサ村の惨状を聞いてその考えを捨て去った。
もはや話し合いでどうにかできる段階ではなかった。
半ば力尽くで行動しているのなら、こちらもその方法で返すまでだ。一発殴って黙らせてから話す。立場を明確にする必要がある。
そういうわけで、シザ村の男から聞いた抜け道を使って、まずはオゴカンを押さえようと動いていた。指揮官を落せばたいていの集団は機能しなくなる。特に宗教団体はその傾向が強いはずだ。もっとも、教祖あたりを捕らえるとなると逆に反感から捨て身の死兵になる可能性もあるので微妙だが。
今回は司祭なので問題ないだろう。無駄に時間をかけるつもりはなかった。
「夜を待ってオゴカンを強襲するのはいいけど、傭兵団とやらはどうするのさ?手強かったら、生け捕りって言うのはこの人数だと難しいよ?」
「最悪やってもいいが、一人は必ず残してくれ。どういう経由で加わっているのかは知りたい」
「そうだな。10人ぐらいの傭兵の集まりなんて誰でも大丈夫だとは思うけど、まぁ、アタシが適当なのを半殺しにしてふん縛ってやるよ」
ネージュが楽しそうに笑った。もうすぐ戦えるので上機嫌だ。とんだ戦闘狂だが、こういう時には頼もしい。
「……君たちの常識が斜め上だったことを忘れていたよ」
テオニィールとしては戦闘そのものの苦戦を懸念したのだが、二人は完全に倒すことを前提だった。そこに不安は微塵も感じられない。
「ココもぶっとばーす!」
やる気があるのはココも同様だった。今回はオホーラが随伴していないので、作戦指揮はクロウが取ることになる。賢者は別件で忙しく、本人は来たがっていたものの残って集中してもらうことにした。こうなってみると、どれだけ精神的に心強かったのかが分かる。
自分のことはともかく、他人への指示をどこまでできるか。いや、あまり考えてもしかたがないか。それぞれが自己判断で動いても連携は取れるはずだ。
「とにかくオゴカンだ。やつを押さえたら、最悪撤退する。傭兵団も金で動いてるはずだから、雇用主が落ちればそれ以上無駄に抗うこともしないだろう」
「正常ではなさそうな村人に対してはどうしますか?狂信者に唆されて攻撃してくる可能性も十分にあり得るかと」
ウェルヴェーヌの心配はもっともだった。各自が自由に戦うとしても、対象とルールは共有すべきだ。
「村人は被害者だ。攻撃はするな。ただ、止むを得ない場合は殴って黙らせるぐらいはしかたがないだろう」
「うーん、集団で襲われると手加減も厳しいかもだよ?一人一人に峰打ちじゃーってわけにもいかないだろうしね」
「似非占い師なら、適当に未来予知で避けれるのでは?」
「ちょっ!?ウェルヴェーヌ君、僕に対してやたらきつくないかい?」
「その辺りは臨機応変にとしか言えないな。俺とココ、イルルでオゴカンをやる。ウェルヴェーヌとテオニィールは全体的な支援を。ネージュが傭兵団担当だ」
圧倒的な人数差があるが、誰も気にしていなかった。個々の戦闘力で打開できると信じて疑っていない。
その自信はしかし、初見の諜報員のジーには無謀に見えた。
「本当にそんなにうまくいくのでしょうか……?」
ベリオスの町の領主は転生人でめっぽう強いとは会長から聞いているが、目の前にしてもにわかには信じがたい。
「多分な。頭を押さえればどうにかなるさ。それはそっちの報告からの推察だぜ?他に指示を出せそうなやつとか、同じくらいの立場のやつもいないんだろ?」
報告書では完全にオゴカンのワンマン体制だった。副官のようなお付きの者はいても、発言力は弱そうという見立てだ。絶対的な支柱が倒れれば、あとは崩壊するのが自然の摂理だろう。
「ジー、心配無用」
イルルは有無を言わさぬ口調で同僚を諫めた。それで納得したということは、イルルの方が先輩なのだろうか。
クロウにはイルルの商会内での立ち位置がい未だに良く分かっていなかった。
「何にせよ、今夜の星明かりはわりとありそうだから、僕がちょっと小細工して暗くしておくよ。優秀なサポートとして期待しておくれ」
「え、天候操作の魔法が使えるのですか?」
「そんなわきゃないさ。局所的に雲を呼んで視界を悪くするってやつだろ。アタシの知り合いもよく使ってた。おっと、ここからはちょっと静かに。入口が見えてきたぜ」
先頭を歩くネージュが更に身を屈めて注意を促してくる。
干上がった川の跡が雑草に埋もれたその道は、確かに粉ひき小屋へと続いていた。昔はあったであろう水車はもうないが、軸元だけが今もかろうじて残っていた。これではかつてを知っているか、よほど近くまで来ないと分からない。粉ひき小屋そのものも、今では単なる廃屋にしか見えなかった。
辺りに誰もいないことを確認し、一行はそのボロ小屋へと入る。今にも崩れそうな屋根だが、今日まで普通に保たれているのだからすぐに倒壊することはないはずだった。
作戦決行の夜までここで一旦待機することになる。
ミカサ村の外れにあるせいなのか、ここまでは村人の生活音などは全く聞こえてこない。
それが返って不気味に思えた。本来ならば、多少は漏れ聞こえるはずだ。
慎ましいながらも普通に生きていた彼らの暮らしは、既にもう壊れてしまっていた。
オゴカンの居場所は村の中でも大きな家、おそらくは村長宅だと判明していた。
無作為に若い女を選んで個人的な説教をしているのだという。
性別が偏っている時点で実際に何が行われているかは明白だ。翌朝には、精神的肉体的に疲弊した相手がほとんどだということもそれを証明している。
男性権力者の典型的な悪癖。
それがタファ=ルラ教の模範なのか個人的な特質なのかはさておき、ろくなものではない。
「毎夜、毎夜、お盛んなことだね。羨ましい……」
そんな不謹慎な呟きを漏らしてメイドに引っぱたかれたテオニィールの支援魔法で、夜は一層色濃く闇に包まれていた。
元々、村には道に街灯もないのが普通だ。家々の窓からの明かりのみが光源で、星明かりや松明の類がなければまともに外は歩けない。
村を守護するデガミス傭兵団も夜の警戒はほとんどしていない。哨戒任務で不寝番というような警戒態勢ではなかった。明白な外敵はまだ想定されていないのだから当然だ。
だからこそ、クロウがその家に辿り着くのは容易だった。
「んじゃ、手はず通りに行くぜ」
ココとイルルに開始の合図を送る。
夜目が効く二人は打ち合わせ通りに動いた。家の入口を固めている守衛代りの信徒をココが襲撃し、中にいるであろう護衛をイルルが黙らせる。
その後でクロウが突入し、オゴカンを押さえるという単純な作戦だ。その騒ぎで他が動き出したところで、ネージュやテオニィールたちも妨害行為を始める。
つまるところ、スピード勝負だ。クロウが速攻でオゴカンを捕まえれば、後はどれだけ騒がれようと収められる。
「どっかーん!!」
手始めの奇襲による籠手の一撃で呆気なくその男は叩き伏せられた。ココの攻撃が強力なのか、相手が弱かったのかは不明だ。
続いてイルルが扉を開けてするりと中に入る。
クロウは「誰も入れるな」とココに待機を命じてそれに続く。
村長宅といっても、ほぼ二部屋ほどしかないようだ。入ってすぐの広間と奥の寝室らしき部屋。広間にいた信徒らしき者をイルルが不意打ちで素早く昏倒させる。あまりに抵抗なく落ちた姿を見て、イルルは罠ではないかと疑っているようだが、タファ=ルラ教は戦闘集団ではない。単なる宗教家の一団なので戦闘能力は一般人並だ。何も驚くことはないだろう。想定内だ。
クロウは当然の足取りで奥の部屋の扉を開け……ようとして鍵がかかっていて叶わない。用意周到なことだ。
短く舌打ちして、その扉をためらいなく蹴り飛ばした。
丁度いい塩梅で木の扉が半壊して自動で開いた。ベッドの上には裸体の男女。交合中だったのは明白だ。男が呆けた顔で振り返る。
オゴカン=ジャーハン。
ついに見つけたタファ=ルラ教の司祭がそこにいた。強引に布教活動を迫る不届き者にして、今回の元凶。
でっぷりとした身体はだらしなく、じゃがいものような顔は興奮で赤みがかっていたのだろうが、すぐに青ざめたものに変わっていた。頭の回転は悪くないようだ。
クロウが何者か知らずとも、敵だということはすぐに察したのだろう。既に護衛がやられていることも。
腹ばいにさせて合体していた女を蹴落とし、慌てて小刀らしきものを手に取る。性交中でも近くに護身用ナイフを隠していたことからも、用心深さは窺える。
この期に及んで応戦する気はあるようだ。
「き、き、きさまーーーー!!!」
素っ裸で突進してくる。反撃があるとしても魔法だと思っていたので意外だった。司祭は魔法士というイメージがあったが、偏見だったのだろうか。
いずれにせよ、それは蛮勇であって勇敢なものではない。軽くその護身ナイフを弾き飛ばしてその場に昏倒させる――つもりが、ナイフの刃から雷撃が飛び出してきてクロウの身体を打った。痺れで身体が硬直して動きが止まる。麻痺効果の魔法が仕込まれていたらしい。
「くふふ、かかったな!」
オゴカンは勝利を確信してそのままクロウの胸にナイフを突き立てようと突進する。歪んだ笑顔が酷く気色悪い。
何度もその手で敵を陥れてきたのだろうが、何事にも例外はある。
「小賢しい」
クロウの胸にその刃は刺さらなかった。アテルがその先端を受け止め、逆に粉砕したからだ。普段はクロウの内側にいる黒い膜状の魔物は、その性質を柔らかくも硬くも変幻自在に変えられる。おそらくそのまま突き立てられても、ラクシャーヌが内部にいる現状では肉体強化されているので弾けたかもしれない。アテルはただ、より明確にその危険性を排除したにすぎない。
だが、そんな事情を知らないオゴカンにとっては驚愕でしかないだろう。
突如、クロウの胸元から黒いものが飛び出してきて自分の必殺の一刺しを止められたのだ。
何が何だか分からないまま戸惑っている内に頭に激しい衝撃。それで思考もすべて止まった。クロウが容赦なく側頭部を殴って意識を刈り取ったのだ。
「……外も始まったか。こいつを縛って大人しくさせるとしよう」
あっけなく捕まえた司祭を縄で縛り上げる。メイドが当然のように持っていた上質な縄だ。果たして何のために常備しているのかは聞いてはならない。
縛っている途中で、オゴカンの右胸辺りに黒い染みのようなものを見つける。何かの痣だろうか。少し気にはなったが、醜い中年男の裸を検分する趣味はなかった。
「主、終わったっすか?」
イルルがひょっこりと顔を覗かせる。クロウの心配は微塵もしていない。
「ああ。お前はネージュの方を手助けに行ってくれるか?これから中央広場とやらでこいつを晒し上げて、他の連中の武装解除と降伏勧告をする。傭兵連中はそれで大人しくなるとは思うが、万が一の時は裏で見張っていてくれ」
「りょ」
霧が消えるかの如く、イルルの姿が次の瞬間には見えなくなる。相変わらず、謎の隠密技術だった。
オゴカンを引きずって表に出ると、ココが倒れている誰かのまわりでくるくると踊っていた。
「……何してるんだ、ココ?」
「あ、クロ様!見て見てー」
ココはその場で改めてひらりと回る。その際に、まとったマントが翻ってシロの刺繍が強調される。それで意図が分かった。
「シロを見せびらかしてたのか?」
ウェルヴェーヌの力作であるそのデザインを、ココはいたく気に入っているのだ。
「うん。ココが勝ったらみんなシロの下僕だもん!ひれふせさせる?のがいいんだって!」
何やらろくでもないことを言っていた。仕込んだのはおそらく災魔だ。後で苦言を入れておこう。
そういえば、今もまだ起きる気配がない。呑気なことだ。
逆にそれだけ危険がないということでもある。
どこかでネージュが争っている音を聞きながら、中央広場へと向かった。テオニィールが一時的に隠した薄闇の星明かりは既にまたその顔を覗かせている。もうすぐ、その星空の下で愚かな司祭を断罪することになる。
ミカサ村の制圧は順調に進行していた。




