プロローグ
目を覚ますと真っ白な空間にいた。
身体の感覚はなく、視界一杯にただ白い世界が広がっていた。
最初に思ったのは当然、訳が分からない、だ。
どうして自分がこんな場所にいるのか、ここは一体何処なのか。自分の身体はどこにいったのか。意識だけがこの白い空間を漂っているのか。
あまりにも状況が分からなすぎてパニックになりそうだ。
いや、そもそも自分は何者なのか。
何も思い出せない。
本当に何一つ思い出せなかった。
今現在の状況が分からないことよりも、記憶がないことに愕然とする。
俺は死んだのか?
だとしても、記憶までなくすことになるのか?
死んだことがないから分からないが、それだけが唯一納得のいく答えのような気がした。
あるいは、これは夢なのか?
その考えにたどり着いたとき、突然否定する声が頭の中に響いた。
「いや、おぬしは夢を見ているのではない」
「誰だ!?」
思わず誰何するが、声を出したはずなのにその言葉は音にはならなかった。
ただ、相手には伝わっているようだ。
「誰かと聞かれればそうじゃな……おぬしの想像する神のようなもの、になるかの」
「神だと?」
「うむ。厳密には違うが、とりあえずそのような感覚の存在だと思ってくれてよい。もしくは管理者でもよいぞ?いずれによ、その辺りはたいした問題ではない」
本当に神ならたいした問題だとは思ったが、訊きたいことが他にたくさんあった。
「ここは一体どこだ?俺はなんでここにいる?というか、俺の記憶がないのはなぜだ?何が一体起こってる?」
「待て待て、落ち着くがよい。そう一気にまくし立てるものではない。おぬしが混乱するのも無理はないが、それらの質問はすべて無駄じゃ。それより、これから幾つかの質問をするゆえ、それに答えてくれ。その結果がおぬしを形作ることになる」
「はぁ、何を言ってるんだよ!?無駄ってどういう――」
叫んだつもりだが、やはり声にはなっていない気がする。けれど、確かに神とやらには聞こえているようだ。不意に遮られる。
「黙らっしゃい!」
一喝されて、急に声というか言葉が出せなくなった。何もできなくなったこちらを無視して、神とやらが続ける。
「まずは大人しく聞きなさい、話が進まぬではないか。とはいえ、おぬしは混沌種ゆえ、少しだけ説明はしてやるとしよう」
一方的に言葉が響いてくる。
「前提として、おぬしは既に死んでおる。元の世界において、じゃがな。そうして死んだ魂は通常同じ世界で再活用される。が、稀に他の世界へと召喚されることがある。その理由やら仕組みやらは色々あるんじゃが、おぬしは気にせんでよい。そういうものじゃと思え。それで、別世界へと召喚された魂は元の世界とは別の性質が必要になる。世界の法則やら環境やらが違うのだから当然じゃろう?」
当たり前のように言われても、他に衝撃的な事実がありすぎてうまく頭が回らない。死んだのかもしれないとは思ったが、本当にそうだったとは。しかし、依然としてなぜ死んだのかが分からない。突然、記憶もなくお前は死んだと言われても納得はできなかった。何も思い出せないというのは想像以上に辛い。
かといって、反論すらできない状態だ。声は容赦なく進める。
「まぁ、そういうわけで、これからおぬしに幾つか質問して、その結果で召喚された世界への適正能力を授けるというわけじゃ。分かったかの?いろいろ訊きたい気持ちは分からんでもないが、これも教えておいてやろう。どうせここでわしと会話したこと、内容その他すべてを忘れるゆえ、今疑問を解こうとしても無駄じゃ。無益な思考は捨てて身を委ね、こちらに従って次の世界へ行くがよい。良いな?では、始めよう」
そうして矢継ぎ早に質問が繰り出された。20問ほどあっただろうか。声は出せないまま、頭で考えたことがそのまま読み取られるという不条理な方法で、次々と回答させられた。十分に考えて言葉にしてまとめる、という段階がなかったため、ほとんど思いついたものがそのまま答えとなった。やり直しも利かずにあらゆる意味で不服だったが、当然の如く修正や再回答の機会などなかった。
「ふむふむ……なるほど、なるほど。これはまた珍しい特殊技能を覚えたものじゃ。まるで記憶がない状態というのも影響したのかの……いやはや、おぬし、かなり数奇な道を歩むことになるかもしれぬな。ああ、もうしゃべってもよいぞ。ほぼここでの役目は終わった。生まれ変わりの時が来るまで、好きにするがよい」
ようやく声というか言葉を自由に発することができるようになった。
しかし、それだけだ。相変わらず自分の身に何が起こっているのか理解が追いつかない。それでも無理やりどうにかまとめる。
「……要するに俺は死んでいて、これから違う世界に転生する、みたいな話なのか?」
「うむ。理解が早いではないか。最近は超常現象に対する拒否反応が思いの外小さい。こちらとしてはやりやすいが、それはそれとしてどうなのかという思いもあるの」
「にしても、未だに自分が死んだ実感がないし、何も記憶がないのはどうにもならないってことなのか?」
「ならん。そういうものじゃとあきらめろ」
即答だった。食い下がっても何も得るものはなさそうだと一瞬で分かる対応だ。
「なら、せめて次の世界?とやらの情報をもう少しくれないか?というか、自分自身についての記憶がないし、いま、身体の感覚もないし、俺自身がどういう存在なのかすら分からないんだが?」
「それも今はどうでもいいことじゃ。言ったじゃろ、ここでのことはすべて忘れると。答えたところで意味はないんじゃ」
確かにそう言っていたが、だからといってなるほどとは引き下がれない。自分が何者なのか、さっぱり分からないということが急に不安になってきた。
その考えも読み取ったのか、神がやれやれと呆れたような声音で言った。
「案ずるな、というのも無理な話かもしれぬが大丈夫じゃ。案外、何とかなるものじゃよ。そして、ほれ、もうすぐ時間じゃな」
転生する瞬間が迫っているということらしい。
結局、何がどうなっているのか分からないまま、いや、これから転生するらしいことしか分からないまま、意識がまた閉じてゆくのを感じた。
もう少し説明があってしかるべきなんじゃないだろうか。
こんな理不尽な形で死後の世界を知ることになるとは思わなかった。
「いや、死後の世界ではないからの?ともかく、次の生を楽しむがよい。どんな形であれ、もう一度何かを成せるのなら悪くない話じゃろうて……多分」
最後の最後まで安心できない言葉を背に、そしてすべてが真白な光に包まれた。
誰もいなくなった真白な空間に、ぽつりと言葉だけが響く。
「さて、かつてない混沌種じゃ……これが呼び水となるか否か。突然変異こそ新しき扉を開ける鍵となる、とはよく言ったものじゃ。彼の者が何をもたらすのか、実に興味深い……」
それは本当に、神の独り言だったのだろうか。
その答えを知る者もまた、誰もいなかった。