異世界心霊奇譚 ゴブリンの首塚
若い女を生け贄にして、災厄をさけようとする風習は、悲しいことに、この世界ではいたるところに存在します。
ゴブリンの首塚と呼ばれる場所も、かつてそのような風習のための、祭壇のひとつとして使われていました。村の安寧は、うら若き女性たちの犠牲のもとに保たれることができました。ですが、ゴブリンに囚われた女性たちは、どうなったと思いますか?
ゴブリンに殺される? 食べられる?
いいえ——
想像するのもおぞましいほどの、悪夢のような目にあわされるのです。
ダンジョンの部屋にはいるときに、まずすべきことは、潜んでいる魔物がいないか全神経を集中させること——
それはおとずれる冒険者が絶えた、この『廃ダンジョン』においてもおなじだ。油断してはならない。
ましてやここは『ゴブリンの首塚』という異名がつけられた場所。
格段の注意が必要だ。
ぼくは部屋のドアに背中を押しつけると、ゆっくり内部を覗き込む。いつでもからだを翻して、逃げ出すことができる体勢を保ったままだ。
室内はぼろぼろに朽ちていた。
天井や壁の一部が崩落して、床に土塊となって散乱している。ただ暗闇にならした目でも、なんとか見てとれるほど暗いので、奥のほうまでは目が届かない。
なにかの気配——
魔力を研ぎ澄ませる——
ねっとりと絡みつくような、生理的に受け入れがたいなにかいやな感覚が肌をなめる。奥になにかがいるのはわかったが、いますぐ襲ってくるような兆候は、すくなくとも感じられない。
ぼくは指をパチンとならした。
空中にぼうっと火の玉が浮かびあがる。
初歩的な火炎魔法。
ゆらめく炎がうっすらと、部屋のごつごつとした壁を照らしだす。
部屋のおくのほうに、ぼんやり人影が浮かびあがった。
スカートの裾からのぞく青白い足、か細い腕、そして怯えた表情の女性の顔。
トレンシー・マデール——
まちがいない——
だが、ぼくはすぐには部屋に踏み込まない。
彼女をおとりにしたトラップが仕掛けられている可能性を、ぼくは排除しない。
腰にたずさえた剣に手をかける。
いつでも突き出せるようにしっかりと握りしめている。
「トレンシー、トレンシー・マデールさんだね」
ぼくは室内で響きすぎないよう、抑制をきかせて呼びかける。
「ぼくはホルト・クロイツ。ふもとの村のひとたちに頼まれて、きみを開放しにきた」
返事はない——
声帯がやられているか、なにかしらの魔力でことばを封じられているか……
「トレンシー、今からそこへむかう」
ゆっくりと半歩前にふみだす。
「教えてくれないか?。まわりになにか潜んでいないかい?」
「ゴブ……リン……が……」
うめくような擦れた声。だがすくなくとも会話は成立しそうだ。
「ここにゴブリンがいるっていうのかい?」
ぼくは足の裏で地面をまさぐるようにして、もう半歩だけからだを前にだす。だが、いつでも外へ飛び出せるよう、上半身は入り口側にむいている。
「ゴブリン……が……」
ふたたびトレンシーの声。さきほどよりすこしまともだ。
「ゴブリンはここにはいないよ、トレンシー。ぼくの『霊視』スキルでは、ここにはきみ以外はいないことになってる」
「でもいるの……」
「いない。いないんだ。トレンシー。ぼくは生きているものを察知するスキルがある。すくなくとも、この部屋には生きているものはいない」
「なぜ、わかるの……」
ぼくはトレンシーの顔をしっかりとみすえた。
さきほど怯えた表情と見てとれた顔つきは、よくみると疲れ果てたような、それでいてなにかに取り憑かれたような、複雑なものだったことがわかった。
「そういう能力者なんだ、トレンシー。自分でいうのもなんだけど、通っていた魔法学園でも一番優秀だったんだ」
自慢げに聞こえないよう、注意をはらいながらぼくは言う。
「それにある村で、さらに能力をさずかった……」
ふと、アッヘンヴァル学長に言われたことを思い出した。
『ホルト・クロイツ、あなたの忌むべきものを察知する能力には、目をみはるものがあります。血筋なのか、体質なのかはわかりません。もしかしたら先祖の霊が守ってくれているのかも知れません』
彼女はそう褒めながら、ふーっとおおきくため息をはいた。
『ですが同時に、見えなくてもいいもの、遭遇しなくていいものをも察知してしまうかもしれません。その能力を大切にしなさい。これから先、自分の命くらいは守ってくれるでしょうから……』
「トレンシー、村のひとたちに、きみがこの場所に囚われているって聞いた」
できるだけ名前を連呼すること。
ひとを助けにきたのではなく、あなたを助けにきているのだ、と認識させるべし。
「だったら……わたしがゴブリンどもの……虜になって……ることも……聞いた……でしょう?」
「ああ、もちろん。もちろんだよ、トレンシー。村の人々はみんな、そのことを憂いていたよ。心配している」
「だれも助けにこなかったわ……」
「トレンシー。だからぼくが今、ここにいる!」
もう一歩だけすり足で前に進みでる。
すでに部屋の中央付近にせまっている。
ここでなにものかに襲われたら、ドアから外へ飛びだしても、無傷ではいられないかもしれない。
てのひらにどっと汗が吹きだすのがわかる。手にかけていた剣の柄を、もう一度にぎりなおす。
「どうして……今ごろ……」
「それは……」
ぼくは言い繕おうとしたが、ただならない気配を感じてことばが続かなかった。
だれかがぼくを見ている——
額から汗がふきだす。
唾を飲みこもうとしたけど、うまく飲みこめない。
ここには生きている者はいないはずだ——
が、部屋の壁にそれはいた。
右側の壁、天井付近のやや高い場所から、ひとの頭の先がつきだしていた。
目のすぐ下あたりまでがこちら側に覗いている。まるで頭半分が、壁に貼り付いているようにもみえる。
髪の毛がない青い肌の顔——
ゴブリンがじっとこちらを見つめていた。
だが、すぐにそれが間違いだと、ぼくは気づいた。
そのゴブリンには目がなかった——
ただ虚空になった真っ黒な眼窩を、こちらにむけているだけだった。
「ゴブリンが……わたしを……逃がさない……の……」
トレンシーがぼそりと言った。
ざわっと髪の毛が逆立つのを感じた。
逃げろ——
だが、ぼくは動かなかった。
それは冒険者としての矜持——
なにより、ここで退いてしまうようなら、勇者になりたいと願うことなど、おこがましい、という自分への叱咤があった。
剣をゆっくりと引き抜いた。
あれは斬れるのか? 剣ごときでなんとかできるものなのか?
ぼくは剣に魔力を吹き込んだ。防御・治療・攻撃・もろもろ……
どれが有効かわからなかったので、とりあえずありったけの魔力を剣に封じ込めた。
足元になにか気配があった。
床から目のない目が、こちらをじっと見つめていた。壁のヤツとはちがう個体——
ぼくはびくりとして、はねるようにしてうしろに飛び退いた。
そのうしろ足が、なにかやわらかいものを踏んづけた。
見なくてもわかった——
どくんと大きな鼓動。
大量の血がドッとぼくのからだのなかを駆け巡る。
ぞわっと総毛だつとどうじに、ひやりとしたものが体表をおおいつくす。
逃げろ!
逃げろ——!!
逃げろ————————!!!!
本能が狂ったように、本気の警告を送り込んでくる。
ぼくはくちびるをぐっと噛みしめて、そいつを飲みこんだ。そいつは胃の中に落ち込んで、ぼくの臓腑は鉛でも飲みこんだように、ずしりと重たくなる。
壁一面に目のない頭があった。
四方の壁はいつのまにか、半分突きでた頭でびっしりとおおわれていた。
天井からは首が、垂れ下がっていた。
まるで天井いっぱいに、人間の頭大の『実』でもなっているかのように、たわわにぶらさがっていた。
そして床からも——
床からはゆっくりとゴブリンの頭が、せり上がってきはじめていた。
目の下部分から鼻が見え、顎がみえはじめ、首があらわになった。そして肩が見えそうなところで止まった。
それはまるで床から、ゴブリンの頭が生えているようだった。
壁一面を、天井一面を、そして床一面を埋め尽くす、ゴブリンの頭——
目玉のない眼窩は、もれなくぼくにむけられていた。
ゴブリンの首塚……
なぜ、そう呼ばれているのか、今ようやくわかった。
「ゴブリンが……なにをしたと思う……」
トレンシーが呻くように言った。
苦しそうな声だった。それははかなげで、哀しみが入り交じった苦しさだった——
ぼくはその声色を聞いて、落ち着きをとりもどした。
このゴブリンは怖くも何ともない——
無残な姿で、うらめしげな目で、ぼくを見つめているだけだ。
ふと、いままで耳にしたいわゆる『怖い話』は、本当はちっとも怖くないことにぼくは気づいた。
そう——
幽霊はぼくの命を奪わない。ただ怖い思いをさせるだけだ。
だが、生きているゴブリンはちがう。
やつらはぼくの命を奪う——
この世界において、本当に怖いのはどっちか、ということだ。
「村できいたよ」
ぼくは剣を鞘におさめながら、トレンシーにしずかな口調で言った。
ゴブリンの頭を踏まないよう、慎重に足先でまさぐりながら、ゆっくりとトレンシーのほうへむかう。
「きみは村の生け贄として、ゴブリンに捧げられたって聞いた」
「だったら、ゴブリンどもがなにをしたかわかるでしょ?」
「ああ……残念だけどね……」
ぼくはこころのそこから、同情の念をまじえて言った。
これまで旅をしてきたなかで、おなじような風習を聞いたことがあるからだ。村の祈願のために、わかい娘をさしだすというのが、どういう意味なのかはぼくも理解していた。
「あらゆることをされた…… おんなとして、人間として、屈辱的なことすべてを……」
トレンシーは自分に言い聞かせるように呟いた。
ぼくはさらにトレンシーに近づいた。
「凌辱の果てに、わたしはゴブリンの子供を産んだ……」
トレンシーは目元をぬぐった。
「知ってる? ゴブリンの子はたった3ヶ月で産まれるの……」
「たった3ヶ月で?」
ぼくはそう相槌をうちながら、もう一歩近づいた。あと一歩も踏みだせば、トレンシーの腕をつかめるほどまでの距離——
「えぇ、そうよ!」
トレンシーの声色がかわった。さきほどのはかなげなさは鳴りをひそめ、どすのきいた刺々しい声。
「あいつらは人間の女に子供産ませて……」
トレンシーがたちあがる。
「食べるの!!」
その瞬間、ぼくはトレンシーに手を伸ばして、押さえつけようとした。
だがゾッとするような目をむけられ、おもわずひるんでしまった。
「食べるために、あいつらはわたしに子供を産ませるのよ!!」
その目に宿る狂気——
伸ばした手をひっこめたのは、ひるんだのではなく、もしかしたらその姿に、魅入られてしまったからかもしれない。
「わたしの赤ちゃんを食った。あいつらはわたしのカワイイ赤ちゃんを食ったの!! わたしの目の前で!!!」
その口元がいびつにゆがんでいた。
わらってる——?
「だから、わたしはあいつらを殺したの。刀をうばってね。殺して、殺して、殺しまくったの。きゃはははははははははははははは……」
舞踏のステップでも踏んでいるように、トレンシーはくるくるとその場でからだを回転させはじめた。
「毎月殺しにいくわ。今月も、来月も。そしてここに埋めていくの」
満足そうな笑顔。だけどどこかいびつだ。
彼女は完全に取り憑かれてしまっている。
「トレンシー」
ぼくはやさしく声をかけた。
「なあに?」
トレンシーの背中に手をまわすと、ぼくは彼女の胸に剣を突き立てた。
刃はなんの抵抗もなく、トレンシーの胸を貫いた。
「トレンシー……、もうゴブリンはいないんだよ。とっくにね」
「きみが殺して首を刎ねていたのは……」
「村のひとたちなんだ」
ぼくはそう言って、床をさししめした。
トレンシーは目をきょろきょろとさせながら、床一面に転がる村人の頭を見た。
すでに壁や天井にあった幻影は消えうせている。
「トレンシー。もう村のひとびとを許してあげてくれないか——」
「きみはもうとっくにこの世の者じゃないんだ」
「だって、わたし……」
「最初に言ったろ。この部屋には生きてるものはいない、って」
「いつから……」
ぼくは首を横にふった。
「わからない。ぼくはただ、村のひとたちに頼まれて、きみを開放しにきた……」
「ゴブリンの虜になってるきみをね」
トレンシーは自分の胸を貫いているぼくの剣をじっとみた。
「これ、なぜ刺さってるの?」
「すこしまえに、ある霊にそういう特別な力を授けてもらった。ぼくはあまり好きじゃないんだけど、霊にはよく言い寄られてね……」
ぼくのことばにトレンシーはくすっとわらった。
「うまくいかないものなのね」
「あ、あぁ……、そういうもんさ。きみの人生はとんでもなく過酷だったと思う。でも、もういいだろ?」
トレンシーはこくりとうなずいた。
ぼくはトレンシーのからだがいつのまにか、半透明になって消え入りそうになっているのに気づいた。
「ホルト……」
「あなたの剣……」
トレンシーがほほえんだ。
「とってもあったかい——」
トレンシーのからだが消えたあとも、ぼくは彼女のからだを抱きかかえるような格好のまま、しばらくほうけていた。
そして彼女の魂が縛りつけられていた廃ダンジョンの部屋を、ひとしきり見回してから、その場をあとにした。
だけどぼくにはまだトレンシーの怨念の残滓が、そこここにへばりついているように感じてならなかった。
いとしい我が子を目の前で食われ続けた母親の狂気は、簡単にはぬぐい去れない気がした。
【※大切なお願い】
少しでも
「面白い!」
「続きが気になる!」
「更新がんばって!」
と思ってくださったら、
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さて、お楽しみいただけましたでしょうか?
え、まだまだこんな奇妙な話が聞きたい?
ではこの話はどうでしょう?
■第5話 魔法学園の惨劇
魔法学園の最高峰マーベルグ学園の惨劇のことは聞いたことはないですよね。
あれは魔法庁が秘密裏に処理したせいで、巷間に知れ渡ることはありませんでしたから。
ですが、あの名門学園で50年も前に起きた惨劇は——
簡単には語れないほどの、おそろしくも哀しい事件でした。
困ったことに、現在の生徒のなかには、そんな忌まわしい事件に、知らず知らず惹きつけられてしまうものがいるようなのです。
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