97 探索の旅(聖都編-2)
馬車代わりのものがある、と声をかけて来たのは、茶色のハンチング帽から赤毛のショートヘアを覗かせる八、九歳位の少女だ。
子どもらしく丸みを帯びた頬と、膨らんだ尻尾、それに聡慈たちを気弱そうに見上げる姿はリスを思わせる。
(こんな少女が営業か? 私たちの容貌では声をかけるにも躊躇うだろうに。親は何をしているのだろうか)
「君は? お父さんとお母さんは?」
聡慈はしゃがんで少女と目線を合わせ尋ねた。
「お父さんは病気でちょっと休んでます。お母さんはいません」
少女は問われるままに答えた。
「何だ大変じゃないか。お嬢さん、どうやって生活してるのかね?」
ヴィザーレは憮然として仁王立ちで尋ねる。
「あう、あの」
「ヴィーさん」
知らず少女を怯えさせるヴィザーレを聡慈は嗜めた。
「ああすまない、ところで馬車の代わりとは何かな?」
「あ、はい。私の友達が運ぶんですけど。大きな蛇亀が」
「蛇亀? ヴィーさん知ってるか?」
「さて、聞いたこと無いな。お嬢さん、契約するかは別としてその蛇亀とやらを見せてもらってもいいかね?」
「いいですよ。ちょっと離れてるんでついて来てください」
(プリシラやミゲルと同じ位だろうか。それにしても随分しっかりしている子だ)
孤児院の子どもたちも仕事をする内に敬語と子どもらしい言葉を使い分けるようになっていったが、目の前の少女はもっと年季が入っている感じがする。
そんなことを考えながら聡慈は少女の後を歩いた。
「あの子です。おーいドルド、ただいまー。お客さん連れて来たよー」
(まだ客とは言い切れないのだが。中々上手いじゃないか)
必要以上に訴えかけるでもなく、わざとらしくもない。
声のトーンと言い仕草と言い、何と自然な引き込みだろうか。
このぐらいで断れなくなることはないが、聡慈は思わず唸りたくなる気持ちを覚えた。
ところで少女が声をかけた先に居たのは、何処かで見たような生物だ。
(おや、巨大亀ではないか?)
聡慈がスパーラ=パルスパニア江を渡る時にその背に乗せてもらった巨大亀。
その生物は巨大亀と同じように大きな甲羅を背負っており、その背にはテントが張られている。
だが少女の声に反応してそれが振り返ると、巨大亀とは違うものだと分かった。
巨大亀には首長竜のように長い首が二本、それに頭が二つあるのだ。
「おお、何だこれは? 亀か? 頭が二つあるぞ」
ヴィザーレは驚いていると言うよりは、珍しさに喜んでいるように見える。
「あれが蛇亀のドルドです。小さい頃から一緒にいるから私たちの家族と同じです。大人しいんですよ」
ドルドはゆっくりと頭をもたげた。
少女の紹介が聞こえて挨拶をしているかのようだ。
亀らしいのんびりした動作と、蛇にも亀にも似ていないつぶらな瞳は愛敬がある。
「なるほど、これが馬の代わりか? しかし脚は亀だろう。遅いのではないのかな?」
「こう見えて結構速いんですよ。走れはしませんけど、お父さんが小走りするぐらいで歩けますから。それにほら、あのテントで休めるしドルドには獣も寄って来ないんで安全ですよ」
「おお、そうなのか!」
ヴィザーレは興味を惹かれたようだ。
彼の頭なら一飲みにしてしまいそうな大きさのドルドにも臆さずに、まじまじと顔を突き合わせている。
「それはそうと、君のお父さんはあの中かな? 病気と言っていたが旅に連れて行くつもりかね?」
長旅になるのにまさかこんな年端もいかぬ少女が一人で同行するのではあるまい。
聡慈の質問は単なる確認であるが、テントの中に人の気配があることと、家族と呼ぶドルドをさっき会ったばかりの他人に預けるかと考えると、彼女が同行するつもりなのかと思えてしまう。
「え? それはそうですけど。あのテントが私たちのお家ですから」
当然だと言わんばかりの少女の顔。
聡慈はどうしたものかと天を仰いだ。
「お父さん、お客さんだよ」
テントの覆いが上げられたが伏せっているはずの男など居ない。
「うん? どうしたんだ?」
ヴィザーレが覗き込んで探している。
「も〜、お父さん! お客さん来たんだからしっかりしてよ! ほら立って!」
少女がテントの隅に行った。
うな垂れて膝を抱えた男がいる。
「うおっ、そんな所に!?」
どんよりと影が差したようなその姿にヴィザーレは驚いた。
「お帰りクラリス。おとんが不甲斐ないせいですまんな」
少し腹の出た男だ。
頭の上の丸耳は垂れ、尻尾も力無く床に投げ出されている。
「それはいいからお客さんに挨拶して、ほら」
「さっきから何やね、お客さんって?」
「え〜、この前言ったでしょ。ドルドで旅人さんを乗せて生活して、また少しずつお金貯めて行商するって」
「おいおい、本気やったんかい? おとんはもうしばらく休んだら、森に引っ込んで御先祖様みたいに狩りでもやって生活しようと思っとったんやけど」
「そう言ってる内に本当に無一文になって浮浪者になっちゃうよ」
親子で何やら言い合いが始まってしまった。
穀潰しの父親が幼い娘に養ってもらっている。
聡慈もヴィザーレもそんな印象を受けた。
「帰ろうか?」
聡慈がそう言ったのも仕方ないはずである。
「帰らないで! あ、いや帰らないでください、お願いします!」
クラリスと呼ばれた少女は飛びかからんばかりに二人を引き止める。
「お客さんが帰ったら私たちは首をくくらないといけなくなっちゃいます!」
やはり上手い。
いや、必死なだけなのか。
父親の方を見ているとクラリスが一生懸命になるのも分かる気がする。
「分かった分かった。よしソーさん、契約成立だ。この蛇亀とやらに世話になろうじゃないか」
ヴィザーレは迫るクラリスの額を押し離して聡慈に言った。
「ちょっとあんたたち何を。ここはわいの……」
「そうだなヴィーさん。なら買い出しして早々に出発しよう」
「ちょっと……」
クラリスの父親が反論しようとする言葉に被せて、聡慈もヴィザーレも話す。
ここはクラリスの側についた方が良さそうだ。
でなければ彼女が路頭に迷う未来が待っていそうだから。
「じゃあヴィーさん、買い出しをお願いできるかね?」
「いや、私が残ろう。あまり旅に必要な物を見繕える自信が無いからね。――邪魔するぞお二人さん」
この親子を二人だけでここに残してはいけない。
聡慈もヴィザーレもそう思った。
そして聡慈が買い出しに、ヴィザーレが親子と留守番を、と思ったのだが。
「あ、私も買う物があるんです」
クラリスは聡慈について行くと言う。
知らないおじさんについて行くのはどうなんだ、と思ったが、クラリスは今行きたいと言い、ヴィザーレも何故か彼女の父親と二人の方が良いと言った。
聡慈はなるべく早く帰ると言い、クラリスの案内で買い物に出た。
「ソージさん、お父さんは今はあんな風ですけど、立ち直れば頼もしい……所もあると思うんで、怒らずにあげてください」
「みんなの身を危険に晒すようなことをしなければ、な」
買い出しを終えた。
僅かな時間で早くも二人の距離は縮まった。
つまり聡慈はますますクラリスを見捨て難くなったのだが。
(まあ馬車の代わりを提供してくれさえすれば、多くは望むまい)
聡慈は内心苦笑し、彼女と旅をする覚悟を固めた。
「ただいま〜……って、ん?」
ドルドに帰宅の挨拶をしたクラリスは、テントから漏れる泣き声を耳にした。
「おう! ソーさんお帰り! クラリス嬢もな!」
ヴィザーレはどこに持っていたのか酒瓶を掲げた。
泣いているのはクラリスの父親だ。
「これは……まあ何となく分かるが」
聡慈は少し呆れたように二人を見ている。
クラリスは困った顔で聡慈の表情を窺うのだった。




