90 探索の旅(王国編-56)
孤児院で勉強に割り振れる時間は限られている。
しかも聡慈かライオホークが居る時でなければ教え手が居ないのだから、尚更学習の進度は制限されてしまう。
それでも孤児院の子どもたちは自習して教え合って、読み書きや計算を身につけていった。
「ねえねえ、この前市場で山羊っていくらで売ってるか調べて来たんだ。いくらだったと思う?」
「え〜、百銀ぐらい?」
「ブー、なんと十銀ぐらいから買えるんです!」
「本当!?」
「もう買えるじゃない!」
子どもたちは最近リースについて買い物に行くのを楽しみにしている。
お金を稼ぐようになってあれこれ物価を見るのが楽しみになったようだ。
そして好奇心旺盛な子どもに子ども好きの商人が話しかけてきた折に、ちょうど良い機会だと山羊の値段を聞いたわけである。
「まあまあ落ち着いててよ。今のはもう年取った山羊のお話。お肉も硬いし乳も出ないんだよ」
「何よ〜、勿体ぶって。じゃあちゃんとした山羊はいくらなのよ」
「それは……」
「それは……?」
「四十銀です!」
おお〜、と騒めく室内。
「高い、けどもうすぐじゃん!」
「そう! それと今のは雌の山羊ね。雄の山羊は三十銀だって」
「雄は乳出ないでしょ」
「乳は出ないけど、考えてみてよ」
「何よ」
「もしかしたら子どもが生まれるかもしれないんだよ!」
「なるほど!」
「わあ!」
子どもたちはリースに預けたお金をメモしていた。
そのメモを愛おしそうに見ながら「子どもが増えたら」「牧場になっちゃう」等々話して盛り上がっている。
「何とも夢の広がる話をしてますね」
「無邪気でいいですね」
部屋をチラリと覗いて聡慈とライオホークは笑顔を向け合った。
しかし隣のリースは青い顔をし冷や汗を浮かべ俯いている。
「どうしたんですかリースさん?」
「つ、使っちゃいました」
「え?」
聞いてはいけない言葉が耳に入った気がする。
問い直すべきかどうか聡慈たちが迷っていると――
「子どもたちから預かっていたお金、使っちゃったんですぅ」
おいおいと泣き始めるリースに、二人は慌てて場所を変え扉をそっと閉め、子どもたちが入って来ないように気を張る。
「あの、気を確かに。とりあえず私たちに話してください」
「はい……」
リースは顔を青くしたまま語り始めた。
「はあ、つまり税金の支払いに充てたと」「そうなんです〜! 支払い時期のことすっかり忘れてて、慌てて子どもたちから預かってたお金で払ってしまって……もうどうしたらいいやら」
おいおいと泣き崩れるリース。
だが聡慈は根本的な問題は税金の時期ではないと思った。
たかだか三十とか四十銀が不足するぐらいで狼狽えねばならない財政状態こそ問題なのだ。
ただ、今回リースが税金を払ったことは当然のことである。
税金の不払いは滞納が過ぎれば財産の差し押さえに至るからだ。
――それが家族とは言え預かっていた大切なお金で、しかも無断で使ったものでなければ――
「しかし正直に言うしか無いのではないでしょうか。どのみち必要なのですから、話せば分かってくれますよ。これからは税金分考慮しても貯蓄できるでしょうしね」
「うう、気が重い……」
聡慈とライオホークは告白を手伝うとリースに申し出た。
しかしリースはもうしばらく覚悟を決めさせてほしいと答えた。
(早い方がいいと思うがなあ)
聡慈は思ったが、リースがあまりにも悲嘆に暮れているので言わずにおいた。
子どもたちはがっかりするだろうが必要なことなのだ。
孤児院の経営についても考える機会になるだろう。
謝る時にはよく説明してやろうと、ライオホークと顔を合わせ頷くのであった。
翌日はベスを仕事に連れて行く番だった。
ベスはいつものようにフウカを肩に乗せている。
フウカはかなり力を使えるようになっており、風を操るその力で周りからは見えにくくなっている。
組合へ行くと組合職員が建物前に看板を立てているところだった。
「何かあったのですか?」
「ああ、憲兵から頼まれましてね。どうやら魔物が発生してしまったようで」
「何と? 町中では発生しないのでは?」
魔物の領域と明確に区別するために壁を設けているはずだ。
それが発生したとはどういうことなのか。
「狂人種ですよ。これだけ人が多いと発生することがあるんですよ」
狂人種と言うのは、人の愛用していた武器を核として形を為す人型の魔物だ。
弔われずに打ち捨てられた人の死体が一緒にあると発生し易い。
核となった武器の性能を身体の機能として持っているのでかなり危険である。
「日暮れまでどこかに潜伏しているはずですから、潜伏場所を発見したら憲兵から報酬が出ますよ」
組合職員は勧めてきた。
しかし聡慈たちは一言礼を言い、急いで孤児院へと戻って行く。
安全になるまで子どもたちに外出をせぬように厳命しなければならない。
聡慈は体術や剣術など護身術を教えておけば良かったと後悔した。
町中でも危険と無縁ではない世界だったのだ。
広い都市だから襲われる可能性は低いかもしれないが――
心配が杞憂に終わることを願って帰路を急ぐ。
聡慈たちが孤児院に帰って子どもたちの無事を確認している頃、リースは外出していた。
徴税官の元を訪ね、納めた税金を返してもらえないかと願い出るためだ。
(はあ、どうやって説明しよ……)
もちろんその申し出は却下された。
払い終えた税金を戻すことはできず、「金が必要なら然るべき所から借りれば良い」と素気無く遇らわれただけだった。
金貸しの事務所を覗いては借金などダメだと自分に言い聞かせ、帰る勇気を持てず落胆しながら町を歩いている内にいつの間にか日が暮れかけていた。
(やっぱりソージさんの言う通り正直に言おう)
他にどうしようもないと言う結論に至り、リースは堂々巡りの考えごとをようやく止めた。
その時、彼女は自分の足下に伸びる歪な人影にふと気が付いた。
(変な形の影。つば広帽でも被ってるのかな?)
シルクハットを横にしたような頭部の影。
変質者がつけて来ているのだったら嫌だな、と彼女はさり気なく背後を横目で見た。
背後にいたのは首から上に斧が生えているような、異形の怪人だった。
両手からも丸い刃が生え、夕陽を反射し薄赤い光を放っている。
「いやぁ!!」
悲鳴を上げリースは逃げ出した。
いつの間にか周囲に人は居なくなっている。
「誰か! 助けてください!」
民家や商店のドアを叩くが彼女に差し伸べる手は現れない。
魔物の手配のことを知っているからだ。
魔物は歩いているのに、走るリースとそれほど変わらぬ速さだ。
疲れて脚が鈍るリースに次第に距離を詰めてくる。
そして息を切らせ走る彼女に、一刀の間合いまで迫った魔物が斧のような手を振りかぶり、振り下ろした。
ヒュボッ、と空気の裂ける音。
来るべき手応えを失った魔物はその原因である横の少年を見た。
リースを抱えたライオホークが鋭い眼光で射殺さんばかりに睨んでいる。
魔物は無言で一歩踏み出し、今度は腕を横薙ぎに振るう。
「母さんに……手を出すなあっ!」
迎え撃つライオホークは魔物の手首を狙って斬り上げた。
魔物の傷は浅い。
切断する勢いで放った気合の一閃だったが、やはり斬り上げに威力を求めるには難かしい。
(修行が足りない……でも半腐貌戦よりもずっと手応えがある!)
ライオホークはすかさず蹴りで魔物を遠ざけると魔物の方を向いたままリースに言う。
「リースさん! ここから離れて!」
「でも、リオ君が!」
「俺は大丈夫です! 近くにソージ先生がいるはずですから!」
守りを固めるライオホークをリースは心配する。
しかし
(母さん……)
不思議な懐かしい気持ち。
リースの心には温かく、そして僅かな痛みが滲んでいた。




