89 探索の旅(王国編-55)
「フウカ?」
ベスたちは聡慈が考えた妖精の名前を復唱してみた。
すぐには妖精の名前を決めかねた聡慈だったが、ようやく考えついた名前を披露したのだ。
「そう、風花。風を纏った花のような、と言う心象から付けたんだが」
孤児院の子たちが大掃除に行き帰って来た時、リースにお土産を渡して喜び合っているのを見た妖精は、緑色に渦巻く力を微かに出した。
それは風のようだった。
そして花のように可憐な姿から聡慈は妖精に風花と言う名前を考えたのだ。
「ふうん」
フウカ、フウカと呟く声が聞こえる。
当の妖精は何のことやらと首を傾げている。
『お前の名前だよ。考えてみたんだ』
『え、いいの!?』
妖精は嬉しそうだ。
「フウカ」
ベスが呼んでみると妖精はフワリと飛んで彼女の肩に乗った。
「ふふ、気に入ったのね。よろしく、フウカ」
ベスがフウカの黄色の髪に指を通すと、フウカは気持ち良さそうに目を細めた。
「さすがソージ先生!」
調子の良いライオホークの頭をコツンと小突いて聡慈は苦笑した。
「さて、ではみんなは明日から魔言語も勉強しような」
子どもたちは騒ついたが嫌だと言う者はいない。
「もちろんリースさんもですよ」
「え!?」
『フウカはみんなの言葉を勉強するのがいいな』
『うん!』
まさかの飛び火。
思えば勉強などまともにしたことの無いリースはたじろいだ。
一方でフウカは二日休んで食べる物も食べ、すっかり元気になっている。
孤児院の子どもたちも言葉が通じないながらよく構ってくれるし、早くもここが気に入っていた。
子どもたちと話ができるようになればもっと仲良くできる。
彼女は張り切って勉強への意欲を示した。
聡慈とライオホークが来てから、木刀の素振りが孤児院の朝の習慣となっていた。
最年少、三歳のエイミーでも彼女用に小さく削り出した木刀を一生懸命振っている。
朝食、朝の清掃、洗濯、探索者組合への訪問、仕事、山菜の採取、夕食の支度から就寝まで。
その合間に先の素振りや勉強が挟まれる。
子どもたちの一日は慌しかったが、不満は出ていない。
食事は以前よりもずっと良いし、お金も自分の手で稼げる。
おぼろげに色々やりたいことも出てきたし、勉強することでそれが現実可能な夢や希望に思えてくる。
自分たちが頑張っているとリースも喜んでくれる。
子どもたちは不満を持つどころか、充実した日々を過ごせていることに感謝していた。
「ベス、もうそろそろいいんじゃないかな?」
充実した日々が続き、冷たい雰囲気だったベスの態度もフウカの面倒を見ている内に和らいできたように思える。
メグはベスと二人で食事の準備をしている時に、さりげなく切り出してみた。
「いいって、何が」
そう言うベスも何のことかは分かっていた。
分かっていたし反発する気もないのだが、つい突っけんどんな言い方になってしまう。
「リースお母さんのこと。まだリースさんって言うこと、お母さん気にしてるよ」
「分かってる。でもやっぱり、そんなに簡単に言えないよ」
ベスが孤児院に来たのは両親が病死した六歳の時だ。
それまでの幸福な記憶は彼女の心に深く刻まれている。
自分がリースのことをお母さんと呼ばないことで、リースが寂しく思っているだろうとは分かっている。
だがリースをお母さんと呼ぶのは、幸せな日々を与えてくれた実母に対する裏切りのような気がして、どうしても呼ぶことができずにいた。
ちなみにメグも似たような境遇だが、彼女の場合は早々にリースをお母さんと呼ぶことに成功している。
彼女の優しさでもあり、諦め、前を向ける強さでもあった。
ベスはいつまでも呼べないのに、増えていく孤児院の子どもたちはリースをお母さんと呼ぶ。
次第にベスは自分を情け無く思うようになり、笑おうと思っても顔が引きつるように感じるようになってしまった。
それが気になり表情を抑えるのだが、それが無表情で冷たく感じさせることが分かっていたから悲しかった。
「困ったねえ、フウカ」
メグはベスの肩に乗るフウカの頬を小指で撫でた。
フウカはベスの肩に立ち、悲しそうな顔をして彼女の頭を撫でる。
ベスもフウカもお互いの言葉を聞くだけではまだまだ理解には遠い。
しかしベスの肩の上がお気に入りのフウカのお陰で、いつも一緒にいる二人はその言葉のニュアンスは何となく伝わるようになっていた。
フウカはベスを慰めているのだ。
ベスは指先でフウカの背をくすぐりながら、いつかの聡慈の言葉を思い出した。
――幻魔はいつの間にか発生している――
――本能の部分で親を求める――
子どもたちがリースのことをお母さんと呼び慕う時、フウカがどことなく寂しそうにしているのをベスは気がついている。
肩に乗るフウカから羨望と哀愁が伝わってくると、ベスは胸が締め付けられるようだった。
「フウカ、あなた……リースさんのこと、お母さんってよびたいんでしょ」
「うん」
ベスの問いの意味をフウカは暫く考え、彼女の目を見つめ頷いた。
「そうだよね。お母さん、いた方がいいもんね。……じゃあさ、練習してみようよ。リースさんのこと“お母さん”って呼べるように。二人でね」
「ベス……」
メグは妹分の決意を理解し、励ますように彼女を優しく抱き、髪をそっと撫でる。
フウカもベスの気持ちが伝わり、彼女の頬にそっと自分の頬を寄せるのであった。
「あら、ベスにフウカ。どうしたの?」
リースは一人で黙々と衣服の解れを修繕していた。
彼女はやって来たベスとフウカがモジモジしているのを見て、凝った肩を解しながら小首を傾げた。
「うん……あのね、いつも大変だなって……」
「大変? 何か困ったことがあったの?」
そうじゃない、ちゃんと言わなきゃ。
ベスは決心したはずなのに、口が上手く動かず自分の腰をゲンコツでゴンゴンと叩く。
「ちょっとどうしたの? 何か変よ?」
リースの心配そうな眼差しが痛い。
リースに拒絶されたらという想像がふと頭を過ぎった。
あり得ないことだとは思うのだが、急に震えが起きてきた。
「え、もしかしてお熱があるのかしら……大丈夫?」
リースが額をベスの額にそっと当てる。
ベスはそれでも言葉の出ない情け無さに固く目を閉じた。
その時、フウカが額を寄せるベスとリースに顔を近づけ口を開いた。
「オ、おか」
「ん? なあにフウカ」
「オカ、あ」
フウカは一生懸命言おうとして、あと一歩上手く声が出せずベスの頬に抱きついた。
「――ん、ありがとうフウカ。じゃあさ、二人で頑張って言おうか」
ベスは金縛りが解けたように肩の力を抜いた。
そして改めてリースに向き合いフウカと呼吸を合わせた。
「おかあさん」
「……え?」
「おかあさん、いつもありがとう」
「も、もう一回言ってくれない?」
「おかあさん……おかあさん」
リースは二人を抱きしめた。/「ベス……ベス、ありがとう。フウカ、あなたも言葉、頑張ったのね」
三人は抱き合ってポロポロと涙を流していた。
「リースお母さん!」
「なあにベス?」
「ねえメグ姉ちゃん、ベス姉ちゃんどうしたの? 急にお母さんって呼び始めて……」
「うふふ、いいんじゃない」
弟妹分が不思議そうにするがメグは嬉しそうにはぐらかした。
「お母さんお母さん」
「おか、ア、さん」
ベスは笑顔でお母さんと連呼していた。
一度口に出して言ってしまえば今までの懊悩が嘘のように心が軽くなった。
亡き母への裏切りと考えていたことも自分の思い込みだと考えられるようになった。
こんなことで故人への思いは変わらず、むしろ今までのウジウジしていた時の方が、前向きになれないことを故人のせいにしていたのだと分かったのだ。
ベスが楽しげにしているのがフウカに伝染して彼女も楽しそうだ。
彼女は辿々しくも野人種の言葉でお母さんと繰り返すのだった。




