6 地獄編-5
最近妙に馬たちがよく走らせられている。
前から扱いは乱暴だった。
それが無闇矢鱈と粗雑に扱われたり無意味な暴力を振るわれることが少なくなったので、良いことのように思いたかった。
ところがその走らせ方が尋常でなかった。
鬼たちは闘争心を剥き出しにして、馬を潰す直前まで乗り回した。
聡慈がよくケアをし辛うじて疾走不能に至る馬は出ていないが、彼は鬼が何かを為そうとしていると感じた。
嫌な予感で粟立つ肌をさすり、聡慈は痙攣する馬たちの脚を休ませ、マッサージしてやるのだった。
ここにもやはり季節の移り変わりがあるのか、よく芽吹き草木育つ暖かく時に暑苦しい日々は終わり、今は爽やかな風の吹く涼しい日々が続くようになっていた。
(ここにも冬があるのだろうか)
たまに降る冷たい雨は、この先に寒い季節が待っている予感を聡慈に与えた。
(どれだけ寒い日々が続くかは分からんが、今のところロンドンとギリシャの中間ぐらいの気候に感じる。東京の冬ほど冷え込まないとありがたいが、楽観視はしない方が良いだろう。うん……干し草は作っておいて良かったな、多分)
リンたちの餌が途切れないとありがたいと思いつつ、折角だから苦労して作った干し草が無駄にならないと良いな、という複雑な思いに聡慈は一人苦笑した。
この頃聡慈は馬一頭一頭の個性をよく把握できるようになっていた。
「お? トノサマ、今日は機嫌が良さそうだな。なんだ、蹄を手入れしてくれと? ははは、よし見せてみろ」
プライドの高い牡馬の蹄の汚れを掻き出してやる。
脚自慢で鬼たちの威圧にも怯まない気概を持った雄だ。
「ファ〜」
トノサマに構っているとリンがまた甘えてやってくる。
どうやら聡慈が他の馬に気を取られると嫉妬してしまうらしい。
「分かってる分かってる。次はリン……いや、リンはヒメの次だな」
よしよしと撫でてやると、リンはチラッと横に意識を向けた。
ゆったりと横たわっている一頭がいる。
リンは納得したようにスッと身を引いた。
ヒメと呼ばれたのはお淑やかなこの牝馬で、今は妊娠しているのだ。
他にも少々鈍重だが大らかなロージューや、少し臆病なハタモトなど様々な性格の馬たちがいる。
過酷な生活のはずだが彼らはヤサグレたりせず妊娠したヒメを気遣うことだってできる。
聡慈はそんな彼らに感心し尊敬すらしている。
また彼らと共に暮らせることを感謝してもいた。
ところでリンは謎の種で子どもの体格でありながら、馬たちから下に見られている様子はない。
馬が紳士なのか、馬にとってリンが威厳を持っているのか、聡慈には分からない。
緑から黄色に色付いてくる木々の葉が出始めてきた。
鬼たちは荒々しさを増し、馬の扱いもより乱暴になっている。
厳しい環境にしぶとく耐えてきた馬たちだが、このままでは聡慈がどれだけケアしても潰されてしまう。
そんな懸念を抱きつつあった時のこと。
(今日は一段と苛烈だ……あれほど急な動きを全力でさせていては脚を痛めてしまう)
鬼の乗り方に黙っていられなくなり聡慈は動こうとした。
その彼に、乗られていた馬――トノサマ――が睨みつけるような視線を送った。
いつにない鋭く悲しい目に聡慈は踏み出すのを躊躇してしまった。
「ヒヒーーーーン!!!」
その隙を突いたように、トノサマは突如竿立ちになり天を衝くが如く雄々しく嘶いた。
「!!!!」
馬の肋を痛めるほど激しく胴を締め付ける鬼の脚力だが、これには堪らず鬼は転げ落ちた。
筋肉の塊の体は相応に重く、地面に落ちると同時に、ズン、と地響きを立てた。
それでも頑丈な鬼に大したダメージは無いようだ。
「グガォォォォア!!」
そして当然鬼は激怒する。
咆哮を上げ目を血走らせトノサマに飛びかかり、丸太のような腕で上から押さえつけた。
メキ……ミシ
体の軋む嫌な音が聞こえてくる。
(いかん! 脚が折れてしまう!)
圧力に耐えられず前脚が畳まれるトノサマ。
それでも力は緩められず壊れても良いと言わんばかりに鬼の押し潰しは続く。
聡慈は咄嗟に駆け出していた。
トノサマを押さえつける鬼にタックルをするか。
「ぐはっ!!」
トノサマは背後に来た聡慈を蹴った。
ふわっと浮き上がり吹き飛ぶ聡慈。
だがそれほど痛みは感じない。
トノサマは大分手加減して蹴りをくれたようだ。
(トノサマ!!)
肺の空気を蹴り出され尻餅をついた聡慈は、声にならない声を上げトノサマを見た。
トノサマは聡慈と目を合わせた。
いつもの力強い目で聡慈に何かを訴えているようだ。
(ああ、そんな、トノサマよ! こんな時までお前は!!)
トノサマは鬼に屈しないと示した。
同時に鬼に対して、ある主張をしたのだ。
今のペースで鬼に乗り回されればどの馬も遅からず潰れていたことは間違いない。
トノサマは自分に鬼の憎悪を集中させた。
そして鬼は押さえつけた脆いトノサマの手応えに気付くはずだ。
馬たちの中で脚に自信のあるトノサマでさえそうなのだと鬼が知れば、他の馬の乗り方が軽くなるかもしれない。
トノサマが聡慈を庇い送った視線は、聡慈に他の馬たちを託すものだったのである。
聡慈は彼の悲壮な決意に息を呑み、彼の決意が無駄にならないことを願わずにいられなかった。
が、一方の鬼は一層トノサマを苦しめ続けている。
(いや、なんだ? 苦しみ方が尋常じゃない……それにあの鬼の体から――あれは一体?)
鬼の体からはジュクジュクとドス黒い何かが出てくる。
禍々しさが滲出しているかのようだ。
滲み出した禍々しく黒い粒子は渦巻き、トノサマに絡み付いている。
トノサマはもがきのたうち回り、目を剥いて血を吐き散らせ、そして死んだ。
鬼はトノサマの死体を蹴りつけ、鼻息荒くその場を去った。
聡慈は鬼の不気味な力を目の当たりにし、膝が震え鳥肌が収まらない。
それでもトノサマの気持ちを無駄にはできぬと馬たちを手早く集め、彼らと共にコソコソと離れて行った。
その後トノサマの死体はどうなったのか。
聡慈が彼を弔おうと現場に戻った時には既に死体は無くなっていた。
仕方なく聡慈は引き抜かれたトノサマのたてがみを持ち帰り、それを土に埋めて供養することとした。
「素晴らしい脚と気高さを持った奴だったなぁ」
土を掘り聡慈は誰にともなく呟く。
「助けてくれてありがとうな」
「次は自由に走れる世界に生まれ変わるんだぞ」
「ファ……」
いつの間にやらリンが傍らに伏せていた。
聡慈はリンの体を撫でトノサマに黙祷を捧げた。
静かに付き合うリンに、聡慈は黙祷を終え口を開いた。
「リンよ。もしトノサマの死を以ても他の仲間たちが潰されそうならば、もう迷ってはおれん。逃げ出さねばならないよな」
もし逃げようとしても恐らく大半は捕まり、気の荒い鬼たちに殺されるだろう。
それを踏まえた上でなお逃げねばならないと今回思わされた。
でき得るなら調査をし準備をした上で、鬼たちの居ぬ間に犠牲無く逃げ出したい。
だが、もしかしたらその機会を待っていては次々と犠牲が増えて、逃げ出す余力も無くなってしまうかもしれないのだ。
決意する聡慈にリンは何も言わず悲しそうに聡慈に身を寄せるだけだった。
追い詰められたと思っていた聡慈だが、あれ以後の鬼たちによる馬への扱いは、何とか耐え切れるぐらいまでは落ち着いたものとなった。
鬼にトノサマの心が通じたのなら良いが……それは違うだろう。
鬼の中で刺々しい空気が濃くなっている。
薬草も多く求められるようになった。
近々何かを起こすのだろう。
そのために馬たちは温存されている。
そう考えざるを得なかった。
聡慈は称号を獲得した。【伯楽】
入間聡慈
闘級 1
体力 50
魔力 0
力 10
防御 12
速さ 6
器用 15
精神 15
経験値 -4,270
技能
⚪︎魔言語★1
称号
⚪︎薬師★1
⚪︎被虐者★1
⚪︎轡取り★1
⚪︎伯楽★1
耐性 毒、麻痺、睡眠、混乱
状態 自殺者の呪印、献身者の聖印