43 探索の旅(王国編-9)
二人は宿に入った。
他に客もいない寂れた宿だ。
他の客と一緒では、浮浪者そのものであるライオホークが何を言われるか分からないからと、聡慈が気遣ったためである。
「すまないね女将さん」
「いいんだよ。はい、ハサミと剃刀、ここに置いとくよ」
女将と言っても趣味で一人でやっているような宿の主は、年配の大らかそうな女性だ。
幾らか多めに宿賃を支払おうとした聡慈の手を押し返し、快く水とハサミ等を用意してくれた。
聡慈は礼を言いがてら衣料品店の場所を尋ね、髪を切り旅の汚れを落としたライオホークと買い物に出た。
「ソージ先生、あの、お金……」
衣料品店で品物を見る聡慈に、ライオホークが小さな声で言った。
「うむ、リオも金を稼ぐ手段を身につけねばな」
聡慈は丈夫そうな布の服とズボンを見繕って、ライオホークの分を二着、自分の分を一着、それにライオホークの靴を一足買った。
「大事に使うぞ」
聡慈から服を手渡されたライオホークは、またジワリと視界が滲むのを感じた。
「はい」
歪む唇で何とかそれだけ声を絞り出し、服を大事そうに抱えた。
「おやおや、見違えたねぇ。なかなか男前じゃないか」
宿に戻り新しい服に着替えたライオホークを、女将は優しく褒めた。
「私もそう思うぞリオ。さあ、オロオロしていると先方にも失礼だぞ」
「あら、大事なお客さんに会いに行くのかね? 大丈夫。あんたが誠実であれば心は相手に必ず伝わるから」
ライオホークの不安を見透かすように女将は言った。
ライオホークは、女将に何が分かるのか、とは思わなかった。
妙に静かに心に入って来たその言葉に「ありがとう」と素直に返すことができた。
身なりと一緒に心まで整えられたような気分になって、やって来た食肉店。
ライオホークが商品を盗んだ店である。
「いらっしゃい」
嗄れて落ち着いた声の主は四十過ぎた年頃の男だ。
前掛けと白い山高帽を着けた料理人風の出で立ちだが、店の奥に誰かいる気配もない。
彼がこの店の店主だろう。
ライオホークの緊張が強まったのを見ても間違いなさそうだ。
「あ、あの!」
言いかけたライオホークを聡慈は手で制する。
「焼肉用のブロック肉と、干し肉をいただけるかな」
「へい」
聡慈は普通に注文し、普通に品物を受け取る。
そして、一人で店を出た。
残されたライオホークは、捨てられた子犬のような情けない顔をした。
店主は何も言わず、商品を売った時に肉を切り分けた包丁を布で拭いている。
ライオホークは手入れの行き届いたその包丁が自分に向けられているような気がしてゴクリと唾を飲んだ。
(このまま『自分がこの前盗みをしました。ごめんなさい』なんて言ったら叩き斬られるんじゃないか)
ここから出て行くべきかもしれないと思った。
(いや)
だが彼はまだ新しくゴワゴワする服を手で撫で、思い直した。
(ソージ先生は俺がちゃんと謝って出てくるのを待ってるんだ。そうだ元々は俺がやったことじゃないか)
「この前ここで肉を盗みました! すいませんでした!」
ライオホークは自然と跪いていた。
額を床に叩きつけるように下げて許しを請うた。
自分が痛い目に遭うよりも、聡慈を裏切ってしまうことの方が恐ろしかった。
「ほらよ、持って行きな」
「――え?」
カウンターに肉の塊が置かれた。
ライオホークは顔を上げ目を丸くしている。
店主は無愛想な顔で言う。
「お前さんあん時のボウズだろ。食いかけた肉の分だ。持ってけ」
「え……?」
「どういうわけか知らねえけど、見違えたお前さんの姿見りゃ今はまともな境遇にいるんだって分からあな。それでもこうやってちゃんと謝りに来たんならもう俺からは何も言うこたあねえよ。そいつあ新たな人生への餞別とでも思っとけ。じゃあな」
(許してもらえた……?)
一気に緊張が解けたライオホークは腰が砕け立てなくなった。
「何だ、しょうがねえ奴だな……ほら立ちな」
店主はライオホークに手を貸して立たせ、肉を渡し店から出した。
外では聡慈が待っていた。
店主と聡慈は目が合うと互いに頭を下げ、店主は店に戻り、聡慈はライオホークを連れて店から離れた。
「ありがとうございました!」
ライオホークは店の方を向いて大声で言った。
店主が後ろを向いたまま手を上げた。
頑張れよ、店主がそう言っているように聡慈は感じた。
店主は顔見知りの門番から、以前町から追い出した少年が老紳士に連れられこの店を訪れるだろうと聞いていた。
聡慈たちを町に入れた門番である。
「念のためお礼参りの可能性も考えておけよ」とも言われた。
だが、店主は少年の来店を待った。
商品を盗まれた時、逃げ出す少年を見て頭に血が上った。
捕まえて門番に突き出して町から追い出したが、冷静になって考えると、痩せこけた子どもが一人で町から追い出され生きていけるわけはないと思った。
間接的に子どもを一人殺したようなものだ。
それから彼は時々心に滲み出るような後味の悪さを感じていた。
少年が店に来た時は正直言ってそれだけでほっとした。
痩せてはいるが小綺麗な格好をしている。
老紳士は旅人風の装いだ。
旅先で運良く拾われたのだろうか。
「あの」と少年が言いかけた。
何かを決意したような顔だが害意は感じない。
しかし老紳士は言いかける少年を止め、肉を買って一人で出て行ってしまった。
少年は見ていて同情するぐらい弱気で怯えた様子だ。
店主は老紳士の意図を察した。
少年はこれからを生き直すために、けじめをつけなければならないのだろう。
それを老紳士に頼り切ってやっては少年のためにならないのだ。
店主は少年が口を開くきっかけを作ってやりたい気持ちを抑え、平静を装い包丁を手入れした。
やがて少年は膝を床に突いて頭まで床に着けて過去の罪を述べ謝罪した。
店主は安堵と嬉しさで綻びそうになる顔に力を入れ口元を引き締め、少年に商品を差し出した。
少年が狐に抓まれたような顔をしているのを見て、さすがに言葉が少な過ぎたかと思った彼は二言三言付け足して、少年を店から出してやった。
店の外で待っている老紳士に少年を渡すと、老紳士は見通したように頭を下げた。
店主は、感謝するのはこちらだ、と心の中で呟き礼を返した。
店に入った後、礼を言う少年の大声が聞こえてきた。
店主は嬉しさで顔が緩み振り向けなかったが、少年の再出発を励ますつもりで背を向けたまま手を上げた。
店主の心に滲んでくることのあった不快感はすっかり無くなり、清々しい気持ちが残った。
ライオホークが知ることの無い店主の心の内のことである。
「さあ、宿に戻って女将さんにお土産を渡そう」
聡慈はライオホークの頭に手を置いた。
「――はい! そうですね、女将さんに渡します!」
ライオホークは店主から貰った肉の包みをじっと見て、晴れやかな笑顔を見せた。
「おやおや、これは上等な肉じゃないかね。どうしたんだい?」
「お土産ですよ。どうぞ」
宿に戻った二人は女将に、店主から貰った肉を広げて渡した。
「やだよぉ、こんなオバちゃんが一人で食べ切れる量の肉じゃないって。今日の夕食に出すから楽しみにしときなさい」
女将は笑って言った。
「良かったなライオホーク。楽しみができたじゃないか」
「はいソージ先生!」
ははは、と明るい笑い声がこだまする。
その晩、少し豪華な食事を女将を入れて三人でとった。
美味い美味いと泣きながら食べるライオホークを、女将と聡慈で笑いながら慰めた。
この味は一生忘れることはないだろう。
ライオホークは涙を拭くのも忘れて肉を噛み締め、味わった。




