29 平穏な日々編-8
手を握る夫が頷くと、ゆったりと椅子の背もたれに体を預けオクアルは大きく息を吸い魔力を流し始めた。
夫の優しさとお腹の子への慈しみが体を伝うようだ。
グツグツと煮立つ水に注ぐ魔力は純白に近い輝く白色だった。
聖水。
そんなイメージが浮かぶ程に蒸留水は清らかに感じられた。
その蒸留水を使いやはり魔力を注ぎながら薬草を混ぜる。
液体が一瞬光り輝いたように見えた。
できあがった命の水は、ルビーのような輝きがある。
今までの物で一番の品質であろうとナンブットゥに確信させる気配を放っている。
「できた……これはきっといい薬だぞ!」
妻の手を両手で握り喜ぶナンブットゥ。
「私も、こんな優しい気持ちになれるなんて。あなたとお腹の子のお陰ね」
オクアルも蕩けるような笑顔を夫に向ける。
「これが命の水としても最高の品質だったらいいね」
成功を半ば確信し、三人はその命の水を別の器に取り置いた。
片や魔力の水の方は難しかった。
そもそも何も無いのに不安や恐怖を意識的に呼び起こすのも困難だったが、偶然黒い魔力ばかりが注げた時も命の水の時のような成功の感覚は得られなかった。
「白い魔力ばかりでも黒い魔力ばかりでも、品質はいまいちみたいですね……」
ナンブットゥは溜息を吐いた。
「後は、黒白半々ですか」
「残るのは、ですよね。でもどうすればそんなコントロールできますかね?」
「ナンブットゥさんが自分で飲んでいて、これはぐっと魔力が回復したっていうのはどんな時に作った物を飲んだ時でしたか?」
「――どうでしょう……」
答えかけたナンブットゥが頭を掻く。
「どうしました?」
「いえ、何も考えて無かったんじゃないかなって。ボーッとしていたかもしれません。まさかとは思うんですけど」
(無我の境地……は言い過ぎか。無心?)
聡慈は顎に手を当て考える。
「試してみる価値はありそうですね」
「え?」
どうやってその無心状態を作るか。
二人はそこからアプローチすることとなった。
「座禅でもしてみますか?」
「それは?」
「こう、脚を組んで精神統一して……」
そう言う聡慈も自信無さげだ。
彼だって座禅の経験など無いのだから。
「ああ、なんだか暑くも寒くもなくて、いい気持ちですねぇ」
「あ、白い魔力が多くなってますよ。無心です無心」
何も考えないことは案外難しいらしい。
二人は考え過ぎとリラックスし過ぎとの間を行ったり来たりすることを繰り返した。
「ふう、ダメですね。肩が凝りそうですよ。こんな時は少し体を動かしましょうよ」
ナンブットゥは伸びをしてそう提案した。
「へえ、運動ですか。何かされていたんですか?」
「いえ、それが何も」
聡慈はずっこけそうになった。
ナンブットゥは自他共に認める運動オンチ。
かけっこすらほとんどしたことが無いらしい。
それは流石に冗談混じりだろうと、聡慈は試しに腕立て伏せをさせてみた。
一回目――ペシャリと潰れて上がってこない。
早々に筋トレは諦めた。
(元々筋トレはやってると次もその次も、って思うからな。セロトニンとかアドレナリンとか、脳内で興奮や快楽物質が分泌されてるかもしれないな。そうすると黒い魔力が有意になるだろうし……うん、筋トレは相応しくなかった)
筋トレの楽しさが伝えられなかったのは少し残念に思ったが、聡慈は次の方法を考える。
(そうだ、素振りはどうだろうか? 心が空っぽになるまで振り続ける。エウリアでも振れるんだから軽い木刀――竹の方がいいかな……よし、ちょっと見繕ってみよう)
思いついた聡慈は、今日のところはこの案件はお預け、いつもの仕事に復帰した。
後日、やはり竹では軽過ぎると思い、聡慈は刀身の太さで重さを調整した木刀を用意してナンブットゥに渡した。
「どうですか?」
「ちょっと侮り過ぎですよソージさん。女子じゃないんですからこれぐらい振るなんてワケないですからね」
腕立て伏せの一回もできなかった事実は何と説明するつもりだろうか。
言いたい気持ちを我慢して聡慈は素振りをやってみせた。
「よし、やってみますよ!」
頭のやや上、横に構えた聡慈の木刀に何度か打ち込んで姿勢を修正された後、ナンブットゥは素振りを始めた。
聡慈の予想を上回り彼は五十回を超えて木刀を振った。
「はぁはぁ。体を動かすのも結構いいですね。なんだか一振りごとに頭から余計なことが出て行く気がします」
「いいですね。じゃああと十本素振りしたら今日は木刀を置きましょう」
「はい!」
汗を拭って呼吸を整えたナンブットゥが魔力の水の作製に取り掛かる。
程良い疲れが集中と無心の狭間で上手く魔力の均衡を保たせているようだ。
魔力は黒と白が同じぐらいに放出されている。
蒸留水は命の水の時のような輝きは見せない。
しかし黒と白の魔力が渦巻いて蒸留水を掻き混ぜているように見える。
その蒸留水を使い魔力を注ぎながら薬草を混ぜる。
できあがった魔力の水は、透き通ったサファイアのように輝く青色だった。
「これはきっと最高の魔力の水ですよ!」
完成品を見たナンブットゥは興奮して器を掲げた。
「落ち着いてナンブットゥさん。こぼさないように……」
もう少しそのままの精神状態で製薬してくれても良かったが。
聡慈は言葉に出さなかったが、少し惜しいと感じた。
「これはすぐに試せるからいいですね」
そして気を取り直してそう申し向けた。
魔力の水からは予想を裏切らず高い回復量を確認できた。
「これはでも、既存品と見た目が少し違うので説明が必要でしょうか」
「そうですね……命の水も効果の高さを実証できたなら、価格差をつけねばならないかもしれませんね」
外見上だけでも美しい液体の方が選び易いだろう。
その上、外見で劣る方が効果も劣るとしたら、同じ価格であることに納得する客がいるはずもない。
古い薬の価格を下げるか、新しい薬の価格を上げるか。ナンブットゥは頭を悩ませる。
「僕としては、薬の値段を上げて必要な人に行き渡らなくなるのが心配です。でも今までの薬の値段を下げると生活が維持できない。新しい薬も手に取ってもらいたいし……どうすればいいのでしょうか?」
「新しい薬の価格を上げましょう。ナンブットゥさん」聡慈は言った。
「でもそれでは新しい薬を買う人がいないかも。それに後で値段を下げると、最初に高値で買ったお客さんが不満を持つのでは?」
「――そうでしょうか……ナンブットゥさんはいつもの仕事を行いつつ新薬の研究開発に勤しみました。開発の過程で品質の悪い薬を破棄し幾つかの薬草を消費しています。もちろんナンブットゥさんの時間も余分に使われています。つまり新薬の開発はタダで為し得たわけではなく、資本を投じてようやく達成できたことなのです」
ナンブットゥは噛み締めるように聡慈の話を聞いている。
魔力の水にならなかった物だってある。
試飲の結果、販売に耐えないと断ずべき物もできた。
確かに商売である限りは、無償というのは自殺行為に等しくもあるだろう。
「新商品というのは一定数の、新しい物に惹かれる購入層を期待できるものです。それが既存の製品より高い価格だったとしても、です。
問題はむしろ、低品質の物の価格設定ではないでしょうか」
今後は薬をグレード分けして価格の高低をつける必要がありそうだ。
それは店の経営者たる夫妻に任せるべきだと聡慈は思った。
「ううっ……」
腰の引けたナンブットゥを見て聡慈は元の世界で世話になった会長を思い出した。
ナンブットゥとは全く違って、ワンマン、頑固、がめついタイプの人だった。
何故今二人が重なったのだろうか。
聡慈は妙におかしくなって俯き笑いを堪えるのだった。




