2 地獄編-1
「地獄、か。それはまあ地獄にも落ちよう」
聡慈は独り言ちた。
生前積んだ善行など……いや、自己満足の行為こそすれ善行など胸を張って言えることがあったか。
それよりも圧倒的に悪行の重さが勝るであろう。
「@#/_♪&¥$♪%#○^♪!!」
突然目の前の鬼が怒鳴った。
顔を歪め罵声を浴びせているようだ。
聡慈の独り言が気に障ったのかもしれない。
聡慈が口を噤むと鬼は鼻息荒く聡慈を足蹴にして、その襟首を掴み一頭の馬に繋いだ。
(あの世にも馬がいるのか。それに思っていたのとは違うな。何と言うか、普通の荒れ野のようだ)
痛みに呻きながらも聡慈は周りの景色を観察している。
疎らに生えた低い草と痩せた木々、風雨に晒され続けたであろう岩の連なり。
もっとおどろおどろしい風景を想像していた彼は場違いにも安堵するような気持ちになった。
そんな聡慈の気持ちに冷や水を浴びせるように、鬼は馬に跨り駆けさせ始めた。
馬に引き摺られ激しい痛みが聡慈を襲う。
彼が再び意識を失うまでそれほど時はかからなかった。
気がつくとそこは納屋なのか、干し草が積んであったり糞尿の臭いがする場所だった。
あの鬼は姿を見せない。
擦り傷、裂傷、打撲。痛みに悶えながら聡慈はいつしか眠り、一晩を明かした。
(どういうことだ……何故傷が治っている?)
目覚めた聡慈はほとんどの痛みが無くなり、傷も消えていることを訝しんだ。
これも地獄の責め苦の一つなのだろうか。
体を確認する聡慈だが、あまり考察もできぬ内に納屋の戸が開かれた。
昨日の鬼だ。
鬼は聡慈を見て目を見開いたが、直後顔にシワを寄せた。
分かり難いが昨日の怒りの表情とは違うように見える。
まるで醜悪な笑みを浮かべているようだ。
何もせず出口へ向かい、一度だけ意味ありげに振り向いて、納屋を出た。
鬼はすぐ戻って来た。
同じように骨格に優れた半裸の鬼たちを連れている。
聡慈を指差して仲間たちに何を言っているのか。
やはり仲間同士で顔にシワを作り笑っているかのような顔をしている。
聡慈の頭には嫌な予感が渦巻いている。
聡慈は外に放り出された。
それから何度も殴られ蹴られた。
相変わらず何を言っているのかは分からないが、鬼たちは仲間内で盛り上がっているような感情を覗かせる。
地獄の鬼たちは罪人を監督し罰を与える厳格な存在ではないのだろうか。
目の前の鬼たちはまるで楽しむかのように自分に暴行を加える。
聡慈は自分の想像していた鬼の有り様とかけ離れた鬼たちの様子に違和感を覚えた。
聡慈は首輪を嵌めらると、また納屋に放り捨てられ、朦朧としたまま眠りに就いた。
消防や警察による焼け落ちた家屋の見分も終わった。
「炬燵でウトウトしていたらいつの間にか火が出ていて消すことができなかった」
回復した老婆と幼児の証言と見分の結果から火災の原因は漏電だと判断された。
また二人を助けたのは聡慈だったと言うことだが、焼け跡にはそれらしい死体が無かった。
ただし聡慈が自宅からいなくなっており、焼け跡にからは彼の物らしい眼鏡が見つかったことから、何らかの事故に巻き込まれた可能性の高い失踪事案として何日か捜索が行われた。
このことは警察を通じて聡慈の息子へと連絡が行き、またその息子から妹、即ち聡慈の娘にも知らされることとなった。
彼らも手を尽くして発見に努めたが父親の痕跡を見つけることはできなかった。
或いは火事の中で神隠しにでも遭ったのでは、と思う程に。
「ケン君、マナちゃん、気を落としなさんな」
八十歳は過ぎていようが矍鑠とした老人が、項垂れる聡慈の息子と娘の肩を優しく叩く。
「会長さん……この度は父のことでわざわざお越しいただいて……」
「ええんや。ワテと聡慈はんの仲やからな。そら駆けつけるで」
立ち上がって頭を下げる聡慈の息子を椅子に座らせ会長は言う。
「しかし聡慈はんも冷たいやないか……長年共に戦ったワテに何の別れも告げんといなくなってからに」
会長の言葉には戯けるようで本当に寂しそうな響きがあった。
「そう思うやろ、丸碧の」
会長が言葉を投げたのはライバル社〈丸碧〉の本社社長、鰐渕である。
「ふん、あの男のことだ。こうやって忍者の如く姿を消して、我々が油断しているところで突然現れるのだろうさ」
鰐渕は営業課長、部長時代に聡慈と大口取引で何度も戦いを繰り広げた間柄である。
この敵無くして成長は無かったと言える、自他共に認める好敵手だった。
そんな相手が社長となりまた熾烈な戦いを繰り広げられる。
生粋の営業マン、鰐渕が夢見ていた経営競争も聡慈が呆気なく引退したことで実現能わず。
一時は落ち込んでいた鰐渕もようやく復調したところで、その地獄耳は今回の聡慈に関する変事を聞きつけた。
彼もまた聡慈の失踪を内心残念に思う一人であったが、彼こそは聡慈の忍耐と機転と行動力を誰よりも信じる男であった。
「兄さん、あの、デビッドさんから電話が……」
困惑した様子の妹から呼び出され、一旦聡慈の息子は席を外した。
そして戻って来た彼もまた何とも言い難い表情を浮かべていた。
「何や、誰やねんそのデビッドとか言うんは?」
「ふん、あの男のベトナム戦争時の部下だろう。米国支社勤務の時に会ったことがある奴だ」
「よう覚えとるなあんたも……」
鰐渕の話によると聡慈の知己らしい。
ライバルの情報を徹底的に調べていた鰐渕ならではの知識である。
「あ、ああすいません、そうです、デビッドさんは父の昔の部下なんです。日本が好きで父のことも慕ってくれて、小さい頃はたまに日本に来ては遊んでくれた方です」
聡慈の息子はやはり複雑な顔をしている。
「うん、ほんで何やったんや?」
「え、ええ。どうやら父が別の世界に行って活躍する、大冒険する夢を見たって言うんです。凄く久々に電話して来てくれたと思ったらそんな話で……」
幾らか表情を和らげ聡慈の息子は続ける。
「でも何だかしっくり来ました。きっと父は、ここではない何処か別世界で生まれ変わって自由に生きてくれているんだと」
「ケン君……」
痛みを堪えるかのような顔をした会長だが、頭を振って一転、彼も納得の笑顔を見せた。
「そうやな。うんうん、聡慈はんは元気にやっとるで! ワテもその考えに一票や!」
「何の一票なんだか。だがあの男が異世界とやらで四苦八苦する姿も、確かに想像に難くないがな。ああ、きっとあの悩み顔で頭を抱えながら現地民の問題に頭を突っ込んでるんだろうさ」
「わっはっは! そうや、分かっとるやないか丸碧の。今頃聡慈はんのおせっかい焼きが炸裂しとるやろ!」
「はは……皆さん、ありがとうございます。父の捜索願いは継続してもらうつもりですが、私たちも焦ったり悲しんだりすることはやめにします」
聡慈の息子は父親が得ていた人望を誇らしく思った。
集まった面々も必要な力は惜しまず提供することを約束した。
その後聡慈の次の人生についての想像を酒の肴に、彼らは寂しさを吹き飛ばすように歓談を交わした。
聡慈は相変わらず暴力に晒される日々を送っていた。
だがそれに彼は黙々と耐えていた。
自分の罪に与えられた罰と受け止めていたこと、それにあくまで身体的な暴力に限定されていたことーー言葉が通じないせいもあるだろうがーーで、出自等を罵られ尊厳を傷つけられた若い頃よりもずっとマシだったと考えられることが、耐え忍ぶことのできる理由であった。
彼の苦難の日々は続く。
入間聡慈
闘級 1
体力 50
魔力 0
力 10
防御 12
速さ 6
器用 15
精神 15
経験値 -4,416
技能 なし
称号 なし
耐性 なし
状態 自殺者の呪印、献身者の聖印