15 魔大陸離脱編-3
ミルドラモンは高名な賢者である。
学術都市として有名なユニバスタで魔法院から名誉教授の称号を贈られており、彼の魔法研究やその著書は学生の教本に用いられるなど魔法院に与える影響は大きい。
また彼を高名成らしめるものとしては、魔法研究の他に、両目の魔眼の存在がある。
対象を、【見定める】右目と、【運命を見る】左目だ。
だが高名さと魔眼の存在故に、様々な意図で群がる者たちが絶えなかった。
辟易した彼は自由を求める旅に出ることにした。
都合よく彼は天涯孤独。仕事に心残りも無い。
一人雇っていた家政婦には多めの退職金を渡し、行き先を告げずに家を出た。
九十歳という年齢のことは考えたことは無い。
自作の魔法鞄一つ手にしただけの気ままな旅。
まずは二十年程前に行ったことのある魔大陸へ。
独特の進化を遂げた魔人種と獣たちが闊歩する未開の地である。
飛びながら着陸できる場所を探し、ちょうど良い平原を見つけミルドラモンは魔大陸へと降り立った。
(まさか野人種と幻魔に出会うとは思わなんだのう)
森の中、ミルドラモンは会ったばかりの聡慈とリンの寝姿を見ながら改めて思う。
隔絶された大陸とは言え、魔人種しかいないとは限らないのだが、それでもあのような老人が生き延びられるとは思えない。
しかも何処かから逃げて来たようなことを言っていたし。
(闘級一、魔力無し。そんなことあり得るじゃろうか?)
右の魔眼が聡慈の力量を見定めた。
結果は――まるで幼児の闘級で魔力量は何と驚異のゼロ。
稀に十五歳ぐらいの子でも闘級一と言うのはあるが、それは殆ど寝たきりの場合など極限られている。
普通は日常生活を送っているだけでも何らかの経験は積み重なり、少しは闘級が上がるものだ。
(見たところあの御仁は普通に活動しているし。ふぅむ)
まだ気になる所は多くある。
出会い端の意味不明な言葉。
まるで幾つかの言語で同じことを伝えようとしているようだった。
リンと言う幻魔のこと。
運に恵まれれば幻魔と出会うこともあろう。
だが魔力契約ができないのに何故幻魔が離れていかないのか。
運命が見えないのもそう。
元々ぼやけた光の道のようにしか見えない魔眼であるが、全く見えない人物というのは初めてだ。
死を目前にした者だってもう少し何か見えるものである。
見えたところで大した助言もできないのだが、これではまるで死人を見ているようだ。
何はともあれ、生活を共にすれば分かってくることもあるだろう。
ミルドラモンは聡慈としばらく共に居ることを決めた。
明日からは公用語を教えることになる。
他の大陸に送る手段が整うまでにはかなりの時間がかかるだろうが、それまでにのんびり謎が解き明かせれば良い。
どのみち余暇における一興のようなものだ。
元々の知識欲も手伝い好奇心の傾くまま彼は、一人の野人種の老人と一頭の幻獣の面倒を見ることになった。
やはり対話することが言葉を覚えることへの最たる近道なのだろう。
聡慈はみるみる内にミルドラモンから教わった言葉を覚えていった。
聡慈は三年で鬱積した会話への欲求を満たすようにミルドラモンとの会話を楽しんだ。
ミルドラモンは聡慈から色々聞きたい話があるために教えることを厭わない。
それとは別に、年配とは思えない聡慈の学習意欲と物覚えの良さに感心してもいた。
そして聡慈の話は突拍子もない内容のことも多かったが、面白くもあった。
彼らは出会いから半月が過ぎる頃には、互いに心から会話を楽しめるようにまでなっていた。
「ソーさん、ちょっとこれを」
ミルドラモンは聡慈に一冊の本を差し出した。
「何だいドラさん? 随分使い込まれた本のようだが……」
ミルドラモンは様々な道具を、一つだけの手荷物である小さな肩掛け鞄から出す。
その様から聡慈は彼のことを、まるで元の世界で有名だった、不思議なポケットから未来の道具を何でも取り出す子どもに大人気のロボットのようだと思った。
そしてそのロボットに肖りミルドラモンのことを“ドラさん”と呼ぶようになった。
“ドラさん”の愛称はミルドラモン本人が中々気に入って、聡慈のことも同じ様に“ソーさん”と呼び始めた。
また当初は目上の人に向けた言葉遣いであったが、ミルドラモンが嫌がったため今では友人と交わすような言葉遣いになっている。
それはさておき、ミルドラモンが聡慈に差し出した古い本、それは「魔法の手引書」らしい。
「何じゃ、ほら。ソーさんの元いた世界でも子どもは絵本から字を覚えていくんじゃろ? いや、ソーさんを子ども扱いするわけじゃあないんじゃが……」
「ははは、遠慮なく言ってくれていいのに。事実私は子どもより物を知らないだろう。これは絵本の代わりかい?」
聡慈は本をパラパラとめくってみた。
難解な図形と細かい文字が紙面を埋め尽くしている。
「絵本と呼ぶには些か難しくないかい? ……ううむ、この図形に対応する魔法があって、その注釈がびっしりと書き込まれているんだね?」
「さすが察しが良いのぅ。もちろん幼児はこのような本を読んだりせぬ……どころか魔法院の学生だって真に読める者は少ない、専門書の類じゃよ」
ミルドラモンは頭を掻いて微苦笑をうかべる。
「こんなものしか持っとらなんだ。すまんのう」
「何を何を。これを読めれば文字も魔法も理解できるということなのだろう? こんなありがたい物はないよ」
ははは、と聡慈は笑って本を掲げ頭を下げ、慇懃に頂いた。
「こりゃまいったわい、結構な大言じゃよそれは! まあ気負わずに臆せず何でも聞いてくれい」
わっはっは、とミルドラモンは愉快そうに聡慈の肩を叩いた。
この日から聡慈の日課に魔法書の読み込みが加わった。
聡慈の日課は現時点三つ。
一つ目は薬となる植物の採取。
鬼に強制され身に付けた薬作りであるが、せっかくの技能を嫌な記憶と共に廃れさせるつもりはなかった。
一旦覚えたからと言ってサボればいずれ忘れてしまうだろう。
毎日目についた植物を採取して乾燥したり潰したりすることを続けている。
二つ目は鬼の集落でもやっていた筋力トレーニングと、余裕ができてから始めた木刀での素振り。
若い頃流行したフィットネス。
当時は逞しい俳優たちに憧れ、始めたトレーニングである。
今は自分の年齢を考えて急な動作は控えている。
じっくり丁寧に、筋肉への刺激を重視したトレーニングを行なう。
素振りは日本に来てから嗜んだ剣道が基だ。
ミルドラモンに切り出してもらった木を削って調整し、防腐の薬を塗布した木刀を振る。
やはり速さは追求せず太刀筋と体のバランスに重きを置いた。
ミルドラモンはいつも姿勢の美しさを褒めてくれる。
三つ目は魔法書の書写し。
と言っても自由に使える紙があるわけではなく、地面に書くだけだが。
この世界の言葉も、単語の一部に共通する文字列を含むものは同じ系統の単語だったりと、きちんとした法則で成り立っているのが分かる。
文字を覚えることで、言葉の意味もより理解が深まった。
なお魔法とは、魔力を込めた印を規則的に配置して望む現象を引き起こす力である。
物質、熱量、形状、密度、速度、時間――魔力で刻む様々な要素を組み合わせ規則的に配置したものが魔法陣となり、魔法が発生する。
ただし魔法陣の良し悪しは単語の内容だけでなく、その形状にも左右される。
トライアングル、スクウェア、ペンタゴン、真円の中に均等に配置されたものが良い魔法陣の基本である。
想像力を刺激されるが、魔法陣は魔力によって作るものと聞き、魔力皆無の聡慈は少しばかりがっかりした。
それはさておき聡慈が師事しているのは世界最高峰の賢者である。
異なる世界とはいえ教養高い聡慈が本の内容を勢いよく吸収するのは、また必然であったと言えるのだった。




