12 地獄編-11
リンから背を向けられた鬼はハッと我に返り、怒りの雄叫びを上げた。
過去の痛みに慄いた事実を怒りで誤魔化さねば、惨めさで狂いそうだったのだ。
叫びながら凄まじい勢いでリンを追って森へと突入する。
その速度は馬の全速力を上回る程の速さだった。
リンは森の中を駆け回る。
極力熟知した場所を選んだ。
木の根が大きく盛り上がっていても、太い枝が張り出していても巧みに躱すことができる道をだ。
その走行経路の選択と、脚を押し出す緑色の力で速度に勝る鬼とつかず離れずの競争を演じていた。
鬼は邪魔な枝葉や木の根を手で払い足で蹴りつけリンを追う。
あの馬モドキが、リンが飛ばす小石が視界を塞ぐのがまた忌々しい。
目を開けると眼前に木の枝が迫っていた。
馬モドキの脚を噛みちぎるつもりで大口を開け、自慢の牙で枝を噛み裂いた。
少しずつだが距離は縮まっている。
鬼は惨たらしかろう馬モドキの最期を思い浮かべて醜く笑った。
聡慈はリンが稼ぐ時間を以って鬼を倒す罠の方法を考える。
地面に設置するとリンを巻き込む虞れがあるので却下だ。
頭の下程の高さがある段差を乗り越えた。
激しく駆け回り衝突する音が森の中を反響している。
(頑張っているなリン。待ってろよ)
木々の隙間から垣間見えたリンの奮闘。
木々の間を縫うように縦横無尽に駆け、石を弾き飛ばし鬼を翻弄している。
鬼が苛立たし気に太い枝を噛み粉砕した。
(興奮したり思い通りにならないとすぐ噛む癖は体が大きくなっても変わってない……)
鬼の精神の未成熟さが分かる。
聡慈はつけ入る隙を見つけてリンを心中で応援し罠の設置に取り掛かった。
鬼から逃げるリン。
取り込める黒い渦も、そこから生み出せる緑色の渦巻きも少なくなってきた。
鬼の体力はまるで底無しで自分の脚は重くなってきている。
追いつかれるのは時間の問題、いや、もう間近だった。
その時
「リン! こっちだ!!」
聡慈が一段高くなった所から手招きしている。
「跳んで来い! 越えたら姿勢を低くだぞ!」
聡慈の身振り手振りは、高い所に乗ったら頭を下げて走れと言っているようだ。
鬼は十メートル後方、遮る物は無い。
九メートル、八メートル、子どもと大人の駆け足並の勢いで距離が縮まる。
七メートル、六メートル
「グオアァァァ!!」
気合いの咆哮を轟かせ威嚇をして来た。
リンは力を目一杯の力で地面を蹴り段差に乗った。
後脚が引っかかったが聡慈が引っ張り上げてくれた。
そのまま頭に手を添えられ走る。
跳ねるなと言うことだ。
聡慈も前傾で走っている。
五メートル後方、鬼は一足飛びで段差を越えて来た。
もう追いつく、と怒りと嗜虐心からの笑みとが混じった複雑な表情を剥き出しにしている。
四メートル
「今だ!!」
聡慈の掛け声に合わせて、リンは走りながら最後の力を振り絞り、後ろ足で地面を抉った。
もう緑色の力は生み出せなくなった。
鬼の見開き血走った目にバラバラと石土が弾丸のように飛来する。
――またこれか、無駄な足掻きを!――
鬼は目を眇めて顔を斜め下に向けて飛来物をやり過ごした。
馬モドキの脚からは緑色の渦巻きが消えている。
――捉えたぞ!!――
残り三メートル程の距離を一息で潰そうと、両手を上げ飛びかかった。
――!!!!!――
突如目の前に現れたロープ。
木と木の間にピンと張られているのは、もちろん聡慈の罠である。
――これも無駄な足掻きだろうが!!――
突進しても大した足止め程度にしかならなそうなそのロープを、
鬼は怒り任せに噛み切った。
次はお前たちがこうなる番だ、とでも言わんばかりにロープを咀嚼し、吐き捨てた。
――!!!!?????――
その直後、鬼の口内を燃えるような熱さと激しい痛みが駆け巡った。
自分の唾液までもが熱を帯びているようだ。
口が閉じていられない。
口内を乾かすように大口を開け喘いだ。
ピシャッ
液体が弾ける音がして、鬼は喉を何かが通過するのを感じた。
そして鬼は痙攣し口からブクブクと泡を吹いて、白目を剥き倒れた。
「死んではいないさ。麻痺しているだけだ。呼吸はすぐに回復する。口の痛みと手足の麻痺はしばらく残るから追っては来れないがな」
聡慈は小走りを続けながらリンに言った。
リンが蹴った石土に混じって飛んだ。
鬼の吸った砂埃に混じっていたのは感覚を鋭敏にする、紫色の五弁花を咲かせる茎の粉末。
鬼が口に含んだロープに塗られていたのは、この日のために幾つも集め煮詰めた、竜顔の形をした激辛の赤い実の濃縮液。
その後鬼の喉を通過したのは、一時的なショック状態を起こす水仙に似た草の絞り汁と、筋肉を弛緩させる効果のある、三段の台座のように見える葉に薄紫色の花を戴く植物の根の粉末とを水に溶かした液。
追跡を受けた時のために用意した毒物はまだあと少しある。
だがそれらは今しがた使用した物よりも格段に殺傷力が高く、量も少ない。
本当の緊急用であった。
道具の使用を勿体ぶったわけでも、鬼を軽く見ていたわけでもない。
だが聡慈は鬼を撃退し、かつその命を奪わなかったことを誇らしく、自分で自分を褒めたい気持ちになった。
「ファア、ファアア!」
リンも認めてくれているようだ。
「お前もよく頑張ってくれた。見ていたぞ、勇敢で見事な走りを。あのトノサマを上回る走りだったとも!」
「……!!」
正にリンの望む言葉だった。
何も言わなかったがリンは疲れを忘れ弾むように走るのだった。
まだ油断することはできない。
しかし走り続ける最中にもこの三年のことが色々と頭に浮かんでは消えていく。
よくもまあ生前の罰だなどと思ったものだ。
いや、罰なのかもしれないが、それを与えるのがあの鬼たちであってなるものか。
もしこれが罰で、地球とは異なる世界に移らされたとしたのならば……
老いて残り少ない生かもしれないが、自らの意思で誰かを助けたり世に貢献をしたいものだ。
少し太々しくなったか。
鬼たちからの虐遇を乗り越えたお陰――かな、と聡慈は頭を掻いた。
あの世……全く死んだ感じはしないがもう戻れる気のしないあの世界を、あえてそう表現しよう。
あの世での経験をどれだけ活かせるか。
この世で体験して身につけたこともある。
薬草作り、馬の飼育、それから苦労を乗り越えた心の強さ、逃げ足、最後に鬼と行った命のやり取り……
まだ自分は今からでも何かを身につけることができる。
死しか見ていなかったあの世での心のあり方。
それが老いた身にとって必ずしも間違いだったとは思わない。
が、何かを覚える、習得すると言うのは何歳になっても清々しく、輝かしい気持ちになることを改めて思い知った。
聡慈は頭を掻く手を止め頬を叩き、「何してるの?」と訝し気な顔をするリンを照れ隠しで撫でた。
馬たちとは会わなかったが、鬼はアイツだけしか追って来ていなかった。
皆とりあえずは逃げきれただろう。
元気にやってくれよ。
もう目の前には木々が途切れるような明るさが見えてきた。
この先には何が待っているのか。
何か試練があるならばせめて世のため人のためになることに繋がらんことを。
聡慈はそう願い前を向き、光の差す方へと歩いて行った。
聡慈は称号を獲得した。【不屈漢】
聡慈は技能を習得した。【反撃】
聡慈の【被虐者】の進度が低減された。
入間聡慈
闘級 1
体力 52
魔力 0
力 11
防御 13
速さ 8
器用 16
精神 16
経験値 -3,950
技能
⚪︎魔言語★5(魔法習得速度上昇)
⚪︎魔視★1
⚪︎自然回復上昇・小
⚪︎見抜く
⚪︎反撃
称号
⚪︎薬師★3
⚪︎被虐者★5 →(低減)★4
⚪︎轡取り★5
⚪︎伯楽★5
⚪︎不屈漢★5 (成長時加算:体力+10、力+3、防御+3、精神+1、技能習得【反撃】)
⚪︎狩猟者★1
⚪︎逃亡者★2
耐性 毒、麻痺、睡眠、混乱
状態 自殺者の呪印、献身者の聖印




